第1話 ナッテリーウルフ


「──師匠! ラスト一匹、そっち行きましたよ!」


「ああ、わかってる」



 小刀ナイフを携えた少女が振り返って叫ぶ。その声を受け、師匠・・と呼ばれた男は、手に持った〝刺突剣レイピア〟を静かに胸の前で構えた。

 男の名はブルーデンツ・フォン・リヒテンシュタイン。

 二年前、リヒテンシュタイン家とシュヴァリエ家のお見合い中に突然失踪し、今なお失踪中・・・捜索中・・・のリヒテンシュタイン家、嫡男である。現在は冒険者ギルドに所属している冒険者で、ブルーデンツを師匠と呼んでいる少女と共に、二人一組で活動していた。


〝ラスト一匹〟

 そんなブルーデンツに肉薄しているのは、血走った目をギョロギョロと動かし、口から粘着性のある涎を撒き散らす大型の狼、〝ナッテリーウルフ〟だった。肉食魚の名を冠するその狼は、赤い目よりも遥かによく利く鼻で、ブルーデンツの位置を特定し、その首筋に牙を突き立てようとしていた。



「──ッ!!」



 ブルーデンツが一息に刺突剣レイピアを突き出した。

 一瞬。

 叫び声も、狼らしい雄叫びもなく──ほんの一瞬のうちに、最後・・のナッテリーウルフが全身を刺し貫かれる。二年前、ブルーデンツがモヒカン男のモヒカンを刈り取った時よりも、その剣術は鋭さを増していた。

 ブルーデンツはナッテリーウルフの体に刺さった刺突剣レイピアを引き抜くと、腕を素早く縦に振り、刀身に付着した血を払った。



「……これで、終わった……のでしょうか」



 さきほどの少女がブルーデンツの元へ駆け寄り、心配そうな顔でブルーデンツを見上げる。ブルーデンツは少女の顔を一瞥すると、刺突剣レイピアを持っていないほうの手で少女の頭を撫でた。



「ああ、たぶんな──」



 ──パシン。

 ブルーデンツが言い終えるよりも先に、少女の手の甲がブルーデンツの手を強く払いのけた。少女は忌々しそうにブルーデンツを睨みつけている。



「ちょっと! 勝手に人の頭を触らないでくれますか、この変態マゾ豚! ギルドに通報しますよ!」


「おいおい、相変わらず手厳しいな、〝ビフテキ〟は」



 少女は〝ビフテキ〟と呼ばれると、顔を真っ赤にして、さらに強い語気でブルーデンツに詰め寄った。



「だから! その名前で呼ぶなって! 何度も何度も……言ってんだろ!」


「ああ、そりゃそうだ。略す・・のは失礼にあたるよな。〝ビーフ・ステーキ〟さん」


「ブッコロス!!」



 ボコッ!

 ビーフ・ステーキと呼ばれた少女の放った右ストレートが、これ以上なく、綺麗にブルーデンツの顔面にめり込んだ。ブルーデンツは震える親指をピンと突き立てると「な、ナイスパンチ……!」と鼻血を垂らしながら、痛みに耐えるように答えた。あの日、スラムの〝飯屋〟で、少女が同じようにブルーデンツに放った右のストレートよりも、その鋭さは遥かに増していた。

 二年前、ズタ袋のような服(と呼ぶにもはばかられるモノ)を着て、碧色の指輪をつけていた名無しの少女は、名を〝ビーフ・ステーキ〟と改め、きちんと服らしい服を着て、ブルーデンツと共に行動していた。

 ちなみにビーフ・ステーキとは、もちろんあのビーフステーキで、つい先日、彼女がビーフ・ステーキを口にするその日まで、彼女がその正体すら知らなかった単語である。



「いやまあ、そうは言われても、この二年、ずっと〝ビフテキ〟だったしな。いまさら名前を呼ぶなって言われても……ほかに呼び名が……うーんむ」



 ブルーデンツがうんうんと腕組みをしながら、鼻から血をだらだらと垂らしながら唸っていると、ビフテキはため息交じりに真っ白いハンカチを取り出し、甲斐甲斐しくブルーデンツの鼻血を拭った。そしてその手──その指には、二年前と同じように輝く、碧色の指輪がはめられていた。



「はぁ、もういいです。百歩譲ってビフテキ呼びは許します。けど、〝ビーフ・ステーキ〟とは呼ばないでください。……呼んだ瞬間、ぶっ飛ばしますから」


「もうぶっ飛ばされてるけどな」


「なにか?」


「なんでも。だがまあ……それよりも、おまえのその口調、なかなか様になってきたな」


「ん、そりゃまあ、師匠が『せめて乱暴な口調は直せ』って言ってくるからじゃないですか」


「でも、便利だろ?」


「……まあ、はい。口調を変えてからはあまり変な人には絡まれなくなったので、結果オーライではあるんですけど……」


「それにオフィシャルな場所でも使えるしな。せいぜい感謝しろよ、俺に」


「しねえよ。てか、何回この話振ってくるんですか。もういい加減、うんざりなんですけど」


「……たぶん、もう言わないんじゃない?」


「ほんとですか?」


「ほんとほんと。それよりも、今はこいつらの処理について考えようぜ」



 ブルーデンツはそう言うと、あちこちに転がっているナッテリーウルフの死体を見渡した。

 これらは全て冒険者ギルドからの依頼を受けて、ブルーデンツとビフテキの二人が仕留めたナッテリーウルフの群れだった。ナッテリーウルフ自体、そこまで戦闘力の高い個体ではないが、こうして群れで行動しているため、その群れを相手するとなると、かなり厄介な敵になってしまう。従って、ナッテリーウルフの討伐は、腕利きの冒険者しか受注が出来ない仕様になっていたのだが、既にブルーデンツとビフテキの二人は、中堅よりも少し上の、それなりの冒険者になっていた為、受注は可能だった。

 近頃、この、街と街とを繋ぐ街道にて、大型の馬車キャラバンがナッテリーウルフの群れに襲われる、という事件が多発しており、その被害を受けている、貴族であり実業家でもある〝ガルグマッグ・ドゥ・サンテティエンヌ〟がこうして討伐依頼を出していたところ、二人が名乗りを上げたのが、事の発端である。



「いやあ、壮観だな、こりゃ」


「ひぃ、ふぅ、みぃ……13匹いますね。どうしましょう、ここに放っておくわけにもいかないですよね。これほどの死体……」


「なら食うか」


「13匹全部ですか!? 無理ですよ。少なくとも私は食いたくありません。まずそうですし」


「味の問題なんだな。……まあ、たしかに美味く……はなさそうだ」



 ブルーデンツはそう言いながら、淡々と、ナッテリーウルフの首の下部にある頸動脈を腰に差していた小刀ナイフで傷つけ、血抜きをしていった。ビフテキもそれを見ると、ブルーデンツと同じように血抜きをしていく。

 何をするにもまずは血を抜く。

 これはブルーデンツの教えではなく、ビフテキの教えだった。殺傷後、素早く血を抜くことで、血の臭いが肉に、皮に移る事を抑制するためである。スラム時代、ビフテキが生きていく上での生活の知恵だ。



「ナッテリーウルフ自体、雑食ではあるんだが、こうして人里に降りて来てる個体はまず間違いなく肉食。となると……肉は相当クサいだろうな」


「うげ。ますます食いたくないですね。……でも、やっぱり、師匠って変なところで知識はあるんですね」


「知識だけはな。それに今回のターゲットでもあるわけだし、それなりに調べはするだろ」


「変なところで真面目ですね」


「俺はいつだって真面目さ。……ま、せいぜい俺を見習うこったな」


「言ってろ。最初は血抜きするのにもビビってたクセに」


「そりゃビビるよ。いままで生き物を殺した事なんてなかったからな。俺の知らない所でやってたんだろうし、実感はなかったけど、それ自体は知ってた、分かってて肉を食ってた。……まさか、自分がやる側になるとは思ってなかったがな」


「貴族の暮らしかぁ……」



 ビフテキが手を止めて、まだ見ぬ〝貴族の暮らし〟を妄想する。ブルーデンツは特にそれを咎めることなく、ただひとり、淡々と血抜きをこなしていった。



「皮は剥いで、適当なところで売れるとして、肉はブッチャー……スラムのほうに卸してやるか。まず買い取ってくれるだろ。あいつらなんでも食うんだし」


「いやいや、なんでもは……食うかも」


「だろ? あん時も変な肉食わされて散々だったからな。せめて今回も高く売りつけてやるんだよ」


「……未だにそのこと根に持ってるんですか」


「あたりまえだ。何日寝込んだと思ってんだ。それにあの後、何の肉か訊いても結局教えてくれなかったし」


「……たぶん、自分でも何作ってるか分かってないんでしょうね」


「そんな飯屋があってたまるか」



 ブルーデンツは小さく吐き捨てると、最後のナッテリーウルフの血抜きを終えた。全てが終わり、グググ……と上体を逸らし、トントンと腰を叩くブルーデンツを見たビフテキが「じじいかよ」と呟く。



「……よし、あとはこいつらを日陰に置いとけば終わりだな」


「あれ、持って帰らないんですか?」


「アホ。こんな数持って帰ったら、それこそ日が暮れるだろうが。ギルドに代行を頼むんだよ。後は勝手に持って帰って、捌いて、卸して、最終的に手数料を差っ引いた金を渡してくれる。便利だろ?」


「へぇ、そんなサービスやってたんですね。……でもそれ、ピンハネされませんか?」


「されねえよ! 俺の金勘定ナメんな! それに、そんなサービスやってなくても無理やり押し付ければいいんだよ」


「それは横暴が過ぎるのでは……」


「ギルドもギルドで人使いが荒すぎるんだよ。これくらいコキ使ってやって、ようやくトントンだ」



 ブルーデンツはそう言うと、ポケットに忍ばせていた白い笛の様なものを吹いた。音は鳴らず、ただ掠れたような音が虚しく鳴り響く。

 しかし、それからしばらくすると、突然、忍者装束を着た黒髪の女性が、音もなくブルーデンツたちの前に現れた。



「わあ!? ……て、おだんご・・・・さんか。ビックリさせないでくださいよ……」



 ビフテキが目を見開いて驚くと、〝おだんご〟と呼ばれた黒髪の女性は、口元を覆っていた紫色の布を指でずらし、「あはは~……ごめんなさいねぇ、ビフテキさん~……こういう仕事だからぁ」とやんわり謝った。


〝おだんご〟とは本名ではなく、偽名であり通称であり、謂わば彼女のコードネーム。おだんごはブルーデンツたちも所属している冒険者ギルド〝サンディキャット〟に在籍してはいるものの、ブルーデンツたちのような冒険者とは違い、ギルドが正規に雇用している、ギルドの職員であった。おだんごはその中でも、隠密部隊と呼ばれる部隊の諜報員スパイであり、普段は情報収集や怪しい依頼の調査、裏取りなどを担当しており、この姿のおだんごを知る者はあまりいない。



「来てくれたか、おだんごちゃん」


「困りますぅ。〝変態マゾ豚〟様ぁ。……このように気軽に呼ばれては~……」



〝変態マゾ豚〟とは、つまりブルーデンツの事である。これはおだんごによる罵倒でも悪口でもなく、本当にブルーデンツがその名前だから・・・・・・・だ。

 ブルーデンツはギルドで自分の名前を登録する時、〝ブルーデンツ〟とそのまま登録するのはよくないと考え、普段からビフテキに呼ばれていた〝変態マゾ豚〟という名前で登録したのだ。それ以降、ビフテキが公の場所でブルーデンツの事を〝変態マゾ豚〟と罵倒することは滅多になくなったという。つまりこれは、ブルーデンツによる、ブルーデンツなりの、ビフテキへの嫌がらせであった。

 ちなみに、ビフテキもその時に〝ビーフ・ステーキ〟という名前でギルドに登録している。


 上記の事から、ブルーデンツ、ビフテキの二人は周りから〝牛豚コンビ〟と呼ばれ、新進気鋭の二人組として注目を集めていた。



「──気軽も何も、無茶ぶりしてきたのはそっちでしょ。本来なら、俺たちの他に、もう二組合流する予定って聞いてたんですけど」


「それに関しましてはぁ、ギルド長から直々に指名があったと言ったはずですが~……」


「俺らの実力を試すため、てか? 余計なお世話だって伝えておいて」


「わかりましたぁ、伝えときますねぇ。……ですが、これでお二人の実力が証明されましたのでぇ、これからは、もっと色んな依頼を受注できると思いますよぉ」


「ですって、師匠! やりましたね!」


「……まあ、これでまた自由に色々とやれるようになったわけだな。……どうだい、おだんごちゃん。この狼の死体を送り届けた後、俺と洒落たカフェで茶でもしばかないかい?」



 ブルーデンツはそう言って、おだんごの肩を抱き寄せようとするが──おだんごの姿が露のように消え、次の瞬間、一瞬にしてブルーデンツの背後へと移動した。



「困りますぅ、ギルド職員へのセクハラは罰金対象ですよぉ」


「ええ!? それって、お金を払ったらセクハラしていい──のッ!?」



 ドボッ!

 ブルーデンツのどてっ腹に、ビフテキの前蹴りが炸裂する。ブルーデンツはお腹を押さえながら前のめりに倒れ込むと、「な、ナイスキック……」と呻くように呟いた。



「ありがとねぇ、ビフテキさん~」


「いえいえ、この変態マゾ豚はちゃんと躾しておかないと」


「それにしてもぉ、また腕……というよりぃ、脚あげたぁ?」


「あ、わかりますか? そうなんです! 今は脚も頑張って鍛えてるんですよ! 足腰や体幹はすべての基本だって聞いたので。風の噂で」


「それ……教えたの……俺……なんだが……」



 息も絶え絶えのブルーデンツは、自身の頭上で繰り広げられているガールズトークを、ただ恨めしそうに、腹部を押さえながら見送ることしか出来なかった。



「──という事でぇ、ナッテリーウルフの件、承りましたぁ。お支払方法は、現金でよろしかったでしょうかぁ?」


「ああ、それについてなんだが──」



 多少の痛みは引いたのか、ブルーデンツは腹をさすりながら、なんとか立ち上がった。



「狼の金はそのままそっちギルドが受け取っておいてくれ」


「うそ、値上げ交渉をするわけでもなく、師匠が……金そのものを受け取らない……だと!? あの師匠がッ!?」



 ビフテキは大声で驚いた後、なぜかブツブツと小さく呟きながら、茫然と空を眺め始めた。



「あらあらぁ、よろしいのですかぁ?」


「ああ、ちょっとね。その代わり、おだんごちゃんに仕事・・を頼みたいんだけど……」


「私に、お仕事……でしょうかぁ」



 おだんごが首を傾げる。

 こうやって、冒険者がギルドに逆に仕事を依頼する事自体珍しい事ではないが、基本的にそこに機密性はなく、出された依頼は大体の場合、ギルド内で共有される。その為、職員が一個人でその仕事を受けるか否かを判断することはまずない。

 だが、ブルーデンツはビフテキを一瞥すると、ビフテキが放心状態である事を確認した後、再びおだんごに向き直り、こそっと・・・・耳打ちをした。



「──なるほどぉ。たしかにそれはおかしいですねぇ」



 ブルーデンツの話を聞いたおだんごは、顎に手を当て、ひとりで考え込んでしまった。やがて考えがまとまったのか、おだんごはポン、と手を叩くと、ブルーデンツに言った。



「……わかりましたぁ。その件、こちらのほうで調査させていただきますぅ」


「あ、いいんだ? 珍しいね」


「はぁい。じつは、ここだけの話なんですけどぉ、私たちもその事について調査していたのでぇ」


「そうなんだ? あの〝強くなるクスリ〟……とかいうのは終わったの?」


「そちらも調査中ですぅ」


「大変なんだね。……でも、それについても調査中だったとは……じゃあ金は払わなくても──」


「もちろん頂戴しますぅ」


「で、ですよね……」


「はぁい。ただし、情報を入手致しましたら、いの一番……とはいきませんがぁ、早めにお伝え致しますぅ」


「うん、お願いね。……俺らはもう、あと狼を日陰まで運んだら、今日の所は帰るとするよ」


「了解でぇす。お手数をおかけしますぅ」


「……おら、行くぞ、ビフテキ。いつまでボーっとしてんだ」



 ブルーデンツはそう言うと、空を眺めていたビフテキの頭をわしわしと撫でた。



「わっ!? ちょ、何すんだ、テメェ……ッ!?」



 おだんごがこの場にいる事を思い出したビフテキは、出した言葉を引っ込めるように、頬を赤く染めながら「し、師匠……」と小さく訂正した。



 ◇



「アオ~ン……アオ~ン……アオ~~~……ン……」



 陽も暮れ、真っ暗な空にまるい月が昇った頃。

 ほぼほぼ自身の自宅と化していた宿屋の一室にて、布団をかぶって目を瞑っていたビフテキが、謎の遠吠えにその瞼をもたげた。



「……またか」



 ビフテキは不機嫌そうな顔でそう呟くと、かぶっていた布団を蹴り上げ、靴も履かず、裸足のままベッドから降りて部屋を出た。

 ぺたぺたぺた……。

 部屋から出たビフテキは、廊下の左側の壁に手をついてすこし歩き、扉に差し掛かるとそこで足を止め、その部屋の前に立った。



「アオン! アオン! アオ~~~~ン!」



 謎の遠吠えは未だ止まず。

 そして、その遠吠えの発生源はビフテキの部屋の隣──ブルーデンツの部屋であった。ビフテキは扉をノックをしようと中指の第二関節を曲げたが、結局、ノックもしないまま、ブルーデンツの部屋の扉を力いっぱい開けた。



「アオンオン、アオ~……あっ!」



 そこには白ブリーフ一丁で四つん這いになり、ベッドの上で嬌声をあげるブルーデンツの姿があった。そしてその傍らには、馬用の鞭を持ち、バタフライマスクをかぶった半裸で黒髪の女性が、意気揚々とブルーデンツに罵声を浴びせながら、その尻をしばいていた。

 女性が「この駄豚が~!」と声を上げながら鞭を振り上げると、ブルーデンツはそのだらしなく、緩みきっていた顔をキッと引き締め、女性の動きを制した。



「……やあ、ビフテキじゃないか。どうした。眠れないのかい?」


「はい。師匠のせいで。せめて声を抑えてください。耳障りです。むしろ腐りそうです。耳が」


「なるほど、そりゃ大変だ。明日防腐剤を買ってこなければ」


「いりません」


「……そんなにうるさかったか」


「とっても」


「……すまんかった」



 ブルーデンツは四つん這いになりながら頭を下げた。それにつられてしまったのか、ブルーデンツの傍らにいる女性もビフテキにぺこりと頭を下げた。



「なんで貴女まで頭を……」


「……だが、その目、その──〝養豚場の豚が排泄した糞を見るような目〟……おまえ、なぁんか勘違いしとりゃせんか?」


「勘違い……ですか? すみません。まだ師匠には豚語を教えてもらっていないので、言っている意味がよく……」


「いいか、これは一種のエステだと前にも言っただろ」


「いや、もう死んでください」


「生きるさ。俺は簡単には死なんよ。そしてこれは、その生きる為にやっているものだ。こちらの嬢の持っているこの鞭は通称〝デトックス・ウィップ〟といってだな──」


「『こいつでパシンとケツを叩けば、体中の老廃物を汗やらなんやらと一緒に追い出すことが出来るんだ。それにより俺の細胞のひとつひとつが活性化し、人としての、俺の全盛期を長く保つことが出来る。これは……そう、むしろ儀式でもあるのだ』……でしょ?」


「なんだ。一字一句、よくわかってるじゃないか」


「いや、何回私がそのクソくだらない言い訳を聞かされたと思ってるんですか」


「言い訳ではない。戯言だ」


「どっちにしろ、ロクなモンじゃねえな」


「まあ、ビフテキも最初は顔を真っ赤にして、泡吹いて気絶してたからな」


「うっせえよ! 泡まで吹いてねえわ! ていうか、そこの女の人もさっさとそいつを殺してくださいよ」


「いえ~、なんというかぁ……もう変態マゾ豚さんとは長いですけどぉ、たぶん鞭で叩いたくらいじゃ死なないと思いますぅ」


「どぅわっはっはっは! 俺ァ不死身だからな! 実家での度重なる地獄のような剣の鍛錬で、痛みを快楽に変える術を習得したからな! ちょっとやそっとでは死なんのだ!」


「へえ、わかりました。じゃあ明日、一緒に師匠が死ぬ方法を考えましょう」


「おっ! なんだ、やる気だなビフテキ。……いや、殺る気・・・か、この場合は! うわっはっはっは!」


「いや黙れよ」


「そうだな。そろそろプレイに集中するとするか」


「あのなぁ──」


「──変態マゾ豚さん~、お時間ですぅ」



 女性は持っていた鞭を上品に前に持ってくると、恭しくブルーデンツに頭を下げた。



「あ、マジっすか?」


「延長は~……」


「んー、今日はナシで。なんかシラケちゃいましたしね」


「はい~。わかりましたぁ」



 女性はもう一度頭を下げると、テキパキと部屋中に散らばっていた道具・・を片付け始めた。



「ありがとうございました。いやあ、なんかすみません、弟子が最後邪魔しちゃって……」


「いえいえ~、素敵なお弟子さんだと思いますよぉ。それと明日、頑張って死ぬ方法探してくださいねぇ」


「はーい」


「では、料金は前払いで戴いておりますのでぇ、私はこれで~……」



 女性は一度、ビフテキとすれ違う時に軽く会釈をすると、そのまま部屋から出て行ってしまった。



「……じゃ、私ももう寝ますんで」



 相変わらず『養豚場の豚が排泄した糞を見るような目』でブルーデンツを見下していたビフテキは、それだけを言うと、身を翻し、ブルーデンツの部屋から出て行こうとした。



「……ちょっと待った。ビフテキ」


「なんですか。もう、出来るだけ関わり合いになりたくないんですけど……」


「業務連絡だ」


「……はぁ」



 ブルーデンツがそう言って、ビフテキは大きなため息をつく。ビフテキは再度身を翻すと、扉に背中を預けて、ブルーデンツを見た。……が、すぐに目を逸らした。



「いやいや、なんでパンツ一丁のまま、普通にベッドの上で座ってんだ。せめて何か穿いてくださいよ」


「すまんな。ズボンは嫌いなんだ」


「どんな理由!?」


「いいから聞け、ビフテキ」


「いいから穿け、ブルーデンツ!」



 ビフテキに強めに言われると、ブルーデンツは観念したのか、のそのそとベッドから降りてズボンを穿き、またベッドの上に座った。



「……で、なんですか。業務連絡って」


「明日。サンテティエンヌ家にお呼ばれになった」


「サンテティエンヌ家って言うと……今回の依頼主さんで、ここら一帯の領主さんでしたっけ」


「そうそう」


「……なんで?」


「俺も狼退治から帰ってすぐに知らされたから、そんなに詳しく把握はしていないが……どうやら、お礼だそうだ」


「お礼……ですか」


「そ。二人でナッテリーウルフの群れを倒したってのが、ガルグマッグさんの琴線に触れたんだろうな」


「ガルグマッグさん……?」


「……あのな、言ったろ。せめて依頼が終了しても、大体6、7日経過するまでの間は、依頼主の名前をちゃんと憶えとけって。それでなくても、ここら辺の領主なんだぞ」


「うぅ……家名は覚えてたんだから、べつにいいじゃん……」



 普通にブルーデンツに叱られたビフテキはシュンと俯いてしまう。



「……で、だ。こうやって、直々にお呼ばれしたって事は──」


「お、美味しいごはん!」



 ビフテキがブルーデンツの言葉を遮って、過剰なまでに反応してみせる。



「……いやまあ、そうだけど。そりゃ、お呼ばれされてんだから、飯のひとつやふたつは出るだろうけどな、そうじゃねえだろ」


「ごはん以外に大切な事……?」


「……おかしいな。俺、べつにおまえに不味いモン食わせてないと思うんだけど……」


「それはそれ。これはこれ。貴族は嫌いだけど、貴族が食べてる料理は興味があるんです」


「へえ。そんなもんか。べつに大した事ないと思うけどな……」


「そりゃあ、師匠は元貴族だからです。でも、貴族飯かぁ……一度でいいから食べてみたかったんだぁ……美味しい魚や野菜がいっぱい出てくるんだろうなぁ……」



 ビフテキはそう言うと、まだ見ぬ〝貴族の食事〟を想像し、恍惚の表情を浮かべた。



「まあ、それはそれで、おまえが楽しみにしてくれるなら別にいいんだけどさ。俺が言いたいのはそうじゃなくて……これからはギルドを介せず、直接仕事のやり取りが出来るかもしれないって事だ」


「……どういう意味?」


「いままでの仕事って、ギルドの定めた〝冒険者ランク〟ごとに振り分けられた仕事を、ギルドがまとめたボードやカタログから、冒険者が自分で依頼を選んで受けるってのが普通だったろ?」


「うん……たまにご指名もありますけど……」


「まあな。そうなってくるとお金の動きは、依頼者からギルドへ、ギルドから冒険者へってなるんだよ。つまり、依頼者と冒険者の中にギルドが入ってる分、本来依頼者が支払った依頼料の何割かが、仲介手数料やらその他雑費でギルドに持っていかれる」


「あ、じゃあ、これからは直接……」


「そういう事。直接、俺たちの懐に金が入ってくるってワケ。もちろんそうなってくると、一から十まで自分でやらないといけなくなってくるから、そういうのが面倒くさいから、ギルドに所属したままのベテランや凄腕冒険者もいるんだけど、俺たちはそうじゃない。自分たちで金と機会を掴みに行くってワケ」


「……なるほど。という事は、明日はご飯も食べるし、ゴマもする・・・・・って事ですか」


「言い方は良くないが、概ねその通りで間違いない。それに、相手はここら一帯の地主、領主。入ってくる金も段違いだろうし、そこからまた人脈が広がるって事もあるかもしれない。……そうなると、あとはビフテキ次第だが、いけるか? 相手はおまえの嫌いな貴族だ。どうしても嫌なら、無理にとは言わん」


「やるよ」



 ビフテキは間を置かずに答えた。これが自分の為になるのなら、これがブルーデンツの為になるのなら、好き嫌いを言っているべきではない。ビフテキはそう考えたのだろう。



「……いちおう確認しとくけど、〝やる〟ってのは、殺すって意味じゃないんだよな」


「バカ! それはそれ。これはこれ。って、言ったろ? 別に契約さえ結んじまったら、そんなに頻繁に顔合わせはしなくていいんだろうし」


「まあな。書簡で済ませたいってこっちが言ったら、それでやり取りをしてくれるかもしれないし、なんなら明日以降なら俺だけで受注する事も出来る。だけど、初顔合わせだけはダメだ。相手の信用を損ねちまう。……じゃあ、それで本当にいいか?」


「いいよ。我慢する」


「おし、わかった」


「……そ・れ・に・し・て・も、おい! やるなあ! 変態マゾ豚にしては冴えてんじゃん!」


「へへ、だろ? てことで、今日はもう寝ろ。明日は早いからな」


「おっけー! ちなみに、どれくらい時間かかるんだ?」


「日の出くらいにこの宿屋に迎えの馬車が来るから……、向こうに着くのはだいたい昼前だろうな」


「うまくいけば昼飯と晩飯にありつけるってワケか」


「そう言う事。……あと、くれぐれもガルグマッグさんの前でその口調は出すなよ?」


「任せとけって! あ……こほん。……承知、致しました」



 ビフテキは冗談交じりに、ブルーデンツにそう言ってみせた。ブルーデンツはすこし畏まり過ぎとも考えたが「まあ、よし!」と適当に相槌を打ち、この場を収めた。


 こうしてこの日、二人は解散し(と言ってもビフテキが部屋に戻っただけだが)、それぞれが眠れぬ夜を過ご……すはずもなく、たっぷり眠って次の朝を迎えた。


 そしてこの日、ブルーデンツの依頼を受けていたおだんご・・・・は、ついにギルドへ帰る事はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る