第11話 文字を教えて
「ミラ、ずっと待っててくれたの? ごめん、寝過ぎた」
イルゼがミラに頭を下げる。
リリスは「ほへー」と料理に目を奪われていた。
「いいえー、気にしないで下さい。天使様達が起きるタイミングを見計らって準備していましたので」
そう言って意味深にノートを取り出すミラ。
どうやって自分達が起きる時間を……とは怖くて聞けない二人であった。
「それじゃあ頂きます」
「頂きますなのじゃ」
すでに昼時。他の宿泊客もまばらなので、二人はのんびりとした雰囲気の店内で食事を済ました。
黙々と食べ進めるイルゼに対し、今日のリリスは普段とうって変わって、食の進みが遅かった。
それは、ミラが料理に何か盛っているのではと疑っていたからだ。
(こやつ、笑顔で媚薬などを飲ませてきそうで怖いわい!!)
そんなリリスに、ミラが後ろからスッと顔を出す。
「うおっ!」
「んーどうしたんですか天使様。早く食べて頂かないとミラは泣いてしまいます」
おいおいと下手な泣き真似をするミラ。
リリスは結局、無言の圧力と自分の食い意地に負け、美味い美味いと言いながらミラの手料理をパクパクと食べ始めた。
ミラはこの美味しそうに食べる二人を見たいが為に、早起きして、料理長を買収し、二人の料理を自分で作ったのである。
「料理長の料理なんかを天使様にお出しするわけにはいきません」と料理長を軽く罵倒して。
もちろん、イルゼとリリスを天使と仰ぐミラが薬を盛る事など万が一にもありえない。
リリスの考えすぎである。
◇◇◇
「ふー美味しかった」
「うむ、美味であった」
食事を終えた二人は、当初の予定通り……より少し遅れて冒険者ギルドへと向かった。
向かう途中に、串焼きを何本か買うのも忘れずに。
「ギルマス来た」
「きてひゃっはぞ!」
リリスは串焼きを両手に持ちながら、もぐもぐと口を動かしていた。
二人が来た瞬間、中にいる冒険者達が一斉に肩をびくっとふるわせた。
早くも冒険者達の間で、二人の情報が共有されているようである。
中には、二人の事を知らない者もいるようで、何をやっているんだあいつらと首を傾げていた。
「あ、イルゼちゃん。こっちこっちー」
サラに呼ばれ、とてとてと、受付カウンターに向かうイルゼ。同性には甘いイルゼは、ちゃん付けされても特に何か言うことはしなかった。
これがビルクであったら八つ裂きにされていたであろう。
一方のリリスは、備え付けの椅子にどかっと座り込み、優雅に足を組んで串焼きを食べ始めていた。
「今日は何用かな?」
「ルブに来いって言われてたから」
「あーなるほど」
「ギルマスいる?」
奥の部屋に目を向けるイルゼ。『オメガの使徒』について何か進展はあったのかを聞くつもりであった。
「ごめんね。今日、ギルマスは出張なんだ。なんでも強力な魔物が出たらしくって」
ルブから宿屋でのイルゼ達の様子を聞いたのか、初めて会った頃より、サラは随分とくだけた調子であった。
――良い傾向。
五百年前、多くの人から、畏怖と崇拝の念を向けられていたイルゼにとって、こっちの方が親しみやすくて好きであった。
「そっか、分かったありがと」
「イルゼちゃんは今日どうするの?」
顎に手を添えて、「うーん」と考え込むイルゼ。
「何もする事ない」
「じゃあギルドの依頼受けてみるのはどう? Sランクのイルゼちゃんなら、なんでも受けれるよ」
サラは、ギルドの掲示板から手頃な依頼を何枚か取ってイルゼの前に持ってきた。
しかし依頼書の紙を見たイルゼは、顔を顰めるばかりだった。
「わかんない」
「え、何が?」
「私、字が読めないの」
イルゼが剣聖だという事情を知らないサラは、一瞬笑顔をひきつらせるが、さすがライアスお墨付きの受付嬢だけあって、すぐに柔和な笑みを張り直した。
「それじゃあ今日は文字を覚えようか」
「いいの?」
イルゼはサラの手元に置かれている資料の山を見る。サラはお調子ものだが、仕事にはしっかり務めているのである。
「いいの! ギルマスからもイルゼちゃん優先って言われてるし」
ギルマスをだしに、サラは仕事をサボろうと考えていた。
イルゼもそれに巻き込まれた形ではあるが、サラのそれは善意から来たものである事は確かである。
「そうなの? じゃあお願い」
「任せ――お任せ下さい」
サラの切り替えは早かった。おふざけと仕事の区別がはっきりしている。
彼女は他の冒険者と同じように、丁寧な口調でイルゼに接する。
イルゼもサラに感化され、居住まいを正す。
サラはギルマスの書斎に、教育用の本がある事を思い出し、取りに向かった。
かつては孤児だったサラ達が、勉強に使えとギルマスから渡された物でもあった。
「んっ……?」
イルゼがふとリリスの方をみると、たくさんの冒険者達から、お菓子や食べ物を貰い、頭を撫でられ、「こういうのも悪くないのう」と口走っていた。
怖いという気持ちより、可愛い、愛でたい、近づきたいという気持ちが彼等の中で勝ったらしい。
中には、その整った顔をしていて、黙っていればクールな女性に見えるリリスに蔑まれたいという変わった願望の持ち主もいた。
「ぬはははは!!」
男達の趣向は違えど、リリスは圧倒的なカリスマ性を誇っていた。
それはイルゼにとって悔しくもあった。自分はあれほど多くの人に好意を向けられた事はないのだ。
「イルゼちゃんも一つ食べるかい?」
「ん……頂く」
冒険者の一人にお菓子を貰う。それを機に他の冒険者も続々と集まってきた。
「イルゼさん。これも貰って下さい!」
「昨日のイルゼさん。めっちゃかっこよかったッス。おれ、惚れちゃいました」
「イルゼちゃん。甘いものは大丈夫かな。これ私が今日の朝、焼いてきたんだ。一つ食べてみない?」
「ん、ありがと。全部貰うね」
目まぐるしい人の波に、イルゼはクルクルと目を回す。
今までは近づいて来てくれる人は多いが、イルゼと一言、二言話すと去っていってしまう者が多かった。
自分の口下手なせいもあるのだが、どういうわけかリリスと一緒にいると自分の元にも多くの人が好意を寄せて来てくれた。
リリスの力に頼っているようでイルゼは悔しかった。
(やっぱり……胸の違いかな?)
リリスの周りには、時間が経つごとにどんどん人が増えていった。もはやリリスの姿は見えず、その声しか聞こえない。
「これは美味いのう。もっとあるのか?」
「ありますあります」
「リリス様。どうぞこちらを召し上がって下さい」
「リリス様! どうか私の背中を足掛けにして下さい」
早くも様付けで呼ばれるリリス。リリスは「なはははは、どうじゃイルゼ。これが余のカリスマ性じゃ」と快活に笑う。
姿は見えず、声だけが聞こえてくる。そしてパクパクという何かを食べる音が聞こえる。
「本当に魔王?」
イルゼは口の中一杯に食べ物を詰め、たくさんの男達を平伏させているであろうポンコツ魔王に向かって、三度そう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます