22話
他の魔導士たちを寺院に待機させ、俺たちは灯台の良く見える場所にやって来た。ヘルマとパールがいた並木道だ。山ほどあったはずのトロルの残骸はなぜかきれいさっぱり消えていた。他のトロルが回収したのだろう。代わりに動き回るトロルがそこら中に目に入った。
「上を壊せばいいんだな」
「ああ、最低でもトロルが取り付けた装置は完全に壊してほしい」
しかしそれなりに距離があるこんな所から魔導の力とやらは届くのだろうか。そんな心配は杞憂だった。
ヴァンの手にかつてないほどの密度で集まりだした黒い光に思わず後ずさる。狙いを定めるようにかざされた手のひらに集まったそれは耳を劈く音とともに一気に解放された。何度か見た黒い雷の中でも最も大きい。ヘビのようにうねりながら刹那の間に灯台に到達すると、そのまま絡みつき、締めあげられた装置は壁ごと粉砕され、瓦礫に代わっていった。
俺はあまりの衝撃に、というよりはその余波にすら耐えられず尻もちをついて、固唾をのんだ。
魔導士の力はトロルのような相手と小競り合いするようなものではなく、もっと大きな相手と戦うための力だったのかもしれない。もしかすると、やろうと思えば街ごと破壊してしまうこともできたのだろうか。
「どうだ」
その言葉にハッとして周りを見渡す。何も動いていない。トロルはどこを見てもその場で石のように固まっていた。
「止まってる。はは、やっぱりそうだったん……」
間違いなくトロルたちは一斉に動きを止めた。一度は。しかし喜ぶのもつかの間、今度は一斉に動き始めた。その中にはこちらへ向かってまっすぐ猛然と突き進んでくるものもいた。今までで一番高速ではないかと思える動きに思わず情けない悲鳴を上げ、立ち上がろうとした腰を抜かしてしまった。
ヴァンが舌打ちをして俺の前に立った。しかしその背中は疲労を感じさせた。大技を繰り出したことで、もし予想以上の負担がかかっていたとしたらまずいのではないか。ヴァンが倒れてしまえば一巻の終わりだ。
そんなことを考えているうちにもトロルはまっすぐ突き進んでくる。いつもならヴァンを避けているのにどうしてこんな時に限ってそんな行動をしてくるのだ! 相手をよく見ろ!
しかしトロルは足を止めない。本当にまっすぐ、まっすぐ進んで、そのまま俺たちの横を通り抜けていった。
「は…?」
「…」
肩透かしを食らって周りを見ると、他のトロルもすべてわき目も振らず同じ方向へ向かって去っていく。
「東だな。立て、行くぞ」
まだ状況をのみ込めていない俺には全然意味が解らなかった。
ヴァンが向かったのは、別の灯台だった。先ほどのトロルたちが押し寄せたせいか全体的に数が多い。しかしヴァンがいるおかげで襲われることは無い。仮に手を出そうとしても先ほどのように突撃してくるようなことは今までにも無かったのだ。
そしてヴァンは、また同じようにして灯台を破壊した。トロルはまたさらに東へと一斉に去っていく。
「決まりだな」
「え」
「お前の話とは少し違ったが、これで俺たちは街を取り戻せる」
たしかに、俺が考えたことがすべて正しかったわけでは無いが、結果を見れば動かなくなるのも去っていくのもさして変わらない。自分から出て行ってくれるのだからむしろ手間が省けるというものだ。ということでいいのだろうか。
俺としてはまだ動いていることに変わりはないのだからと不安に感じるが、ヴァンは確信を秘めた目で去っていくトロルを眺めていた。
*
寺院に戻ったヴァンは、すぐに魔導士たちに灯台を破壊するように指示を出した。全員嫌そうな雰囲気を出していたが、ヴァンの街を取り戻すという言葉に折れて、渋々動き出していった。
俺の予想は一部外れたが、おおむね正しかったと言える。しかし正しかったということは、それを考えれば考えるほど手放しに喜ぶことができそうになかった。いや、灯台を壊して、解決。それだけだ。それより奥のことは、知らないし知る必要もないし、知りたくもない。だから知らない。
俺にできることは、これが最初で最後だ。
「今更だけど、俺なんかの妄言をよく信じてくれたな」
指示を終えたヴァンに連れられて、俺はまた寺院の奥の部屋へ向かっていた。魔導士たちの反応を見た限り、灯台は俺が持っている墓の印象よりも随分大切にされているように見えた。あの時はそんなこと知る由もなかったが、突っぱねられてもおかしくなかったように思える。
「お前…いや、信じるも何もない。嘘をついていれば視える」
視えるとはどういう意味だろうか。目を見れば大体わかるとか、そういうものなのだろうか。そう思って首をかしげているとヴァンが答えてくれた。
魔導士は俺たちと違って本当にいろいろ視えるのだそうだ。そういえばロカからそんな話を聞いた気がする。その見えるものの中に嘘をついているかどうかということも”形”として判断できるらしい。便利なものだ。今更発覚した魔導士のさらなるとんでも能力には脱帽するほかない。あまりに別格過ぎてもはやそういうものだと思うしかないのだ。
「それよりも、本当にこのまま帰るのか?」
「帰る。ちゃんと別れは済ませたし」
トロルを退ける方法が分かったことで、差し迫った危機はもう無くなった。いずれロカたちは街で暮らすことができるようになるだろう。俺も、居ようと思えばもう少し残ることもできたかもしれない。しかしそうしてロカたちと会ってしまうと、また別れをやり直すことを避けてずるずると居着いてしまう気がしたのだ。
「そうか。……ユウ」
次元の裂け目の前に来たところで、ヴァンが手を前に出した。また指を切らせろということだろうか。血は止まったとはいえ、まだ切られたところは痛いのだが。帰るためには仕方ないと手を差し出すと、予想に反してヴァンはその手を握り返した。
「お前のおかげで助かった。感謝する」
「え、おう。こっちこそ。その、何回も…助かった」
いきなりこんなストレートなコミュニケーションをとられてもどうすればいいかわからないではないか。だからこれは決してどもっているわけではない。むしろ予想外の事態にも臨機応変に対応したとして大きく評価されるべきだろう。
そして、俺は再び次元の裂け目の前に立った。
もう迷うことは無い。飛び込むのだ。気がかりがあるとすれば、なんだか得体のしれない闇が蠢いていて本当に入って大丈夫なのかと思うことだ。しかしそんなことを気にしていてはいつまで経っても帰ることなどできない。俺は腹をくくった。
一度振り返ると、ヴァンが無言で頷いた。見送りが男一人だけというのはいささか寂しい。どうせ見送られるのならロカに見送られたかったと思わなくもないが、そうしたら今度はなかなか飛び込む踏ん切りがつかなかったに違いない。結果的にはこれでよかったのだ。
そんな益体も無いことを考えて、俺はヴァンに見送られながら次元の裂け目にしか見えない扉の中に飛び込んだ。
さらば、知らない世界。
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