第2話

 学校に行くと下駄箱から上履きが無くなっていた。きっとまた桜子ちゃんのしわざだ。上履きは外の排水溝の中に捨てられていた。

 昨日あんなに神様にお願いしたにも関わらず、桜子ちゃんはいつも通り元気で、楽しそうに嫌がらせしてきた。


 私がトイレに行っている隙に糊で椅子をベトベトにしたり、ノートや教科書に落書きしたり、給食のスープの中に消しゴムのカスを入れたり。

 懲らしめてくれるって約束したのに。神様は全然お願いを聞いてくれない。神様もどうせウソつきなんだ。


 帰り道通りかかった赤い鳥居の先の神社には立ち寄りもせず、私は真っすぐ家に帰った。

 もう神様なんて顔も見たくない。大っ嫌いと思ったから。


 だけどその次の日になってみたら、桜子ちゃんは学校に来なかった。

 帰り道で知らない男の人に襲われて乱暴されたという話だった。乱暴っていうことはきっと殴られたり蹴られたり、痛い思いをしたんだろう。いい気味だ。


 桜子ちゃんを乱暴したのは頭と髭がぼさぼさで汚らしい恰好をした男の人らしかった。先生はフシンシャがいるから気を付けるように、とみんなを注意したけど、私はそうじゃない、と教えてあげたかった。

 それはきっと神様だよ。神様が悪いことばかりする桜子ちゃんを懲らしめてくれたんだ。


「お見舞いに行かなくていいんですか」


 クラスの誰かが聞いたけど、先生は困った顔で首を振った。


「桜子ちゃんは体というより、心に大きな傷を負っているから。しばらくはそっとしてあげるのが一番なの」


 乱暴されたのに怪我はしていなくて、心に傷を負ったなんて不思議な話だ。

 神様だから怪我をさせずに懲らしめるようなこともできるのかな?


「神様、ありがとう」


 神社に行くと、お社の中から神様が出てきた。改めて見ても、ぼさぼさの頭と髭は、桜子ちゃんを乱暴したというフシンシャの特徴と一緒だ。

 やっぱり神様がやってくれたんだ。私は嬉しくなって、笑顔を浮かべた。


「どうだい? 嫌な子、懲らしめられただろ?」

「うん、しばらく学校来ないって」

「そうだろうな。もしかしたら、もう二度と来ないかもしれないぞ」

「良かった。神様ありがとう」


 私は満面の笑みで、袋を差し出した。


「なんだこれ?」

「くもつ。お願いする時は、くもつが欲しいって言ってたでしょう? だから」


 わざわざ一度家に帰り、私がこっそり貯めた小遣いで買ってきた駄菓子の詰め合わせだ。二百円分ぐらいあるから、きっと一日で食べきったら虫歯になるぐらいの量がある。

 これだけあれば、神様はきっとまた別のお願いも聞いてくれるはずだと思った。


「ふぅん……まぁ、ありがたくいただいておくか。それで別のお願いってのは、何だ?」

「パパをやっつけて欲しいの」

「パパを? お前の父ちゃんか?」

「ううん、お父さんはずっと昔に家を出て行ったから、パパは違う人。ママの新しいカレシだけど、パパって呼ぶように言われてるの。でも、お酒を飲むとすぐ暴れるし、嫌な事ばかりするからいなくなって欲しくて」

「そいつは厄介なやつだな。どうせ金もよこせって騒ぐんだろ?」

「そう。どうしてわかるの?」


 心を見透かされたみたいで私は目を丸くした。


「俺は神様だからな。なんでもお見通しよ」


 神様はニヤリと得意そうに笑った。すごい。やっぱり神様はなんでもわかるんだ。


「そういう事だと、パパはあんまり金は持ってないんだな」

「うん。でも、昨日はパチンコに勝ったって喜んでたから今はいっぱいお金持ってるかも。ニジュウマン、ニジュウマンってママに自慢してた」

「はぁん、ニジュウマンか……」


 神様の目がキラリと光ったような気がした。


「やってくれるの?」

「おう、ちょっと考えてみるよ。でも本当にいいんだな?」

「うん。ママも毎日泣いてるもの。神様お願い。パパをやっつけて」

「ああ、わかった」


 神様はにかっとほほ笑んだ。



   ※     ※     ※



 その日の夜、パパは死んだ。

 珍しくパパが来なかったから、今日はママと二人でぐっすり眠れると思っていた矢先、警察からの電話でパパが死んだことを知らされた。大量のお酒を飲んだ後で橋の上から飛び降り自殺をしたらしかった。


「そんな! どうして! 信じられない!」


 あんなにいつも泣かされていたママは、パパの死をとっても悲しんだ。いなくなってせいせいするはずなのに、悲しむママの気持ちがよくわからなかった。

 一晩中泣いているママを見ていると胸の奥が痛くなって、次の日私は、学校が終わるとすぐに神様に会いに神社へ走った。


「お、また来たのか。パパ、いなくなっただろ?」


 一日ぶりに会う神様は、洋服が新しくなってちょっと小綺麗になっていた。髪も髭も切って別人みたいにさっぱりしていた。おじいちゃんだと思っていたけど、こうしてみるとずいぶん若い人だったみたい。


「うん。でもまずいことになったの」

「まずいって、どうした?」

「ママがね、パパが死んだら困るって言うの。だから今日もお願いがあってきたの」

「お願いって?」


 私はこの間と同じように、駄菓子が沢山入った袋を差し出して言った。


「パパを生き返らせて欲しいの」

「そりゃあ無理だな」


 神様は顔をしかめた。


「えー、だって殺すことができるんだから、生き返らせることだってできるはずでしょ?」

「残念だが死んだ人はもう生き返らないんだ」

「じゃあどうしよう? パパが必要だっていうの」

「そんなこと言われてもなぁ……さてどうしたもんか、困ったなぁ」


 神様は腕組みをしてうんうん考え込んだかと思ったら、急に手を叩いた。


「だったら、新しいパパを作ってあげたらいいんじゃないか?」


 その提案は私にとってとても魅力的なものだった。

 新しいパパ。

 なんて素敵な響きなんだろう。そうだ。どうせパパが戻って来るなら、あんな怖くて暴れるパパじゃない方がいい。


「素敵。だったら今度は優しいパパがいいな」

「例えば俺みたいなパパだったらどうする?」

「神様? 神様が私のパパになってくれるの?」


 私は目を輝かせた。こんな風になんでも私のお願いを聞いてくれて、頼りになる優しい神様がパパになってくれるなんて、想像しただけで夢みたい。


「神様、お願い。私の新しいパパになって」

「新しいパパか……ちなみにお前のママ、新しいカレシができるぐらいだから美人なのか?」

「わかんない。死んだパパはおっぱいが好きって言ってたよ。ママのおっぱいはいいおっぱいなんだって」

「そうかそうか、いいおっぱいのママか。しょうがねえなぁ、わかったよ」

 そう言って神様はニヤリと笑った。



   ※     ※     ※



 私は神様を団地の部屋まで連れて帰った。そのままママが帰ってくるまで待つことにしたんだけど、ママと二人きりで話をしなくちゃいけないから私は下の公園で待つように神様に言われた。話が終わったら神様とママが二人で迎えに行くから、と。

 でも空が暗くなって、団地中の部屋に明かりが灯っても、なかなか神様は迎えに来てくれなかった。きっともうママはとっくに帰ってるはずなのに。私はブランコに揺られながら、まだかなまだかな、とそわそわしながらお迎えが来るのを待ち焦がれた。


 そのうちサイレンの音が聞こえて来たと思ったら、団地の前の広場に沢山のパトカーや救急車が次々とやってきた。くるくる回る幾つもの綺麗な赤い光に見とれていると、私を迎えに来たのは神様でもママでもなく、知らないおまわりさんだった。


「ママが大変な事になったから、一緒に来て欲しい」

「でも、ここで待つように言われたの。神様とママが、迎えに来てくれるって」

「神様?」


 おまわりさんは怪訝な表情で「ママは来れなくなっちゃったんだよ」と言った。理由は教えてくれなかったけど、パトカーに乗せてくれるというから仕方なく私はおまわりさんについて行った。

 初めて乗るパトカーの中は真っ黒い革張りで、桜子ちゃんみたいにお金持ちの匂いがした。多分、クラスの中でもパトカーに乗ったことのある子なんていないはずだ。今度みんなに自慢してやろうと思った。新しいおもちゃの自慢をする桜子ちゃんみたいに。


「この人を知ってる?」


 警察署で見せられた写真には、髪と髭がぼさぼさのままの神様が写っていたから私は「神様です」と正直に答えた。


「どこにいるか、わかる?」


 それで私はピンと来た。このおまわりさんは、神様を探してるんだ。きっと何か困っていることがあって、お願いごとをしたいに違いない。


「神様を探して、何かお願いをするの?」

「お願い? ……お願いって、どういう意味だい?」

「何かお願いごとあるんでしょう? 神様は、お願いをなんでも聞いてくれるんだよ。桜子ちゃんのことも、前のパパのこともやっつけてくれたの。今度私の新しいパパになってくれるんだ」


 私がにっこり笑うと、おまわりさんは困った顔をした。

 神様がパパになっちゃったら、お願いごとをしたいおまわりさんは困るもんね。でももう遅いよ。これからはママと神様のパパと三人で楽しく暮らすんだから。


 あーあ、早く家に帰してくれないかなぁ。

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神様のパパ 柳成人(やなぎなるひと) @yanaginaruhito

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