(6)
夜の自宅。柊邸。
「姉さん。俺やっぱり生徒会に入れって言われたし」
「成績順でそうなるでしょうね」
「向こうもそう言ってた。伝統だってさ」
生徒会に入る事は薬草研究部に入るための登竜門とされていた。これを面倒だと征志郎はソフアに横になった。エプロン姿の結月はできたスープを食卓に運んでいた。
「せっかくの名誉ですもの。しっかりやらないと」
「面倒だな……放課後はのんびり絵でも描きたかったのに」
「毎日ではないだろうし。一年生だもの。そこまで束縛されるような活動はないでしょう。さ、食べましょう」
仲良く食卓を囲む二人はいただきます、と言いスプーンを持った。今夜は春野菜とジャガイモたっぷりのスープであった。食べながら征志郎は姉をちらと見た。
「姉さんって、庭番の仕事、楽しそうだね」
「そうね。思ったよりもね」
望まない就職だったはずの姉の答え。征志郎はまだ彼女に食い下がった。
「あの。橘さん、だっけ?車椅子の人。姉さんと仲良さそうだね」
「普通だと思うけど。それに職場に他に話し相手いないし」
「ふーん……」
弟の妙な心配に結月は違和感を覚えたが、彼にサラダを勧めた。少し口を尖らせた彼は渋々トマトをかじった。
「ん?これ美味しい」
「でしょ?薬草学院の庭番の人に教えてもらったの。土の配合がいいのよ。それにね。肥料もやっぱり化学肥料よりも自然の物の方が吸収がいいみたいで」
「わかったって。それよりもお代わりある?」
弟の嬉しい食欲に結月は張り切ってキッチンに向かった。征志郎はその背をじっと見ていたが、彼女は気がつかなかった。
翌日の薬草の庭。今度も植物が荒らされていたが、やはり足跡だけ。現場を共に確認した松本は結月に指示を出した。
「罠を仕掛けようか」
「罠?」
「ああ。そうだ。手伝ってくれ」
土の庭、丸太で囲んだだけの柵。そばには柚の木があった。これのどこかに機械があるのかと結月は思ったが、松本は小屋から縄を持ってきた。
「それを使うんですか?」
「ははは。そうだ。原始的な罠になるぞ」
てっきり電気による仕掛けと思った結月は、松本の指示通りに縄を張り始めた。
「これはかつて北の住人が使っていた罠でね。今までやってきた経験上、これが一番うまく行くんだよ」
この仕掛け。大きめの輪を作り土の中に軽く埋めていく。結月はその手前に言われた通りに縄を張った。やがて様子を見にきた橘と松本はニヤと微笑んだ。
「では。結月君で実験だ」
「え?私ですか?」
「そ。あ?ポケットの物は僕が持っていてあげるよ」
嬉しそうな橘に結月は渋々ポケットの中の小物を預けた。そして罠に向かった。
「よし!足でその縄に触れてご覧」
「僕が映像を撮ってるから」
「……行きます」
意を決した結月は、ピンと張られた縄の前に立った。そして右足で縄を押し返した。すると土の中から輪になった縄が自分の右足を縛り上げた。
「きゃあ?」
「よし!」
「うわ?行った……」
あっという間に結月はそばにあった木に逆さ吊りになった。木の枝が高さがあり、地上から1メートルほどのところに頭がある彼女を橘は嬉しそうに撮っていた。松本は白い歯を見せて笑っていた。
「うまくいったな」
「ちょっと!棟梁。もう良いですか?降ろしてください。十分でしょう?」
「そう怒るなよ。さ、下ろそうか、あ」
木の枝がメリメリと音がした。ぶら下がっている結月は自分の危機を一番早く感じていた。松本が助けに来ようとした瞬間。枝は折れた。彼女は枝ごと地上に頭から落ちた。
「結月君!」
「結月さん!?」
衝撃による土煙の中。駆けつけた男達の前には、髪を乱した彼女が座っていた。
「大丈夫か?!体を打っただろう」
「……問題ないです」
「そんなはずないよ。頭は大丈夫かい」
青ざめた松本と橘の前。しかし彼女は平然と体の土を払い、木の下から立ち上がった。顔はどこか心あらずだった。
「ちょっと、ショックです」
「そうだろう。医務室に行こう」
「いいえ。そうじゃなくて……」
ちらと見た木。結月は手首をさすりながらため息をついた。そんな彼女に橘は慌てて車椅子を回した。
「どうしたんです?やっぱり頭を打ったのかい」
「あの枝……結構太いですよね」
「え」
驚く二人。彼女はじっと柚の木を睨んだ。
「私、そんなに重かったかな」
「そんな事ないよ!?枝が腐っていたんだよ。ね。棟梁!」
「あ?ああ。そうだとも。本当に済まなかった。橘。早く医務室へ」
背を押す橘に即されて結月は医務室へ向かった。
◇◇◇
「あらら。口は切れているわね」
「平気です」
医務室で女医に手当てを受けている結月に橘は必死に彼女の手を消毒していた。
「結月さん。本当にごめん!」
眉間にシワを寄せ自分よりも痛そうにしている橘に、結月は思わず笑みを浮かべた。
「もう良いですよ。私が重かったせいですもの」
「そ、そんな事ないって。ああ。先生もなんとか言ってくださいよ」
泣きそうな橘に女医は冷たく言い放った。
「今は怪我の手当てが先です。そして、体の方はどうですか。検査しますか?」
「いえ。手をすりむいただけで、後は足かな」
縄が食い込んでいた足首。少し赤くなっていた箇所を橘は覗き込んでいた。
「痛そうだね。先生これは?」
「薬草で湿布しましょうか。柊さんがそれで良いなら」
「はい」
医務室で手当てを受けた結月は口の周りをうっすら赤くし、橘と庭番室へと戻っていた。
「本当ごめん。悪ふざけがすぎたよ」
「もう良いですよ。それにしても罠が綺麗に決まりましたね」
歩きながら罠に感心している彼女の顔を、橘は気まずそうに見つめた。
「ところでさ。本当になんでもないの?結構高さあったけど」
「とっさに受け身を取ったので。そんなに心配しないでください」
笑みを浮かべる彼女に、橘は肩で息を吐いた。そんな彼の車椅子を結月はすっと押し出した。
「大丈夫だよ?自分で押すよ」
「そうですか?死にそうな顔ですけど」
「それはそうだよ。目の前で君が落ちたんだから」
「これが押せるくらい平気ですから。もう、気にしないで下さい」
まだ昼前の廊下の奥の庭番室に戻ってきた二人を、松本は慌ててドアを開けた。そんな彼にも彼女は笑顔を見せたのだった。
「本当に済まない。この通り!」
「頭をあげてください。それよりも罠はどうしますか」
謝るばかりの松本に結月は薬草泥棒の罠を続けるように頼んだ。二人は後ほど仕掛けると力なく答えた。
「それにしても。君は何か武道でもやっていたのかい」
「まあ。護身術程度ですけど。それよりも体重が」
枝を折ってしまった醜態。結月はそれの方がショックだった。デスクで頭を抱えた結月に二人は慌てて顔を見合わせた。
「だからそれは違うって!ねえ、棟梁」
「そうだとも。僕から見たら痩せすぎなくらいだよ」
「……気休めは良いですから」
「結月さん!あのね。君は綺麗だよ。これ本当」
落ち込む結月に橘は必死に語り出した。
「植物も詳しいし、聡明で。ベテラン庭番ともすぐに打ち解けているし。僕なんかまだ親しく話なんかできないのに。君は初日から打ち解けているし」
「そうだね。最初はこの仕事が続くか心配したけれど。こっちの方が君についていくのが必死だよ」
「私、そんなに暴走してますか」
「違うってば!あの、その、だからダイエットとかしないで良いですから」
「ああ。今回は本当に悪かった」
あまりの説得に彼女はわかったと手を挙げた。こうしてこの話は昼休みで終了した。
◇◇◇
「どうしたの。その顔」
「転んですりむいたのよ」
「痛そうだよ?どれ」
自宅の夜。風呂上りのタンクトップ姿の姉を弟は心配そうに見つめた。彼女のパジャマの足首は青くなっていた。
「なんだよそれ。あざになってるじゃん」
「薬草湿布をしないと。ええと、どれにしようかな」
「俺が貼るよ。おい?腕も青いよ」
自分でも気がつかなかった部分。征志郎は怒ったように姉をソファに座らせた。長い髪をアップにした姉の体に彼は湿布を貼り始めた。
「……ここも。赤くなってるし」
「森の中で色々ぶつけるのよ」
「マジか?!痛そうだし」
心配を通り越し、怒っている弟に彼女は理由を言わないと決めていた。こうして身体中に湿布を貼ってもらった彼女は、笑みを見せた。
「ありがとう」
「あのさ。こんなのが続くならさ。俺、庭番の人に文句言ってくる」
「やめてよ?本当に大丈夫だから」
「こんなにボロボロくせに」
「平気だって。キャ!痛い!?」
足首を強く握った弟は、真剣な目で姉を見ていた。
「……俺、本気だから」
「わかった!って。征志郎。離して、無理はしないから。ね?」
手を離した彼は黙ってキッチンに消えた。怒りを収めた様子にほっと胸を撫で下ろした彼女に、彼は特製レモネードを持ってきた。グラスには果汁が踊っていた。
「それ飲んで。そして早く寝て!」
「わかりました。いただきます」
腰に手を当てる弟に、結月は恐る恐るこれを飲み干したのだった。
そして翌日。事件が起きた。
「え?またですか」
「ああ。また盗難だよ」
そこだけが空いている庭。ミチタネツケバナというプレートだけが土に刺さっていた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます