6話

 目を覚ますと、ここ数日で見慣れた院長宅の一室にいた。寝室として使われているこの部屋は、数人の子供とともに俺も使わせてもらっている。決して狭い家ではないのだが、何分子供の数が多いが故にどうしても相部屋にならざるを得ないのである。

 窓から差し込む光を見るに、すでに日は傾き始めているころだろう。

 体を起こし、なぜこんな時間に寝ていたのかと頭を巡らせる。それと同時に、全身に鈍く走る痛みを覚え小さくうめいた。

 丁度そのタイミングで部屋の中を覗き込む天使が現れた。

「あ、起きてる。院長先生―、ユウが起きたよー!」

 ロカは俺が起きたことを知らせるために一度部屋の外へ出て大声を上げるとまた部屋の中に戻ってきた。起き抜けにロカに出会えたということは、今日は1日いい日になるに違いない。

「ごめんね、ヘルマとの勝負のとき、何も言えなくて」

 その言葉ですでに今日は最悪な1日が確定していたことをにわかに思い出した。子供に喧嘩で負けた記念日である。

「気にしないでくれ。それよりヘルマはあの時俺に何をしたんだ?」

「あれはね…」

 魔導。というものがこの世界にはあるようだ。魔力という特別な力を操ることでいろいろできる技らしい。要は魔法である。魔導を扱う者のことを魔導士と言い、その力をもって街を治める地位として人々の拠り所となるべき存在だそうだ。話を聞く限りでは、なんとなく教会の神父のような立ち位置というのが最も近い表現になりそうだ。

「ヘルマを拠り所なんかにしたら大変なことになりそうだ」

「そうだね、でもヘルマはまだ魔導士じゃないから大丈夫だよ」

 くすくすと笑うロカを眺めていると、部屋に院長がやってきた。

 院長は目を覚ました俺の顔を見て安心したのか、ひとしきり頷いた後、空いたベッドに腰を下ろした。

「体はまだ痛むかい?」

「少しは。けどそのうち引くと思います」

「ヘルマには何度も注意してはいるんだけどね。年寄りが何を言っても聞きやしないんだよ」

 困ったものだとため息をついて院長は続ける。

「ヴァンが帰ってきたら、厳しく言って聞かせる様に伝えておかないとね。近いうちに帰ってくるはずだ」

 どうやらヘルマにはヴァンという兄がいるらしい。ここ最近はその兄が不在で、その間好き放題だったとのことだ。ヘルマは兄のことが大好きで、彼の言うことなら素直に聞くという。

「それまでは、すまないがあまり刺激しないでやってくれ」

「ええ、二度と馬鹿な真似はやめておきます」

 ヘルマはただのクソガキではなく、特別なクソガキだった。あのような力があれば高慢ちきになってしまうのも頷ける。完膚なきまでの敗北を喫した俺にできることは、彼の兄が一刻も早く帰還することを願うことだけだった。

 それまでは可能な限りヘルマと遭遇しないことを祈るしかない。願って祈るなど何もしていないともいえるが、俺の人生のほとんどはそんな受け取り手のはっきりしない他力本願に満ちているので、何も問題はない。

 そういえば何か忘れているような気がするが、気のせいだろうか。


*


 どれだけ注意を払ったところで狭いコミュニティの中である。特定の人物と遭遇しないようにするというのはなかなかに難しい。相手がこちらを探しているとなればなおさらだ。

 あくる朝、いや今はもう昼か。大事をとって静養することを許された俺は、それにあやかり至福の惰眠をむさぼっていた。今日は一日眠る所存だ。据え膳を食らい、さあもうひと眠りと洒落込もうと決意をあらたにしたところで困り顔のロカがやって来た。

 そんな顔をするということは何かあったことは疑いようもない。今日この後の予定はすべてロカの為にキャンセルすることにしよう。

「休んでるのにごめんね。その、ヘルマが呼んで来いって」

 ロカの為ならばいくらでもどこにでも付き合おう。しかしなぜ俺がクソガキの用事に付き合わねばならないのだ。

 しかし現実というのは厳しいもので望まぬ相手に付き従わざるを得ない場合が、時として存在する。今がまさにその時だ。俺というか弱い庶民は暴力という絶対的な力の前に膝を屈するしかないのである。

 目の前には相変わらずの生意気な顔をしたヘルマが無駄に元気そうに歩いている。それに付き従うようにいつもの二人と、加えてさらに後ろに俺とロカがその列に加わっていた。子供の遠足にでも混ざった気分だ。どうしてこうなってしまったのだ。

 心なしかヘルマはいつもより機嫌が良さそうに見える。

「なんで今日はあんな機嫌がいいんだ?」

 隣にいるロカに聞いたつもりだったのだが、先頭を歩くヘルマは頼んでもいないのに率先して答えた。

「兄ちゃんが帰って来たんだ!」

 兄ちゃんというのは以前院長から話に聞いたヴァンという人物のことだろう。兄のことが好きだとは聞いていたが、今にも飛び上がりそうなヘルマを見るにそれは間違いなさそうだ。それに巻き込まれる俺たちにとっては迷惑そのものである。

「それでどうして俺とロカを呼んだんだ?」

「もうすぐ兄ちゃんが帰ってくるんだぞ! 魔導士が仕事から帰ってきたら出迎えるのは当然だろ!」

「そんな当然知らん。出迎えなら勝手にやればいいだろ。なんで俺たちまで」

「俺の手下なんだから黙ってついてくればいいんだよ。弱いくせに文句言うなよな」

 全く持って反論の余地を許さない言葉に半ば諦観しつつそれ以上の追及を断念した。また勝負でわからされてはたまらないのだ。仕方ない。


*


 やがて広場を抜けて一軒の建物の前までやって来た。立派な建物だ。周りと比べてもこの建物だけは壁や柱にレリーフが施されていたり、扉の上には何やらシンボルめいたものまで見える。荘厳な雰囲気から察するに魔導士に関連した施設なのだろうか。

「これってなんの建物なんだ?」

「寺院だよ。魔導士しか使わないからよく知らない。でもユウは入ったことあるんだよね」

 ロカもヘルマに付き合わされてうんざりしているのか返事もどこか適当だ。はて、こんなところに来たことがあっただろうか。

 あいまいな記憶を探ってみたところ、最初に院長たちと話をしたのはこの建物の中だったと思い出した。あの時は気が気ではなかったから建物など見る余裕はなかったのだ。我ながらよく思い出したものである。

 しみじみと感慨にふけっていると突然ヘルマが声を上げた。

「兄ちゃんだ!」

 そう言って大きく手を振って兄の帰りを喜ぶヘルマ。その視線の先には、黒いローブに身を包んだ集団がこちらに向かって歩いているのが見えた。

 人数でいえばせいぜい十人前後だが、ローブを着た集団がまとまって歩いている様はなかなかに威圧感がある。もしこれでフードをかぶっていたら不審者集団間違いなしだ。出くわしたらすぐさま踵を返してその場を離れるだろう。

 顔ぶれはまさしく男の集団と言ったところで、年齢は俺と同じくらいから初老に差し掛かったくらいまで様々に見える。少し気がかりなのは彼らの服がどれもボロボロで中にはけが人もいるということだ。いったい何をしてきたというのだろうか。

 やがてローブの集団が続々と寺院の中に入っていく中、ひときわ装飾の施されたローブの男がヘルマの前で足を止めた。危うく義務教育卒業とともに永眠したはずの闇の力が目覚めてしまいそうになる風貌だ。彼がヘルマの兄であるヴァンという男だろう。兄というからもっと子供っぽいかと思っていたが、むしろ俺との方が歳は近いように見える。薄い色素の髪の毛がなるほどヘルマにそっくりだった。

「おかえり、兄ちゃん!」

「ただいま。ヘルマ、俺はこれから老師たちと大事な話があるから…」

 上機嫌なヘルマとは対照的にヴァンの表情はすぐれなかった。ヘルマの頭に軽く手をのせるとすぐに歩き出そうとして、立ち止まった。

 その視線は確実にこちらをとらえている。

「なんだ、お前は」

「俺? 俺は…」

「離れてろ、お前たちもだ!」

 俺の言葉などまるで聞くつもりはないらしいヴァンは、ヘルマを庇うようにして俺との間に距離をとった。その顔は敵愾心に満ちている。身に覚えのない敵意を一心に受けながら、まるで状況を理解できない。これではまるで初めてこの世界にやって来た時のようではないか。

 ロカたちも困惑している様子だ。ヘルマもヴァンの剣幕におろおろしている。

 しかしまだ残っていたローブの集団は俺を見るやヴァンと同じように無条件の敵意をあらわにしだした。この世界の人々は初対面の相手に対してどうしてこうも攻撃的なのか。誰か教えてくれ。そしてついででいいので助けてください。

 ヴァンの手が、こちらに向けられる。そのしぐさにはどうしようもなく嫌な予感を感じざるを得ない。間もなくその手には光が集まりだした。

「待ってくれ、誤解だ! まずは話を」

 言っていて何が誤解なのか自分でもさっぱりわからないが、とにかく実力行使だけは止めてもらわなければ。必死で両手を上げて犯行の意思がないことを示す。しかしヴァンに効果はない。問答無用とは今この時のことを言うのだろう。

 ヘルマの時でさえ意識ごと体を吹き飛ばされ全身の痛みが引くまで丸一日かかったのだ。大人であるヴァンの力はどれほどのものなのか。そもそも年齢や体格で威力は変わるのか。いづれにしても二度と身に受けたくないことは変わらない。

「動けば殺す」

 ヴァンは言うと同時にこちらに向けていた手を空気を握りつぶすがごとく拳を作った。その瞬間光はこちらに向かってまっすぐ伸びて来る。もちろんその速度はすさまじく、射殺さんばかりの勢いがあった。まさかそれで一突きに。と恐怖するも、しかし光は縄のようにうねり始め一瞬にして俺の体を縛り上げた。

 大ヘビに巻き付かれたかのような状況に呼吸もままならず、話など当然できるはずもない。せいぜい苦し紛れにうめき声をあげるだけだ。容赦のない締め付けは徐々に強くなっているようにすら感じられる。

 いつお迎えが来てもおかしくないと思ったその時、寺院の方から気の抜けた声が響いた。

「おやおやこれは。ヴァン、手を引きなさい」

 扉の前に立っていたのは院長だった。

 その言葉によってようやくヴァンは手を下ろし、俺は胸をなでおろした。

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