オトナシボーイと合唱祭
唐突だが、俺は合唱コンクールというものが大嫌いだ。
嫌いどころではなく、大嫌い。というかもう憎悪の対象といってもいい。なぜあんなイベントがあるのかが理解できない。あのような催し物を考えた奴をさらし首にしたいぐらいだ。
合唱コンクールは小学校や中学校を中心に全校規模で行われる。クラスもしくは学年ごとに歌を歌って競い合うというものだ。まぁしょせん小学校や中学校でやるようなものだから景品などが出るわけでもなんでもない。だというのに、無駄に張り切る輩が出てくるのは一体どういうわけなのか。理解に苦しむ。
当時の俺は普通の学校に通っていて、耳が聞こえないということで色々と馬鹿にされた。いじめにも遭ったし、上級生に因縁をつけられることもあった。たかが一歳二歳の違いで人にマウントをかけるのが好きな年頃だ。とはいえはた迷惑なことこの上ないのは事実だし、今なお頭に染みついている。
特別支援学級というものもあるにはあったが、アテにはならなかった。いじめに遭ったこと、上級生に因縁をつけられたことを報告しても、「あらぁ、それは大変だったわね」としか言わない。自分から加害者の生徒に事情聴取するなりあるだろうに、そういった手は何ひとつ打たなかった。
さらに言えば、当時の俺は影が薄かった。というより影が薄いように努めていた。目立たず、ひっそりと、息を押し殺して学校生活を送る日々。自分のような聴覚障害者が何か言ったところで、からかいの対象にしかならない。
脱線した。話を元に戻そう。
合唱コンクールは毎年十一月に行われる。くだらないキャッチコピーをみんなで考えて、よさそうだと思ったものに票を入れる。そういうキャッチコピーというのは小中学生が考えたものだから、オリジナリティに欠ける。有名なドラマの台詞から引っ張ってきたり。あるいは韻も何も踏んでいないセンスゼロのコピーだったり。
〈マイボス・マイソング〉なんてキャッチコピーが出てきて、しかもそれが採用されたとあっては顔を覆いたくなった。
合唱コンクールの練習は夏休み明けから始まる。音楽の授業のみならず、朝にも放課後にも行う。参加は自由という名目だが、意図的に不参加を続ければハブられたり中傷されたりすることは想像するにたやすい。特に女子からの評判は年頃の男子にとっては生命線だ。不参加が三回も続ければ、「ちょっと、やる気あるの!?」と批判される。
男子と女子とを比較して、やる気があるのは圧倒的に女子だ。年頃の男子が人前で小綺麗な歌を歌うことなど毛の生えた程度のプライドが許さないだろう。
とはいえ、参加を拒むわけにもいかない。
さりとて、精を出して歌うわけでもない。
生徒一同でピアノの前に並び、適当に口をぱくぱくと開けて歌っているふりをする。そういう男子は最低でも三人以上はいたし、「声が出てないわよ!」と音楽の教師がヒステリックに叫ぶのも一回二回ではない。
俺はどちらかといえば、そこそこ真面目にやっている方ではあった。音楽はわからないが、前や横にいる男子の口の動きを見て合わせて歌うのである。こういうと人から驚かれるし、自分自身よくもまぁあんなことができたなと思う。
真面目にやっていた理由としては、単純なものだ。当時恋焦がれていたクラスメイトの女子に格好をつけたいというものだ。真面目にやっていればそれだけでアピールポイントになるし、もしかしたら会話する機会も得られるかもしれない。俺の歌はお世辞にも上手いとも下手ともいえなかったが、それでも真摯に取り組む姿勢は評価してもらえたようだ。
ある日のことだ。練習が終わった後に、クラスメイトの女子がやってきた。
「高井くん、真面目にやっているね」
話しかけられるとは思わなかったし、しかも相手が意中の女の子だ。何を言ったのかは唇の動きでわかったが、どう返していいものかわからなかった。結局、「ああ……」と首をかくかくとうなずいただけで、会話にならなかった。
「一緒にコンクール優勝しようね!」
胸の前でぐっと両手を握りしめる。俺はその時もまた、「ああ」としか返事できなかった。俺に限らずこの年頃の男子というものは、女子と話す機会が限られている。下手に長く話せば恋仲の関係だとからかわれる、難儀な時代なのである。
だが――ある時、事件が起こった。
クラス合同での全体練習があり、全員で歌を歌う羽目になった。前述の通りやる気のない男子はクラスに最低でも三人以上はいたから、当然声が揃うはずもない。おそらくではあるが、女子の声ばかりが目立っていたのではないだろうか。
練習から始まって十数分後に、音楽教師が立ち上がった。四十から五十代という程度の女性教師だ。頭にパーマをかけており、その時は紫のロングスカートを履いていた。顔だけ見れば大阪でトラ柄を着ているおばちゃんとそう変わらない。ただ、大阪のおばちゃんと違ってその音楽教師の面には愛嬌というものが皆無だった。
「——! ——!! ————!!!」
音楽教師が壇上で何事かを叫んでいる。周りは顔を見合わせている。俺はあの音楽教師が何を言っているのか理解できず、ただ立ち尽くしていた。
次にその音楽教師は壇上から降り、どしどしと退出してしまった。その音楽教師を、慌てた様子の教師が数人、追いかけていく。残された生徒たちは唖然として、ひそひそと囁き合っていた。
後になってわかったことだが、その音楽教師はあまりにやる気を出さない男子たちにキレたのだという。だからその場でボイコットした。なぜあのババアが教師として勤まっているのか、まるで理解できない。音楽教師というか、あの年代に差しかかるとヒステリックになるのだろうか。そういえば特別支援学級の教師も同年代だ。ヒステリー起こしたババアのことを一応教えてくれたが、「みんな、やる気がないからよ」と俺たちに責任転嫁するような物言いをした。このババアも教員としての資格があるとは思えない。
さて、残された俺たちはどうしたのかというと。一旦教室に戻り、自習ということになった。だが、何をトチ狂ったのか、複数の女子たちが体育館に戻っていった。自分たちだけでも歌の練習をしようということらしい。なぜ、そんな無駄なやる気を出すのか……今になって振り返ると、馬鹿馬鹿しくてしょうがない。
だが、その時の俺は女子たちの輪に加わって練習に参加していた。阿呆である。伴奏もないのに体育館でむやみやたらに声を張り上げる。一体なんの意味があるというのか。
そしてますます、阿呆らしい出来事があった。
なんと、教室にたむろしている男子たちに意中の女子が「歌おうよ!」と呼びかけたらしい。自分たちが頑張っているのだからお前らも頑張れ、という理屈である。無暗かつ、でたらめである。
だが、当然ながら男子は動かない。遠慮がちに一人か二人参加するだけだ。それだけでも十分だと思うのだが、女子はそれだけでは満足できなかったようだ。もう一度男子たちに呼びかけるが、やはり彼らは動かない。
体育館に戻った女子はなぜか泣いていた。皆も泣いていた。今ならば阿呆らしくてこちらも涙が出てくる出来事だ。男子たちが練習に参加しなかったからといって、なぜ泣く必要があるのか。やりたくない連中は放っておけばいいのに。そんなに合唱コンクールで優勝がしたいのか。まるで意味がわからなかった。
合唱コンクールでの成績は散々たるものだった。当然だ。俺たちは三位以内に入賞することも叶わず、ただ苦渋を味わった。歌が嫌いな生徒を量産しただけで、いいことなど何ひとつなかった。
そういえば、と思う。
合唱コンクールで歌を手話でやろうという声も上がったが、賛同者が少なかったということで結局却下に終わっていた。あれでよかったのだと思う。歌に加えて手話までやらないといけないとあれば、ますます男子たちのやる気は失せたことだろう。あの音楽教師のようにボイコットまでしかねない。皆が手話に興味を持つきっかけになれればいいと一瞬でも思ったが、合唱コンクールと絡める意図はただ目立ちたいだけだ。手話で歌をやれば審査員の目を引くだろうという浅ましい魂胆は一蹴されて然るべきものだった。これも、今だから言えることなのだが。
振り返って、俺にとって合唱コンクールとは無益この上なかった。それは他の生徒にとっても同様だったかもしれない。美辞麗句だけを並べ立てられた歌を歌わされ、練習に身が入らないとなると文句を言われ、結果が芳しくなければ責め立てられる。そんな催しはさっさと廃止した方がいいと思う。
今、あの女子はどうしているのだろうか。
「ちょっと、男子―!」と言うタイプだったかどうかはわからない(それだけの会話をしていない)。けど、男子が参加しなかったぐらいで泣いたりするものだろうか。ドン引きするでもなく、同情や男子たちに対する怒りが芽生える空気や雰囲気が、あの時代にはあった。
あのババアもとい、音楽教師は今も教師としてやっているのだろうか。
そうだとしたらあいつから教わっている生徒たちが気の毒だ。もういい歳だから余計に頭も凝り固まっていることだろう。相変わらずやる気を出さない男子たちに怒鳴り、合同練習をボイコットしているようだったら。考えるだに恐ろしいが、その程度ではクビにならないのだから教師とは楽なものだと思う。
あれこれとひどいことを言ったが、正直な気持ちだ。
俺は一人の学生として歌の練習につき合っていたし、非難される要素はどこにもない。だけど居心地が悪かったのは事実だ。何もしていないのに男子というだけで犯罪者と同列に見られるようなあの感覚。「高井くんは真面目だよね」と言われても、どこか釈然としなかった。真面目なのはいいことなのだろうか、と今でも考える。
意中の女子は合唱コンクールの後、話す機会はなかった。
合唱コンクールなどクソ食らえである。真面目、やる気があることだけを評価の対象にする。歌唱力などどうでもいいのだ。多少歌が上手いところで、他の連中にその気がなければ悪目立ちするだけだ。
そういうわけで俺は今も、あの催しには嫌悪感しか持っていない。
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