6.先生と大和撫子③
寶井さんから「電話で話したい」連絡が入ったのは、夏休みが明けた月曜日の夜だった。
「ちょっと考えたことがあります。まだ仮説なのですが」
と切り出した寶井さんを失礼を承知で遮り、思い切って尋ねてみた。
「寶井さん、この間は聞けませんでしたが、そして出発点に戻って申し訳ないのですが、先生は桃太郎の呪いの話を信じます? 信じられます? 俺は信じられないし、それが普通だと思っています。だってそうでしょう?」
「そうですねえ」
少し間があく。
「僕には呪いを見ることはできません。僕がしていることは、水木さんが呪いにかかっているという前提に立った時の原因の解明と解決策の探究です」
「だからその前提がそもそもえりえない!」
つい声を荒げてしまった。
「もし、桃太郎くん以外の人から言われたら、僕も疑ったはずです。しかし桃太郎くんは何者であるにせよ、普通の人間ではない。だから耳を傾けようと思ったんです。本当は水木さんもそうなんじゃないですか?」
確かにその通りだった。電話越しの寶井さんの声は穏やかだ。
「それにこんな嘘をついても桃太郎くんには何の得にもならないでしょう。まあ全ての行動が損得で説明できるものでもないですが。いずれにしろ今の段階では信じても困ることはありません。それなら僕は信じてみようと思います。これはあくまで水木さんの問題なので、水木さんがどうしても乗れない、というのなら僕にはどうすることもできませんが、でも彼を信じてみませんか?」
心がじんわり温かくなってくる。
「少し話が逸れてしまったかな」
「いえ、こちらが話の腰を折ってしまったんです。すみませんでした。でもおっしゃる通りだと思います。俺も信じてみます」
「良かった。それで考えたのですが、もう一度現場に度行ってみるべきなんじゃないかと思うのです。つまり出雲と伊勢にということですが」
「え?」
「もしかしたら何も発見はないかも知れません。しかし、何も行動しないよりかはましだと思いました」
確かにそうかも知れないけれど……遠い。
「僕はフィールドワークが習慣になっているというのもありますが、経験上、手がかりは現場に落ちていることが多いのです。机の上で考えて先に進まないなら、現場に行くに限る。一般企業で働いていた頃からそう思っていました」
この人が一般企業で働いていたのは意外だった。企業勤めの頃は、やはりガツガツとしていたのだろうか。それはさておき、正直言うと俺は、どこかに出かけて調査とか面倒くさいのは苦手である。仕事でもレポートでも、できればネットを駆使して、リサーチを済ませてしまいたいタイプである。苦労して行ってみて何もなければお金も時間ももったいないではないか。電話越しの反応の悪さから、そんな俺の気持ちが伝わってしまったようだった。
「でも、会社員だと土日しか休みがないから、しんどいでしょう。特に新入社員の時は」
図星を指され、俺は話題を変えてごまかす。
「寶井さん、一般企業にお勤めになったことあったのですか?」
「ええ、四、五年でやめてしまいましたけど。根性のない若者でした」
電話越しに苦笑が伝わる。
「このフィールドワーク、少し考える時間もらって良いですか?」
「もちろんです。もしかしたら去年と同じ条件にして、神無月に行く方が良いかも知れない」
科学的な発想だ。俺も一つ思ったことがある。
「もし行くとしたら、桃を連れて行くことってきると思います?」
スマホの向こうで「ほう」という声が聞こえた。
「僕もそう考えていました。行くなら彼を連れて行くべきです。呪いは彼にしか見えない、ということは、もしかしたら他にも彼にしか見えない呪いに関係するものがあるかも知れない。現場に行くことを考えた時、彼が来ることは前提になっていました」
そこで寶井さんは一息ついた。
「そこで二点目のお話です。桃太郎くんについてです」
「桃太郎について、ですか。寶井さん、彼についてどんなこと知っています?」
本当は、どこで知り合ったのか、どういう関係なのか、桃が言う「師匠」とは寶井さんではないのか。色々聞きたいことがあったが、あまり質問攻めにしてもいけない。
「先日弓道場で九鬼さんという女子大生と会ったでしょう?」
「はい」
唐突にその名前が出て、九鬼さんの透明感のある顔を思い浮かべる。
「桃太郎くんは、おそらく九鬼さんの飼い犬です」
「えっ?」
「厳密に言うと、彼女と同じく都内に住んでいた一人暮らしのおじい様の飼い犬だったようです。そのおじい様が今年の春お亡くなりになり、それからしばらく行方不明だったそうです」
「それが彼女の家に来たと?」
「ええ、二ヶ月くらい前らしいのですが、家の前に見覚えのなる犬がいたと。どう見ても、祖父の犬に間違いないと言っていました。さらに決定的なことに名前を呼んだら反応したらしいのです、それで、その名前が……」
「桃太郎、ですか?」
「その通りです」
「それからその犬は?」
「ずっと九鬼さんの家にいるようです」
二ヶ月くらい前か。もしかして六月に入ってからしばらく姿を現さなかったのは、彼女に飼われるようになり、自由に行動できなくなったからだろうか。
「寶井さんは、桃が普通の犬じゃないってどうして分かりました? 本人から聞いたのですか?」
「初めて彼をみた時は明治神宮の中で、犬の姿でした。もちろん、人間の姿になれるなんて思いもしません。ただ、気にはなっていました。そもそも神社に犬はいません。連れ込み禁止ですし、野良犬が迷いこんだら、すぐに追い出されるでしょうから」
なるほど、確かに神社で犬は見ない。
「珍しいこともあるものだと、その犬を観察していました。首輪がついていないので、野良犬かと思いましたが、全然汚れていない」
俺も最初に数回見かけた時、野良犬にしては小ぎれいだと思ったことを思い出した。
「うまく言えないのですが、その犬はまるで人間みたいに考えごとをしている風に見えたので、好奇心から後をつけました。そのうち犬が私の方を向いて口を動かすと、その動きに合わせて『後をつけるのをやめろ』とうるさそうに言う声が聞こえました。いやあ、あの時は心底驚きましたよ」
それは驚くだろう。でもそれで合点がいった。桃太郎は最初、犬の姿のままでも俺と話せると思って語りかけたのだ。寶井さんには声が聞こえたのだから。しかし、じゃあなぜ寶井さんには犬の時の桃の声が聞こえたのだろう。
「実は彼も驚いていたようで、まさか自分の発した言葉が伝わるとは思っていなかったようです。自分の言葉を理解できた人間は初めてだったらしいです。まあ僕は普通の人よりカンが鋭いので」
「カンっていうのは、霊感的なものですか? それとも動物の言葉を解する野生の勘的な?」
「どっちもです」
どうやらこの人もなかなか不思議な人のようだ。
「とにかく、僕は彼が何か目的をもって境内にいるように見えたので、協力を申し出ました。何か困っていることがあるなら、僕で力になれることがあれば言って欲しいと。僕は君と意思疎通ができるし、職業柄、常識の範疇の外にあることも多少は分かる。その時は、特にないと言われたのですが、その後もう一度会った時に、水木さんのことを相談されました。あとは水木さんがご存知の通りです。彼が人間の姿になることができると知ったのも、二回目に会った時でした。水木さんとの関係を話す上で、隠せないと思ったのでしょう」
「なぜ俺を助けようとしてくれるのか、聞いています?」
「いえ、一回聞いたのですが、教えてくれませんでした」
もしかしたら答えが分かるのではないか、と期待していたので、ちょっとがっかりした。
「さて話を戻しますと、出雲か伊勢に行く時には、ぜひとも桃太郎くんに来てもらいたい。しかし、飼い犬に戻ってしまった以上、黙って家を何日も空けることはできないでしょう」
確かに。
「一応、考えがあります。上手くいくかは分かりませんが」
寶井さんの考えというのは、出雲か伊勢に行くときに、九鬼光さんも一緒に連れていく、というものである。桃太郎の世話をしているのは九鬼家の中でほぼ光さん一人で、実質的に光さんの飼い犬状態である。だから彼女がしばらく家を空けるならば、犬の世話が面倒な家族は、犬を預けたいと思うだろう。その時、俺が預かり先になれは、桃太郎は人間の姿で自由に動ける。一見突飛に聞こえるが、彼女は出雲へ行ってみたいと言っていた。
「九鬼さんは、僕の日本神話の講義を聴講に来たことがありまして。熱心に聞いてくれていたので、もともと日本的なものへの興味が強いのだと思います」
なるほど。考えてみれば、そういうことに興味があったので、巫女さんのバイトをやっているのかも知れない。あと、この間の様子から寶井さんのことを随分信頼しているように見えた。可能性としてなくはないかも知れない。光さんと一緒に旅行をする。甘美な響きである。一瞬舞い上がったが、現実的なハードルは高い。
「とは言え、学校の友人というわけでもないし、さすがに難しいんじゃないですかね」
「かも知れません。でも聞くだけなら
この人行動力あるなあ。俺は感心した。
「ただ、その前に桃太郎くんに話してみた方が良いとは思います」
それはそうだ。桃太郎に協力を求めるのに本人の意向を聞かずに勝手には決められない。
「去年彼女とは年賀状のやり取りをしたことがあるので、住所は分かります。桃太郎くんは庭に放し飼いになっているらしいので、上手くいけば人目につかずに会えるかも知れません」
本当に行動力がある人だ。それにしても光さんの親の飼い犬に対する無関心っぷりは、ひどくないだろうか。犬が気の毒だ。でも考えてみれば、俺の母親もペットを飼うことに反対しているので、俺が無理やりに犬を飼ったとしたら、やっぱり同じようになるのだろうか。なんだか悲しくなってきた。
「なので僕の方で時間を見つけて、桃太郎くんに会いに行ってみます」
寶井さんの声で、我に帰る。
「なんだか、何もかもお任せになってしまい、すみません」
「大丈夫ですよ。不謹慎かも知れないですが、水木さんもとりあえず何も問題ないようなので言いますと、僕は結構楽しんでいます。オカルトマニアではないですが、不思議な現象には惹かれる性質でして。だから気にしないでください」
「ありがとうございます」
「さて仕事でお疲れのはずなのに、随分長電話になってしまった。ゆっくり休んでください」
こういう気遣いができる大人は素敵だなと素直に思う。お礼を述べて通話は終了した。一瞬、今回の件を包み隠さず光さんに話して、協力を仰いではどうかと思った。しかし妙なことに巻き込むのも心苦しいし、何より信じないだろう。
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