8. 偽りのさくらんぼ

花澄が呼ぶ、めい、の音は、明生の心に優しく響く。

花澄と明生は男女の双子だ。頭脳明晰の花澄と、運動神経にポジティブポイントすべてを使った感のある明生。周りからはあまり似ていないと言われる。


「明生」


黒い髪を風に靡かせて、花澄が明生の名前を呼ぶ。

明生は自分のことをめい、と呼ぶ幼い頃からの癖が抜けなくて、男の子なのにねえ、花澄は自分のことをわたし、とちゃんと言えるのにねえ、と言われ続けた。でも、明生は明生だ。花澄ではない。でも、もう慣れたのか、両親も、祖父母も親戚も、友達もその親も、何も言わなくなった。

明生は、明生という名前がとても好きだ。音だけ聞けば女の子っぽく聞こえる名前なのが難点だけれど。やまさきめい、この名前でこんな筋肉質な男に育ったのも、それはそれで面白いと思う。


「明日お父さんもお母さんもいないんだって。ご飯どうする?」

「一緒に作ろ」


当たり前に一緒にいた双子は、高校を卒業するときに初めて離れた。母親のお腹の中からずっと、ずっと一緒にいた。明生たちは仲の良い双子だと思う。五年前の春、花澄は大学進学、明生は作業療法士を目指して専門学校へ進学した。そこから明生たちは一緒にいられることが当たり前じゃなくなって、でも、一緒にいたいと思ってしまった。

特別だと、そこで気が付いた。


「明生、いつも一緒に作りたがるけど、結局私が作ることになるよね」

「だって、花澄が作った方がおいしいもん」

「それなら最初から私に任せてくれればいいのに」


しっかり者の花澄だけれど、実は妹だ。でもそれは明生の方が先に母親のお腹から出ただけのこと。昔は多胎の出生順は今とは反対だったと聞く。明生たちが生まれたのが百年、百五十年前ならば、花澄がお姉さんだったということだ。


「一緒がいいの」


そして、駅から家までは、二人が双子ではなくなる時間でもある。

特別だと気付いてしまった。その瞬間から、自分の気持ちを偽れなくなった。

明生は、花澄が好きだ。

どうして双子に生まれてしまったんだろう。ううん、どうして血が繋がっているんだろう。そんな難しいことばかり考える時間が続いて、でもそれでも、明生は花澄が好きだった。

花澄はきっと明生のことを好きにならない。好きになっても、それを伝えてきたりはしない。だって、双子だから。双子に生まれた明生たちが、恋人に同士になれないわけじゃない。でも、リスクが大きすぎる。


「ハンバーグ作ってほしいなあ」


明生はあまり頭が良くないから、今、この瞬間、駅から自宅に戻る道だけ、花澄のことを好きだって思う。一度も染めたことのないさらさらの黒髪も、食べすぎると顔から太っちゃうことを気にしている柔らかい身体も、明生とは似ていないその顔も、難しいことを全部背負ってくれる性格も、花澄を作る全部が好きだと思う。

でも、家に帰れば、この気持ちを無くさなければならない。いつまでも、いつまでも、明生たちは偽りのさくらんぼだ。

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