(5)



気忙しかった初日。自宅に帰った柊姉弟はいつものように二人きりの夜の支度をした。父は研究所。母は療養でここにはいない。食事は冷凍で用意してあるのを温めるだけ。しかし、結月は庭に出て野菜を摘み今夜もスープを作った。結月の母が再婚した時、結月は祖父の家で育てられた。これは生まれた征志郎が病弱で子育ての負担を減らすものだった。

しかし。征志郎が健やかになっても結月は一緒に暮らさなかった。実母は仕事と弟の育児で精一杯であり、結月まで育てる自信がなかったからだと聞いている。たまに親子で会っても、祖父元で逞しく育っていた娘を、母は己の未熟と捉え疎ましく思うようになった。結果、結月は祖父の老化に伴い、十歳になってから親元で暮らすようになった。


征志郎は可愛い弟。自分に懐き結月には大切な弟だった。


「姉さん。ねえ」

「なあに?」

キッチンにて鍋の前にいた結月に弟は背後から肩に顎を乗せた。

「考え事してたの?顔、怖いよ」

「元々よ。それよりも明日の用意をしてね」

わかってるよ、と弟は鍋のスープを味見してダイニングに去った。両親の愛を一身に受けた弟は、途中から一緒に暮らすようになった姉にすぐ懐いた。結月には予想外のことだった。

実母とは剃りが合わず、一緒に暮らしていた時も心を打ち明けたことはない。義理の父は優しい人であるがやはり遠慮があった。結月にとって征志郎は両親が大切にしている息子である。自分を家族として迎え入れてくれた母と義理父への借りとして、結月は弟を守る気持ちであった。

やがて二人で食事となった。美味しそうに頬張る弟に結月もつい、笑みが溢れるのだった。



翌早朝。結月は家を出て走っていた。日課のトレーニング。祖父の家にいた時は、山の上であったので自然と運動になっていたが、この家に来てからは自発的にトレーニングをしていた。結月は学院に来るまでは、柊植物園の薬草を育てる仕事をしていた。これには武道は必要ないが、薬草を狙う不審者や獣がいるケースがある。そこで彼女は護身術として祖父から合気道を習い身につけていた。他には走ること。彼女は早く走るのが得意だった。

アスファルトの道に朝日が昇る。晴れの天気に結月は上がった息を整えていた。


◇◇◇

仕事二日目のこの日。結月は農園を馬で見回り、生育状況を調べていた。庭番の老人達は皆好意的であった。

「おはようございます。これは蕗の薹ですか」

「そうです。結月さん」

春の植物。緑の庭には若緑の花茎が輝いていた。泥だらけの庭師は汗を拭いた。

「早春の味ですけれどね。ピロリチジン系アルカロイドのフキノトシンがありましてね。肝毒性がありまして」

「でも、灰汁抜きすれば捨て汁の方に溶けて行きますよね」

「さすが。そうです。さすがお孫さんだ」

他にも園を見渡すと、水仙の花が咲いていた。その芳しい香りに結月は鼻を近づけていた。

「こんなに綺麗なのに。これもアルカロイドですものね」

「ええ。葉も根も危険ですよ」

一軒ユリ科の花のようだが、これはヒガンバナ科で猛毒である。ニラと間違えて食べて中毒を起こす事件はこの真緑国でもあることだった。この学院の庭は毒草と薬草。それぞれの原種や日本古来種を自然の形で育てられていた。庭師はこれらを管理し育て、種を採取する。それぞれ庭師がデータをホームに送り一括管理しているが、結付きはこれを目視で確認していく。それにしても広く、1日で全てを見るのは不可能は広さである。上司の松本は数日かけて見回るように指示していた。

馬、オリオンで駆け抜ける庭は爽快であった。さらに老庭師から生育を学ぶ日々を過ごしていた。



◇◇◇

「あの、橘さん」

「ん?なんですか」

「棟梁ってどこにいるんですか」

お昼時間の庭番室。最近見かけない上司が気になった結月はそう言ってサンドイッチをかじった。橘は大きなおにぎりに寄り目になっていた。

「実はですね。隠しても仕方ないですけど、薬草部の仕事です」

「松本さんは、元薬草師だからですか?引退しても呼ばれるんですね」

「そうでもないはずなんですけど」

不思議そうな橘はお茶をぐっと飲んだ。

「向こうで人手が足りないみたいですね。それに松本さんは薬草師でも師範でしたから」

薬草師の階級。師範は上級者、そんな松本が庭番をしていることに結月は疑問に思った。橘は車椅子生活のため、事故などで薬草師を若くして引退してと思っていた。松本とてまだ若く、怪我などもしてない様子に見えていた。結月とて裏がある身。向こうから話さない限り。自分から聞くようなことはしなかった。野菜ジュースを飲んだ彼女はご馳走様と呟いた。

立ち上がった結月を橘はじっと見ていた。

「何でしょう?」

「いや。元薬草師を招集するなんて、何があったのだろうって」

考え込む橘。彼女は黙って弁当箱を洗いに行った。



この日。帰ろうとした結月を教師である片桐が呼び止めた。

「私に何か?」

「何かあるから呼んだんだ。ちょっと来い」

片桐は、国語準備室のドアを開けた。結月も後に続いて入った。多くの古書。ここには薬草が出てくる文学作品が揃っていた。結月はその背表紙を追っていた。

「気になる本があるのか」

「全部読んだ事がありそうです。それよりも話ってなんですか」

片桐は自分だけ水を飲んだ。どうやら疲れている様子だった。

「本部から連絡があり、第三国が我が領海に侵入の事。狙いは真緑国のようだと言うので俺も呼ばれている」

「私は?」

「待機だ。今はとにかくここでじっとしていてくれ」

そう言うと肩をポンと叩いた。その手が重かった。

「連絡する。この旨は椚学院長にも伝えてあるから」

「了解です」

二人は部屋を出た。ばったり新人教師の椿原に出会った。

「あれ、ここで何を?」

「ん?説教だ。こいつの態度が悪いのでな」

「すいません。以後気をつけます」

「生意気で上から目線でな。本当に可愛毛のない、痛ぇ?」

結月の足は片桐の足を踏んでいた。


◇◇◇


薬草学院では一般教養も過程に入っているが基本は薬草学である。その薬草学は、三つの基本からなる。一つは薬草の生育についての知識。一つはそれの調合。一つはその使用法である。薬草が貴重になった昨今。野草を探すのではなく生育するのが一般的の扱いである。薬草師はこれらのいずれかを仕事にするものであるが、中にはトレジャーハンターの如く、新種を探しに行くことを夢見る薬草師も存在する。

薬草学院に入学する生徒達は、生育の知識や種類などのテストで合格した者である。薬草師を目指す彼らはディフェイザーという香りを放つ機器を用いている。腕に付けたこの機器。己のブレンドした薬草を焚く物である。オリジナルの調合は流行りもあれば家に伝わる直伝のものも多く存在しており、香りの良いものが主である。薬草師となり任務となれば、さらなる薬剤、例えば睡眠薬や催涙効果のあるものなどが使用される。場合に寄れば劇物も扱うこともあり、薬草師の武器といえる物である。


真緑国には世界でも貴重となった植物が残っている。これらを温暖化で失った第三国が植物を狙い侵入してくる事があった。薬草師はこれの守護をしていた。


◇◇◇

「ん?なんだろうここ」

西の庭。薬草が植えてある農園に足跡が残っていた。そして土が荒らされていた。結月は担当の老庭師に確認した。

「本当だ。おかしいな。ここにはカッコウソウが植えてあったはずだけど」

「少ししか残っていませんね。誰かが抜いたのでしょうか」

プレートを残しその部分だけ何もない不自然な状況。老庭師と結月は他にも調べたが、他の植物には被害はなかった。しかし。カッコウソウとは。

「カッコウソウって。まあ、今では貴重な高山植物ですけど。なぜそれをここに植えているんですか?」

「あの花を特別に思う人たちがいるんですよ」

四国が原産の花。その地元では祭りや神事行事に使うものだと庭番は話した。

春に植物。ピンクの可愛らしい花と説明を受けた結月は納得した。

そして結月は庭番室に戻ると、この日は松本がいた。

「お?結月さん、どうかな調子は」

「はい。みなさんによくしていただいております」

松本は嬉しそうに頬を染め頭をかいた。

「そ、そうか、良かった。私も留守にしてすまなかったね」

「いいえ。ところで任務だったんですか?」

「あ、ああ。そうなんだよ」

彼は溜まっていた仕事を前にため息をついた。

「私は家内の調子が悪いのでそばにいてやりたくてね。薬草研究部の仕事は辞めようと思ったんだが、まあ、そういうわけにもいかなくてね。こうして駆り出されているわけさ」

「あの。橘さんもそうなんですか?」

「彼?彼はね。任務中の事故が原因と聞いているよ」

さらりと話す松本。この話の続きは本人から聞くことにした結月は本題に入った。

「昨夜、夜七時くらいに西の庭のカッコウソウが荒らされたようです」

「カッコウソウ、か。まずは監視カメラの画像をチェックしようか。やり方を教えよう」

松本は端末を確認し、夜の画像を映し出した。闇夜と鳥の鳴き声しか入ってないようだ。

「何も映ってないようだな」

「……待ってください」

庭の照明だけが光る闇夜の画面。確かに動きはない。しかし、何かが引っかかる。結月は繰り返し画像を確認した。やはり、あった。

「棟梁。ここ見てください」

「どこだ」

「ここ!ここです!」

暗闇。風に揺れる草花達。何もいないように見えるが土に異変があった。

「人は見えませんが、ほら、ここに足跡ができてますよ」

「本当だ。これは……ステルスシールドか」

「恐らく」

被れば見えにくくなるステルスシールド。これを纏い庭にやってきた人物は足跡は隠せずにいた。計画的であるがどこか抜けている印象。結月は続けて確認した。歩幅からして小柄な人物。稚拙な印象、中途半端なやり方。

「生徒じゃないですか」

「橘さん?」

「くそ。俺が言おうと思ったのに」

いつの間にか部屋にいた橘。これに腰に手を当てた松本を橘がくすと笑った。

「まあ、ここは学校ですからね。それに無くなったのはなんの草ですか」

「カッコウソウみたいですよ」

「なんでそんな薬草を?不思議だね」

嬉しそうに車椅子のタイヤを漕ぐ彼に結月は構わず画像をチェックしていた。

確かに希少価値のある植物。この学院は薬草学の専門。犯人の意図が知れないことに庭番は思いは複雑であった。こうしてこの日は悶々と悩みながら彼女は1日を過ごした。



つづく


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