10. ありがとう、推し

紙を泣きながら書くなんて思わなかった。ありがとう。この事務所を選んでくれてありがとう。この世界に生まれてきてくれてありがとう。あなたと、同じ瞬間を生きることができて、わたしは幸せです。

そう。これは推しに宛てたファンレターである。

わたしは、推しに認知されているわけでも、現場に数多く通っているわけでもない。戦闘能力はないに等しい、ひよこみたいなファンである。ヲタクとも呼べないだろう。しかし、愛は溢れている。気持ちも重い。それは推しを脳内で神様のように崇め続けているがゆえのことだと思う。

だから、手紙を書いた。自分の気持ちを素直に綴った。丁寧に文字を書くことに慣れていないので、便箋二枚分を書き終えたときには、利き手である右手がとても痛かった。ただでさえ乏しい戦闘能力が、ほぼゼロになった気がした。

しかし、幸福感でわたしの心は満たされていた。ありがとう、推し。

郵便局に手紙を出しに行った。田舎に住んでいるせいで郵便局まで行くのは遠くて大変だけれど、スキップしながら行けそうな気がした。実際、そんなことを実行したら死ぬだろうけれど。ポストに投函する。落ちて、すとん、と音がする。

推しに出会えて、わたしの世界は変わった。好きな人がいる世界ってすごいなあと思う。相手がわたしの存在を知らなくても、わたしが推しの存在を知っているのは紛れもない事実で、これから先命尽きるまで何十年生きても出会えない可能性のあった推しとわたしが、出会えた奇跡。

手紙を推しが読んでくれるかどうかはわからない。読んでくれない可能性の方がきっと高いのだろう。でも、わたしがそれを知る術はほとんどない。手紙を読んでくれたら嬉しい。だけど、読んでくれなくてもわたしの推しに対する気持ちは変わらない。ずっと好きでいるだろう。

一方通行の恋かもしれない。それでもいい。

ありがとう、推し。わたしはとても幸せです。早く春になるといいな。

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