(3)


緑の中というべき世界。学院の庭には春の植物が広がっていた。太陽が南に移動しつつある午前。結月は作業着に着替えて東の庭に来ていた。白色の一般的なつなぎの作業着に見えたがこの服は実に機能的だ。空調器具が備えてあるのはもちろんのこと、防刃服並の強度が備わっている。

薬草にも刺や毒などの危険なものがある。さらに花に集まる蛇や毛虫など危険が伴うことがある。頭を覆うのは帽子であるが透明なシールドが付いていた。ここから新鮮な空気が微量に流れてきている。熱中症や体調不良の対策としては完璧であった。これに感心しつつ結月は松本がいる庭にやってきた。そこには同じ作業着の庭番達がいた。


「お。みんなに紹介する。今度仲間になった柊君だ」

「初めまして」


会釈した結月に老齢の庭番達の顔がパッと明るくなった。


「柊さんのところのお孫さんかい?」

「懐かしい。あんたのお祖父さんには世話になったんだよ」


植物に精通していた亡き祖父。彼にまだ憧れている庭師達は結月を取り囲んだ。この思わぬ歓迎に彼女は後退りした。

「あ、あの?」

「皆さん!落ち着いて。柊が困っています」


老人達は高笑いを決め松本の背後に隠れた結月を見つめていた。これに薄ら頬を染めた松本は出てこい、と彼女の腕を取った。


「いいか。とにかく。今日から一緒に仕事をします!皆さん、お手柔らかに」

まだ話をしたそうな老庭師達に背を向けた松本は、行こうと結月の背を押した。おしゃべりの部下に頭が痛い松本は悪かったと結月にこぼした。

「あれでも一応。みんな元薬草師だから。腕は信じていいから」

「もちろんです。あの、そして私は何の仕事をするんでしょうか」

「ああ。それね。こっちだ」

彼の歩んだ先には小屋があった。そこからは嗎が聞こえていた。



「君は乗馬は?」

「柊の庭でも馬でしたので」

「結構。これで移動しよう」

自然を育む薬草学院の庭。温室では一部自動栽培が行われているが、基本は自然のままの生育法が理念である。

世界が地震による地殻変動で、植物の生態が変わってしまったこの世。日本においては在来種を残すために自然のエリアを残すことにした。反して欧米諸国は科学技術を使い植物を管理していた。その後、世界を襲った渡り鳥由来の突然変異のカビの病に植物が罹患、欧米の植物は壊滅的に追いやられてしまった。同じ病は日本にも飛来した。しかし。全滅に至らなかった。自然に育った植物は強い、と世界を驚かせた。これを主導した日本の真緑国。自然製法を学ぶ薬草学院では古来の手法で植物を育てているのだった。


馬小屋には老馬係がいた。彼は結月を見て馬をどれにしようか悩み出した。

農耕馬。どれも温厚そうだ。結月は小屋内を歩いて彼を見つけた。芦毛の彼は機嫌悪そうだ。

彼に目を止めた結月に馬番は目を瞬かせた。

「その馬かい。でもね。人嫌いで気が荒くてお前さんに」

「そうですか。どれどれ」

手綱を引く。そして馬の目をじっと見た。彼は荒々しく暴れた。

『静まれ。私は敵では無い……お前と友達になりたいんだ』

彼はしばらく抵抗した。それは数分だっただろうか。松本が驚く間も無く、馬は大人しくなった。驚いたのは馬番の男もだった。

「これはすごい。乗ってみますか」

「はい。あの、彼の名前は?」

顔を撫でている結月に馬番は鞍を持ってきた。

「オリオンです。うちの馬はみんな星の名前です」

「オリオン……さあ、行こうか?」

「おいおい。俺を置いてどこに行く気だ」

慌てる松本は自分の馬を連れてきた。彼の馬は大きな黒毛。松本は結月が乗る際、手助けした。若き結月が握る手綱の芦毛のオリオンは緩やかに彼女を乗せて走った。気分が良かった。

緑の土の道。薫るはミモザの花か。彼女は長い髪を靡かせて南の庭へ松本と共に駆けて行った。


到着した南の庭。そこにも庭師は三人ほどおり、草取りや選定などの作業をしていた。松本は馬から降りて説明した。

「この庭には柊庭園の薬草が一部入っている。君にはね、この管理をして欲しいんだ」

「では私も早速行って草取りを」

「おっと。それができないんだよ」

馬を木に繋いだ松本は切り株に腰掛けた。

「君はお爺さまのそばにいて確かに薬草に詳しいかもしれないが俺たちから見れば素人だ。それにここは薬草師の資格がないと手出しできない決まりなんだ」

「でも。それでは私、仕事ができないですけど」

「まあ聞け。だから君にはそれ以外の仕事をしてもらいたい」

風が当たると彼女の汗が光った。松本はこれを見ないように話を探した。

「薬草の管理は全て人力で行っている。が、これにも限界があるからね。庭師が見落とした虫が着いたとか急に萎れたとか。毎日見回って発見して欲しいんだよ」

膨大な広さの庭。係の庭師がいるとはいえ、彼らも老齢。最初からどんな仕事でもやる気があった彼女はこれに返事をした。

「はい!やらせていただきます」

「そうか?良かった……」

若い娘の結月に松本はほっとして足を投げ出し、天を仰いだ。

「本当によかったよ。嫌だって言われたらどうしようかと思って」

「雇ってもらうのに、それはないですよ」

太陽を背にして微笑む結月。松本はふうと息を吐き立ち上がった。日は南に進んでいた。





◇◇◇

芦毛のオリオンに乗り全庭を案内してもらった結月は元の小屋に戻ってきた。

大人しく手綱に従う芦毛に水を飲ませた彼女は馬係を驚かせたが、松本と事務所に戻ってきた。


「ここには基本、俺達三人だ。さっきの庭師たちは自分の庭の近くにある小屋を使うから」

「あの。橘さんも薬草の管理なんですか」

「彼は少し違う。薬草研究部の仕事だよ」

国の期間、薬草研究部。エリート薬草師で運営されている組織だ。薬草研究部の任務の一つは真緑国にある薬草の保護。一つは他国にある薬草の採集。他には新薬品の開発などである。

これはこの国に住んでいるものなら誰でも知っていることだった。松本にお茶を淹れていた結月は彼の言葉の続きを待った。

「開発のための薬草が欲しいって、この学院にも依頼が来るんだよ。それを集めるのが彼」

「ここは宝庫ですものね」

幼い頃より祖父の庭を管理していた彼女は、密かにこの学院の植物の多さとその質に驚いていた。

「宝庫、ね。柊さんが言うんならそうなんだろうね。さてと」

この後。松本は仕事で出かけて行った。彼女は昼に部屋の戻ってきた橘と一緒に弁当を食べることにした。

事務室の部屋にはいい匂いがしてきた。

「そのお弁当。柊さんは自分で作ったの?」

「そうです。橘さんは?」

「僕もだよ。このお米はここで取れたお米だし」

いただきます!で二人は箸を取った。食べている時は静かだった。


橘は食べながら仕切りにデータを見ていた。先程の話の薬草の提出依頼だろう。車椅子の彼には薬草の調達はちょっと大変な作業ではないかと彼女は思った。そんな時。廊下にバタバタと足音が響いてきた。やがてドアが開いた。

「ここか?庭番って。すいませんー!失礼します!あ。いた」

「時長?どうしたの」

「征志郎が……」

汗だくの時長の背後の蓮は、済まなそうに結月を見ていた。



つづく

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