7話
ヴァンへのこれまでの経緯の説明のために連れてこられた寺院の一室では、相変わらずの排他的な視線を向けてくる老人衆が鎮座していた。まさかいつもここで暇をつぶしているわけではないだろう。本来はヴァンからの報告を聞くために集まったようだ。
彼らの態度としては最初に会ったときに比べていくらか軟化してはいるものの、迷惑そうにしていることがありありと伝わってくる。そんなに迷惑そうにされても困る。俺とて好きで針のむしろに飛び込んだわけではないのだ。
あのあと院長は俺のことは後でヴァンへ説明すると言って、ヴァンとともに寺院の中へ向かおうとした。自然、おれはそのまま帰路に就く流れになるはずだったのだ。しかしヴァンは俺を解放することをよしとはせず、同席させるように院長に願い出た。院長はそれをあっさり承諾、そして今に至る。そこはもう少し渋ってほしかった。
「と、こんなところだ」
俺が来てからの経緯をかいつまんで説明を終えた院長がそう締めくくると、ヴァンは渋々ではあったもののやっと俺からその射殺さんばかりの鋭い視線を外した。特に何もしていない俺もこれでようやく人心地だ。
「原因はやはり…」
そこまで言ったヴァンは院長の視線の動きを見て口をつぐんだ。院長の方はちらりとこちらを見ていた。たったそれだけで、やはり未だに信頼されていないことが伺い知れて少々切なさを覚える。
ーー君を信じて、帰しても大丈夫だと皆が思えば
当の院長でさえこの有様なのだ。そんな日は本当にやってくるのだろうか。
「結局面倒ごとを持ち込んで…はた迷惑な」
ヴァンは吐き捨てる様に言った。これには当然反論が出る。迷惑なのはこちらの方だ! こちらは本当にわけもわからないまま理不尽に苛まれ、そちらはある程度状況を把握していると見える。この状況を見ればどちらに非があるのかなど明々白々だ!
しかしこの完璧な論理による反論もついぞ喉を通って出てくることは無かった。兄弟そろって魔導の恐ろしさを刻み付けられた俺は、ちょっとやそっとでは迂闊な物言いはしてはいけないとすでに学習したのだ。
せめてもの抵抗に横目でバレないようにヴァンを睨めつけると、丁度目が合ってしまい睨み返された。慌てて目を逸らし、子ウサギのように怯えてみたもののそこから追撃されるようなことは無かった。
ヴァンは話は分かりました。と静かに言った。これてようやく解放される。ところがそこからしかし、と続いたことで俺の心は寄せては返す波のように落ち着くことができない。
「こいつは危険だ。院長もそれはわかっているでしょう」
「そう見た目で決めつけるものでもないだろう。彼は皆と同じように生活しているよ。ロカやヘルマとも仲がいい」
「しかし…」
話の腰を折るわけにもいかないので心のうちにとどめておくが、俺はロカとは仲がいいがヘルマと仲良くなった覚えはない。
なかなか納得しないヴァンに対して、院長はひとまず話を終わらせることを優先した。
「とにかく、今は彼については私に任せておきなさい。それよりもそろそろそちらの話を聞かせてくれないか。あまり待たせるとおいぼれたちはすぐ船を漕ぎ始めるからね」
ヴァンはついに諦めたように頷くと、俺に向けていた視線を老人たちの方へ向けた。
それを見て蚊帳の外にいた老人たちは佇まいを正して話を聞く姿勢をとりだした。今度は俺が蚊帳の外になる番だ。退室は許されないのだろうか。
既に話題は街の通りか区画かの固有名詞が飛び交うような、俺にはさっぱり関係ない話になっていた。ぼんやりと聞いているうちになんとなくではあるが、彼らは街のあちこちの見回りから帰ってきた所だということが分かった。言葉の端々にダメ、だの誰も残っていないだの物騒な言葉が現れる。今更だが警戒されている俺がこの場にいても大丈夫なのだろうか。聞くなと言われればすぐさま退室できるように準備はしているのだが、特に声をかけられることは無い。
そんな虚しい準備をしている傍らで、ヴァンから飛び出した言葉に場の空気が変わった。
「東の広場の灯台も確認した。もう東はダメだ」
「まだ残されているものはどれくらいいる?」
「皆隠れているので集めてみないとはっきりとは。それでも百はいるだろうが」
ヴァンと院長の会話に老人衆の一人が苦い表情で言った。
「たとえ救出したとしても、それだけの人数を賄える余裕はないぞ」
「住む場所ならそこら中に空き家があるがね」
皮肉っぽく呟いた別の老人を皮切りに老人衆は口々に口を開きだした。
「助けないわけにはいくまい」
「だから助けたとしてもその後はどうするのだ」
「市民を見捨てるつもりか。それでも魔導士か!」 「見捨てるとはいっていない」
「同じことだ」
「実際に動く者たちの負担も考えろ!」 「それは……」
白熱し始めた老人衆のバトルは一向に出口が見えない。ついには見かねた院長が大きな咳ばらいを響かせた。
「今はゆっくり話し合っている時間も惜しい。残された者たちは助ける。その後のことは後で考えるとしよう」
議論の余地を挟ませない決定に、落ち着きを取り戻した老人たちは引き下がった。薄々感じていたが院長はこの中で一番偉い立場なのではないだろうか。子供を多く預かっているせいでてっきり孤児院の院長か何かかと思っていたが、寺院の院長なのかもしれない。
何はともあれこれで話も終わりだろう。やっとこの場違いな空間から解放されるのだ。本来であれば今日一日は完全な休日。今この時もまどろみに身をゆだねているはずだったことを思い出し、一刻も早く寝室に戻ることに頭がいっぱいになった。
「院長、一つ頼みが」
ヴァンが何やら院長と話を始めたが、早くしてくれないだろうか。元いた自室に帰還することが至上命題ではあるものの、その手段が漠然としている以上は現在俺がすべきことといえば来るべき日に備えて一刻も早くこの身を休めることなのだ。
しかし次にヴァンが言った言葉を聞き逃すことはできなかった。
「救出に向かう時は、こいつも連れていかせてくれ」
こいつというのは一体どこのどいつなのか。それを確かめるべくぎこちなくもヴァンを見ると、その指はしっかりとこちらを指さしていた。
ヴァンは疑念の晴れぬ顔で、唖然と間抜けに口を開いたこちらへ振り返った。
「違うというのなら、それをこの目で確かめる」
*
「ユウ、大丈夫?」
「ああ、悪い。ちょっと考え事を」
スープをちびちびと掬いながら、ヴァンたちが帰って来た時のことを思い出していた。あんな怪我人が出るような所に俺は連れていかれるのか。生まれてこのかた大きな傷病を患うことも無く、健康そのものの人生を歩んできたのだ。考えるだに恐ろしい。それにロカから話にだけ聞いたトロルとかいう存在のことも気になる。本当に大丈夫なのだろうか。
「早く食べないとなくなちゃうよ?」
食卓という戦場では獲物を奪い合う容赦のない争いが今日も繰り広げられていた。その中にあって上の空になるということは致命的な隙となる。すぐさま参戦しなければならないのはわかっているが、どうにも食指が動かない。
自分の戦果をしっかり確保しながらも心配そうにこちらを覗き込むロカが、俺の小皿にも夕食のパイを取り分けてくれる。天使の所業だ。
「明日、魔導士の人たちについていくんだよね? ちょっと心配」
「俺も心配だ……なあ、魔導っていうのは俺にも使えないのか?」
絶えない憂慮に少しでも自分の身を守るすべを模索するべく。藁にも縋る思いでそんなことを呟いてみたものの、ロカの返事は芳しくはなかった。
「そう思うなら使えないと思うよ。使える人はなんていうか、最初から視えるんだって」
「視えるって、何が」
「知らないよ。魔導士じゃないもん」
ヘルマにもできることが俺にはできないのか。別にうらやんでいるわけではない。思春期特有の病はとうに完治し、魔法的神秘の力への憧れなどは既に枯れ果てている。ただ切実に、身を守るための備えが無いことを憂いているだけなのだ。
技術というよりは才能のようなものだろうから仕方ないのはわかる。しかしできないとわかってしまうと、これからの事を考えると不安はより募るばかりだった。
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