17話

 ロカたちと暮らす様になってからというもの、すっきりとした目覚めというものを久しく感じていない。朝から元気のいいガキどもの騒音に妨げられるか、あるいは誰かに叩き起こされるか。俺の安眠はいつも妨げられていた。

 その中でも今日の寝覚めは最悪と言っても過言ではない。

「いつまでぐうすか寝てんだよ、起きろ!」

 バカでかい声ともに頬を叩かれる衝撃に驚いて飛び起きると、すっかり元気いっぱいといった顔のヘルマが立っていた。

「おい! 起こすにしてももっとやり方ってものがあるだろうが」

 しかし仮にどんな起こし方をされたとしても寝覚めにヘルマの大声など聞きたくは無いし、一日の最初からこのクソ生意気な顔も見たくはない。どうせ起こされるならロカに優しくゆすって起こしてもらいたかった。

「知るか。ロカが起こしても起きねえユウが悪いんだろ。兄ちゃんが呼んでるんだから早くいくぞ」

 そうだ、ここは一歩でも外に出ればトロルが蔓延る危険地帯なのだ。のんびり寝ている場合ではない。

 一階に降りるとすでに全員がそろってすぐにでも出発できそうな雰囲気になっていた。寝癖を散らせ、間抜け面をさらしているのは俺だけである。ロカは落ち着きを取り戻しているし、ヘルマが十分すぎるほど元気なのも承知している。ただ、パールだけは足を痛めているせいか、申し訳なさげに座っていた。三人ともヴァンの話を聞いている。

 どうやらすでにこれからどう動くかの話をしていたようだ。話を終えたらしいヴァンが振り返ってため息をついた。

「やっと起きたか」

「ええと、悪い。話は…」

「離れずについてくればそれでいい。すぐに出発だ。いくぞ」

 外に出ると、数は多くないものの見える範囲だけでも何体かのトロルがうろついていた。近くにいたトロルが俺たちの姿に反応したものの、ヴァンがいるためかその場で様子を伺うだけで襲ってくることは無い。ずっとこの調子なら何も問題なく街を出ることができそうだ。

「パール! 大丈夫か?」

「うん、ごめんね」

 急に後ろでヘルマが叫ぶものだから驚いて振り返ると、パールが片足を庇うようにしゃがみ込んでいた。やはりまだ足の具合が悪いままだったらしく、我慢していたようだ。

「ユウ、背負ってやれ」

「ああ。分かった」 「ええ!?」

 なぜかヘルマが嫌そうな声を被せてきた。パールの様子を見れば歩くのはまだ辛いだろう。体格的に背負うなら俺というのはごく自然な流れだ。一体なんだというのだ。

「それなら俺がやるよ!」

「さっき話しただろ。お前は後ろで俺たちの背中を守れ」

「う…」

「任せたぞ」

 ヴァンとパールを交互に見ながら何やら悩むヘルマだったが、最後にヴァンに肩を叩かれると、しっかりと頷いて引き下がった。ヘルマはずっと認められたがっていたのだ。任せると言われて悪い気はしないだろう。

「パールに変な事するなよ!」

「はあ?」

 何を言ってるんだこいつは。こんなところでもたもたしたくはないので、ガキのたわごとには構わずさっさとパールを背負うことにした。後ろからヘルマの視線を感じるが、パールを背負っている以上は下手なことはしてこないはずだ。しっかり目を離さず守ってもらおうではないか。

 街を出る道程は、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。昨夜に比べて出くわすトロルの数も少なく、俺たちを先導するヴァンに加えて今は後ろを守るヘルマまでいるのだ。まさに盤石の布陣と言える。

 後ろからなら付け入る隙があるとでも思ったのか、襲われることはは多少あった。その際はヘルマがしっかりと目を光らせ、光の壁で動きを止め、ヴァンがすぐさまとどめを刺していく。気を抜くとまでは言わずとも、心臓を鷲掴みにされたような恐怖とは無縁の移動だった。


*


 街を出て平野の街道に入ったあとは何事もなく西の丘までたどり着くことができた。遠目に見てもかなりの人数が集まっているのがわかる。

 しかし西の丘は、やはりただの丘だった。避難した人々は着の身着のままで、テントどころか食糧すらままならないだろう。避難できたからもう大丈夫とは、とても言えない環境だった。

「俺はこのまま老師たちの所に行く。お前たちは、好きに休むといい」

 そう言ってヴァンは離れていった。ヘルマとパールもそれぞれ家族を探しに走っていく。

「俺たちも院長たちを探すか」

「たぶん、あそこだと思うよ」

 そう言ってロカは人だかりの先を指さした。

 院長は見当たらなかったが、奥さんと子どもたちはすぐに見つかった。ロカが言った通り人だかりの先にいて、忙しそうに動いていた。大きな鍋から中身のスープをよそって、次々と配っている。

 ロカは人だかりを避けて後ろから回り込み、奥さんの傍に向かった。

「お母さん、手伝うよ!」

 てっきり無事を確認して嬉しくて声をかけるのかと思っていた。しかしロカはいつものように、こんな状況でも……

「ちょうどよかったわ。お椀がなくなりそうだから……」

 奥さんはそこまで言って振り返り、息をのんだ。ロカと、ついでに俺を見て目に涙まで浮かべている。

「ロカちゃん。ユウちゃんも、無事だったのね…良かった…!」

「お母さんも無事でよかった。心配かけてごめんね」

 そして奥さんは堰を切ったように涙を流しながらロカと、ついでに俺を抱きしめた。ロカも涙を貰ってしまったようで、抱きしめあいながらわんわんと泣くのだった。


*


 炊き出しの手伝いを終えた後、奥さんに連れられて院長のいる所までやってきていた。院長は心配そうにする子供たちに囲まれて横たわっていた。最初にそれを見た時はまさか、と思ったが眠っているだけとわかり一安心する。当然屋根も壁もない野ざらしではあるものの、申し訳程度に毛布が敷かれていた。

「この人ったら、もういい歳なのに無茶をするから…」

 そう言いながらも奥さんは心配そうに目を臥せている。聞くところによると避難の際はヴァンたちと同じように住民を守っていたらしい。しかし力を使いすぎたためしばらくは目を覚まさないだろうと。ヘルマも力を使いすぎると倒れていたから、そういうものなのだろう。

ロカが膝をついて院長の手を握った。

「院長先生も無事で本当によかった」

「避難した後も倒れる寸前まで二人のことを心配していたから、これできっと安心して眠れるわね」

 幸いにも、院長の家で暮らしていた者は全員が無事だった。トロルは東からやって来たので、西の郊外側に住む院長たちは少しは余裕があったらしい。だからこそ炊き出しができるだけの準備をすることができたようだ。それでも後ろからトロルがやって来るという状況で載せられるだけ載せた重い荷車を引いてきた奥さんは大した胆力だ。俺なら荷物などさっさと放り出してしまうだろう。

 しかし院長たちが無事だったとはいえ、問題はこれからだ。いつまでもこのような何にもない丘にいるわけにもいかないはずだ。ヴァンたちは一体これからどうするのだろう。俺には見当もつかなかった。

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