14話
「ユウも、ここを出て行っちゃうの?」
集めても集めてもすぐに足りなくなる食糧を集めるべく、いつものようにロカとゴーストタウンと化した街の一角を散策していると、ロカから不意にそんな言葉を投げかけられた。その顔はあまり浮かない様子だ。
「急にどうしたんだ?」
「院長から聞いたんだ。ユウは遠いところから来た人だから、近いうちにここを出ていくんだって」
「え!? 院長がそう言ったのか?」
「……うん」
俺は聞いてないぞ院長! いつのまにそんな話になっていたんだ。やっと帰ることができる。そう思うと喜びのあまり顔は緩み、足は弾んだ。埃まみれの棚をあさるのも、得体のしれない干物を集めるのも今の俺には楽しいパーティの準備をしている気分になった。パーティなど招いたことも招かれたこともついぞ無いが。
「そっか! やっと帰れるんだ! やっと!」
思えば苦労の連続だった。いきなり知らない場所にいたかと思えば理不尽に拘束され、やっと解放されたと思えば怪しいからと出ていくことを拒まれ、挙句の果てには死と隣り合わせの場所へ連れて行かれてもう終わりだと何度思ったことか。そこまでやって、やっと俺という人間がいかに無害かを、一目見ればわかりそうなその事実を理解するのがいささか遅いのではないかと思う気持ちはあるが、何も言うまい。帰ることができるなら、もうなんでもいい。
「そんなに嬉しいんだ」
しかし喜びに震える俺とは対照的にロカの表情は曇り、いつも流れるような手捌きは見る影もなく遅々としていた。のろのろと、あんまりおいしくない謎の固い木の実を鞄に詰めている。
声も心なしか刺々しい。よくよく思い出してみると家を出かける時からどこかそっけなかったような気もする。
「そりゃあな。もともと俺はこんな事とは無縁の、安全で平和で、楽な場所でいきてたんだから」
「そんな場所があるの? 遠くって、どこなの?」
ロカが手を止めて疑わし気な視線をこちらに向ける。そういえば俺がどんなところで生活していたか話したことは無かった。しかしロカがそれを知らないように、俺だってここがどこだか未だにわからない。下手に聞いても警戒されるのがオチなので、今までもあまりそういう話はしていなかったのだ。余計なことは聞かないし、話さない。ロカとならば話しても大丈夫だとは思うが、万が一その話の内容が原因でやっぱり帰れませんなどとなれば目も当てられない。
「俺にもわからん。とにかく遠くだ。すごく遠いだろうから、帰ったらきっともうロカとも会えないだろうな」
「そんなに遠いんだ。ならなんで……」
ロカが何ごとか呟いたが俯きがちで声は小さく、最後まで聞き取ることができなかった。今日のロカは本当に様子がおかしい。いったいどうしたというのだろうか。今朝はいつも通りだったから食べたものがあたったのだろうか。もしくは今の話で何か思うところがあったとか。
そうか、俺だけが先に安全な所へ逃げることが納得できないに違いないーーーー
「ユウのバカ!」
「な、ロカ? どこいくんだよ、おい!?」
突然立ち上がったロカは、そんな直球の罵倒を俺に浴びせた。そして俺の言葉に聞く耳をもたず、そのままどこかへ走り去ってしまった。よほど腹に据えかねていたらしい。
埃の積もった無人の商店に一人取り残された俺は、理解の追いついていない間抜け面を誰に憚ることなく晒すことしかできなかった。
*
しばらく待ってもロカは帰ってこなかった。すぐに戻ってくるだろうと思いその場で食糧集めに勤しんだものの、やはり追いかけた方がよかっただろうか。しかし土地勘などあるはずもない俺が、むやみに探し回るわけにもいかない。今となっては尚更だ。
とはいえただ待つというのはどうにも落ち着かない。人気も物音も一切無い街の中にぽつんと一人だけ座っていると、まるで世界で生きているのが自分一人になってしまったように錯覚するのだ。これが小心者にはなかなかに堪える。
思い返してみると誰もいない場所で一人になるのは久しぶりだった。元々一人でいることが多い人生ではあったが、自室で一人でいることと外で一人でいることというのは勝手が違う。
もうじき日が暮れる。ガラクタを戴く灯台が、街の隙間から薄っすらと見えていた。
店の奥から引っ張り出してきた椅子を置いて、窓際に腰かけていると外から足音が聞こえた。
「やっと帰って来たか」
そう呟いて立ち上がろうとたところで、何かがおかしいことに気づいた。
ロカの足音はこんな音だっただろうか。足音などそうじっくり聞く趣味など無いが、ロカはあまり足音を立てない。天使のように軽いのだから当然だろう。それなのにこの足音は、建物の中からでも聞こえてくるのだ。
窓から恐る恐る足音のする方を覗き見て、背筋が凍った。反射的に首を引っ込め、急いで身を隠せる場所を探す。そうしてできるだけ静かに、転がり込むように店のカウンターの裏に入り込んだ。
一瞬しか見えなかったが、窓から見えたのは間違いなく、あの日見た不気味な家事ロボットのような姿の化け物、トロルだった。
足音は近づくにつれ、不快な軋みを伴って近づいてくる。やがてこの店の前に差し掛かったところで足音が消えた。立ち止まったのだ。そして次の瞬間、外から壁を叩く音が響いた。繰り返されるその音は少しづつ移動し、やがて入り口の扉を鳴らした。
ドンドンと響く音に恐怖を覚えながら必死に息を殺した。何がしたいのか知らないが、俺に気づいているわけではないのか入り口を壊して店に入ってくる様子はない。
やがて壁を叩く音は徐々に移動していき、この場所を離れていった。
一体何をしていたのか分からないが、何はともあれ助かった。安堵し大きく息を吐きながら震える体を落ち着けようと試みる。しかしなかなか収まる気配はなかった。
迂闊だった。今までもロカとこうして何度も外に出たが、トロルと遭遇したことなど一度としてなかった。しかし今いるこの場所は、トロルの魔の手の爪先が触れるか触れないかの場所には違いないのだ。
ここでゆっくりしていることはもうできない。すぐにでも移動しなければ。
恐怖に怯え、震える腕を抑えた。まずは、ロカを探さないと。
*
どれだけ探してもロカは見つからなかった。もうすっかり日は暮れて、誰もいない街は赤く染まっている。
どこをどう探せばいいのか見当もつかないうえ、大声で呼びかけることもできない状態で、手当たり次第に付近の建物や路地を探してはみた。しかし、見つからない。
見つかったものといえば目の前にある蓋の開いた大きなマンホールだけだ。きっとこれも地下に続いていて、誰かが通るために蓋を退けたのだろう。ついさっき危うく落ちかけた。
もしかすると、一人で先に帰ったのかもしれない。ロカは危険があることを十分に承知しているはずだ。一人でそれほど遠くまで離れるとは考えづらい。それなのにこれだけ探して見つからないのだ。
本音を言えば、どこかの路地の陰に今も潜んでいるかもしれないトロルに怯えながら歩き回るのはもう限界だった。どうにかして自分を納得させて、早くこの息苦しさから抜け出したかった。
きっと帰ったらいつも通り奥さんの手伝いをするロカがいるはずだ。あるいはまだどこかにいるかもしれない。その時は後で帰ってきたロカが先に帰った俺に腹を立てるだろう。そうなれば誠心誠意謝ればロカはきっと許してくれる。
そんな都合のいい妄想に沈み切る直前、ふと他の可能性が頭をよぎった。
もし、帰ってこなかったら? 今日も明日もその次も、突然消えてなくなってしまったようにロカがいなくなった光景が、浮かんでは消えていく。
そんな嫌な想像を繰り返していると、どこからか物音が聞こえてきた。また音だ。どうも最近は音に敏感になっている。条件反射のように身構えてしまうことに辟易とするが、自分の身を守るためなのだから仕方がない。
音は今も何かを叩くようにガンガンと打ち鳴らされている。
見るだけ、確認するだけだ。そう自分に言い聞かせて物陰に身を隠し、音の方へ近づくと案の定、トロルが狭い路地に向かって手を伸ばしていた。中に入ろうとしているようだが、狭い路地に引っかかってしまっている。
しかしトロルは何か確信でも持っているかのように、執拗に手を伸ばし続けていた。その足元には、何かが散らばっている。
硬い木の実と、ロカの鞄だ。
一気に体に悪寒が走った。自分の心臓の音が弾けそうなほどうるさく聞こえてくる。
いるのか、ロカが。あそこに? 焦燥に駆られ、思考はまとまらず、体は固まったまま、視線をさ迷わせた。
とにかく注意を惹くのだ。まずはあの場所から引きはがさないとどうにもならない。何かでトロルの注意を。しかしいくらあたりをつぶさに観察したところで注意を惹けるものなどどこにも……
いや、ある。一つだけ確実に、効果のあるものが。
鞄の中から、手ごろな缶詰を取り出した。中身は確か、赤くてにがい果物だ。避けて残そうとするたびに奥さんのきつい視線に負け、何度泣く泣く頬張ったことか。
そんな場違いな記憶に思いを馳せながら、震える足で路地に手を伸ばすトロルに近づいた。
これだけ近づけば、俺の頼りない投擲能力でも十分だろう。躊躇っている余裕はない。本当は今すぐにでも逃げ出したいのだ。いつ吹き荒れるかわからない臆病風に飛ばされる前に、やらなければ。
何も考えず、手に握った缶詰を放り投げた。ぎこちない動きで放たれた缶は、ふらふらと放物線を描いてトロルの背中に命中した。
一心不乱に路地へ手を伸ばしていたトロルは一瞬動きを止め、ゆっくりとこちらに振り返った。
「こっちだ、このぽんこつ…っ!」
ああ、注意を惹く方法をこれにして本当によかった。なぜなら恐慌し縮こまった喉から出た声は、ひょろひょろのかすれ声だったからである。
間違いなく俺という人間を認識したトロルは、その目標をいくら手を伸ばしても届かない路地の奥から、俺に切り替えた。
それを確信し、俺はすぐさま背を向けて走り出した。
大丈夫だ。逃げ道は考えてある。すぐ近くにあるマンホールに逃げ込めばいいのだ。トロルの体格からして、通り抜けることはできないはずだ。だから今は振り返らずひたすら走るのだ。
すぐにマンホールは見えた。間に合った。そう思った時だった。前に長く伸びる自分の影が、見る見るうちに別の大きな影に飲み込まれていく。
もう追いつかれてしまったのか。地下で逃げた時はもっと鈍かったではないか。こんなに早いなど予定と違う!
見込みが甘かった。これでは悠長にマンホールの梯子を下りている時間などない。活路のはずだった暗い穴を蹴り飛ばす様に飛び越えた。
それが仇となったのか、ただただ不運なだけだったのか、はたまた軟弱な体のせいか。おそらくそのすべてだろう。俺は着地の瞬間、足を捻ってぼろ雑巾のように地面に叩きつけられた。
初めから破綻していたかにすら思える作戦が儚くも崩れさり、惨めな最後を迎えたことに暗澹たる思いを感じた。せめて潔くあきらめようとも思うが、きっと無理だろう。いざ捕まれば子供のように泣き叫び、無駄な悪あがきをするに決まっている。
そんな悲壮な覚悟で目を食いしばった。しかしいくら待てども予想される拘束は襲ってこない。代わりに聞こえるのは、繰り返し地面を叩くような音だけだった。
恐る恐る振り返ると、手をついた俺と同じくらいの高さにあったトロルの体が目に入り、慌てて後ずさった。
しかしトロルは動かない。いや、腕はもがくように動いているが、それだけだ。このような滑稽があっていいのか。目の前のトロルはマンホールの穴に嵌って身動きが取れないのだ。
思わず乾いた笑いが漏れた。仇も不運も軟弱も、たまには役に立つではないか。九死に一生を得たことに安堵しつつも、いつまでも呆けている場合ではないことを思い出し立ち上がった。
急いで先ほどの細い路地に戻ると、その奥でロカはうずくまっていた。ごちゃごちゃと不要なものを押し込まれた路地裏は、それ以上進むことのできない行き止まりと化している。
「ロカ!」
「…ユウ?」
震えるロカが頭を上げてこちらを見た。目には涙が浮かんでいる。感動の再開を喜びたいが、またいつトロルが現れるかわからない。俺はロカに駆け寄って手を差し伸べた。
「今のうちに逃げるぞ。走れるか?」
ロカは黙ってうなずいて手を取った。その手は冷たく震えていた。
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