第2話 記憶
バルオキーからユニガンを繋ぐカレク湿原では、はやる気持ちを抑えらないベルを落ち着かせ、木の陰からこっちを遠巻きに見つめる魔物に警戒しつつ進んだ。
なるべく魔物を刺激したくはなかった。
時折、群生している青々とした苔を踏むと、じっとりと水が染み出した。
湿原は大気も水分をたっぷりと含んでいるが、風があるおかげで不快感はない。
美しいところだと思う。
海へとつながるこの豊かな湿地には、数えきれない生き物が生息しており、
色とりどり大小の草花が至るところからひょっこりと顔を覗かせていた。
水は澄み、注意して見れば水底にも花が咲いている。
ここには無数の生態系が形成されており、最低限の整備しかされていない。
この自由さがアルドは好きだった。
魔物が出なければ、きっとピクニックに生体観察に人気のスポットになっただろう。
しかしアルドが、魔物がいなければいいのにと思うことはない。
彼らはただ虫や動物といった野生動物と同じく生態系を構築しているだけだ。
人と同じように彼ら魔物にも生活があり領域がある。
実際、彼らの領域を侵さず刺激しなければ、こちらを物影から伺いじっと目を光らせるだけで何もしてこない魔物も多い。
時折、視界に入るだけで襲ってくる血の気の多い魔物に遭遇し否応なく戦闘せざるを得ないこともあるが、魔物がうっかり領域を越えてしまっただけの場合や、相手がこちらに殺意がない場合は、アルドはできるだけ追い払うだけに努めている。
狩ってしまう方が楽だがアルドはそれを良しとしなかった。
魔物は魔物の住む領域を侵さずに棲んでさえいれば、命も生活も脅かすつもりはない。
戦わずに済むなら何よりだ。
それがアルドの考え方だった。
道中、焦りすぎたベルが湿地に足首を沈ませたものの、それ以外は特に特筆することもなく進み、三分の二を越えたぐらいだろうか。湿原を真っ直ぐ見据えた遠くに、要塞のような城壁と大きく無骨な鉄の門が見えた。
ユニガンが目前の証拠だ。
「ベルは、ユニガンは来たことあるのか?」
「うん、ついこの間もお母さんと来たよ」
ユニガンといえば、ミグレイナ大陸が誇る大都市だ。
バルオキーには並ばない品や店が所狭しと立ち並び、その活気のある様は子供達の憧れの街でもあるはずなのだが、ベルは浮かない顔でそう答えた。
「そうなのか。ずいぶんと浮かない顔だけど……」
かつてはベルも、ユニガンできれいなドレスを着て素敵な貴族様と出会ってリンデの船でクルーズしてみたいだのと豪語しており、数年前までは例外ではなかったはずなのだが。
そうこうしているうちに、アルド達はミグランスの門へとたどり着いていた。
大人の一抱え以上もある太さの鉄の杭で穿たれた柵が眼前に無条件で立ちふさがる。
温度を感じさせない鈍い光を放つ無数の杭が招かれざる者の侵入を拒絶する。
ここからは人の領域というわけだ。
「やあアルドさん、こんにちは。いい天気だね」
顔なじみの門番は帽をちょっとあげて気のいい笑顔を向けて挨拶をした。
「やあ、お疲れさま。元気そうだな」
ミグランスに攻め入った魔獣王を退けた英雄とされるアルドはユニガンの兵にも知り合いが多い。挨拶を返すと門番はベルに顔を向けた。
「あれ、君はこの前の……」
「こんにちは。この前はありがとうございました」
「あれぐらい構わないよ。あれからどう?なにか連絡あったかい」
「いえ……」
「ん?ベル知り合いか?」
「この門番さんに、前にソリクのことで手伝ってもらったの」
「……そうだったのか」
幸運を祈るよ。門番はベルにそう優しく微笑んで、巨大な鉄の杭をガラガラと重々しい音と共に上げていく。
規則正しく敷き詰められた煉瓦道に足を一歩踏み出すと、湿地ともバルオキーとも違う空気が広がった。
一目見渡せば、壁面にはユニガンの王家を讃えるタペストリーや旗で彩られ、パトロール中の兵や、豪奢な服を身につけた貴族が闊歩する。
ザワザワとどこからともなく聞こえる喧噪と香しい料理の芳香が漂って混ざり合い、広げられる無数の露店には、何に使うかもわからない品が並ぶ。
街の北側には、視界に収まらないほど大きく壮観な、煌びやかなミグランス王宮が鎮座する。
ここがミグレイナ大陸最大の都市、王都ユニガンだ。
「お嬢ちゃん、珍しい東方のアクセサリーだよ。見てかないかい」
「今焼きたてだよ!食べてってちょーだい!」
バルオキーじゃ決して見ることがないような色とりどりの商品には見向きもせず、
ベルは暗い路地や物陰の隙間ばかりを覗いてはソリクの名を呼んでいる。
対してアルドはというと、ソリクのことを隠すと決めたはいいが、自分自身を探すという白々しい真似ができるほど器用な性格もしておらず、ただただベルの後ろをついてまわるしかなかった。
ミグランスの劇場の大舞台に上がったこともあり、決して演技が下手という訳ではないのだが、紛れもないベルへの罪悪感が彼をそうさせていた。
「誰かソリクのこと見かけた人がいないか聞いてみよう!」
「ああ、わかったよ」
ベルはまずは数を打とうと言って、住宅地へと向かった。
まずは、ここの住人であろう主婦といった風貌の女性に尋ねた。
「額に白い模様のある黒猫をしりませんか?」
ベルに話しかけられた女性は買い物袋を提げた手を顎にあてて、考え込む。
「うーん、ここらじゃ見たことないねぇ」
他にも住宅地に住む人にソリクのことを尋ねるが有力な情報はなく、
ベルは次は情報が集まるところへ行こうと、バーへと向かった。
「額に白い十字模様のある変わった黒猫なんですけど、何か知りませんか?」
ベルに尋ねられたマスターはグラスを拭きながら、答えた
「さあなあ。そんな特徴的な猫の話は見たことも聞いたこともないなぁ」
その後も、道すがら行きかう人へ訪ねたが、当然ながら情報は一つも出なかった。
「ソリクのこと誰も知らないね……」
ベルは、目に見えて肩を落としていた。
「……ベル……、元気出してくれよ」
「うん……。一緒に探してくれてありがとうね、アルドお兄ちゃん」
(俺はいったい何をやっているんだろう)
元気を出してほしいという言葉に嘘は一つもないが、ベルにお礼を言われるとただでさえ押しつぶされそうな罪悪感がさらにずっしりと確かな質量をもってアルドの心へ重くのしかかった。
「ソリクの事、ずいぶん可愛がってたんだな……」
「うん、ソリクはね、私の一番の友達なんだ」
遠くを見るベルの琥珀色の瞳には懐かしさが浮かぶ。
「私がつらい時いっつも必ずそばにいてくれた。」
「私がお母さんに怒られて泣いてたら、ずっと隣で寄り添っててくれた。」
「私がゴブリンに追いかけられた時、守ってくれたこともあったのよ」
——お母さんに内緒でヌアル平原に行った時のこと。私は好奇心から道を外れ、木が生い茂る獣道に踏み入ってしまった。
行きついた先はゴブリンの住処だった。
住処を荒らされると思ったゴブリンは怒り狂い、私を追い出そうと棍棒を振り上げて追いかけてきた。
怖かった。走って走って、息が切れるまで逃げても。整備された道へ戻っても。
一度領域を侵した私をゴブリンは許さなかった。
もう駄目だと思ったとき、私とゴブリンの間に黒猫が踊りでてきた。
ソリクだった。首の鈴をチリンとならして颯爽と現れた私の猫。
ソリクは、ゴブリンに向かって一鳴きするとゴブリンの注意を引き付けるように走っていった。ゴブリンは突如現れたソリクにあっけにとられていたけど、ソリクを追いかけて行った。
私は必死で大人を呼びに行った。
私じゃソリクを助けられない。
しかしその心配は徒労に終わった。
大人を連れて急いで戻った時、ソリクは元いた場所で、何事もなかったかのように毛づくろいをしていた。きっとゴブリンをもとの住処に返してくれたんだと思う。
「宿題しないと、ニャーニャー鳴いて怒られたこともあったっけ」
宿題をせずに外へ遊びに行こうとした時のこと。
ソリクは絶対にドアの前から動かなかった。よけようとしても。ソリクを抱っこして動かそうとしても、大好きなごはんで釣っても。
絶対に、てこでも動かず私を外に出してはくれなかった。
だけど宿題をしてる間ずっと横にいてくれて、終わった後は一緒に遊んでくれた。
「ソリクってまだ子猫なのに、私のお兄ちゃんみたいだった。」
「私、ソリクが大好き」
「私の一番の親友で、大切な家族」
「だから、どうしてももう一度会いたいの。ユニガンで新しい友達や飼い主と元気に暮らしてるならそれでいい。本当は寂しいけど、それでもいいの」
「でも、そうじゃないなら。どこかでつらい思いをしてるなら、
次は私が助けてあげたいのソリクを……」
「ベル……」
ベルが昨日のことのように鮮明に思い出を語る。アルドは、自分がベルにこんなにも大切に想われているにもかかわらず、思い出せずにいることにただただ胸が痛んだ。
しんみりとした空気が二人の間に流れる。
「にゃーん」
「え?」
「ん?」
そんな空気を割って入るような仔猫の声に辺りを見渡すが姿は見えない。
細く小さな声だったが確かに聞こえた。
どうやら後ろの空き家からだろう。
「ソリク?!」
ベルは慌てて空き家へ駆け寄った。姿は見えないが間違いなくここから聞こえる。
空き家の外壁には小さな隙間がある。声の主はどうやらここにいるらしい。
「出られなくなっちゃったのかな。今助けてあげるからね!」
「にゃーん……」
「ベル、俺がやるよ」
アルドが壁の隙間に向けて右手を伸ばす。思ったより空間は広い。
目いっぱい伸ばすと柔らかなものに触れた。
どうやら挟まったのではなくワイヤーのようなものに足が絡まっているようだった。
右手を器用に動かして慎重に外してやる。
暗く狭い隙間から泥や煤やら埃やらをつけた痩せた白い仔猫がでてきた。毛はすこし汚れていたが外傷はなく、くりっとした大きな目に吸い込まれそうな青い目をした仔猫だった。
「ソリクじゃなかった……」
ベルは小さく呟いたあと、汚れた仔猫を自分の服が汚れることもいとわずに抱き上げた。
「そんなに痩せて……誰にも気づかれないで…」
「あなたいつからいたの……?」
「こんな、暗いところでひとりぼっちで……」
「怖かったね、心細かったね」
「見つけられてよかった。もう大丈夫だよ」
聖母のように仔猫を腕に抱きかかえるベルを見たとき、アルドはなぜか懐かしい気持ちに満たされていた。動いてもいないのにアルドの胸元の鈴が、チリンと揺れた。
その瞬間、ふっとアルドの視界が移り変わる。
――青々と茂る木々に黄色や赤茶色の屋根が見える。
よく見知った光景、ここはバルオキーだ。しかし随分と視点が高いような。
すぐそこにベルの家の屋根が見える。南を向けばアルドの家がそこにあった。
ぐるりと見渡せばアルドがダルニスと笑いながら歩いているのが見えた。
眼下にはふわふわとした黒い毛の生えた小さな足が、細い木の枝の先にちょこんと揃えられていた。
(ああ、俺いま猫なのか。そしてここは木の上なのか)
その黒い足は俺の記憶よりかなり小さい。
俺が覚えていない、ほんの仔猫だった頃だ。フィーネが魔獣に攫われる前のこと。
アルドとしてはほんの数ヶ月前のことだが、猫としてはもう何年も前のことだ。
どうやら庭で一番高い木に勇ましく挑んだはいいが降りられなくなったようだ。
(昔のおれ……カッコ悪いな……)
思わぬ形で知る事になった幼い自分の過去に恥ずかしがっていると
不意に少女の高い声が聞こえた。
「ソリク!」
「どうやって登ったの!?そんな高い木!」
(ベル……)
今と変わらない風貌のベルが、琥珀色の目を丸くして木の下からこちらを見上げていた。相変わらず藍色のリボンで髪を結わえている。
「もう、また無茶なことして!」
「にゃーん」
(ごめん……)
12歳の少女に呆れられる状況にアルドは恥ずかしくなっていると、ベルは木に手をかけた。
「いま助けてあげるからね!」
木登りは苦手ではないようで、よいしょよいしょと息を漏らすものの、止まることなく登ってくる。
そして俺のいる枝の近くの太い幹に腰掛けると、手を伸ばした。
「もう、いつからいたの?」
「怖かったね、心細かったね」
「もう大丈夫だよ」
俺は持ち上げられ、ベルはその腕に俺を抱える。温かく優しい温度が伝わってくる。
「にゃん……」
(ベル……)
「あ……。ソリクを抱えて、どうやって降りよう……」
(え……!?)
飛び降りるには高すぎる。下は芝生だから大怪我をすることはないだろうが躊躇するには十分な高さだった。
最初は途方にくれていたものの、普段見ることのできない木の上からの眺めをソリクと楽しみ出したころ、買い物から帰ったベルの母親が通りかかった。
高い木の上ではしゃぐベルとソリクを見つけると、ぎゃっと悲鳴を漏らし買い物袋がドサリと腕から落ちた。
「あんた達、なにやってるの!!」
「おかあさんーー!」
急いではしごを持ってきた母親のおかげで、事なきを得た。
「――はっ」
視界が戻る。目の前には白い仔猫を抱いたベルがいる。白昼夢だろうか。
(何だったんだ……?)
アルドがあっけに取られている横でなおベルは仔猫を温めている。
「あなた、家族は?」
腕の中の猫にそう問いかける。
周りを見渡しても、それらしき親猫の姿は見あたらない。
「んにゃあ……」
抱きかかえた細い猫がか細く鳴いた。
「こんなに痩せて、お腹すいてるよね」
「ソリクに会えた時用に持ってきた猫用ミルク、分けてあげるね」
ベルは仔猫を腕から降ろすと、背中にしょっていた小さなリュックから小さなお皿と猫用のミルクを取り出すと白い仔猫の前にコトンとおいてやった。
すんすん、と何度か匂いを確かめた後、仔猫はお皿に顔を埋めるような勢いでミルクにむしゃぶりついた。
「ふふっ、おいしい?」
「にゃむにゃむにゃむにゃむ」
「ゆっくり飲まないと詰まっちゃうわよ」
背中をぽんぽんと優しくたたいてやると、
仔猫は小さく けぷっと、息を吐き出した。
「ベル、手慣れてるな」
「うん、ソリクも元は迷子の子猫だったからね」
仔猫を愛おしそうに撫でてやりながら微笑む。
「ソリクも最初はこんなに細くて小さくてね」
「よくこうしてあげたなー」
「……」
再びアルドの鈴が、チリン、と揺れた。
アルドの視界がふっと飛ぶ。
(また……!)
――景色はまたバルオキーだ。
今度の視点はバルオキーに敷き詰められた石畳すれすれにある。
黒い毛の生えた足が、よたよたとおぼつかない足取りで交互に視界に映る。
その足はさっきよりも更に細い。まるで小枝のようなか細い足だった。
視界が霞んでよく見えない。まっすぐ歩きたいのに左右に揺れているのがわかる。
(……俺、弱ってるのか?)
「お父さん!お母さん!大変、この子弱ってるみたい」
もうお馴染みとなった声が上から聞こえ、そっと抱き上げられる。
視界が霞んでいてもわかる。……ベルだ。
この腕に包まれるだけで、なんだか体が楽になり、ほっとする。
「うちで保護してあげよう?」
「保護は構わないけど……飼えないわよ?」
「ええーー!どうして!」
「だって、あなた海が見たいって毎年リンデの船旅行を楽しみにしてるじゃない。
猫がいたら、そんな何泊もする旅行は頻繁には行けないわよ」
「飼うからには命に責任をもたないとな。」
毎年、海好きのベルの希望でリンデで船に乗って出かけるのが恒例だった。
昔ベルと遊んだ時に、リンデの船の上から撮った家族写真が家の中にたくさん飾られていたことをアルドは思い出す。
「……この仔、きっと大変な目にあって、やっとここまで辿り着いたんだよね」
「また、お別れしないといけないの?」
つい最近引っ越してしまった隣家に住んでいた親友を思い浮かべた。
「お父さんお母さん、ちゃんとこの仔のお世話するから。
……リンデも行けなくていいから。だから一緒にいてもいい?」
「どうします?あなた。」
「ベルがそんなにわがまま言うのは珍しいな。」
「お隣のコゼットちゃんが引っ越しちゃってからずっとふさぎ込んでたものね」
「いいんじゃないか?ちゃんと責任もってお世話するんだぞ」
「うん!ありがとうお父さん!」
ベルは腕の中のまだ名前のない黒猫に問いかける。
「……君はどう?うちでいい?」
「にゃーん」
今まで一言も発しなかった黒い痩せた仔猫が小さく一鳴きして、ベルのあたたかな腕にすり寄った。
ふっと、視界が戻る。
ベルは相変わらずミルクを舐める猫の背中を撫でている。
……あれは、ソリクとベルの出会いの記憶だ。
(俺はベルに拾ってもらったのか……)
(俺は、ずっとこんな大切なことを忘れて……)
「おかわりは?」
「にゃーん」
空っぽの皿の前で白い仔猫は満足そうに鳴いた。
「ごちそうさまね。ふふふ、声も元気になってきたわね!」
満足そうにベルの足元で転がる仔猫をベルは撫でまわす。
「なぁ、この子どうするんだ?
随分ベルに懐いてるみたいだけど……飼ってあげるのか?」
「うーん……。本当はそれがいいのかもしれない。……でも、私は……」
足元でコロコロと転がる白い仔猫の青い瞳が不思議そうにベルを見つめる。
ベルの答えが聞けないまま、その後ろを買い物帰りの家族連れが通りかかる。
「あ!猫だ!」
「あらまあ、かわいい仔猫ね~!」
「にゃーん」
ベルと同じ年くらいの男の子とお母さんが、白猫にゆっくり近づく。
「この子、お母さんがいないみたいなの」
「お嬢ちゃんは飼わないのかい」
父親が尋ねる。
「うん。うちにはもう猫がいるから」
そう、きっぱりと答えた。
「そうかい。うちは昔猫を飼っていてね。慣れてるし、うちの家族でひきとろうかね。うちなら誰かしら家にいるから」
おばあさんは、しゃがみこんで、子猫と視線を合わせた。
「どうだい?うちはいやかな?」
「にゃーん」
白猫はすりすりとおばあさんの足に頭をこすりつけた。
「ふふふ。それはよかった。じゃあおいで」
青い瞳の仔猫はベルにむかって元気よく一声鳴くと、おばあさんに抱きかかえられて行った。
ベルはその家族の背中が消えるまで見守っていた。
「あの人たちならきっと幸せにしてくれるね。……よかった」
「よかったのか?ベル」
その目が少し名残惜しそうに見えて、アルドはベルに尋ねた。
「うん。うちにはソリクがいるもの。ソリクの代わりはいないの」
「……ベル……」
「……きっとアルドお兄ちゃんが見かけてから、ソリクはまたどこかに移動しちゃったんだね……ソリクは探検好きだったから。」
「私ソリクがいなくなってすぐにお母さんと近くの街にいっぱい張り紙貼ったの。
あの門番さんにも手伝ってもらって。私じゃ貼れないようなお城の中の掲示板にも貼ってもらったんだ。」
「……こんなに聞いても、誰も知らないなんて……」
ベルの声が小さくなる。
「ベル……おれ」
自分に何かを言う資格なんてないことはわかっているが、悲し気に瞳を伏せるベルを見ていられず、その肩に手を伸ばそうとした時
「諦めない!諦めない!諦めたくない!!」
ベルは突然大きな声を出し、アルドは飛び跳ねた。
「ベ、ベル」
「弱気になっちゃダメ!私がしっかりしないと。絶対に見つけるんだ」
「ソリクは今も一人で暗くて寂しいところにいるもしれないんだから」
ベルの堅く握りしめられた小さな拳はふるえていた。
暗く
寂しい
ところに
あなたは
いまも
ひとりで。
その時、アルドの脳裏には、一人の少年がよぎっていた。
自分とよく似た風貌の3歳ほどの少年が、黒猫の頭を撫でている。
不意にそれはドロリと溶け、暗闇の最奥で虚ろに口を開け、すべての狂気と絶望を背負い、苦しげに爪を立てる暗闇の捕囚クロノス・メナスへと変化する。
それは、いつだって忘れたことはない 俺の大切な……。
(……そうだよな。代わりなんていないんだよな。)
(……このまま終わりになんてできないよな)
(彼女にとってソリクは、俺にとってのエデンと同じなんだ。)
せめて、彼女にソリクの元気な姿を一目見せてあげられたら、
安心させることができるのだろうか。
「なぁベル、今日のところはバルオキーに戻らないか?」
「でも……」
不服げに声を上げる。しかしその目の下には隈があり、少女の体には深い疲れが刻まれていることが見てとれた。
「今日はもう朝からずっと動きっぱなしじゃないか。俺ならまたいつでも付き合うからさ。それにベルになにかあったらソリクだって悲しむんだぞ」
その言葉は決して嘘ではなかった。
「……うん、わかった。」
ベルはその言葉にあっさりと折れ、ふふっと笑う。
「アルドお兄ちゃんって、なんだかソリクみたい」
そう言って、バルオキー方向への門へと歩き出した。
おさげ髪をゆらして歩くベルの背中見ながら、腕を組んでその場でひとりごちる。
「さて……どうしようか」
「ソリクの元気な姿を見せる方法か……」
しばし逡巡したのち
「ラチェットが、なにか知らないかな」
なんども知恵を貸してくれた腕利きの宮殿魔術師のことを思い浮かべた。
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