第2話 キングエメラルド


 ゴトゴトゴト……。

 よく整地された林道を、豪華に装飾された箱馬車がゆっくりと走る。

 御者台には赤いリボンのシルクハットをかぶった御者が、真剣な顔で手綱を握っており、その後ろのワゴンには、正装したブルーデンツとビフテキが乗っていた。

 ブルーデンツは脚を組みながら、頬杖をつきながら、ただ億劫そうに外の景色を眺めているのに対し、ビフテキは御者台側の座席に膝をついて、そこの小窓から目を輝かせながら外を眺めていた。初めて乗る豪華な馬車に、そこから見える新鮮な景色。

 今のビフテキにとって、目に映るすべてのものが娯楽エンターテイメントに見えていた。



「……そんなにそこから見る景色が面白いなら、御者さんに言って、隣に乗せてもらったほうが良かっただろ」



 ブルーデンツが姿勢を正し、背もたれに体重を預けながら言った。



「わかってないですね。小窓ここから見る景色が最高なんですよ」



 ビフテキが背後のブルーデンツを振り返ることなく言う。ブルーデンツは「そんなもんかね……」とため息交じりに言うと、自分の隣に置いていた、黒い中折れハットを手に取り、それを深くかぶって、腕を組んだ。



「……ビフテキ、着いたら教えてくれ」


「あれ、寝ちゃうんですか、師匠」



 ここで初めてビフテキがブルーデンツのほうを向いた。



「……ああ」


「起きたばっかりなのに?」


「起きたばっかりだがな」


「もったいない! もっと景色を楽しまないと!」


「景色つっても、周りには木しか見えないだろうが。何を楽しめてるんだ、おまえは」


「そりゃ、馬と木と、空と雲と……地面と、御者さんとかですよ」


「それをどうやって楽しめてんだよ。そもそも景色は楽しむもんじゃねえよ。過ぎていくもんだ」


「……いや、名言ぽく言ってるけど、意味わかんないですよ、それ」


「いちいち気に留めてると眠たくなるって事だよ」


「でも、眠くなってるのは師匠じゃ……」


「うるせえ! 着きそうになったら起こせ! これは命令じゃない。お願いだ」


「はいはい」



 ビフテキは子どもをあやすように相槌を打つと、再び前を向いて小窓を覗くが「──わあっ!?」ビフテキが急に声を上げた。ビフテキはすぐさま小窓から離れようとしたが、体勢を崩し、そのまま座席と座席の間にスポッとはまってしまった。



「……なにやってんだ、おまえ」



 ブルーデンツは深くかぶったハットの下から、冷ややかな視線をビフテキに浴びせた。ビフテキは目をぱちくりさせると、「御者さんがこっちを見てたからビックリしちゃって」と小さく答えた。



「──もうすぐ到着いたします」



 ワゴンの外──御者台から御者が二人に声をかける。ブルーデンツはそれを受け、ハットをかぶり直すと「わかりました。よろしくお願いいたします」と御者にも聞こえるような声で答えた。そしてそんなブルーデンツを、座席に隙間にはまったままのビフテキが困ったような顔で見る。



「あ、あの……師匠?」


「……なんだ」


「た、助けて」


「はいはい」



 ビフテキが震えながら差し出した両手を、ブルーデンツはため息交じりに握り、そのまま力いっぱい引き上げた。



 ◇



 馬車はサンテティエンヌ家の敷地に入り、5メートルはある門をくぐり、丸く、大きな噴水のある庭を抜け、屋敷前の広場に止まった。馬車から降りたブルーデンツとビフテキを出迎えたのは、黒髪でタレ目のメイドだった。メイドは簡単に二人に「ようこそ~、お待ちしておりましたぁ」と挨拶をすると、そのまま屋敷の中へ二人を案内した。



「おお、はるばるようこそ。我が屋敷へ……」



 サンテティエンヌ家本邸。

 その一階ロビーにて、黒いタキシードを着た、恰幅の良い壮年の男が二人を出迎えた。男は「えーっと……」と言い辛そうにしていると、ブルーデンツは無理やり男の手を取り、握手をした。



「はじめまして変態マゾ豚・・・・・と申します。こうしてお招き頂き、大変光栄です。ガルグマッグさん」


「ああ、そうでした。申し訳ない。こう……、何と言ったものか、変態マゾ豚さんの名前を口にしていいのか、少し迷ってしまって……」


「いえ、事実、そういう名前で登録してあるので、お気になさらないでください。それに変態も、マゾも、豚も、本当の事ですので」


「そ、そうですか……。それは……大変ですね」



 ガルグマッグはそう言うと、ひきつったような笑いを浮かべた。



「どうしても言い辛ければ、それぞれの頭文字をとって、〝ヘマブ〟とお呼びください」


「〝ヘマブ〟……ですか。いえ、それでは失礼にあたりますので、きちんと〝変態マゾ豚〟と呼ばせていただきます」


「そうですか。それはそれで興奮しますね」


「え?」


「ああ、ご紹介が遅れました。こちら、〝ビーフ・ステーキ〟です。私の弟子で……助手のような事をさせています」



 ビフテキはブルーデンツにそう紹介されると、「ごきげんよう」とこうべを垂れ、少し仰々しく挨拶した。ブルーデンツはすこしやり過ぎだとも思ったが、ガルグマッグはこれに笑顔で答えた。



「ごきげんよう。おふたりの噂はかねがね、私のほうでも聞き及んでおります。……先日、あのナッテリーウルフの群れを、おふたりだけで討伐されたという事も」


「さすがガルグマッグさん、耳が早い!」


「という事は、やはり?」


「……ええ、そうなんです。私とそこのビフテキで、あの狼どもを仕留めさせて頂きました」


「やはりそうでしたか。人は見かけによらない、と申しますが、あなた方が本当にあのナッテリーウルフを……」


「あはは、申し訳ございません、筋骨隆々な大男ではなく、このような優男と少女で……」


「いえいえ、ご謙遜を。こちらのほうで何度か、その筋骨隆々な男たちを討伐へ向かわせたのですが、どいつもこいつも役立たずばかりで……」


「そうでしたか。……魔物相手になってくると、腕っぷしも重要ですが、やはり知識のほうもそれなりに重要になってきますので……」


「はっはっは! そうですか、脳みそにまで筋肉が詰まっているボンクラどもには荷が重すぎた、という事ですか!」


「いえいえ、そういうわけでは……」


「ああ、いえ、お気になさらないでください。本日はその件でお呼び立てさせて頂きましたので……」


「〝その件〟ですか……?」



 ブルーデンツは少し首を傾げると、ガルグマッグの前でトボケてみせた。今回、ガルグマッグに呼び出された件について、ブルーデンツはおおよその見当がついていたが、これは相手の心証を損ねないための、ブルーデンツなりの処世術である。



「ええ、はい。……おっと、こんな所でする話でもありますまい。まずは当屋敷自慢のダイニングへ、おふたりを招待いたしましょう」



 その瞬間、ビフテキが「おほー……! 飯だー……!」と小さく声を洩らしながら、目を爛々とさせて、ブルーデンツを見上げる。が、ブルーデンツはこれを無視した。

 ──パンパン。

 ガルグマッグが軽く手を叩くと、傍らに控えていた黒髪タレ目のメイドが、一歩だけ前へ進み、恭しくブルーデンツとビフテキにお辞儀をした。



「ではではぁ、どうぞこちらへ~。ご案内いたしますぅ」



 メイドが軽く手を挙げると、二人はそのままメイドに連れられ、ロビーを後にした。



 ◇



 サンテティエンヌ家食卓ダイニング

 そこは四畳半一間の部屋の中心に、小さなちゃぶ台が置いてあるだけの、質素なダイニングであった。そこでブルーデンツは黙々と箸を動かし、ビフテキは半ばヤケクソと言った感じで、茶碗の中の白米を口の中へかき入れていた。出されたのは漬物とご飯と麦茶のみ。ビフテキの要望通り、それはまさしく〝飯〟であった。



「如何でしょうかな? 当家自慢の白米と、自家製の漬物の味は」


「う、うまいっす。なかなかここら辺でこういうの食べられないですよね……」



 ブルーデンツに米や漬物の味などわかる筈もなく、ただガルグマッグの機嫌を損ねないよう、適当に合わせていた。



「でしょう? サンテティエンヌ家ではなるべく素食を心掛け、日々節制し、慎ましく、質素に生きることを美学と考えておりますので」


「へ、へぇ……なんというか、宗教みたいですね……」


「いえいえ、そんな大それたことではありませんよ。……まあ、私があまり食事に興味がない、という事もあるのですが……」



 ガルグマッグがそう言うと、ブルーデンツは意図せずガルグマッグの、でっぷりと出た腹部に視線を落とした。



「……食に興味がない、と言っておいてなんでこんなに太ってるんだ……とお考えですか?」



 ガルグマッグに指摘されたブルーデンツはバッと顔を上げると、茶碗と箸をおき、手を振って否定した。



「いえいえ、そのような事は……」


「いえ、お気になさらないでください。お恥ずかしい話ですが、私はここ、サンテティエンヌ家の養子になるまで、あまり裕福な食事というものに縁が無くてですね……」


「養子……ですか。失礼ですが、ガルグマッグさんはサンテティエンヌ家の……」


「はい。正式な跡取りではないんですよ」


「そうだったんですね」


「はい。私はサンテティエンヌ家の婿養子。つまり、私の妻〝フローラ〟こそが正式なサンテティエンヌ家の系譜を継ぐ跡取でして……。私は貧乏な商家出身のしがない商人だったのですが、ある日、ここのサンテティエンヌ家の令嬢だったフローラと面会する機会がありまして……」


「ははあ、なるほど。その時に色々と仕込んでやった、と」



 オブラートに包む気などさらさら無かったブルーデンツは、その言葉の拳でガルグマッグの頬をぶん殴った。ガルグマッグはその拳を受けると、目を丸くし、飲んでいた麦茶を噴き出した。



「ブッ!? ……す、すこし語弊があるかもしれませんが、おおよそその通りですな……私自身、一目惚れなものでしたので……」



 ガルグマッグはそう言うと、すこし恥ずかしそうに笑ってみせた。ブルーデンツはそれを見て思うところがあったのか、すこしだけ目を細めて考えると、話を続けた。



「一目惚れ、ですか……。それほどお綺麗な女性なのですね、フローラさんは」


「ええ。それはもう綺麗で……ですが、今は……」


「そう……だったのですね……」



 ブルーデンツが沈痛な面持ちで、ガルグマッグを気遣う……ようなフリをする。見ず知らずの他人が死のうが生きようが、ブルーデンツにとってはどうでもいい事なのである。



「──はい。お連れ様のビーフ・ステーキさんに似て、とても……とても……」



 ガルグマッグは途中で言い澱むと、ビフテキのほうを向いたまま、手を止めてしまった。その様子をすこし妙だと感じたブルーデンツは、改めてビフテキのほうを向くが──


 ──カリポリカリポリ……。

 ビフテキは忌々しそうに口の中の漬物を噛み潰すと、「おかわり!」と言って、椀を高く掲げ、空いたほうの手でごきゅごきゅと麦茶を飲みほした。その際、ビフテキの指につけていた指輪がきらりと光る。



「……おい、ビフテキ……! おまえ、さすがに空気読めって……! いま気軽におかわりできる話題じゃなかったろ……! ガルグマッグさん、唖然としちゃってるぞ……!」



 ブルーデンツがビフテキに顔を近づけて、責めるように小さく語り掛ける。しかしビフテキはそんなブルーデンツを睨み返すようにして言った。



「だってこんな……! ありえないでしょ……! せめてもっと、美味しいお魚とか新鮮な野菜とか期待してたのに……!」


「たまたまサンテティエンヌ家では、こういった形式の食事を採ってたってだけだ。ガキみたいにうだうだ駄々こねんな……」


「だって私、昨日から何も食べてないんですよ……! 貴族飯だけを楽しみに……!」


「チッ、わかったわかった。あとでうまい飯屋連れてってやるから」


「じゃあ私、甘いものが食べたいです」


「アホ。変な事言ってると、その辺の雑草をその口にねじ込──」


「──ブリジット……ブリジット、なのか……!?」



 ふたりのひそひそ話を遮るようにして、ガルグマッグが大声を上げる。

 ブルーデンツとビフテキは互いに顔を見合わせると、目をぱちくりとさせながら、顔面蒼白のガルグマッグを見た。



「え、えーっと……如何なさいましたか、ガルグマッグさん? もしかしてビフテキが何か粗相を?」



 ブルーデンツがおそるおそるガルグマッグに尋ねると、ガルグマッグはハッとなって我に返り、ひとつ、大きな咳払いをして、ビフテキの顔をじっと見つめた。



「し、失礼しました。……あの、ビーフ・ステーキさん」


「は、はい! なんでございましょう!」


「……その、貴女の指にある指輪……〝キングエメラルドの指輪〟だとお見受けするのですが、それをどこで……?」


「キングエメラルド……? ──思い出した!」



〝キングエメラルド〟

 その単語を聞いた瞬間、今まで胸につっかえていた何かがとれたように、ブルーデンツが声を上げた。



「思い出したぞ、ビフテキ! その指輪……についてる宝石のほうの名前だよ!」


「え、本当ですか?」


「はい。キングエメラルドは……この国〝ファゴット〟に伝わる国宝・・です」



 ガルグマッグが静かに、厳かに話し始めた。



「キングエメラルドとは、古くよりこの地より伝わる、神より賜りし宝です。ファゴットが管理し、守護している降神山こうしんさんという鉱山にて、管理されており、特別な時にしか採掘、加工出来ないようになっているのです。その出来た品ひとつひとつは全てファゴットが管理しており、国外へ持ち出すことは不可能……そして、最後に採掘されたのはおよそ100年前……という話です」


「そ、そんな昔なんですか……」



 ビフテキが自身の指にはめられている指輪を眺めた。



「はい。そのキングエメラルドですが、この国において、その所有を認められているのは、ファゴット王と、その王より領地下賜されている、我々領主のみ……」



 ブルーデンツはたらー……と冷や汗を垂らすと、ビフテキの頭をガッと掴んで、一緒になって頭を下げた。



「も、申し訳ありません!」


「おい、ちょ、師匠!? なにすんだよ! はな、離せ……!」


「知らなかったとはいえ、一冒険者如きが国宝に手を出してしまうなんて……なんてお詫び申し上げたら……! ……ほら、ビフテキ、ガルグマッグさんにその指輪を返しなさい!」


「え、ええええ!?」


「いえいえ、滅相もない! どうぞ、お顔をお上げください!」



 暴走する二人に対し、ガルグマッグが慌てて声をかける。ブルーデンツはとりあえずガルグマッグの言う通り顔を上げてみせるも、その表情は明るくない。



「……えっと……?」


「……ビーフ・ステーキさん、失礼ですが、貴女の出生についてお聞かせ願えませんか」


「私の……生まれた時の事、ですか?」



 ガルグマッグにそう言われると、ビフテキはブルーデンツの顔を見た。ブルーデンツは首を傾げると、ビフテキに小さく「言いたくなかったら言わないで良い」と答えた。ビフテキは少しだけ迷ってみせると、やがてガルグマッグに向き直り、自分の出生について、自分が知っている範囲で話した。

 親が誰かすら知らない事。ブルーデンツと出会うまでひとりで生きてきた事。そして、今つけている指輪の事。

 ビフテキの話を静かに聞いていたガルグマッグは、やがて静かに目を瞑り、口を開いた。



「変な事を言うかもしれませんが、その顔、キングエメラルドの指輪、そしてその生まれ……ビフテキさん、貴女は間違いなく、サンテティエンヌ家の出身……つまり、フローラの娘であり、私の娘、ブリジット・ドゥ・サンテティエンヌです」

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