12話

 どうやってここまで来たのかあまり覚えていない。とにかくあの場を離れるためにヘルマを抱えて走った。道なんて覚えていなかったから、入り組んだ水路をひたすら進んだ。ロカとの食料集めで鍛えられた付け焼刃の体力のおかげか、あるいは火事場の馬鹿力か、ヘルマを担いだままで相当の距離を走った。走れなくなっても歩き続けた。

 気づいた時には体は限界を迎えていた。ぐったりしながら通路の片隅に腰を落として休んでいると、隣で寝かせていたヘルマが目を覚ました。

「ユウ? あれ、なんで俺寝てたんだっけ」

 体を起こしたヘルマは意識がまだはっきりとしないのか、ぼんやりしている。かと思えばハッとして立ち上がり、通路の前後を振り返りながら身構えだした。

「そうだ、トロルは!?」

「もういないよ。それよりお前、ここからの帰り道わからないか?」

 ヘルマは改めて俺の様子を見てから、その場で安心して腰を下ろした。

「道なら俺じゃなくておっさんに聞けばいいだろ? どこいったんだよ」

 フォルフがいないことに気づいたヘルマが周りを見るが、いくら見たところで枝分かれした通路しか見つからないことだろう。

 黙っていてどうにかなる状況でもない。俺はヘルマが意識を失った後、フォルフが俺たちを逃がすために捕まったことを話した。

「お前、おっさんを見捨てたのかよ!?」

 話を聞いたヘルマは、みるみる顔を怒気に染めて怒鳴った。

「おっさんはフィンの父ちゃんなんだぞ! なにやってんだ。早く助けに行かないと!」

「あれからもうかなり時間が経ってるし、仮に戻ったところで何ができるんだよ」

 動こうとしない俺にしびれを切らしたヘルマが、掴みかかってくる。

「なんでそんな平気な顔してられるんだよ! お前おっさんと仲良さそうにしてたじゃねーか!」

「だから……」

 もうとっくに全部終わっているということがどうしてわからないのだ。入り組んだ通路のどこを通って来たかなんて覚えていないし、今更戻ったところであの場所にはもう何もない。フォルフを攫ったトロルは、とっくにどこかへ消えてしまっている。

 そんなことをいくら説明してもヘルマは聞く耳を持たない。怒りの矛先は、俺を責める方向に向き始めた。

「お前は一体、何してたんだよ!」

 そんなヘルマの言葉が響いた。その瞬間、俺の口から堰を切ったように聞くに堪えない言葉の数々が溢れ出した。

「気絶してたお前にそんなこと言われる筋合いは無いだろうが! ここまでお前を担いできてやったのになんでそこまで言われなくちゃいけないんだ! 大体俺に何ができるっていうんだよ! お前より弱い俺が! あるなら具体的に言ってみろよ!」

 子供相手だということすら忘れて怒鳴り続ける。ヘルマが何か言おうとしても構わず続けた。とにかく相手を黙らせるためだけの非難を、思いつくまま口から出るに任せた。

「そう言えばお前、俺が助けてもらった礼を言った時、何か言いかけてたよな。こんなことになる前から何か知ってたんじゃないのか!?」

「それは、だって」

 こじつけのようにまくし立てた言葉に反応して目を泳がせたヘルマに対して、さらに畳みかけた。

「やっぱりそうなんだろ! お前が誰かにそれを話してたらこんなことにならなかったんじゃないのか!」

 悪事を暴いた探偵にでもなった気分で睨みつけると、いつの間にかヘルマは俯いてしゃくり上げていた。

 ガキは泣けば済むと思っていそうなところが大嫌いだ。そしていざ泣かれるとこっちが悪いことをした気分になる。いや、子供相手に言葉をまくし立てて大声で責め立てるような人間をもし見かけたとしたら、俺は迷わずその人間を悪と断ずるだろうけれども。


*


 ヘルマは悔しかった。何度兄に頼んでも自分はダメだと言われるのに、自分より弱いユウが魔導士たちと一緒に行くなんて。

だからいつもなら兄の言うことには従うのに、今回はこっそり後からついて来てしまった。

 明かりを見失わないように後を追いかけると、兄たちは梯子を上っていた。一度地上まで出るらしい。

 そうして全員が出て行ったあとヘルマも梯子に近づいた。

 すると突然上から何かが降ってきた。あと少し早く近づいていたら潰されていたかもしれない。安心したのもつかの間、大きな音を立てて地面にぶつかったそれは嫌な軋みを上げて動き出した。

 見間違えるはずもない、トロルだった。

「わあああああ!?」

 思わず悲鳴を上げてしりもちをついた。突然目の前にトロルが降って来るなんて思ってもみなかった。

 声を上げたことでヘルマがいることに気づいたトロルは、暗い地下通路の中だというのにまっすぐにこちらに歩いてきた。

「くそ! なめるなよ!」

 トロルの体は硬いから、ヘルマでも使える 「退けるもの」 ではあまり効果がないと兄から聞いたことがある。しかしこうして戦う時の為にヘルマはもっと強力な魔導を練習していた。

「つらぬく牙、ガルムだ!」

 まだ幼いヘルマにはこれを何度も使えるほどの余力はない。一撃で決めるしかない。

 幸いトロルは相手が子供だと思って侮っているのか、その動きは妙に遅い。魔導を使うために時間がかかるヘルマでも、十分に時間はあった。

 手のひらに黒い光が集まり、十分な密度を持ったところでトロルめがけて光を放った。黒い光は針のように形を変え、一瞬でトロルの胸を貫いた。そしてトロルは後ろに倒れて動かなくなった。

「やった! やったぞ! やっぱり俺はもう戦えるんだ!」

 これを見れば兄もヘルマを認めるに違いない。ヘルマは驚く兄の顔を思い浮かべた。

 しかし喜びに打ち震えて立ち上がろうとすると、体は上手く言うことを聞かない。まだ力をうまく制御できないヘルマには、負担が大きかったらしい。だけどここで気を失うわけにはいかない。早く兄たちを追いかけなければ。

 力を振り絞って地上の橋を渡ったものの、兄たちを完全に見失ってしまった。何とか地下に来ることはできたが、その先は疲労も相まってどうすることもできなかった。

 そして休んでいた所に戻ってきた兄たちを発見し、ヘルマは後方にいたユウたちと合流したのだった。


*


 話を聞いてみれば特別ヘルマが悪いということはなかった。地下に引き入れたわけでもなく、偶然出くわしただけ。そのうえそのトロルは倒している。悪いどころか子供一人でよくやったと言える。

 お互いに怒鳴り疲れて、しばらく黙って落ち着いたころ、独り言のように語りだしたヘルマの話を聞いた感想はそんなところだった。

 ヘルマは自分のせいだと気に病んでいた。いつも生意気な顔が、今は捨てられた子犬のように頼りない。

「びっくりさせようなんて思わずに、俺がすぐに話してればよかったんだ」

「そうかもな」

 あれほどのそしりを吐き出しておいて、気の利いた言葉の一つも出てこない。俺の口はどうしてこうも出来が悪いのか。

 地下にやって来た時、そんな倒されたトロルは居なかった。倒しきれていなかったということだろうか。そして仲間を呼んで油断した人間たちを待ち構えていた。想像するだけ無駄だろう。あのような怪物ロボットの生態など知る由もない。

「それに今まであいつらが地下まで来たことなんか無かったんだ。そんな大事なことも忘れて…馬鹿野郎」

「それは、そうかもな」

 確かにそれを知っていれば結果は違っていた、かもしれない。ヘルマの案内で通路を進みながら、俺は告解する子供に返事をするだけに終始していた。

 やがて見覚えのある石畳の出っ張り、壁の苔などが目に入り、ここが何度もロカと通った通路だと気づいた。もう、この真上はロカや院長たちが暮らす場所なのだ。

 やっと帰ってきたのだ。

 逸る気持ちのままに足を逸らせ、地上に出る。今すぐに安全で明るい空間に飛び込みたい。その一心で外に出ると、残念ながらすでに日は暮れていた。

 それでも見慣れた街並み、少ないながらも道を歩く人たちを目にして、思わず目が潤んだ。

「もう、大丈夫なんだよな」

「うん。それじゃ俺、兄ちゃんのとこにいくから」

 そっけなく告げて走っていくヘルマの声は、震えていた。

 寺院の前の広場には、あの地獄から逃げているさ中に見た顔がちらほらあった。彼らもついさっき到着したばかりなのだろう。その顔は暗く曇っているが、時折笑顔も見られた。

 広場を抜けて俺はまっすぐに院長宅へと向かった。本当は俺も先にヴァンたちの所へ行って、生きていることを報告した方がいいだろうとは思ったが、今回はヘルマに任せよう。今すぐに帰って来たことを伝えたい相手は別にいるのだ。

 扉の前に立って、ドアノブに手をかけた。家の中からは何やら慌しい音が聞こえる。扉を開いて中に入ろうとすると、丁度内側から扉に手をかけようとしていたロカと目が合った。ロカは一瞬きょとんとしていたが、すぐにパッと笑顔の花を咲かせた。

「おかえり、ユウ!」

「…っ、ただいま」

 不覚にも、上ずった声が出た。目には涙がたまっている。そんないい年をしたむさ苦しい男の見るに堪えない痴態を前に、まだ今回あった諸処の事情をしらないロカは首をかしげて受け流し、早く上がるように促した。

 こうしてこの世界にわけもわからずやってきてからの日々で、最も長い一日が静かに終わった。

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