2.四国犬

 俺の家は明治神宮の近くにあり、毎朝神宮の表参道入口の前を通ってJR原宿駅から電車に乗る。ゴールデンウィークがあけたある平日、神宮の入り口付近にちょこんと座っていた犬がこちらを見ていた。黒褐色ベースに白の部分がある。ぱっと見、かなり大きな狼のような犬だった。代々木公園あたりに散歩に来て飼い主とはぐれたのだろうか。かっこいい犬だな。その時は、それくらいにしか思わなかった。

 それから一週間後、また同じ犬をみた。インパクトがあったので、すぐに同じ犬だと分かった。この時もあまり気に留めなかった。だがその週の土曜日に、大学時代の友人とランチの待ち合わせのため駅に向かう途中にまた見かけた時はさすがに気にかかった。ちょっと近づいてみると、思ったよりさらに大きくて立派な犬だ。この時気がついたが、首輪はしていない。捨て犬だろうか。それにしては綺麗だけど。そんなことを考えていると。犬の方から近寄って来た。飛びかかってくる気配はないが少し怖い。犬は俺の前まで来ると「ハッハッ」と息をして、こちらを見あげる。気のせいか、何かを訴えているように見えた。しかし、意思疎通できるわけでもなく、待ち合わせ時間に遅れるのは嫌だったので、そのまま駅に向かった。

 週が明けた月曜日。同期の高杉くんと飲んだ後、俺はいつものように電車を降り、少し肌寒いが、いい気分で家に向かっていた。季節外れの朧月(おぼろづき)に風情を感じる。時間は夜十一時半。明治神宮の前で、突然背の高い青年に呼び止められた。

「おい」

 ハスキーな声だ。周囲に人はいない。呼びかけられたのは俺で間違いなさそうだ。身長は俺より十センチは高く、百八十センチ以上ありそうだ。ジーンズにスウェットパーカーというカジュアルな格好をしている。数ヶ月前まで俺もそんな格好だった。今じゃもうスーツが当たり前になってしまった。

「はい?」

 いきなり話しかけられてビクッとした俺の反応を気にしてか「驚かせてすまない」

 と謝られた。意外と紳士的だ。もう少し青年を観察してみる。歳は俺より少し上に見える。二十代半ばから後半くらいだろうか。長身で、一見細身だがよくみるとスポーツ選手か肉体労働のお兄ちゃんを想起させる、ガッシリとした体格である。顔を見る。堀が深い端正な造形は、間違いなくイケメンの部類に入るだろう。それも雰囲気イケメンとかではなく、「ハンサム」という表現の方がしっくりくる。浅黒くて、やや長めの髪も見苦しい感じはなく、エキゾチックな雰囲気が漂う。ハーフだろうか。

「何か用でしょうか?」

 自分でそう尋ねながら、最近この男をどこかで見かけた気がしてきた。思い出そうとしていると、

「俺は最近ここに時々きていた四国犬しこくいぬだよ。あんたがここを通るのを見ていたんだ」

「シコクイヌ?」

「そういう種類の犬だ」


 何秒か何十秒か、もしくは何分か過ぎた後、

「おい」

 という青年の声でようやく我に返った。

「信じてないって顔しているな」

「え、あ、いや」

 言葉にならない言葉が口をついてしまった。うーん。そう言われると、凛々しい顔立ちは、狼のような風貌のあの犬のイメージと合う。合うけれども……。

「そのシコクイヌが、どうして人間の姿なんですか」

 とりあえず当たり障りのないことを聞いてみる。

「犬のままじゃあんたと話すことができなかったからだよ。話しかけたけど、やっぱり通じなかった」

「はあ、なるほど。では、その犬がどうやって人間の姿になることができたんですか?」

 一応敬語だが、畏れ敬う気持ちはもうこもっていない。

「普通はなれない。ただ俺にはたまたまその力がある」

 作り話にしてはもう一工夫欲しいところだ。

「とはいえ姿を変えることは望ましいことではない。正体を明かすことなどなおさらだ。狸や狐だって、正体がばれてしまうことはあっても、自ら明かすなんて話聞かないだろう?」

 そんなこと言われても知らないし、小馬鹿にする気持ちが抑えきれなくなってきた。

「じゃあ、どうして僕に明かしてくれたんですか?」

 今度は、青年は咎める口調になった。

「そういう馬鹿にした態度で話すのが好きなのか?」

 そちらが荒唐無稽なことを言うからでしょうが。少しムッとなったが、構うことなく彼は続けた。

「あんたに話があったからだよ」


 家に着くと日付が変わっていた。風呂に入りながら、先ほどの出来事を反芻してみた。酒も入っていたし、幻覚でも見ていたのだろうか、話の内容自体があまりに現実離れしていて、人生で初めて自分の正気を疑った。とりあえず「四国犬」という聞いたことのない種類の犬を検索してみた。そこからしてすでに架空なのではないか、と疑っていたが、四国犬は実在した。



 四国犬しこくいぬは、四国地方(主に高知県)原産の中型の犬の品種。日本犬の一種である。かつては土佐犬とさいぬと呼ばれていた中型の犬である。土佐闘犬との混同をさけるために、四国犬と改称された。本来の作出目的は、四国山地周辺の山村における鹿や猪等の狩猟およびそれに伴う諸作業。山地での激しい狩りにも耐えうる体力・持久力がある。温暖湿潤気候に強い。体格は柴犬より大柄。主人には異常なまでに忠実だが、よそ者には警戒するため、番犬に適する。よそ者にはふとしたことでも噛みついたりと非常に攻撃的なため、散歩中などは注意が必要である。1937年(昭和12年)6月15日に文部省(現・文部科学省)により、天然記念物に指定された。骨格の特徴から弥生犬をルーツに持つとされる(中略)

 四国犬は日本犬の中で最も素朴な風貌と評される事もあるように、猟犬としてニホンオオカミと交配させたとの伝承もあり、外見が似ているとしばしば言われる。しかし、それ故にニホンオオカミの目撃情報の際、見間違いの候補として挙げられやすい犬種でもある。(以下略)

 Wikipediaより



 画像を見ると、なんとなく三回遭遇した凛々しい犬に似ている。強そうな犬だな。万が一、本当に、あの青年が四国犬ならば、怒らせてはいけないみたいである。悪い意味で興奮して、なかなか寝付けなかったが、翌朝になると平常心を取り戻せたので、昨夜の出来事は、通りすがりの青年のいたずらとして保留しておくことにした。しかし、現実は保留を保留のままにさせてはくれない。一週間後の月曜日。帰り道、同じ場所で再びあの青年に会う。時刻は夜十一時過ぎ。今日も高杉くんを含めた同期数人と夕飯を食べて帰る途中だった。

「どうだ、何か分かったか?」

「正直分からないっす」

 今日は自然と敬語が崩れてしまった。話の真偽はどうあれ、暴力を振るわれることはなさそうに感じたからだ。単なる危機意識の欠如かも知れないが。ついでにいうと、まだ会って二回目なのに、そんなに悪い奴ではないとすら思いはじめている。そんな俺の態度の変化を意識しているのかいないのか、彼は呆れたように俺を見た。

「あんた、何も行動起こしてないだろ」

 あっさり見抜かれる。


 先週の話。それは簡単に言うと俺には「呪い」がかけられている、その呪いを解くために、まず呪われた原因を突きとめろ、ということだった。

「正直まだ信じられない、というのが大きいんだけど。実際、俺なんともないもの。一体それどんな呪いなんだ?」

「怨念のような感じだ。今はまだ何ともないが、そのうち心身を蝕むぞ」

「具体的にどんな症状になるんだ?」

「それはまだ分からない」

「じゃあ、ちょっと質問変えるよ。その呪いにはいつ頃かかったか分かるか?」

「まだ何も症状がないところをみると、割と最近だろう。特定はできないが、数ヶ月から一年以内じゃないかと思う」

 作り話と思いつつも、だんだん冒険心がくすぐられ、のってあげても良いという気分になってきた。

「なあ、呪いの話が本当だとして、なんで全くの他人の俺に、そんなことを教えてくれるんだ?」

「あんたを助けてやろうと思った」

「なぜだ?」

「今それを言う気はない。俺はただ助ける手助けをするだけだ」

 何でこんなに上から目線なのだろう。仕方なく助けてやるというように聞こえる。全く頼んでいないのに。

「先週も言ったように、あんたの呪いを解くには、まず呪いの正体を突き止めなくてはならない。正体が分からないと、解く方法も分からない」

 なるほど。

「心当たりはないか?例えば誰かの恨みを買ったとか」

 俺は言われるままに、ここ一年を思い返してみた。まったく買っていない、と言い切る自信はない。俺はそこまで気遣いができる方じゃないことは自覚しているので、うっかり誰かの怒りを買うことはあり得る。だけと具体的に誰かに被害を与えて恨まれている、というレベルでは何も思いつかない。なので彼にはそのまま伝えた。青年は否定も肯定もせず、

「とにかく、何事も起こらないうちに原因を突きとめろ。近いうちにまた来るから」

 そういって木々が茂っている方へ消えていく。家に帰ってからふと思う。あの時間に明治神宮の木が茂っている方へ消えていくってどういうことだ?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る