第6話 ギルマス そして孤児

「はぁ、お主は若い時から全く成長しておらんな……すまんなお嬢さん。後で厳しく折檻しておくからその辺で勘弁してはくれまいか?」


 ビルクは口から泡を吹き出し、失禁していた。


 その何とも情けない姿を目の当たりにしたイルゼは、殺す気が失せたとばかりにビルクから手を離す。


 床に倒れたビルクを常勤の治療師の女性が治癒魔法をかけ一命はとりとめた。たとえ後遺症が残ったとしてもそれは彼の自業自得であろう。


 魔法は万能ではない。


 高位な魔法を扱える者がごく少数に限るのと、瀕死の重症は治せない、難病は治せない、一度使用したら暫くは使えないなど、欠点の方が多いからだ。


 だからこそ、冒険者は怪我をしないように極力気をつける。

 それがたとえ、些細な喧嘩であっても。


 腕の一本、足の一本が失われれば、冒険者は引退に追い込まれる。稀に片足、片腕で続ける者もいるが、その大半は魔物に喰われてその生涯を閉じる事になる。


 一方で魔族は、『魔術』という特殊な魔法を使う。炎、風、雷、水、様々な力を操り、国を破壊したり、天変地異を起こしたりする。


 そして魔族は驚異の身体能力も持っている。並大抵の斬撃では再生され、殺す事は、ほぼ不可能とされていた。


 そんな圧倒的不利の中、人間は五百年前の抗争で勝利を手にした。

 それは人間という種族が団結出来た事と、『剣聖イルゼ』という人類最強の矛がいたからこそ為し得た偉業である。


 後にその腕一本で戦った歴戦の冒険者達は言う。魔法など無くても、特殊な力を持っていなくても人類が力を合わせれば魔族に勝てるのだと。


 魔法に頼ってはいけない――その風潮が今も残り、魔法は廃れていった。


 今ではギルドお抱えの治療師がいるだけである。攻撃魔法などを使える者達の殆どは、魔族との抗争の後、人知れずその姿をくらました。


 誰からも称賛されず、誰からもその功績を称えられる事なく生涯を終えていった。

 同じ人間であるにも関わらず、魔法を使ったと言うだけで嫌悪の目を向けられたから。


 魔法を扱える者達が人間側を影から支えたというのに。


 一般に残ったのは生活魔法と呼ばれる、生活を豊かにする軽度な魔法だけである。



「おじさん、名前は? 私はイルゼ」


 ビルクに対し興味を失ったイルゼは初老の男性に目を向けた。


「これはすまんかった。ワシはこのギルドを統括しているライアス・シュローダという者じゃ」


 イルゼに対しライアスと名乗った老紳士は深々とお辞儀をした。ギルドで一番位が高い者が少女に対し頭を下げる光景を目の当たりにした冒険者達の間でざわめきが広がる。


 ライアスは鋭い眼光で周囲の冒険者達を睨みつける。


「今見ての通りだ。死にたくなかったら彼女にも、その連れにも手を出さない事だな」


 鬼のような表情で冒険者達に注意を促すライアスに彼等はこくこくと頷いた。


 イルゼ達に向き直ると一転、その表情を和らげる。


「本当にすまんかったな」


 彼はイルゼに握手を求めてきた。イルゼも好意的に彼の手を受け取る。


 ライアスの手はゴツゴツしていてとても大きかった。そして戦士特有のまめがある事も分かった。


 ――この人強い。


 イルゼもまた微笑を浮かべた。


「ふむ。今のワシでも勝てないかもしれんな」


「おじさん。強いね。五百年前はおじさんみたいな人いなかった」


 二人の間で見えない火花が散っている中、まったく関係ない事をしている人物が一人いた。


「おおー! これは素晴らしい髭じゃな。余の部下にもここまで立派な髭を生やしている者はおらんかった」


 むんずむんずとリリスがライアスの髭を引っ張っていた。彼は怒る事なく軽快に笑っており、普段の様子を知っている職員達はドン引きしていた。


「リリス、おじさんに失礼」


「あ、すまんすまん。久方振りに立派な髭を見たもんで」


 リリスは大人しく髭から手を離した。しかし目線は獲物を狙う鷹の如く髭を追いかけていた。


((ギルマスをおじさんって呼んだ)わ)


 現役を引退した身ではあるが、衰えを全く感じさせないほどの存在感を放っているライアスをおじさん呼ばわりするのは、不敬なのではとルブと受付嬢は思った。


 確かにライアスは、年齢だけみればおじさんにあたる。年齢だけみればである。

 老境に差し掛かっているものの、その鍛え抜かれた体躯は未だ衰えておらず、まさに武の最高潮を誇っていた。


 しかしイルゼの言動に、彼は特段気にする素振りもなく――ニコニコしていた。


 孫娘を見るような目である。


 ルブ達は普段見ることのないギルマスの表情の数々に逆に頭がおかしくなったのでは? といらぬ心配を始めた。


「まだボケてはおらんよ」


 そんな二人の思考を読むかのように、ギルマスが二人の妄想を否定する。


「…………おひげ」


 未だリリスの視線は、胸元まで伸びたギルマスの白い髭を追いかけていた。


 聞けばリリスは幼い頃から父や祖父の髭を引っ張りたりして遊んでいたらしく、ギルマスの髭を見て今は亡き父を懐かしく感じたのかもしれない。


(リリスの父を殺したのも私なんだけど)


 ちょっと複雑な気持ちに陥るイルゼだったが、自分がした事は何も間違っていなかったと言い聞かせる。



 魔人族のリリスの父と対決した時は魔族の撤退戦の時であった。追撃を試みる人間軍に対し、たった一人で殿を務めた魔族がいた。


 それがリリスの父であり、彼によって沢山の人間達が屠られていった。手に負えないと判断した軍はイルゼを呼び、イルゼはリリスの父と一対一で戦った。


 この時、すでに魔王としての真価はリリスに譲渡されており、リリスの父は魔王の座を退役した身であった。


 だがそれでも、十分過ぎるほど強かった。


 全盛期のリリスには遠く及ばなかったが彼もまた強者であったとイルゼは記憶している。同時に他の魔族を逃す為にイルゼという絶対強者を前にして果敢に挑んだ魔族の英雄であったという事も。


 リリスは父の最後について聞こうとしないが、いずれは話す事になるだろうという強い予感があった。


 その時は包み隠ず全てを話すつもりだ。


「ここではなんだ、奥の部屋で話そうではないか」


 周囲の目を気にしたギルマスの配慮によって、イルゼ達はギルドの奥へと案内される。


 ルブと受付嬢にも来いと、視線で呼ばれ、二人は大人しく後をついてくる。


「おお〜?」


「なんじゃ、案外普通じゃな」


 案内された部屋は、どちらかと言えば質素な部屋だった。ただ、それはみすぼらしいというわけではなく、落ち着いた雰囲気があるということだ。


 仕事用の机と椅子にテーブルが一つ、そして向かい合わせにソファが一式置いてあるだけだった。


 無駄な装飾は一つもなく、ライアスの人柄をよく表している部屋だと言えるだろう。


「適当にかけてくれ」


 ギルマスに促され、イルゼとリリスは隣り合わせに座り反対側のソファにギルマスが座った。


「お主達は座らないのか?」


 棒立ちしているルブ達にリリスが問いかける。


「いえ私たちは……」


 ルブが何か言いかけたが、イルゼがリリスにこしょこしょと耳打ちした為、リリスはそっちに意識を向けてしまう。


「下っ端の人は、上の人の許可がないと座っちゃいけない」


「ふーむ、そうなのか。人間社会とは難しいのう」


 格式に拘る人間とは違い、魔族社会は魔王以外の魔族は全員平等という考えが強い。

 それは良いことでもあって悪い事でもある。ほぼ独裁政権になりやすい魔族社会にとって、いかにして部下の意見を取り入れるかが鍵となる。


 下手を打てば下克上などが起き、政権が頻繁に変わる事になる為、魔王は絶対的な存在として、魔族の中で一番強い者、器が大きい者が先代の力を引き継ぐ決まりになっている。


「無理言ってすまんかったな」


 ルブ達もほっと胸を撫で下ろす……が内心人間社会とは、とリリスがまるで人間ではないような言い方をしたのが気になっていた。


(ん……昔の私みたい)


 直立不動の彼等をみて、イルゼは五百年前、躾と称し長時間立たされた過去を思い出し、同情する。


(ん? イルゼの顔が……)


 そんなイルゼの表情を見てとったリリスが余に任せろと言って、ドンッと胸を叩いて見せた。


「お主達座っても良いぞ! 余が許可する」


 ルブと受付嬢は卒倒しそうになった。一度ならず二度までもギルマスを蔑ろにするような発言をしたからだ。勿論リリスに許可されても、はい、そうですかと座るわけにはいかない。


 そこで初めてライアスが助け舟を出してくれた。


「サラ、客人が来ているのに茶すら出さんのか? ワシはそんな風に育ては覚えはないぞ!」


「は、はひ。申し訳ありません。ただちに用意致します」


 上擦った声で返事をして、サラと呼ばれた受付嬢は逃げるように部屋から退出する。


「じゃあ俺も……」


「ルブ。お前は残るんだ」


 やっぱりかーと声を漏らすルブ。


 生涯当たり障りなく生きていく事が目標のルブにとって、正体不明のSランク美少女冒険者と言動がおかしい黒髪美少女の存在は大きく、それだけで自分の運命が変えられそうな気がしていた。


 事実すでに巻き込まれかけているので、出来ることならここらで退散しようと考えていたのだが、恩師でもあるギルマスに命令されたら断りようがなかった。


 逆に言えば御伽話になりつつある人類の最終兵器の少女の存在と、暴虐の魔王の存在という機密事項を知れるという事は、ギルマスから信頼されているという証だともいえる。


 ルブが座ると丁度いいタイミングで二人の受付嬢が入室してきた。


 サラがお茶の入ったティーカップのセットをもう一人がお茶菓子を運んできた。ギルマスが二人を手招きしイルゼとリリスに紹介する。


「この桃色の髪にどんくさそうな顔をしている方がサラで、背が低くて眼鏡をかけた灰色の髪にやる気の無さそうな目をしているのがエルサだ」


「私どんくさくありませんし有能ですよー!!」


「右に同じ、やる気もあるわ」


 二人とも揃いも揃って酷い紹介をされて、ギルマスに小突いていた。信頼関係あっての事なのだろう。小突かれたギルマスは楽しそうにしていた。


「まあ、孤児だったこやつらをワシが小さい頃から厳しく育てた甲斐もあってそれなりに有能だ。何か分からない事があったらこいつらに聞くといい」


 サラが照れくさそうにポリポリと頭を掻いた。エルサは表情こそ変わらなかったが嬉しそうに微笑んでいる事がみてとれた。


「分かった」


 イルゼが短く返事をする。イルゼもリリスも世間には疎いのでサラやエルサという存在は頼もしい存在であった。


 二人が退出すると、ギルマスは何処から話すかと悩み始める。


「美味しい」


「んぐんぐんぐ……はぁ、うまいのう」


 ギルマスが真剣に悩んでいる間、お茶が口に合わずジュースを出してもらったイルゼとリスの様に口一杯におやつを含んだリリスが追加のおやつを頼んでいたのは言わずもがなだ。


 そしてライアスはなんの前置きなく話し始めた。


「まずは確認からしていこう。アークからお主達の事は少し前に聞かされておった。気品の高い、お淑やかなお嬢さんの方が剣聖様で、こちらの、少しお転婆で可愛らしいお嬢さんが魔王様じゃな」


 ライアスは事前に国王から一通りの事情を説明され、剣聖と魔王の特徴と彼女達が街に来るかもしれないと知らされていた為、何とか大事になる前に対処する事が出来た。


 それでも盗賊に襲われていたのは予想だにしない事であったが。


 言葉選びも達者なライアスは、イルゼとリリスを至って自然に褒め、二人を上機嫌にさせた。



「気品の高い……!」


「可愛らしい……!」



「へっ? 国王様から!? 剣聖と魔王は実在した!!」

 衝撃の事実をなんの前置きもなく、あっさりと告げられたルブだけはひたすら目を丸くしていた。

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