第12話 才能 そしてシュシュ

(イルゼちゃんは黙っていればもっと可愛いのにな)

 

 ギルドの一室で、イルゼは熱心にサラから教えを乞いていた。

 その姿はとても勤勉で教えがいがあるというものだ。


「この文字が、“あ”で、こちらが“ア”と読みます」


「むー、難しい……けどサラは教えるのが上手い」

 

 イルゼに褒められ、サラは得意げに胸を張る。

 その行為にイルゼの目が冷ややかになっている事にサラは気が付かない。


 机の下でしなやかな足をぶらつかせ、教本を開き、白紙の用紙に羽根ペンで文字を書きとるイルゼ。


 難しいという言動とは裏腹に、イルゼはものの30分足らずで世界共通語の文字を全て覚えきってしまった。

 この分だと、一部の地域特有の言語や文字、古代文字まで覚えてしまう勢いである。


「す、素晴らしいですね。こんな短時間で覚えきるなんて……まだ時間もある事ですし、他の分野にも手をつけてみましょうか。知識はあって困るものではないですし」


「うん、そうする」


 イルゼにとって、何かを覚えるという事は呼吸をする事と同じであった。



◇◆◇◆◇


 五百年前。


 何も知らされず、彼は王宮へと連れてこられ、雪のように白い髪と肌をした少女に剣術を教えろと王命が下った。

 まだイルゼが剣を持ち始めた頃の話だ。


 イルゼの剣術の師匠となった人物は、幼い少女に剣を教えるのを躊躇ったものの、王命には逆らえなかったので、少しでも少女の生存率を上げるため、自分の全てを少女に教えた。


 足の運び方、剣技、駆け引きの仕方など、自分が持ちうる全ての技術を教え、その日のうちに一戦を交えた。


「はぁっ!!」


「ふん!!」


 力任せに踏み込んだイルゼの一撃は、単純な力の差で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。


「むぐっ!」


 正面からは無理だと分かったイルゼは趣向をかえ、様々な角度から攻める。

 ときには蹴りや搦め手も混ぜ、剣を振るった。


 一度目はイルゼが負け、二度目は殆ど互角であった。


 彼は、二度目の対戦で悟った。

 彼女には間違いなく天賦の才能があり、自分の才では何十年経ってもその域には遠く及ばないと。


 彼の言葉通り、三度目の勝負はイルゼの圧勝であった。


 たったの半日で、イルゼは剣神と呼ばれた人物を打ち破ったのである。

 僅か12歳の少女に敗れ、打ちひしがれていた彼に少女は初めて自ら言葉をかけた。


「もう少し……ううん、一から鍛え直した方がいい。無駄な動きが多いから実戦ではすぐに死ぬよ」


 それだけ告げると、もはや興味を無くしたとでもいうように、少女は彼の元を去っていった。


 それが戦争という地獄を何度も乗り越え、数々の武功を立て”英雄”と呼ばれた男に向けた『剣聖』の初めての言葉であった。

 

 その三年後、現役を引退した彼は、魔族との抗争には参加せず、人知れず俗世から離れ、剣の修行に励んだという。


◇◇◇


「魔物に関しては元々、知識があるようなので他の分野を見ていきましょうか」


「うん」


 魔物達の事は五百年前の抗争で知り尽くしていた。


 五百年前とあまり生態系が変わらない事が幸いして、イルゼには初見の魔物というものが殆ど存在しない。

 魔物の図鑑を開いている時、あるページが目に留まった。

 それは蛇の頭髪と宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える強力な魔物、メデューサであった。


(私が倒したメデューサが、伝説上の魔物になっているのはなんか悔しい)


 魔族の領域を探索していた時、メデューサとあいまみえた事があった。

 一緒にいた仲間は全員、石に変えられて死んだ。


 なのでイルゼの偉業を記録している者はおらず、メデューサとの戦いを知っている者は本人しかいない。


 魔物の本の他にも、歴史、経済、雑学など、様々な分野の教本が机の上に置かれていた。

 文字を覚えたてのイルゼは、練習がてら、愛嬌のある声でそれを読んでいく。


 開始から2時間が経過した。


 一を聞いて十を知るイルゼに、サラは充実感を覚え、次から次へと新しい本を持ってきた。

 気がつけば書斎にある本全てをイルゼは読みきってしまっていた。


「まさかこれほどとは……信じられませんね」


 大きく腕を伸ばし、肩をほぐすイルゼ。

 サラはイルゼの天才ぶりに思わず目を見開いてしまう。

 年端も行かぬ少女が、大人でも頭を捻らせる難読書物をいとも容易く、さも当然のように熟読したからである。


 次から次へとリズムよく覚えるイルゼに、調子に乗って本を持ってきた自分も悪かったのだが、本当に全てを読みきるなど思ってもみなかったのだ。


「イルゼー、お腹すいたぞー」


 そんな二人の元にお腹を抱えたリリスがやってきた。どうやら冒険者達から貰った物は全て食べきってしまったらしい。


 それでも彼女は満足出来なかったようだ。


「朝もあんなに食べてたのに?」

「うむ。余は人より少々お腹の減りが早いようじゃ」

「ふーん……」


 食べ物の代わりに、リリスの手には花柄の赤いシュシュが握られていた。


「リリスそれは?」


「ん、ああこれか」


 今、思い出したかのように、シュシュを差し出す。

 真っ赤なシュシュは、リリスの燃え盛るような瞳を想起させた。


「これも貰ったのじゃが、美味しくなくてな」

「確かに美味しくなさそう」


 シュシュと受け取ったイルゼが鼻を近づけ、クンクンと犬のように匂いを嗅ぐ。


「いや、それを口にしたんですか!?」


 ポンコツ二人組に思わずツッコミを入れてしまうサラであった。


「うむ。これは食べる物ではないのか?」


 純粋な眼差しを向けてくるリリスに、サラは思わず溜息をつく。

 リリスはもちろんの事、これは一緒にいるイルゼの沽券にも関わる問題なのだ。


「違いますよ……誰かに見られたりしてませんよね?」


「小さい子供が窓から覗いておったくらいで、他は誰もおらんかったから大丈夫であろう」


「大丈夫じゃないですよ! 子供になんてもの見せてるんですか! 真似したらどうするんです」


 サラに叱責され、しゅんとなるリリス。


「す、すまぬ」


(リリスちゃんも黙っていれば大人っぽく見えるのに)


 柄にもなく大声を出してしまったサラは、コホンと一つ咳払いして、リリスに注意を促す。


「いいですか、これからは何か分からない物があったらまず私に聞いて下さい。お姉さんとの約束ですよ」


 そう言ってサラは、リリスの前に自分の小指を立てて突き出す。


「あ、それ本で見た。東の国の文化でしょ? 小指を絡ませる事がおまじないになるっていう」


 イルゼが習ったばかりの知識を早速披露した。


「そうなのか?」


 サラに促され、リリスは不安がりながらも、自分の小指をサラの小指に絡める。


「はい、その通りです。これで指をきって、約束を破ったら針千本を飲ますという風習です」


「なっ! 指を切る!? 針千本を飲ます?!」


 すでにリリスは、サラと指を絡めてしまった状態にある。

 あわあわと挙動不審になっているリリスにサラは冗談めかして笑う。


「まじないみたいなものですから、本当にするわけではありませんよ。約束を破ったら、許しませんよという意味を込めてです」


「なんじゃそうなのか……焦ったわい」


 サラの言葉を鵜呑みにしていたリリスは、ほっと胸を撫で下ろす。

 そんなリリスにサラが含み笑いをする。



「ねえ、リリスこれどうする?」


 イルゼが先程の赤いシュシュを差し出してきた。


「一度付けてみてはいかがですか?」


「どこに?」


「髪にですよ。髪を纏めてお洒落に着飾る物ですので」


 サラの答えに、ようやく二人はシュシュの使い道を理解した。


「そっか……リリス付ける?」


「うむ。頼んだ」


 リリスがイルゼに背を向け、腰まで伸びたその美しい黒髪を晒す。イルゼがリリスのつややかな髪を優しく束ね、その漆黒の髪にシュシュを通す。


 さながら妖精のような二人の一挙一動に、目を奪われ、サラはついつい頬が緩んでしまった。


(ストレートもいいけど、可愛い子のポニーテールはやっぱり萌えるね)


「どうじゃ?」


「似合ってると思う」


「可愛いですよ」


 二人に褒められ、恥ずかしそうに頬をかくリリス。彼女の漆黒の髪に、その赤いシュシュはとても良くマッチしていた。


「じゃあ、私は通常業務に戻りますね。――イルゼちゃんとリリスちゃんは、お買い物楽しんできてね!」


 食べてばかりはダメだよとサラは念を押す。


「サラ、色々ありがとう」


「ご苦労である」


 二人に見送られて、サラは手を振り返す。

 そして自分のデスクに戻ると山のように積まれた書類が待ち構えていた。

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