宵の明星、沈みゆく。
もくはずし
宵の明星、沈みゆく。
――昇れ昇れよ我らが太陽! 我ら陽の子ら光の子。昇れ昇れよ我らが太陽!
閉じた瞼に眩しいほどの光が差している。光球がいくつあればこれ程の明るさを出せるのであろうか。重い瞼を徐々に開けてゆく。真っ白に曇ったフルフェイスのヘルメットを外して眼を大気に曝せば、私は見たこともない程に大量の植物が生茂る堅い大地に横たわっているようだった。
意識ははっきりとある。死んでいるわけでもなさそうだ。つまり、人類初の宇宙飛行に成功したこととなるのだ!
喜ぶのも束の間、辺りの状況と自分の状態を確かめる。自分の背丈の五倍はあるかと思われる背の高い樹木が立ち並ぶ鬱蒼とした林。光のあまり届かない大地には、細かく葉先が分かれた植物や、赤とか黄に染まった先端部分を持つ奇妙な植物に飾られている。
周囲に仲間の姿はない。その上、持ち出す余裕が無かったせいでろくな所持品が無かった。精々五日分の食糧パックと全身を覆っている防護服、あとは背中から飛び出しているパラシュートくらいか。
無重力空間にて一年近くの長旅を経た体は、久しぶりの重力に戸惑っていてロクに動けない。体を起こそうとすると眩暈が酷く、歩くなんてもっての外だった。どうやら宇宙研究機構のお偉いさん方が考えた無重力下トレーニングや筋力補助薬の数々では到底太刀打ちできない程、重力の影響というのは大きい物らしい。気力までもが大地にべったりと張り付いているようだ。
――昇れ昇れよ我らが太陽! 我ら陽の子ら光の子。昇れ昇れよ我らが太陽!
悲鳴を上げる体の中でグルグルと歌が巡る。たったこれだけの歌にもかかわらず、荘重たる歌詞とリズムが、栄華を極めた人類の過去を取り戻せと私を奮わせる。自然と意識だけはこの新天地を自由自在に闊歩せんと疼き始める。
実際問題、見知らぬ大地でぼんやりしていては危険だ。母星がかつて育んでいた生態系と同様であれば、この地にも獰猛な生き物がいてもおかしくない。古代人類は肉食獣との闘いに打ち勝ち彼らを支配したわけだが、この星にとっては関係のない歴史だ。植物がこれだけ繁栄する環境であれば、動物がいる可能性も非常に高い。
私を包む不燃性の真っ白な防護服には、外敵から身を守る多少の仕掛けが存在する。しかし油断は禁物だ。一刻も早く体の自由を回復するに越したことはない。私はズブズブと音を立てて揺れ動いているかのよう錯覚する脳を死に物狂いで宥め賺し、どうにかこうにか這いずる。
休み休み体を労わりながら、時折動作を停止しかける足を叱りつけているうちに、どうにかこうにか体が言う事を聞いてくれるようになってきた。シミュレーション通りとは言わないが、やはり機内でのトレーニングやサプリメント類は役に立っているのだろう。
悪戦苦闘を続けて優に一日が経過しているのではないかと錯覚を覚えたある時点で、脳からぶら下がっている伝達回路と体の筋組織がかっちり繋がったかのように、次々と体の操縦法を取り戻す。
立ち上がるにはまず、足と腕で体勢を整えながらゆっくりと上体から起こしていかなければならない。それから右足裏を地につけ、バランスを気にしながら膝を伸ばしつつ、左足裏の着地を図る。今まで当然のように行ってきた動作の一つ一つに気を配ってすら、二本足で立つことも難しい。
今の私がゴンビ精錬所や地下居住都市の設備工員であったのなら、即刻蹴り上げられて職を失うだろう。そのくらい役立たずな体であった。母星であれば三百三十回余りの昼夜が繰り返されているだろうという長い間、眠っているのだか死んでいるのだかわからないような日々を過ごしてきたのだ。少しは大目に見て欲しい。
コツを掴んで歩き回れるようにはなったが、近くに転がっている重たい荷物達を担ぐ気にはならない。近所を少し散歩する程度にしておこう。
太陽あるの方へ歩いてゆく。あては無いが、とりあえず戻りたくなったら太陽と反対側に歩いていけばいいので迷うこともないだろう。辺りをキョロキョロと見渡しながら歩くと、生物の痕跡はそこかしこに存在しする。母星とはえらい違いだ。
空にはなにやら生き物らしき気配が充満し、甲高い鳴き声や羽搏き立つ音が聞こえる。一瞬だけ見えたそれは、毛皮で覆われた一対の羽を持つ生物だった。パッと見であれは食べられるものだ、と感じた。空を飛んで捕まえに行ければの話だが。
茂みに入るとガサガサと大きな音をたててしまうが、生憎未だ体は鉛で生成されているかの如く、静かに草木を掻き分けるなんて芸当はできそうにない。
その音が仇になったのか、初めて自分に興味を持っている生命の気配を感じた。視界が悪くお互いの姿が見えてはいないが、その存在に両者が気が付いている。防護服に備わっている発火装置に手をかける。指先に仕込まれた金属に炎色反応を起こすだけの簡単なものだが、野生生物を追い払うには丁度良い代物だ。一度きりしか使えない、最終手段である。
重々しく歩を進めると、やがて開けた場所に出る。その間も気配は着かず離れず、こちらの様子を探っているようだった。これで、追いすがってくるようであれば姿が拝める。もっとも、武器となるものを持っていないので狙ってきているとしたら大事だ。背後に気を向けつつ、更に開けた場所へ歩いてゆく。
もう追ってこないかと安心しきった頃、ガサガサと茂みの表面が動いた。その瞬間驚くべきことに、二足歩行をしている生命がそこにはいた。
二足歩行、それは知性を持つ兆しだ。私は思わずコミュニケーションを取ろうとした。リスクはあるが、全身茶色いけむくじゃらで棒切れを持った彼一人。万が一にもこの地の先達とコミュニケーションがとれれば、この先の生存ハードルが非常に低くなるに違いない。
手を大きく広げ、左右に振る。全世界共通の降伏の合図であり、敵ではないことのアピールだが、はてさてこちらの世界では通用するものなのだろうか。彼に向かい一歩、更に一歩と近づく。しかしこの行為は彼を刺激してしまったようだ。キーキーと喚きながら棒切れをこちらに向け、ブンブンと振ってくる。
とてもではないが協力は仰げなさそうだ。諦めて逃げる準備に入る。軽量とは言え全身を纏う防護服に重力慣れしていない体。彼から逃げ切れるとはとても思えないが、少なくともここに居座って仲間が集まってこられるよりはマシだ。
相手に正面を向けたまま後ずさり、三、二、一のタイミングで全力ダッシュを敢行する。鳴き声が全く遠ざからないところを鑑みると追いかけてきているようだった。なんとか一定の距離を保ってはいるが、どこまで持つやら。
――昇れ昇れよ我らが太陽! 我ら陽の子ら光の子。昇れ昇れよ我らが太陽!
突然の激しい全身運動に悲鳴を上げる足腰と揺れる視界。ガンガンと痛む頭を抱え、地面に沈んでいるかのように錯覚する足を振り上げ振り上げ走る。時折途切れる意識を生存本能が無理やり再起動させながら、林を抜ける。最早ざっくりとした色しか示さなくなった視界に今までなかった青の景色が広がる。
――昇れ昇れよ我らが太陽! 我ら陽の子ら光の子。昇れ昇れよ我らが太陽!
逃げ切るのは無理か、せめて最後に指先の目くらましで脅かしてやろうと振り向くが、そこには追いかけてきているはずの二足歩行の生命体はいなかった。
「なんで、逃げるのよ。折角、助けて、あげたのに。その防護服、着たまま、よく走れるわね」
私と同様、息切れを起こしている声の方向に振り向くと、これまた二足で立っている生物が目に映る。先ほどの野蛮な生き物とは異なる、見覚えのある白い肌。彼女は松明を持っていた。
「ああ、ミーシャか。お前も、無事着陸できたのか」
「あなたこそ、よ。他の6人も無事でいるから一緒に来なさい。荷物を置いてきた? そんなものは明日取りに行くわよ。じきに暗くなるわ」
太陽は左手に広がる青い水源より大分上にある。戻るくらいわけなさそうだが、林の中で何に遭遇するかわからない。従うのが賢そうだ。
それにしても、同じ宇宙船に乗っていた私以外が既に集まっているのか。まあ、合流できたなら運が良いのだろう。最終的に各個がバラバラになって着地する以上、移動手段が徒歩より他にないこの世界では、合流できるなど奇跡に近い。
「ということは、かなりの精度で計算通りの着地地点だったわけだ。科学者先生はすごいものだな」
砂浜を歩き続ける。左手に広がる水源のようなものはまさしく水で、けれども非常に塩辛い為飲み水としては使用できないそうだ。
「地上を流れる水なら飲めるのだけれど。ほら、もう陽が沈んでいくわ」
ミーシャの言った通りだった。先程までの青一色の空模様は緋色から紺色にグラデーションが広がる幻想的な模様を奏でている。厚い雲に覆われて白一色だった母星とは大違いだ。美しき青い星は、その地に立ってなお美しいのか。
「ナダルが言ってたんだけど、多分あれが私達の星」
沈みゆく太陽を包み込む緋色の空。光源が落ち、消えゆく灯のような空の中に一点、金色に輝く星が薄れゆく太陽の影響力に抗うかのように主張している。
「外から見ればあそこもまだ綺麗なものだ。だがこの星の賑やかさを見て思ったよ。あそこはもう死にゆく運命なんだなって」
「そうかもね。でも私たちはここに来れた。人類は宇宙の気まぐれで全滅、なんていう運命を乗り越えたのよ」
――昇れ昇れよ我らが太陽! 我ら陽の子ら光の子。昇れ昇れよ我らが太陽!
彼女の前向きな姿勢に賛同の意を示す。幾年、幾千年先かはわからないが、いずれは過去人類の手にした栄光ある文明を再び築く、その意志こそが重要なのだ!
やがて太陽の力は消え失せ、松明だけが道の頼りとなった。いつの間にか我々の星は水平線に落ち、感慨深く眺めていた空間は天地晦冥に飲まれていた。
宵の明星、沈みゆく。 もくはずし @mokuhazushi
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