3.桃太郎①

 それから一週間後の月曜日、また帰り道に彼に会う。この日は高校時代の友人と飲んでいた。

「あんたは毎日酒飲んでいるな。サラリーマンというのは本当に酒を飲まないわけにはいかないんだな」

 余計なお世話だ。それに、本当に全くの偶然である。三週連続でたまたま月曜日に、同期だったり、高校時代の友人だったりと終業後に食事しただけである。

「それにしても、毎週よく同じ時間に出くわすね。人のこと言えないじゃない」

 最初に会った時の緊張はどこへやら、俺はこの青年に対して勝手に打ち解けた気分になってきた。

「俺は八時から三時間以上ここで待っていた」

 そんな平然と……三時間も? 少なくとも目は冗談を言っていない。どう反応して良いか分からず、ただこの時点ではもう、彼が普通の青年ではないと思い始めていた。そして、彼を小馬鹿にして、邪険に扱うのが申し訳ないとも思い始めていた。つまり彼の話に付き合うことにした。

「悪かった。真剣に思い出してみるから来週もう一回ここで会えないかな?」

 来週、という提案に特に意味はない。一年をつぶさに振り返ろうと思ったら、それなりに時間と神経を使うと思ったから、週末を挟みたかっただけだと思う。あるいは、毎週月曜日に会うのが習慣化してしまったのかも知れない。

「分かった。あんたを助けたところで俺には何の得もないので、本当は放っておきたいところだが、もう一回だけ待ってやる。じゃあな」

「待ってくれ」

「なんだ?」

「名前教えてくれない?」

 そう口にした時、懐かしい感覚があった。新しく知り合った人と友情を育み始める時の感覚。身体と心が覚えている。なぜ、最近はそういうことがないのだろう。新しい人には出会っているはずなのに。

「俺は桃太郎。桃って呼ばれていた」

 桃太郎? 犬なのに? これは突っ込んだ方がいいのだろうか?

水木陽光みずきようこうです。太陽の陽に光。よろしく」

「明るくて良い名前だな。なんだか暗そうな奴なのに」

 こいつ、無邪気にデリカシーのないこと言いやがるな。正直自覚はあるが、人から言われて嬉しいことではまったくない。


 さて、やると言った手間、一年間の行動を振り返らざるを得ない。自分の過去を詳細に洗い直すって、やってみると意外と集中力を使う。どうにかこうにかできる範囲でメモを取りながら思い返す。だが結果、推測すら立たなかった。一年というと、だいたい内定をもらった頃からだ。恨みとまで言わずとも、妬まれるとしたら、比較的就職活動がスムーズにいったことくらいだ。俺よりも早くから、力を入れて就活を始めていたのに上手くいかなかった人もまわりにたくさんいる。そうした人の中には俺がこの春入った会社に落ちて、何となく気まずくなり疎遠になった人もいる。とはいえである。一応そこまで考えはしたものの、やっぱり俺が標的になる決め手としては漠然とし過ぎている。これで誰かに呪われるのならば日本中が呪いだらけになってしまう。

 約束の一週間後、その日は仕事が終わってまっすぐ帰った。もう六月だ。気候も暖かくなり、夜風が気持ち良い。原宿の駅を降りたのは八時少し前。そういえば待ち合わせ時間を決めていなかったな、と今更ながら気がつく。そして連絡先を知らないことも。なんだか急に不安になってきた。待ち合わせ時間も決めず連絡先も交換せず、どうやって会えるのか。そしてなぜ当日までそんな当然のことに思いが至らなかったのか。改めて、これまで3週連続でごく自然に会えていたことが不思議を通り越し、不気味に思えてきた。やっぱり彼には何かある。犬が変身したという話は荒唐無稽だとしても、普通ではない何かがある。約束しなかったことを自分への言い訳にして、このまま会わずに家に帰りたい衝動に駆られそうになった。

 しかし彼はそこにいた。さも当然のように。不思議なことに会ってみると、さっきまでの不安が引いていく。害意も悪意も感じられない。緊張がほぐれて、俺は週末考えたことをそのまま話した。

「やはり思い当たる節はないのか」

「なあ、その呪いがかかっているのは俺だけなのか? 例えばここ数週間、このエリアに限定したら俺だけだったけど、他にもたくさんいる、という可能性はないのか?」

「その可能性が絶対にないとは言えない。ただ、俺はここ何年かこの周辺で色々な人間を見てきて、はっきりと呪いが見えた人間はそうはいない」

 正直困った。桃も沈黙している。相変わらずその表情からは、感情が読み取りにくい。もしかしたら見捨てられるんじゃないか、そう思ったらこれまでろくに信じていなかったくせに、自分でも驚くくらい心配になった。馬鹿げている、そう思いつつ呪いが気になってきていた。確かにこの桃太郎という青年は普通の人間とは違う。そこらへんの占い師に言われるより、真実味がある。俺の心配に反して、その青年——桃太郎はしばらく黙り込んだあと思わぬことを口にした。

「それでは、ここ一年間でどこか神性や霊性の強い場所に行かなかったか?」

「シンセイやレイセイ?」

「神々にゆかりが深かったり、神話や伝承が色濃く残っている場所のことだ」

 パワースポット的なことか。それなら心当たりはある。例えば出雲とか伊勢のことだろう。

「例えば、出雲とか伊勢のことだ」

 俺が口を開く前に代表例で挙げられてしまいなんだか悔しかったが、その二つに行ったよと伝えると、青年はさらに、両方か? と聞いてきたので、そうだと答えた。ついでに両方に行った時期とか滞在した日数とか何をしたかも伝えた。

「それで何か分かるのか?」

「以前、出雲大社で呪いにかかった人間がいたからな。そういえば歳もお前くらいで、状況もよく似ていた。だからもしかしてその可能性もあるんじゃないか、と思った。神々やその眷属は気まぐれなところがあるからな。運悪く、呪いをもらってしまうこともある」

 だとしたらいい迷惑だ。

「その時はどうしたんだ? その、俺と似た状況だった人の時は?」

「俺が師匠と一緒に、呪いを解いてやった」

 今回もそうしてくれるのだろうか? という期待を抱く。

「ちょっと厳しいかも知れないが、師匠に相談してみる」

 こいつの師匠っていうのは何者なんだろう。犬だろうか。人間だろうか。とても気になる。それから我に帰り、こんな風に考える時点で俺は正気を失ってしまったかも知れない、とまたまた不安を覚える。桃太郎は「また来る」と言い残し姿を消した。今度は一週間経っても、ひと月経っても彼は姿を表さなかった。


 

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