神様のパパ
柳成人(やなぎなるひと)
第1話
体育を終えて教室に帰ってきたら、私が元々着ていた服が無くなっていた。
どうしよう、どこに行ったんだろうと探していたら、遠くで私を見てほくそ笑む桜子ちゃん達に気づいた。
あぁやっぱりまた、桜子ちゃんのイタズラなんだ。
私の服は女子トイレの一番奥の個室で見つかった。体操着袋に入ったまま便器に突っ込まれて、その上から誰かがうんちまでしてくれていた。体操着袋は水でジャバジャバ洗ってビニール袋に入れたけど、ビニール越しにでもうんちの匂いが漂って来るような感じがした。
お陰で私はその日の残りの時間を、一人だけ体操着のまま過ごした。
学校は嫌いだった。
毎日嫌なことばかりだけど、その日は特に最悪の日だった。
うんちが付いた体操着袋が入ったビニール袋をぶら下げながら帰る足取りは、どうしようもなく重かった。ママはいつも仕事とパパの面倒を見るので忙しいから、こんなことを知ったら絶対怒られる。
学校は嫌だけど、家にも帰りたくない。桜子ちゃんが「汚くて貧乏たらしい」と言う私が住む団地は、いつもドブみたいな匂いがしてる。うちだけじゃなくて、色んなところから怒鳴り声や悲鳴が聞こえてくる。どこを見ても暗くて、くすんだお化け屋敷みたいな団地だ。
どこに行っても、嫌なことばかり。
私は、ふと通学路の途中にある赤い鳥居に目を留めた。
そうだ、神様にお願いしてみよう。
鳥居を潜り、森の中へと進路を変える。杉の木が立ち並ぶ奥には地元の鎮守様を祀るお社がポツンと設けられていた。カビが生えて、全体的に傾いた木の建物。
正面には大きな鈴がぶら下がっていたけど、どんなに力いっぱい紐を揺すろうとゴロゴロと鈍い音がするだけだった。茶色く錆びているせいかもしれない。
初詣の時を思い出して、お社の前でパンパンと手を叩く。
「神様神様、お願いします。桜子ちゃんがいなくなってくれますように」
ママがそうしていたように、ぎゅっと目を瞑ってお祈りする。
すると――
「ん? なんだって?」
とどこからか声がした。慌ててキョロキョロと周囲を見回すと、目の前のお社の木戸がガタゴトと開いて、中から男の人が現れた。
髪も髭もぼさぼさと生えっぱなしで、身に纏った衣服も、異臭が漂いそうなほどボロボロに汚れた仙人のようなお爺さん。
「もしかして……神様?」
私は心臓が飛び出る程びっくりした。神社にお参りしたら、本物の神様が出てくるなんて。
「……なんだ子供か」
髪の毛の間からぎょろりと目を光らせ、神様はにやりと笑った。
「ずいぶんと痩せぎすで小汚い子どもだな。お前、神様に用があんのか?」
「うん。私、神様にお願いしに来たの」
「ふぅん、それなら供物は持って来たか?」
「くもつ?」
「神社にお参りするって言ったら、普通は食い物なり賽銭なり持ってくるだろうがよ」
言われてはっと気づいた。そういえば前に初詣に行った時もママがお金を投げていた。神様にはただお願いするだけじゃ駄目なんだ。
「あります、あります」
私は何かあった時用の電話代としてランドセルに入れてあった十円玉を思い出した。全部で三枚ある。ママは一枚しか投げてなかったから、これだけあれば十分だろう。
ふん、と神様は鼻で笑った。
「まぁ小学生じゃこんなもんか。それで、神様にどんな用事だって?」
「あのね、クラスに嫌な子がいるの」
「へぇ、嫌な子って?」
「私に意地悪ばっかりする子で、桜子ちゃんっていうの」
私は桜子ちゃんについて神様に説明した。桜子ちゃんの家はお金持ちで、ピアノが上手。私と同じ小学二年生なのに背が大きく大人びていて、よく高学年のお姉さんに間違えられる。いっぱい可愛らしいお洋服や文房具を持っていて、でもそれを自慢するから陰ではみんなから嫌われてる。だけど桜子ちゃんは強いし、桜子ちゃんのパパもママもうるさくて有名な人だからみんな面と向かっては文句は言えない。だから桜子ちゃんはわがままし放題。
特に私に対しては貧乏で汚らしいと毎日嫌がらせをしてくる。
「ああ、必ずいるなそういういけ好かないヤツ。自分が特別だと勘違いしてるクソガキ。俺もそういうヤツ大っ嫌いなんだよ。お前、そいつにイジメられてんのか」
「うん。毎日嫌なことばっかりされてるの」
だから私は、神様にお願いしたんだ。
「神様、お願いします。桜子ちゃんが学校に来なくなるようにして下さい」
※ ※ ※
帰ってきたママは、運動着姿の私と洗濯機に入れられたずぶ濡れの服を見て、予想通り理由も聞かず怒った。
「なんで変なことばかりするの? ちゃんとしなさいよ、もう!」
ちゃんとしなさい、はママの口癖。私にはちゃんとの意味がよくわからない。ちゃんとってなんだろう? 桜子ちゃんみたいにお金持ちの家に生まれてオシャレな服を来て、弱いものイジメをするようなのがちゃんとする事なのかな?
桜子ちゃんが言うには、私の家みたいに団地に住んでいるのは普通じゃないらしい。あんな汚くて臭い所、と桜子ちゃんは言う。私たちは普通じゃないところに住んでるのに、ちゃんとすることはできるのかな? 普通とちゃんとの違いっていったいなんなんだろう。
ママは昼間は仕事しているのに、帰ってからも洗濯に料理にと忙しい。夜になればいつパパがやって来るかわからない。パパは一緒に住んでいるわけじゃないけれど、毎日のように突然やって来る。パパが来たら、その瞬間からママは何もできなくなる。ずっとパパの隣で言うことを聞いてないとパパは不機嫌になって怒り出すから、そばを離れられないんだ。
コップが空になったらビールを注いであげなくちゃいけないし、ビールの缶が空になったら焼酎を作ってあげなくちゃいけない。しょっぱい物とか油っこい物とか甘い物とか、パパが食べたいと言ったらすぐに作ってあげなくちゃいけない。おっぱいを触られたり、お尻を撫でられたりしてもママは黙って我慢している。
でもお金を寄越せとパパが言った時だけはママは拒否する。そうするとパパは怒って暴れ出すから、結局ママは泣きながらお金を渡すようになる。
パパは怒るとママの顔を叩いたり、お腹を蹴ったりする。私に対しても一緒だ。私は怒るパパが嫌いだからできるだけ一緒にいたくないのに、私が避けていると気づくとパパは私を叩いたりする。宿題をしていようが、寝ていようが酔っ払ったパパには関係ない。
パパは気の済むまでいつまでもお酒を飲み、私とママはその間寝ることもできずにパパの相手をしなくちゃいけない。
その日も夜遅くまでパパのお付き合いをさせられて、翌朝目を覚ますと、体操着は洗濯機の底にしわくちゃな形のまま残っていた。仕方がないからしわくちゃのまま畳んで、体操着袋に入れた。鼻を近づけてみると、洗剤の匂いに交じってうんちの臭いがする気がした。
また桜子ちゃんに臭いと言われるかもしれないと思うと、嫌な気持ちになった。
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