第3話 依頼

BC20000年 パルシファル宮殿


この宮殿はいつ来ても厳かだ。

反射しそうなほどに磨き上げられたなめらかな大理石の床は踵の音を反響させ、ひんやりと張り詰めた冷たい空気が頬を撫でる。

豪奢な装飾がなされた重たい扉をあけると、いつもの場所にその人はいた。


たおやかに波打つ髪に金の装飾が施された白い装身具を身につけている。まさに本棚から分厚い皮張りの本を取り出そうとしている宮殿魔術師の壮年の女性。


「やあ、ラチェット。ちょっと頼みがあるんだけど……」

「あらアルド、改まってどうしたの。私でよかったら聞くわよ」

取り出した本を木製の机に置き、落ち着いた碧色の瞳が穏やかな笑みを浮かべた。


「実は……猫に姿を変える魔法ってないかな?!」

「え……?猫?」

想像していなかった依頼にラチェットは思わず聞き返す。


「そう、猫。一時的に猫になりたいんだ。」

「ええと、変化の魔法ってこと?」

「そう…なるな。」


ちょっと待っていて。そう言い残してラチェットは扉の奥に消えていった。

このような突飛なお願いにもすぐさま順応してくれるラチェットには感謝の念に堪えない。

しばらくのち戻ってきたラチェットは手にした一つの小瓶をアルドに渡した。

そこには透き通った金色に輝く液体が入っていた。


「これを飲めば今日一日、あなたの思う通りの姿になれるわ。」

「よし、早速やってみよう」


金色のとろりとした液体を一気にぐいっと喉へ流し込む。

ねっとりと喉の奥に絡みつき咽そうになるが、ぐっとこらえる。

あらゆる薬草を煎じて作ったであろう筆舌につくしがたい苦い味がする。


まもなくしてアルドの身体に無数の細かな光の粒がまとわりついた。

「わあ、なんだこれは」

「アルドのなりたい姿を強く想像して」

「わかった!」


頷き、かつての黒猫の姿を頭に思い描く。

そして、ひと際まばゆい光を放ったのち

そこにはしなやかに延びるしっぽ、額の白い十字模様を持った黒猫がちょこんと佇んでいた。


幼いころの自分の姿は思い出せずうまく形を作ることができなかったため、どちらかというとキロス時代の姿ではあるが。


「にゃー!!」

(すごいぞラチェット!)

「大成功ね!」


ラチェットが声をあげて喜ぶ。

低くなった視点からラチェットを見上げてお礼を伝える。

「にゃー!」

(ありがとうラチェット!)


「……かわいい……ちょっと一回抱っこさせてくれないかしら……」

ラチェットが黒猫ににじり寄る。


「にゃー!」

(ありがとうラチェット!)

脱兎のごとく黒猫は、勢いよく扉の向こうへと飛び出していった。


「行っちゃった……」



AD300年 バルオキー


「あれ?ベルは?」


アルドは一度変身を解き、ベルに会いに家の前まで来たはいいが、肝心のベルの姿はどこにもなかった。

ベルをユニガンから家まで送り届けてからそう時間は経っていないはずなのだが。


家の前でキョロキョロと見まわしていると、洗濯物を干していた女性がアルドに気付き、エプロンで手を拭きながら近づいてきた。

ベルと同じ栗色の髪と琥珀色の瞳を持ったベルの母親がアルドに朗らかに声をかけた。


「あらアルドじゃない。何か探し物かい?」

「おばさん。なあベルを知らないか」

「ああ、ベルならさっきソリクを保護してるって人から連絡があって、ついさっきその人とカレク湿地の方へ行ったわよ。」

「えええ!何だって!」


そんなはずはない。俺がソリクなんだから。


「大人と一緒だから大丈夫だと思ったんだけど……何かあったのかい?」


バルオキーは治安がいいだけに、住民も少々平和ボケをしているのは少し問題かもしれない。

「俺が行ってくるよ!おばさんはそこにいてくれ!」


その人がただ猫の見間違いをしたのならいいけれど、なんだか胸騒ぎがする。


急いでベルを追いかけよう!


アルドは全速力で、カレク湿原へと走り出していった。

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