4話
食料を詰め込めるだけ詰め込んだ鞄を二人合わせて3つほど抱えて無事、帰ってくることができた。あれから特に問題はなく、もちろんトロルなどというものにも出くわすことは無かった。荷物の配分は俺が1、ロカが2である。ロカ、すまない。
過酷な肉体労働を終えて一休みしようと荷物を下ろしたところで院長が現れた。きっと今日の仕事を終えた俺たちを労ってくれるのだろう。
「二人ともお疲れ様。ロカは無茶していないね」
「うん。今日はユウもいたからちょっとは楽だったよ」
「それはよかった。ユウもありがとう。ロカを一人で行かせるのは心配だったから助かるよ」
「いえ、このくらいは。院長は恩人ですから。俺にできることなら協力します」
彼がいなければ今頃また地下水路で芋虫生活を送る羽目になっていたと思うと感謝してもしきれない。恩返しだと思って明日からも頑張ろう。
「そうか、ちょうどよかった。ついさっきヘルマの家が男手を欲しがってたから行ってきてくれるかい?」
「えっと、それは今から?」
「もちろん」
*
水路を出してもらった時から薄々感じてはいたが、ここは立派な街並みにしては人の数が少ない。空き家も目立つ。というより院長宅周辺のかなり狭い範囲にしか人の気配がなかった。例のトロルとかいう奴から逃れるために多くの住人は避難したということなのだろう。ロカはまだ大丈夫と言っていたが、まだということはいずれここの住むことができなくなるということだ。
……どうにかそれまでには俺も元居たあの楽園、築20年ワンルームのボロアパートへと帰還しなければなるまい。
「あたしは男手が欲しいって言ったんだよ! 役立たずが欲しいなんて言った覚えはないんだけどね!」
恰幅のいい妙齢の女性がため息をついてこちらを見下ろしている。年上の女性にここまで歯に衣着せぬ物言いをされたのは人生を振り返ってみてもこれが初めてである。よく通るバカでかい声が頭に響く。
「ず、ずいまぜん。…あの、限界なんで下ろします」
「まったく、これならうちのバカ息子の方がよっぽど役に立つよ。ほら、もういいから帰っとくれ」
男手が必要だと言われやって来た場所は農場だった。まさに肉体労働といった風に次々と渡される謎の重量を誇る嚢袋に、俺の運搬能力はあっさり限界を迎え崩壊した。
後ろでけらけら笑う声に振り返ると、以前ロカをいじめていたいじめっ子が腹を抱えて笑っていた。ヘルマというのはこのクソガキのことだったようだ。
「ヘルマ! サボってないでこっちに来な!」
「げええ。せっかく遊べると思ったのに。ユウの役立たず!」
ヘルマはすれ違いざまに俺の背中を殴っていった。やり返されないと思っていい気になりやがって!
予定よりも早くに労働から解放されたことは喜ばしいものの、さんざん役立たず呼ばわりされた俺のちっぽけなプライドはズタズタだった。
*
「あれ、おかえり。早かったね」
「あ、ああ。まあな」
院長宅に帰ってきてそうそうロカに当然の疑問を投げかけられた。最初にほとんど往復しただけの時間しか経っていないのだから速いというか速すぎだと思われていることだろう。
「ヘルマのとこってことは、肥料運びかな? 重くて運べなかったの?」
「ま、まあな」
「やっぱり。…ねえ、ユウって何ができるの?」
無邪気な子供というのは、時に残酷なものだ。世の中には聞いてもいいこととダメなことがある。ただ質問するだけで相手を深く傷つけることがあるということを世の中の子供たちはいち早く学習するべきなのだ。いかに天使の言葉が清らかであったとしても、それは俺という毒素と反応することでたちまち猛毒へ変化し、自らを蝕むことになるのだから。
念のため何かないかと一瞬の逡巡のうちにおのれの棚卸を行ってみるものの、その棚には卸すものなど陳列されていなかった。
「聞いてる?ユウ」
「悪い、なんだっけ?」
「お母さんが夕食の準備するから、一緒に手伝お」
「わかった、行こう」
キッチンに向かうと忙しく手を動かすお母さん。…院長の奥さんの姿があった。ここでは彼女のことをお母さんと呼ぶことはルールである。そのルールはもちろん俺にも適用された。奥さんでも名前でもなく、お母さんである。ママも可ということだったが無論遠慮させていただいた。
今日の夕食はかなりの量になるだろうと予感させる大量の食材を次々と捌いていく奥さんの手際は見事という他ない。
「あらロカちゃん、丁度よかった。そこのお野菜に火をかけてちょうだい」
「わかった。こっちもやっとくね」
ロカは料理もできるようだ。まだ子供だというのにその後ろ姿はなかなか堂に入っている。このままこの二人に任せておけば俺が何もせずとも素晴らしい料理が食卓に並ぶことは間違いなさそうだ。しかしぼけーっと突っ立っている俺に気づいたロカに何してるの?と言わんばかりの視線を向けられては何もしないわけにはいかない。
「奥さん、俺も何か手伝います」
「……」
鍋が沸騰する音で聞こえなかったのだろうか。奥さんの反応はない。すまし顔で相変わらずの手捌きを発揮している。
「あの、奥さん…」
「それ先に洗っとくね、お母さん」
「あら、助かるわ。ロカちゃんは気が利くわね」
ロカが言いながらこちらにも目配せをしてくる。違うのだ。忘れていたわけではないのだ。できることなら忘れたふりをしていたかっただけなのだ。しかしそんな甘えをこの家のルールは許すことは無いらしい。腹をくくってこの羞恥に身をゆだねるしか道はないようだ。
「俺も何か手伝います。…お、おかあさん!」
既にズタボロだったプライドが最後の力を振り絞りこんな辱めを受けまいと発声を阻止すべく喉を力ませた結果、上ずった声はより情けなく響いた。
身もだえしたくなる羞恥に身をやつす俺に対して奥さんは満面の笑みで振り返った。
「あらユウちゃん、ありがとう。それならお皿を出しておいてもらえるかしら」
のぼせそうな頭を冷ますように頷いて素早くテーブルに皿を配置していく。
「あらあら、ユウちゃんは頑張り屋さんね。偉い偉い」
何なのだ、これは。
「お皿が熱いから気を付けてね。そう、上手よユウちゃん」
一体全体まるで分らない。
皿を運ぶだけで何故賞賛されなくてはいけないのか。出来立ての料理が熱いことなど自明ではないか。
まるで赤子が初めて歩いたような扱いをこの年になって受けることのなんとみじめな事か。屈辱といえる。これが屈辱では無ければなんだというのだ。このような扱いは不当だ! 誰か是正しようと立ち上がるものはいないのか! 相談窓口は!
当然そんなものは存在しない。俺は涙を呑んで皿運びという大役を粛々とこなしていった。
*
調理するところを見ていたときから随分と量が多い、そんなに食べられるのかと感じていたが杞憂だったらしい。
院長宅では現在、夕食の大皿が並ぶテーブルには院長夫妻以下、ロカ、俺の他に何人もの子供たちが取り合うように各々舌鼓を打っていた。身寄りのない子供を預かっているとは言っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。ロカよりもさらに幼い子ばかりで、10人はいるだろうか。これではまるで孤児院だ。
「ユウも早く食べないとすぐになくなっちゃうよ」
「っく、久しぶりの食事を味わうことも許されないのか…!」
ロカに急かされるまま食べ盛りの子供に負けじと大皿から料理の確保に躍起になっていると、ふと並んで静かに料理を口に運ぶ院長夫妻が目に入った。俺としてはこんな人数の子供に囲まれていては鬱陶しくて仕方がないが、二人はとても楽しそうに微笑んでいた。
時折こちらのこともそんな表情で見てくるものだから、きっと俺のこともこの野生動物のような理性の欠片もない子供らと同じように見ているのだろう。不本意なことこの上ないが、長期間にわたって固いパンをひたすら消化し続けた胃袋は未知の栄養素を前に咀嚼を止めることを許さなかった。
*
食器洗いという本日最後の大仕事を果たしたことでようやく体を休める時間を得た俺は、家を出てすぐそばの庭のベンチに腰かけていた。暑くも寒くもない中で心地よい夜風に当たっていると、隣に院長がやって来た。
それきり何を言うでもなくじっとこちらを見ている。何か言うべきかと思い迷っていると、院長はすっと視線を外してゆっくりと話を始めた。
「今日一日過ごしてみて、君には私たちがどう見えた?」
「どうと言われても、院長も奥さんも良くしてくれるし、ほかの人たちは、まあ普通の人に見えました」
いまいち意図のわからない質問だったので思ったことを答えてしまったが、院長は相変わらず人のよさそうな顔で微笑んでだ。
「そうか、そうだね。私も君はいい子だと思うよ」
そう言って院長は立ち上がって家の中へ戻ろうと歩き出す。眠そうにあくびをしているところ申し訳ないが、こちらもどうしても確認しておきたいことがあった。
「院長たちは、俺がどうすれば帰れるか知っているんですよね?」
「もちろん知っているとも。君が現れた場所を考えれば、おおよそ見当はつく」
「なら…!」
「すまないが今はまだ君を元の世界に帰すことはできないよ。理由も言えない。私たちにも事情があるんだ」
院長はそういってどこか申し訳なさそうに白髪交じりの頭を撫でた。
まだ、ということはそのうち帰れると思っていいのだろうか。
「いつになったら、帰れますか」
「君を信じて、帰しても大丈夫だと皆が思えば」
やがて話が終わったとみるや目をこすりながら家の中に戻っていった。
ぼんやりと空を見上げてみると、星がきらきらと明滅しているのが見える。月はどこにも見えなかった。
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