15話

 帰りの地下水路は、とても静かだった。いつもなら他愛もない話でもしているところだが、今のロカはとてもそんな状態ではなかった。

 隣を歩くロカの手は、あれからずっとつないだままだ。よほどショックが大きかったのだろう。ロカは地下に入っても握った手を放そうとはしなかった。

「ここまでくればもう大丈夫だろ。もう手は放しても…」

 しかしロカは言い終わる前に首を振ってそれを拒否し、つなぐ手に力がこもった。

 このままだとまた沈黙の時間が戻ってきてしまう。あんな目に遭ったのだから気が沈むのは当然と言えば当然ではあるが、こうして二人とも無事でいるのだ。殊更に暗くなっても仕方がない。

 さしあたっては、ロカがこんな状態なので俺がどうにかするしかないだろう。何か気の利いた慰めの言葉か、気を紛らわす面白い話など思いつかないものか。全く思いつかない。

 とにかく何か言おうと口をパクパク動かしていると、長いこと沈黙していたロカがつぶやいた。

「こんなこと、前もあったんだ。ユウが来る少し前」

 何も思いつかなかった俺は、大人しくロカの話を聞くことにした。

「バカだよね、すぐ捕まるくせに外に出て。院長先生やお母さんにも心配かけて。みんなに迷惑かけてる」

「前にもって、よく無事だったな」

 自分を責める様に言うロカに賭ける言葉が見つからず、言うに事欠いて出てきた言葉がこんなものだとは我がことながら情けない。しかし他に何を言えばいいというのだ。

「魔導士のお姉さんが助けてくれたんだ」

「お姉さん? 魔導士って男ばかりじゃなかったか」

 少なくとも俺は見たことがない。どこか他の所にいるのだろうか。ロカから見てお姉さんというのがどの程度かにもよるが、場合によっては魔法少女ということだろう。是非一度お目にかかりたいものである。

「もういないよ、僕のせいで。院長先生は違うって言ってくれるけど、僕を助けて消えちゃったんだ。僕のせいに決まってる。だから、みんなの為に何かしなくちゃって。そう思って、それなのにまた……ごめんねユウ。僕のせいで」

 喋れば喋っただけ、ロカの瞳から涙があふれていた。呆けたことを考えていた自分を殴ってやりたい。ロカはずっと自責の念に駆られていたのだ。魔導士のお姉さんとやらは知らないが、俺がロカを助けるために行動したことにすら、自分のせいで危険な目に遭わせてしまったとでも言いたげだった。

「謝られる覚えはないな。確かにちょっとは危なかったけど、こうして二人とも生きてる。ロカが無事でよかったよ」

「でも僕のせいでユウまで」

「そもそもロカのせいじゃないだろ。急に襲ってきたあいつが全部悪いんだ。全部あの気色の悪いロボのせいにしとけばいいんだよ」

 確かにロカが食糧を集めるために外に出なければこんなことにはなっていなかったかもしれない。しかしその時は別の誰かが代わりに同じ目に遭うだろう。理由はどうあれみんなの為に何かしたいと思うロカに一体どんな責があるというのか。仮に俺が同じ立場なら絶対に何もせず安全な場所で引きこもっている。どちらが立派かなど一目瞭然ではないか。

 俺の強引な論理に納得したかはわからないが、ロカはそれ以上自分を責めることは無かった。

「ユウはなんで、僕を助けてくれたの?」

 ふと、そんな質問をされた。なんで、なんだろうか。言われてみれば、俺の行動はおかしい。ロカにそんなつもりは無いだろうが、俺は誰かを助けるような人間ではない。他人より、圧倒的に自分を優先する生き物なのだ。誰かが困っていても、飯を食べた後で動きたくないから、そんな理由であっさりとみて見ぬふりをする、そういう人間だ。そんなどん詰まりの底辺が、どういう風の吹き回しなのか。

「……助けたかったからだと、思う」

「そっか。ありがとう、ユウ」

 そして久しく見ていなかった天使の笑顔を目にするのだった。


*


 地下水路も終わりが見えてきた。トンネルを抜ければ外の広場近くの用水路だ。いつもなら光が差し込んでくる出口は、今は地下と同じで真っ暗だった。なかなか帰ってこない俺とロカを院長たちは心配しているだろうか。早く帰って安心させてやろう。ロカも今日は休みたいだろうから、奥さんの手伝いは俺が代わりにやるのもやぶさかではない。

「なんか、変じゃない? 真っ暗だよ」

「そりゃ夜だし、暗いだろ」

「そうじゃなくて、ほら。そこも、あそこも今は使ってる人がいるはずなのに明かりがついてない」

 手をついて用水路を昇りながら、あたりの家々を見ると確かに明かりが無い。いくら夜とはいってもまだ誰も寝るような時間ではないはずだ。

 道に立って改めて周りを見ても、それは変わらなかった。ロカの言う通り、様子がおかしい。出歩く人は少ないだろうが、それにしても静かすぎないだろうか。鍋の音や、談笑が漏れ聞こえてくるようなことも一切ない。間違ってゴーストタウンに出てしまったのではないかと思ってしまうほど、静かだ。

 いや、考えすぎだろう。ついさっきあんなことがあったから、二人とも神経質になっているだけだ。

「たまたま出かけてるか、明かりが壊れたんだろ。とにかく帰ろう」

「ユウ!」

 ロカが叫ぶのとほぼ同時に目の前に突然黒い光が現れた。暗い中でもなぜかはっきりと見えるそれは一瞬のうちに俺の喉元めがけて突き進んでくる。もはや見たというより偶然視界に入ったという方が正しい。避けなければ死ぬ。しかしこのどんくさい体が反応できるはずもない。

 遅れてきた恐怖に汗がどっと噴き出た。しかし死に際して時間が遅くなったように、喉元にまで迫った黒い光の槍は一向にそれ以上進むことはなかった。黒い光の、槍?

「なんだ、お前か」

 喉元で光る黒槍をたどると、その向こうには同じように暗闇でもはっきりと見える双眸と目が合った。まるで近所のスーパーで偶然知り合いに出会ったような口ぶりで、俺に物騒な物を突き付けているのは、

「ヴァン?」

 喉元から引かれると同時に霧散して消えていった槍に安堵しヴァンを見ると、ばつが悪そうに目を逸らしロカを見ていた。しかしすぐにこちらに向き直るといけしゃあしゃあとのたまうのだった。

「無事で何よりだ」

「おかげさまで、首が飛ばずに済んだよ」

「お前たち、いま戻ったところか。街の状況は分かってるか?」

 あくまでさきほど俺を殺しかけた件についてはスルーを決め込むつもりらしい。しかしヴァンの様子からして、今は追及している場合ではなさそうだった。街の様子がおかしいことといい、何かあったに違いない。

 ずっと感じていた嫌な予感が杞憂ではなかったことを、ヴァンの厳しい表情が物語っていた。

「状況って、何か…あったのか?」

 なんとかそれだけ絞り出した。それに対してヴァンは少しの間をおいて、端的な答えを返した。

「トロルの群れだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る