(7)

「この薬草って何に使うんでしょうか」

不思議顔の結月に対し、老薬草師の栃村が泥だらけの手で庭を整えながら語り出した。

彼はこの庭の一番の古株。結月の祖父を知っている人物はどこか笑みを浮かべた。

「君は『九つの薬草の呪文』って聞いた事があるかな」

「それは黒魔術ですよね」

結月は思い巡らしていた。それは祖父から習った古の薬草術のうちの一つ。幼き頃より祖父から薬草学を叩き込まれてきた彼女は、それを思い出した。

「そうです。例年、それを信じてこの薬草を盗む生徒がいるんですよ」

彼は立ち上がると校舎を眩しそうに眺めた。風が吹き庭の薬草が小波のように靡いていた。

「確か、古代の英国のルーン文字で書かれた詩の中に出てくる呪文ですよね。これは呪いか何かでしたっけ?」

「惜しい?これはね。治療を目的としたものですよ」

栃村は目を細くして白い雲を見ていた。

「九つの薬草を粉末にして混ぜて練るんです。私も実験で作った事がありますが、まあ、実際は無理ですけどね」

「大昔の呪いで。難病と呼ばれるものは体の中に悪魔がいると恐れられたのです。それを祓うための薬草です」

治療のため。では誰かが病気で困っているということか。しかし、薬剤が豊富で遺伝子治療がある昨今、このような呪いを信じているというは現実的ではない。それは栃村も同感のようで結月に笑みを見せた。

「私だって効能を信じてはいませんよ。ですがね。現在の医学でもまだ治療法が判明していない病があるのを君は知っていますか」

「難病ってことですよね」

「フッフ。それはね。恋の病ですよ」

「恋?」

変な声を出してしまった彼女を栃村は笑い飛ばした。

「ハハハ。そうです。それに苦しんでいる生徒の悪戯でしょう。これはそういうものですよ」

栃村から学院に薬草が荒らされていた件を届けておくといい、彼は他の庭に移動していった。

「恋、か……」

確かに。多感な世代の生徒達がいる学校。庭に取り残された彼女は薬草に詳しい人物による仕業だろうと思うことにした。



庭番室の戻った彼女の前の松本は申し訳なさそうに椅子を進めた。彼女はとにかく椅子に座った。

「どうしたんですか?」

「……これを見てくれ」

データ端末の画面。そこには学院についてのコメントがあった。松本は苦しそうに口を開いた。

「ここだ。薬草泥棒。庭番の柊とされてあるんだ」

「確かに。そう書いてありますね」

「淡々と言いますけどね。これは君のことなんだけど」

首を傾げる橘に結月は他のコメントもチェックした。そこのは柊植物園の件や征志郎が裏口入学したという話や、結月は教頭の愛人などひどいデマであった。

「これはひどいですね?あの教頭の愛人なんて」

「ああ、今職員室で調べてもらっているよ」

「ところでさ。結月さんて誰かに恨みを買ったとか、心当たりないのかな」

コポコポと珈琲を淹れる橘に彼女は顔を向けた。

「一般的に。私がこの学院に入っただけで面白くないようですよ」

「この学院の庭番は狭き門だからね」

元薬草師しか任されない仕事。それに若くして入った結月は異色の存在だった。

松本は顎に手を当て考え込んでいた。

「でも気にしていません。入る前から覚悟してますから」

「だって。棟梁、本人がそう言っているんで気にしないでくださいよ」

「橘君はそういうけどね。これは私の方で調べておくよ」

当の本人は九つの薬草のことばかり考えていたのだった。





その日の夜の柊邸。テスト勉強をするという時長と蓮が泊まりにきていた。幼なじみの彼らは家族ぐるみの付き合い。夕食は時長の母の差し入れの食事ですませた三人はリビングで勉強をしていた。

「ええと『春の七草』か。これって基本すぎるだろう?」

薬草学院の最初のテスト対策。簡単すぎると床の座っていた時長はソファに背もたれた。蓮はテキストをじっと読んでいた。

「バカよくみろよ。七草粥の作り方だぞ」

「それがテストに出るのか?これは難問だな」

二人の声に征志郎は笑みをこぼした。そんな彼に時長は迫った。

「ところでさ。お前、生徒会って結局どうするんだよ」

「断れないし。桜井さんと入ることになった」

桜井は主席で入学した女子である。一学年を代表する二人の生徒会入りは必須だった。面倒が嫌いな征志郎はあぐらを組みため息をついた。そこに結月は飲み物を持ってきた。

「そんな顔しないの。せっかくのチャンスだもの。名誉なことじゃないの」

「姉さんはそういうけどさ。あんなの面倒なだけだよ」

エプロン姿で彼の元にマグカップをおいた結月。その姉の腕に甘えるように寄り掛かる征志郎。この仲睦まじい様子に蓮は呆れて頬杖をついた。

「そうだよな。征志郎は結月と一緒にいられればそれでいいんだもんな」

「そうだよ」

しれ、とした顔で肯定する弟に結月は怒った顔をした。

「こら?いつまでも甘えているんじゃないの。姉さんだって仕事があるのよ」

ぶうと膨れる征志郎を嗜めた結月は時長にマグカップをおいた。彼はこれを受け取ると結月をじっと見つめた。

「ほら本人はそう言ってるだろう。お前は自立しろ。結月は俺が面倒見るから」

「お気遣いなく。時長も自立してちょうだい。っていうか。勉強は進んでいるんでしょうね」

途端にお姉さんモードに入った結月に、三人は背筋を伸ばした。結月は奪ったテキストを見ながら、腰に手を当て彼らに向いた。

「そうね。では『秋の七草』これらの効能を述べよ」

「へえ?結月は言えるのかい」

腕を組み直した蓮に結月はテキストを返しながら説明した。

「『秋の七草』は万葉集。平安時代、山上憶良の歌からなるものよ。『萩の花、尾花、くずの花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌の花』。萩は下痢止め、尾花は今で言うススキだから利尿作用が」

「わかったよ。あーあ、俺の代わりに結月がテストを受けてくれないかな」

時長の声に笑った彼ら。結月はとどめを刺した。

「いいから。私はみんなのお母さんに勉強進めるように言われているのよ。最初のテスト、しっかりやってね!」

はい、という三人男の返事を聞いた結月は安心したようにキッチンに戻った。すると端末に連絡が入っていた。彼女はそっと自室に入った。部屋のモニターで確認した。

「はい。柊です」

『元気そうだね。夕食だったかい』

映っていた上司の林はエプロン姿の結月に微笑んだ。思わず彼女はエプロンを外した。

「失礼しました。もう終わったところです」

『そうかい。休暇中に申し訳ないね』

仕事場からの連絡に結月は背筋を伸ばした。林は淡々と述べた。

『第三国の動きだ。片桐から話が入っているかと思うが、侵入した工作員はどうやら真緑国に入ったらしい』

「狙いはオピウムですか」

『まだそうとは言い切れないが。おそらくそうだろう。君が我が国に持ち帰ったものだ』

オピウム。それはケシの花を指す。麻薬の花。結月は上司の話を待った。

『去年の調査で発見した第三国の遺伝子操作の新オピウム。これが火山の噴火の粉塵により枯渇したと報告が入っている。衛星から見た画像でも一体は溶岩流で消失しているのでね。そこで我々の手元にある原種を狙っているようだ』

「元々は向こうのものですから。そうですか」

第三国にとっては違法であるが貴重な収入源。これを欲するため真緑国に入国したとなると厄介である。あの黄色い花を思い出し考え込んでいる結月に林は続けた。

『もしかすると君に接触してくる可能性があるのでね。工作員のデータを送っておく。おい?そう怖い顔をするな。これは我々で対処するから』

「はい」

『……さて。任務の話はここまでだ。心配症な世話焼きお姉さん。弟君の世話もいいが、君の方はどうなんだい?』

薬草部では親代わりの林。結月は彼の目をじっと見た。

「はい。庭番の先輩達に習い、未熟者は日々修行です」

林は嬉しそうに歯を見せた。彼の傍には片桐が映っていた。

『おい。結月。俺の時とはずいぶん対応が違うな』

「林隊長は自分の上官でありますので」

呆れて首を傾げる片桐の肩を林は優しく叩いていた。

『そうか。無理するなよ。せっかくの学院だ。楽しんでおくれ』

「ありがとうございます」

やがて通信が切れたモニターには工作員のデータがあった。これらの顔を結月はじっと見ていたのだった。



◇◇◇

翌朝の土曜日。彼女は三人の年下男を起こす前に朝食の用意をしていた。

冷凍食品が主な昨今。自然食品にこだわる彼女は自宅の庭で取れた野菜を使いスープを作っていた。さらに。自分で焼いたパンは全粒粉のこだわり。卵は薬草学院の庭で飼われている鶏の卵を売店で買い求めた有精卵。ベーコンはジビエ食材店で求めた鹿肉である。

そもそも。山奥の祖父の植物園で育った彼女の基本は自給自足である。草刈り目的で飼育していた山羊の乳を飲み、鶏を放し飼いにした卵を得ていた。井戸水はミネラル豊富で、タンパク質は大豆が主。植物に囲まれた酸素の濃い緑の中で育った彼女は病気もせず健康に育った。夜は糸を紡ぎ、服を編んだ。物は買うのではなく作り出すと言う教えで育った彼女は、これを質素で貧しいと思わず、毎日を楽しく過ごしていた。

現在は都会の暮らしであるが自宅は庭付きの一軒家。そこでもなるべく手作りで暮らしている彼女は、卵焼きを焼いていた。

征志郎は軽く焼いた目玉焼きであるが、時長はカリカリに焼いた目玉焼きである。蓮は甘い卵焼きじゃないと食べない。こんなわがままな彼らのために彼女は鼻歌を歌いながらフライパンを握っていた。

「おはよ」

「きゃあああ?」

「うわ」

耳元の甘い声の彼。いつの間にか背後に立っていた寝癖がひどい征志郎に思わず悲鳴を上げてしまった彼女は、ムッとしている弟に詫びた。

「ごめんね。だって急に耳元で話すんだもん」

「そんなに驚かなくてもいいと思うんだけど」

膨れる弟に彼女はおはようと挨拶をした。

「顔を洗ってらっしゃい。私は二人を起こすから」

「ダメ。俺が起こす。姉さんは絶対行かないで。わかった!?」

やけに念を押す弟に首を傾げた結月はスープを温め直した。

こうして騒がしい土曜日が始まるのだった。



賑やかな食事が済んだ後、彼らは図書館に出かけて行った。結月は掃除や洗濯に勤しんでいた。

「あれ?何これ」

掃除中、整えていた征志郎の部屋。くず籠の中には紙のメモが入っていた。私物は決して読まない彼女。しかしこの紙からは不穏な感じがした。

「……カミツレの匂いがきつい。ごめんね、征志郎」

ここにいない弟に謝りを入れた姉は、そっとメモを開いた。文面は読まずに字面をそっと眺めた。差出不明の手紙。彼への好意が読み取れる内容であるがやはり問題を感じた。

「この香り。イラクサかな。それに他の薬草も混ざっているかな」

これを自室に持ってきた結月はテーブルに乗せて調べた。顕微鏡で見ると文字が特殊なインクで書かれていることが判明した。薬草を煎じた液体で書かれたであろうこの文字。これらの薬草は一体何であるのだろうか。調べるのはこれまでにした結月はひとまずこれを保管したのだった。


征志郎は夕刻帰ってきた。勉強は進んだと言う彼に結月は手紙のことを尋ねた。

「ああ。あれ?いつのまにか制服のポケットに入っていてさ。気持ち悪いから捨てたんだ」

「そう」

気にしていない弟。怪しい手紙に違和感を拭えない姉であるが彼は途端に目を輝かせた。

「もしかしてさ。姉さん、焼きもち焼いてくれたの?」

「何それ。どうして私が焼きもちを焼くのよ。ただ心配なだけよ」

考え込んでいる結月を征志郎は実に嬉しそうにはしゃぎ、背後から抱きついた。

「やったー!姉さん大好き」

「こら!私はまだ考え中なのに」

「もっと考えて?俺のこと」

もしかして。紙に何か仕掛けがあるのかな。それとも文に暗号か何かがある可能性は?

考え込む結月。征志郎は面白くなさそうに腕を解いた。

「まあいいか?心配はしてくれたようだし」

「当たり前でしょう。あの手紙は姉さんが預かっているわね」

この翌日も弟に勉強をさせた結月は、月曜日に職場に手紙を持ってきた。元薬草師の橘に事情を説明した。



「なるほど。タイムなんかのハーブの香りもしますね」

「はい。これって何かあるのでしょうか」

この場に朝の挨拶をしながら松本がやってきた。当初は弟のラブレターを心配する結月を彼は笑った。しかし、笑顔が消えた。

「……危なかったね。甘い文章だけど、これには呪詛が入っているよ」

「やっぱり」

「どこがですか。文字のインクに呪いの薬液なんかが使われているとか?」

橘の声にうんとうなづいた松本は戸棚から薬瓶を取り出した。

「これを紙にかけてみよう。ほらご覧」

色が変わった紙。紙面に薬液が含まれている証拠であった。結月と橘は黒く変色する紙をじっと見ていた。松本は話を続けた。

「分析しないとなんとも言えないがね。例えば水に反応するなどで紙とインクが混ざって化学反応を起こすとか。燃やすとガスが出る可能性があるね、これには」

「怖?これって時限爆弾みたいなもんじゃないですか」

「棟梁、それでは弟が危険ってことですよね?私、弟に」

「待ちたまえ!まだ決まったわけじゃないだろう」

風のように部屋から飛び出そうとした彼女。この後ろ手を松本はむんずと掴んだ。落ち着くように制した彼は手紙を預かると言った。

「今は弟君に知らない荷物に近づかないように注意しておくこと。この手紙の分析は私に任せて欲しい」

「でも」

「犯人は生徒の可能性が大きい。それに悪戯かもしれないし」

「結月さん。また犯人から手紙が来るかもしれないよ。そこを抑えたほうが捕まえやすいと思うよ」

「そこまで仰るなら……わかりました」

この日はテスト期間。集中していた弟にメッセージを送るを後回しにした彼女は煮え切らない思いを抱え1日を過ごしていた。



◇◇◇

こうして三日経ち。テストも無事に終了した。テスト当日の放課後に弟に忠告した結月は学院を見回っていた。

やはりあの手紙には「九つの薬草」が使用されていた。このほかに紙に薬剤が染み込まされており、燃やすと焚香が発生する仕掛けになっていた。特に有害なものではなく、生徒のたわいのない悪戯と処理されていた。


しかし可愛い弟を狙った犯行。結月としては簡単に片付けられない問題である。庭仕事の合間に彼女は生徒達の様子を監視していた。

その夕刻。オレンジ色の庭園を馬で一回りしていた彼女は人影を見たような気がした。老庭師達は帰った時刻。生徒であろうか。気になった彼女は馬を戻らせた。

「君達。そこで何をしているの」

立ち入り禁止のエリアの門の前。いばらで囲まれたこのその前にいたのは運動着姿の女子生徒二人だった。

「あ。ヤバイ」

「急げ」

慌てて門をよじ登る二人。馬上の彼女は声を張った。

「ここは許可が必要なエリアよ。やめなさい」

しかし。警告も虚しく門を上り向こう側へ消えていった二人の生徒。結月は端末を取り出した。



つづく


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