第7話 依頼 そして寝床

「えーと、つまりイルゼさんが人類の英雄と呼ばれた剣聖様で、リリスさんが大勢の人間を殺したの有名な暴虐の魔王……さま?」


 ルブがイルゼとリリスを交互に見比べ必死に状況を理解しようと努力する。


 そしてリリスに対しては三度見くらいした。リリスは「なんじゃ? 余の顔に何かついておるのか」と自分の顔をぐにぐにと触りだした。


 リリスの頬肉が上下左右に良く伸び、顔の形を変えていく。


 器量の良いリリスが変顔をすると、どんなに顔を歪めても絵になってしまうのは世の常である。


「…………ぷっ、あはははははっ!」


 そしてリリスの変顔に、堪えきれなくなったイルゼが腹を抱えて笑い出した。


「なにを笑っておるイルゼ! やはり余の顔に何かついているのじゃな!!」


 変に勘違いしたリリスがさらに変顔を続けるので、イルゼの笑いは止まらず、ソファーから笑い転げ、床の上でヒクヒクし始めた。


「ふむ、アークから聞いていたよりだいぶ感情があるようじゃな」


 国王から聞かされていた話より、イルゼの感情が人間らしくなってきている事に安堵を覚えるのと同時に、ここまで早く少女の心が回復する事が出来たのは、紛れもなくリリスのお陰であるなとギルマスは辺りをつけた。


(一体何がどうなっているんだ)


 一人だけ話についていけてないルブが怪訝そうな顔を浮かべる。


 それを見て、やれやれと溜息をつくギルマスであったが、突拍子もない話を急に聞かされたのだから、ルブがそうなるのも当然の反応といえた。


 彼の周りにいるのが非常識な者達ばかりだっただけである。


「ルブには後で詳しく説明するとして……お嬢さん達に一つ人助けを頼みたいのだが、受けてはくれまいだろうか?」


 ひとしきり笑い転けたイルゼに、ライアスが『剣聖』としてのイルゼに頼み事をする。


「…………内容による」


 今までのイルゼであれば人類の最終兵器として育てられた手前、断る理由はなかったであろう。


 だけど今は主である第八代国王から自由を許されている事や故郷に早く行ってみたいという思いが強く勝っていた。


「うむ。この街でよからぬことを企んでいる連中がいるという情報が入った。目撃された情報から『オメガの使徒』と呼ばれる一味だという事も分かっておる。お嬢さん達も無関係ではあるまい」


 その調査を……ひいては連中の撃退を行ってほしいのだとギルマスはイルゼに依頼する。


 彼はランドラのギルマスターという立場があり、表立って動く事は出来ない。ましてや『オメガの使徒』は水面下で動いている組織であるため、その全貌はおろか、尻尾さえ掴めていない。


 現状、彼等が動くまで、国やギルドは対処出来ないのだ。

 そこで剣聖と元魔王たるリリス達に、この依頼を申し出た。


 『オメガの使徒』という言葉にピクリと反応したイルゼが逡巡する。


 今のイルゼの役目は元暴虐の魔王リリスの護衛。ひいては魔王復活を企む『オメガの使徒』とは相容れない存在であり、何かの拍子で出会ってしまえば間違いなく敵対する事になるとイルゼは確信していた。


(ん。なら)


 それならば、潰せる時に潰してしまおうという判断をイルゼは下す。


「分かった……どこまで出来るかは分からないけどその依頼引き受ける」


 グッ!! と両拳を胸元で握る。実に愛らしい動作だ。


 その動作にルブは顔を赤らめる。


「なぁに心配する事はない。Sランクの嬢ちゃんが動けば、『オメガの使徒』なんて連中は一網打尽だ。魔王のお嬢ちゃんもいる事だしな」


 ギルマスの言葉に、二人揃って膨れっ面をする。


「余をちゃん付けで呼ぶではない! 余はお主より年上じゃぞ!!」

「私、もう15歳。立派な大人」


 ギルマスにちゃん付けされ、子供扱いを受けた事に、イルゼ達は反論した。五百年眠っていたイルゼはともかくリリスは魔族の年で1500年程生きていた。


 それでも人間で言えば15歳にあたるのだが。

 その事実を知らない彼女には、自分が15歳という自覚はなかった。


 ギルマスに揃って抗議するも、ワシからみれば、まだまだひよっこじゃぞと軽くあしらわれ、二人はギルマスとの年季の差をひしひしと感じさせられた。


「なに自分は違うみたいな事言ってるんですか。ギルマスもSランクでしょ」


 ルブの発言にイルゼは驚いた。強いとは思っていたが自分と同じSランクにあたるとは思っていなかったからだ。


(私の他にもSランクの人っているんだ)


「ねえ、あの盗賊の頭領はAランクって言ってたけど、大して強くなかった。Sは違うの?」


 純粋な疑問であった。

 あの盗賊が本当にAランクだというなら、SとAには一生かかっても越えられない壁があると言うことになる。


 また、対面にいるルブの方が、Aランクとしての素質があるとイルゼは見抜いていた。


「ふむ、今のところランクSの称号を持っている冒険者はお嬢ちゃんとワシ、その他に三人しかいないはずじゃ。そしてAランクも正確な数までは分からんが、それほど多くはおらん。それにAランクの冒険者はワシら程ではないが、かなりの実力者でなければなる事は出来ない」


 だからその男が、ランクAの称号を持っていたのは不思議でならんのとギルマスの手が自然と髭に伸びる。


 彼は考え事をする時、髭を弄る癖があった。


 ギルマスの髭がくるくるしているのは、この癖のせいらしい。


 Sランクの冒険者が、五人しかいない事にも驚きだが、Aランクの冒険者は、それなりの実力者でなければなれないと言う話を聞き、何も出来ぬまま首を落とされた男を不憫に思った。


(きっと私が強過ぎたんだよね)


 イルゼは自分が強過ぎるせいで、彼が実力を発揮出来ぬまま死んだのだと思った。


 ――昔からそうだった、リリス……魔王でさえ私を傷つける事は出来なかった。


 自分の肩の上に頭を乗せたリリスを見やる。スースーと寝息を立てて気持ち良さそうに、イルゼにもたれかかって眠っていた。


(……よだれがつきそう)


 静かにしていると思ったら、難しい話について来れず、あどけない顔を晒して夢の世界へと意識を飛ばしていたのだ。


「んー、もう食べれぬ」

 

 彼女は夢の世界でも食べ物と一緒らしい。


「イルゼ……残りはお主にあげよ……う」

 

 ついでにイルゼも夢に出演しているようだ。


 今はおそらく、自分が食べ残した物をあげている最中なのだろう。寝ているはずのリリスが、何故か満足げに口端を吊り上げる。

 


 一体夢の中でイルゼは何をされているのか。


 それはリリス本人にしか分からない。



 イルゼがリリスの寝顔を鑑賞してる間にギルマスは先の結論を出した。


「こちらでそのAランクと名乗った男の素性を調べておこう。お嬢さ……イルゼちゃんの話を聞くにギルドカードは持っておったようだしの」


 何かを察したギルマスがお嬢さん呼びをやめ、イルゼちゃんと名前で呼ぶ。

 それに対し、イルゼは満足そうに腰に手を添えて頷く。


 自分の呼称は剣聖でもなく、お嬢さんでもなく、イルゼだと、そう言っているようであった。


 やはり彼女は自分の名前を気に入っており、そこに妥協の類は一切ないらしい。


「今日はもう日暮れだ。寝床はギルドが援助している宿に行くといい。ワシの名前を出せば快く泊めてくれるだろう」


 言われて外を見ると、もう日は暮れ、綺麗な三日月が街を照らしていた。


「ん。分かった。リリス起きて」


 イルゼがスッと立ち上がると、イルゼの肩に頭を乗せていたリリスはそのままソファーに倒れ込む。しかしソファーが柔らかかったため、彼女は起きなかった。


 仕方なく、そのなだらかな肩を掴み、揺らす。


「ふぉ! すまないイルゼ……余が悪かった」

 リリスは寝ぼけていた。


「何言ってるのリリス?」


「ん? ああ夢か、今のは気にするでない」

 よだれがついた口元を拭う。


「そう? 寝床が決まったから今から行くよ」


 大きく伸びをするリリス。


 彼女が夢の中で、イルゼに何をしていたのかは定かではないが、リリスの反応から人に言えないような事をしていたのは確かであろう。


「それでは、宿まで俺が案内させてもらいます」


 ギルドを後にし、ルブが二人を宿屋まで案内する。

 

 道中、何度もリリスがあれも食べたい、これも食べたいというので、彼の案内は中々終わらなかった。


 イルゼもリリスを特に咎める事はしないので、ルブは美味しそうに、たい焼きを頬張るリリス達を黙って見ているしかなかった。


「あの、リリス様は何で人間になったのですか?」


 リリスがたい焼きを食べ終わったのを見計らい、ルブは心の中で凝り固まっていた疑問を口にした。

 

 しかしリリスの表情は芳しくなかった。


「おい! お主にはリリスと呼ぶ事を許可した覚えはないぞ」


 しまった、地雷を踏んだとルブは青ざめる。

 相手は歴代の魔王の中でも最強と名高い暴虐の魔王。


 消し炭にされるのだと覚悟した。

 しかし、いくら待ってもその時はやって来なかった。


 ただ可愛い少女が拗ねて、ポコポコと胸元を殴っているだけである。痛みも特に感じなかった。


 やがて殴り疲れ、悔しそうにルブを睨む。


(え、今の俺が悪いの?)


「リリス。街中で魔王と呼ばせるのは良くないよ。リリスの事を狙っている連中だっているんだし」


「むぅ、それは分かっておるが」


 たとえ襲われてもリリスを守りきる自信はあるが、不要な争いは避けたかった。


(まぁ向こうから襲って来てくれれば壊滅させるのは楽なんだけど……そうもいかないよね)


 イルゼは周りを見渡す。


 家族連れや、手を繋いだ男女、幼い子供、杖をついた年寄り。


 彼等が巻き込まれるのは、『剣聖』として許せなかった。


(きっとここで戦えば、沢山の人が巻き込まれる。それは……だめ)


 だからイルゼはリリスに言い聞かした。


「対外的には、人間の少女としてリリスと名乗った方がいい。それとも私以外の人に名前で呼ばれるのはいや?」


 悩むリリス。その頬は若干赤みを含んでいた。


「ぬぅ、それならば仕方ないな。ルブとか言ったな。お主、必要な時以外、余の事は名前で呼ぶでないぞ! 絶対だからな!!」


 上擦った声でリリスはまくし立てる。


「は、はい。失礼しました」


 慄くルブにリリスは話を続ける。


「それで先程の質問なんじゃが……ぶっちゃけると余にも分からん」


 聞かれた事にはしっかりと答える真面目な魔王。


「へ? 自分の事が自分でも分からないんですか?」


「そうだといっておろう!!」


 またもやリリスに怒られるルブであった。


 イルゼは、なんとなくそうであろうと予想していた為、特に驚くような事はしなかった。


「そ、そうでしたか……」


 これ以上余計な事を言うまいと、ルブは無言で歩を早める。


 そして歩く事数分、ギルドからそれほど離れてない場所に『ギルド御用達、温泉もありますよー』と書かれた看板が宿屋に掲げられていた。


 外装は宿屋とは思えない程、綺麗で、五百年前の宿を知っているイルゼ達は、五百年前のボロ宿とは大違いだと驚愕した。


 入り口で立ち止まるイルゼ達を訝しむルブであったが、いつまでも立っているわけにもいかないので、二人に声をかける。


「入りますよ」


 ルブに促され、おそるおそる中に足を踏み入れる。


「わぁー」

「おぉー」


 店の内装はイルゼ達をもっと驚かせた。

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