第3話 それぞれの人生


 16年前、サンテティエンヌ家の本邸で起きた〝サンテティエンヌ家の悲劇〟という事件がある。その事件は至極単純にして明快だが、その残虐性は目を覆いたくなるほどに悲惨であり、事件の起きたその日、サンテティエンヌ家ではガルグマッグを含め、数人の家人を除いた全員・・・・・が、とある犯罪組織の者たちによって惨殺されていた。

 それを行った犯罪組織の名は〝オディエウス〟

 オディエウスは詐欺、違法薬物の売買、人身売買、殺人など、ありとあらゆる犯罪を行う巨大な犯罪組織で、そんなオディエウスが次に目をつけたのは、サンテティエンヌ家が保有している〝キングエメラルドの指輪〟であった。

 キングエメラルドはその管理体制の厳しさや、市場に一切出回らない希少性、宝石自体が持つ美しさも相まって、ファゴット国外では目も眩むほどの高値が、非公式でつけられており、オディエウスはそれを狙ったのだ。

 しかし、相手は貴族であり、ファゴット王より下賜されている土地を守護する領主。サンテティエンヌ家の保有している戦力は、オディエウスが今まで相手取ってきたどんな組織よりも強大だった。したがって、オディエウスは組織の全戦力を、サンテティエンヌ家のキングエメラルドの指輪強奪に注力させ、さらに皆が寝静まった深夜を狙った。


 そしてついに決行日。

 サンテティエンヌ家は戦場と化した。


 オディエウス、サンテティエンヌ問わず、大勢の人間が死に、広場の噴水は赤く染まり、色鮮やかだった花々は血にまみれ、サンテティエンヌ家自慢の屋敷は跡形もなく燃え尽きた。

 そして、ファゴット王が派遣した兵がサンテティエンヌ家に加勢に来た時には、もうすでにオディエウスの人間は全滅しており、残っていたのはサンテティエンヌ家の者数人と、ガルグマッグだけであった。

 当時のサンテティエンヌ家の被害総額は相当なもので、もはや貴族として、領主として立ち行かなくなっていたのは明白だったが、当時の婿養子であり、現サンテティエンヌ家の仮当主であるガルグマッグの手腕により、現在はある程度まで持ち直している。が、サンテティエンヌ家のキングエメラルドの指輪だけは依然、行方知れずとなっていた。



「──これが16年前、私が体験した〝サンテティエンヌ家の悲劇〟です」



 ブルーデンツとビフテキとガルグマッグの三人は食堂ダイニングから場所を変え、ソファと机だけのシンプルな談話室へと移動していた。ブルーデンツとビフテキは黒い上質な革張りのソファに座りながら、特に何を言う事もなく、ただただ、ガルグマッグの言葉に耳を傾けていた。



「そして、たしかビーフ・ステーキさんの年齢も、16歳……でしたよね」



 ガルグマッグにそう尋ねられると、ビフテキは手元の指輪に目線を落として、力なく「はい……」と答えた。



「おそらくフローラが、貴女の母親が、最後の力を振り絞り、何らかの方法でこの屋敷から貴女と、そのキングエメラルドの指輪を逃がしたのでしょう……」


「お母さんが……」


「私もこの16年間、ずっと娘の事を想ってきました。事件が終わり、ブリジットの遺体が上がらなかった事を、唯一の心の支えとして生きてきたのです。あの子は、ブリジットは絶対にどこかで生きている、と。……そして、なんの縁か、巡り巡ってここへやって来てくれた。これは運命……いや、これこそが、キングエメラルドの導きでしょう。ビーフ・ステーキさん……いえ、ブリジット。どうか、この不甲斐ない父親の元へ……サンテティエンヌ家へ戻って来てはくれないか」


「で、でも、そんな事言われても……私……」



 ビフテキは困ったように、助けを求めるようにブルーデンツを見たが、ブルーデンツはビフテキと目を合わせようとはしなかった。



「もちろん、いきなり戻って来いと言われて困るのはわかっている。いきなり現れて、自分の事を父親だとかのたまう人間を信用できないのもわかっている。……ただ私は、おまえが冒険者になりたいのだったら金銭面でもなんでも応援するし、それに聞くところによると、もう冒険者ギルドの中でもかなりの腕前らしいじゃないか。あまり自分の娘を危険な仕事にはつけさせたくないが、変態マゾ豚さんと一緒なら大丈夫だろう。……だから、だからせめて、サンテティエンヌ家にその籍を置いて、たまにでいい、私に元気な顔を見せてはくれないだろうか。それだけでいいんだ。それだけで……」



 ガルグマッグは震える声で、震える手で、ビフテキに懇願した。ビフテキは依然、複雑そうな表情を浮かべており、ガルグマッグの顔をまっすぐ見ることは出来ないでいた。ブルーデンツは何を思っているのか、無表情のままガルグマッグとビフテキのふたりを黙って見ている。が、やがて──



「──ガルグマッグさん」



 ブルーデンツは思い立ったように、自身の膝をパンと叩いて立ち上がると、ゆっくりとソファの後ろへ回り込み、そのままビフテキの肩に手を置いて、ガルグマッグを見た。



「とりあえず見ての通り、今日のところはコイツも混乱しているので、この話の結論は明日以降に先延ばし……という事にして、勘弁してやってくれませんかね?」



 ブルーデンツの、自分ビフテキを気遣っての行動だと思ったのか、ビフテキはブルーデンツを見上げると、ほっと安堵した表情を浮かべた。それを見たガルグマッグはすこし口元を緩めると、ソファに深く腰掛けた。



「……そうですね。これは商談ではなく、人の気持ちの問題。今すぐ結論を求めようとするのは、私の悪い癖でした。すみません、ビーフ・・・ステーキ・・・・さん。……ただ、私もそれくらい必死だったのだ、と。今はその事だけ理解してもらえたら幸いです」


「あ、はい……いえ……でも、なんというか、すみません……もうちょっと考えさせてもらいま──」


「──はいっ!」



 パァン!

 ブルーデンツがビフテキの言葉を遮るようにして、手を叩く。ビフテキはビクッと肩を震わせると、再びブルーデンツを見上げた。



「では、人の気持ちのアレコレも一旦終わったようですし、今度は商談をしましょうか、ガルグマッグさん!」



 ブルーデンツは先ほどまで遠慮がちだったのに、今度は一転して、ガルグマッグに商談を持ち掛けた。これはブルーデンツが、この商談において〝ブリジット〟という武器を手にしたからに他ならない。ブルーデンツはこの機会を逃さなかった。すでに若干引いているガルグマッグに対し、ブルーデンツはずずいと距離を詰めていった。



「そ、そうでした。だいぶ話がプライベートなものになってしまいましたが、おふたり……変態マゾ豚さんに頼みたいことがありまして──」


「おお、そうでしたか! それはもしかして、サンテティエンヌ家との専属契約……とかなんとかだったりしますか?」


「さ、さすがは変態マゾ豚さん。もうすでに、ある程度の情報は手元にあるようですな」


「はい。もちろんですとも。それとじつは私も、ガルグマッグさんに美味しい話を持ってきた次第でして──」



 こうして、傍らでドン引きしているビフテキを他所に、ブルーデンツとガルグマッグの商談かけひきは夜まで続いた。



 ◇



 サンテティエンヌ別邸、屋敷。

 本邸とはなんら遜色のない大きさの屋敷──その一階、談話室にて、浮かない表情のビフテキと、満面の笑みを浮かべながら、大量の書類をカバンに詰めているブルーデンツがいた。

 ブルーデンツとガルグマッグの商談は結局夜まで続き、それにしびれを切らしたビフテキは、先に宿泊予定だった別邸のほうへと移動し、それからしばらく経ってから、ブルーデンツと談話室にて合流していた。



「──で、結局、商談とやらはどうだったんですか?」



 ビフテキがソファの上で、うつ伏せに寝転がりながら、興味が無さそうにブルーデンツに尋ねた。



「見りゃわかるだろ。大成功だよ。まあ、いちおう内容は聞いとくか?」



 ブルーデンツが、書類を整理する手を止めることなく答える。



「……いちおう? まあ、はい、そりゃ聞きますけど……」


「そうか。じゃあ、まずは専属契約だが……これは両者合意となった」


「へえ、よかったですね」


「ちなみに仕事の内容は、今回の狼退治みたいなのと、ここで勤めている兵や守衛やらの訓練、指導だな」


「それは普通ですね」


「まあな。あとは勤務形態だが、常勤じゃなくて非常勤になった」


「……非常勤ですか? それって逆に、あんまり嬉しくないんじゃ……」


「何言ってんだ。サンテティエンヌ家とは専属契約だから、俺は特に何もしなくても金は入ってくるんだ。……だから、毎日ここに来なくてもいいって事。俺はただ有事の際に、ガルグマッグさんから指示を受けてちょろっと働くだけ。それとたまに、『生きてますよ』って感じで顔見せてりゃそれでいいんだよ」


「うわあ……」


「ああ、それと、専属契約で非常勤とはいっても、べつにサンテティエンヌ家以外の仕事も受けていいらしい」


「いやいや……専属・・とは?」


「まあ、さすがにダブルブッキングとか、緊急時はこっちを優先して動くけど、それ以外の時は特に縛りらしい縛りはない」


「いや、ダブルブッキングとかは完全に師匠側が悪いですよね……」


「さすがに故意に予定を組んだりはしねえよ。けど、たまたま依頼が入ってくる事もあるかもだから、そういう時は、こっち……サンテティエンヌ家の依頼を優先するってこと」


「うーん、なんだかなぁ……」


「あと、その時発生する違約金も、こっちが持つ」


「違約金って……キャンセル料とかの事ですよね。それもこっちが持つって、サンテティエンヌ家?」


「それ以外ないだろ。たとえば、元々ギルドのほうで仕事を受けてたけど、急遽サンテティエンヌ家から仕事の依頼が舞い込んできたとする。その時、ギルド側の仕事をキャンセルするんだけど、そうなった場合のキャンセル料っていうか、さっきも言ったけど違約金だな。それをサンテティエンヌ家に肩代わりしてもらえるって事」


「至れり尽くせりじゃないですか……」


「その代わり、そう言うのを極力なくすために、俺がどこでどんな依頼を受けたかは逐一報告しなけりゃならないんだけどな」


「まあ、そうなりますよね」


「要するに、今までの内容を全部、簡単に言い換えると、『お金もあげます。したい事も応援します。けど、なんかあったら帰ってきてね』という事だな」


「完全に寄生する気満々ですね……」


「寄生というかもう、完全にサンテティエンヌ家に養われてるって感じだなぁ。俺、極力働きたくないしな」


「ダメ人間じゃないですか」


「るせえ。ダメ人間するために、頑張ってアレコレ手を尽くして来たんだろうが」


「……まあ、たしかに、いままであまり楽な事ばかりじゃなかったですからね……」



 ビフテキがそう言うと、ブルーデンツはそこで初めて手を止め、ビフテキと同じように物思いに耽った。



「だなぁ……。二人でアホみたいな事、しょうもない事、悪い事、色々やったしなぁ……」


「ま、こっちは師匠に付き合わされたりで、散々でしたけどね」


「嘘つけ。なんやかんやでおまえもノリノリだったろ」


「そんなワケないです。私は常に良心の呵責と戦ってきましたから。生まれついての悪の師匠とは違うんですよ!」


「けっ、変な言葉ばっか覚えて頭でっかちになりやがって……」


「お生憎様。私に変な言葉を覚えさせたのは、紛れもなくあなたですよ、師匠」


「おいおい結局責任転嫁か。怖いねぇ。誰に似たんだか……」


「師匠だって言ってるでしょうが」


「……でも、結局刺突剣レイピアの扱いだけは上手くならなかったな。俺に似ずに」


「は、はあ!? 何で知って──」


「ずっと俺の剣見て練習してたろ? 気付いてないと思ってたのかよ」


「……思ってました」


「アホ。おまえは小刀ナイフだけ振り回してたらいいんだよ。そっちのが性に合ってる。ヘンに変わる必要なんてねえんだよ」


「それは……そうですけど……」


「ん……もしかして、俺の真似でもしたかったのか? 『師匠みたいに、かっこよく刺突剣レイピア扱ってみたかったんですぅ! きゃーステキ!』……みたいな」


「あ、アホか! 誰もそんなこと思いませんよ!」


「じゃあ何のために刺突剣レイピアの練習してたんだよ」


「そ、それは……言いません……」


「けっ!」


「ふん!」


「……でもま、この2年、色々あったけど、楽しかっただろ?」


「そ、そりゃまあ、退屈はしませんでしたけど……」


「──だからもう、これで終わりだ」


「……へ?」



 ビフテキが顔を上げ、ソファの上に座り直して、ブルーデンツの顔を見る。ブルーデンツはさっさと書類をカバンに詰めると、そのままカバンを背負った。ブルーデンツはニマニマと笑っているが、ビフテキの顔は笑っていない。



「な、なに、言ってんですか、師匠……?」


「これでおしまいだ。俺とおまえ、これからは別々に生きるんだよ」


「なんで……?」


「なんでって、おまえだってこんな変態マゾ豚・・・・・といつまでも一緒にいたくないだろ?」


「それは……いや、でも……え?」


「んだよ。まだ伝わらねぇのか、相変わらず鈍いヤツだな。……いいか、おまえはもう用無しってことだよ」


「よ、用無し……」


「ああ。俺は散々おまえを利用した。おまえから、俺の知らない事をそこそこ教えてもらった。そんで、最後にこんなウマい仕事まで手に入れられた。だから、もう終わりだ。もうおまえからは利用できるものは何もない。おまえから教わることも何もない。要するにおまえは出涸らし。用無しって事。わかるか?」


「え……っと、あ……あーっ! また私の事、からかってるんですね! しょうもなー! 全然面白くないですよ、それ。スベってますって師匠! だから、今日ところはもう寝て、また明日、面白いネタを──」


「──ここでお別れだ。もう俺は、これ以降おまえの前に現れることはない。今日、ここで寝るのはおまえだけだ」


「あの……」


「俺は……そうだな。ちょっと遠いけど、ここから歩いて帰るとするよ。まだ眠くないしな」


「あの!」


「なんだ?」


「い、いやいや! 何言ってんですか!? いまさら! 勝手にスラムから連れ出して、色々なところを連れ回して、色々な景色見せて来て、色々楽しい事やキツイ事を一緒に経験させてきて、勝手に弟子にさせられて? 挙句の果てに用が無くなったからって、ポイですか? 人間のクズですよ! 最低です! せめて責任取ってくださいよ!」


「すまん」


「〝すまん〟って……ず、ずるいですよ! 謝るなんて! ……謝られても、どうするんですか、これ! この気持ち! せっかく、ガルグマッグさんの誘いを断って、これからも師匠と一緒に冒険しようって、一緒に色んな景色を見てやろうって、しょうがないからついてってやろうって。それで……それで、何なんですか!? 結局、お金なんですか? 結局、貴族なんですか? 結局、私なんて……どうでもいいんですか?」


「……ああ。心底どうでもいい。正直、今もぶっちゃけ迷惑だ」


「──なッ!? ……あー……はいはい、わかったよ! もういいよ、さっさと消えろ! そんなヤツだと思わなかったよ! ……バカで、変態で、豚で、どうしようもないダメ人間だけど、やっぱり優しいトコはあるんだって、そうやって思って、思わされて、ずっと騙してたんだろ? 猫かぶってたんだろ? こうやって裏切るために!」


「よくわかったな」


「……も、もういいよ。こっちこそ、あんたと一緒にいたくねえし……顔も見たくねえ。さっさと消えてくれ……」


「わかった。じゃあな、ビフテキ……いや、ブリジット・・・・・さん」



 ブルーデンツはそう言うと踵を返し、部屋から出て行こうとした。



「──くっ、この……! 変態マゾ豚! もう本当に弟子なんて辞めてやる! こっちから願い下げだ! そのサンテティエンヌ家との契約も、全部私が反故にしてやるからな! バーカ! だから……だから……反故にされたくなかったら、一生ここに居ろ!」


「それは出来ない」


「くぉの、バカ! アホ! マヌケ! 死んじゃえ! あんたなんて大嫌いだ!」


「……風邪ひくなよ」



 ブルーデンツはそれだけ言うと、ビフテキに一瞥もくれることなく、部屋から静かに出て行った。



「うっさい! あんたは一生ひいてろ!」

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