エピローグ

エピローグ

 モンスター事典いわく、フィーンドと総称される魔族には二大勢力があり、ひとつがデーモン族、そしてもうひとつがデヴィル族である。デヴィル族では確固たる階級制度が敷かれており、その上級層に位置する悪魔がグレーター・デヴィルと呼称される。デヴィル族のヒエラルキーは基本的に五つに分かれ、アスモデウスを頂点として、アーク・デヴィル、グレーター・デヴィル、レッサー・デヴィル、レムレーとつづき、さらにハーフフィーンドや邪悪な心を持った人間もしばしば悪魔の範疇に分類される。グレーター・デヴィルはデヴィル族の軍勢にあってアーク・デヴィルの直接的な部下であり、下級悪魔をまとめる任を請け負う。種によってグレーター・デヴィルの容姿はさまざまだが、おしなべて残虐性を反映した恐怖と嫌悪を催すものだ。体躯は中型から大型となるものが多く、角や牙、鉤爪などを有し、翼や尻尾を備えた種もよく見られる。ずる賢い悪魔のなかでも上級悪魔はより知能が高く、性質は悪逆非道。しかしそのほかの同族とおなじく階級が上の悪魔には逆らうことをせず、絶対服従で意外にも秩序を重んじる。グレーター・デヴィルは九層地獄で部下の下級悪魔を管理するのが主な役割なため、物質界に姿を現すことはあまりない。もしもきみがグレーター・デヴィルと遭遇した場合──そうならないことを切に願うが──、敵対することはなんとしても避けるべきだ。なぜならグレーター級の悪魔は非常に高い戦闘力を誇り、弱点がほぼないのだ。さらに火球や毒、冷気などの特殊攻撃を生得的に備えていることも憶えておいてほしい。したがって強力な効果が付与された武器か、もしくは古代魔術のような規格外の呪文、加えて信頼できる仲間が複数いなければ、まず勝利することは不可能だろう、とモンスター事典には書かれてあった。

「こらペル、なまけてんじゃないわよ!」

 ステラの鋭い声がして、ペルの脳天に空手チョップが振りおろされた。

「荷造りは今日中に終わらせるんだからね。ほらほら、さっさと手を動かす」

「い、いまやりますよお」

 魔術師組合の本部、その一室の隅っこでモンスター事典を拡げていたペルは、ずきずきする頭を押さえながらそう言った。

 いま、ペルの周りには本の山がある。紐で括って数冊ずつにまとめられたそれらは、ほとんどがステラの蔵書だった。ほかにも薬瓶がぎっちり詰め込まれた木箱、魔術用実験器具のフラスコや小さな銅製蒸留器、食器に日用品。それ以外にも組合の仕事で使っていた細々としたものが、所狭しと乱雑に放置されてあった。

「でも、ここにあるものを全部持って市街へ引っ越しだなんて、急すぎますよ」

 と、重たい本を運びながらペルがぼやく。

「しょうがないでしょ。この一軒家もわるくはないけど、やっぱり立地がねえ──」

 ステラは踏み台に足を乗せて、天井の梁からぶらさがる干物をひとつひとつ外しはじめた。

「魔術協会の支部になったら利用者も増えるだろうし、街中に移ったほうが都合がいいのよ」

 そうなのである。これまでラクスフェルドで魔術師へのさまざまな助勢を担ってきた魔術師組合は、つい先日、活動を休止したのだ。といっても、べつに資金難や人手不足で運営が立ちゆかなくなったわけではない。ラクスフェルドに支部を持たなかった魔術協会が当地へ進出してきたため、いままでの職分を譲り渡したのだった。もともと組合長のゴックは魔術協会にも多額の出資をしていたし、いってみれば看板が変わっただけという見方もできる。事実、組合に雇われていたステラとペルは解雇の憂き目に遭わず、ほとんどの業務もそのまま引き継ぐのだ。ただし郊外にある一軒家ではなにかと不都合があろうと、支部の場所だけは移動させることとなった。そんなわけで、ふたりは休日の朝から引っ越し作業に大わらわというわけである。

 早朝から組合本部に呼び出されたペルは、ステラに命じられて魔術書を種類ごとに分類する作業に従事していた。魔術書といっても、秘術系、信仰系、精霊系、竜言語、死霊系とさまざまなのだ。もともと本棚のこれらはステラがでたらめに押し込んだもので、やたらと数も多かった。おそらくペルは、いちばんめんどくさい作業を命ぜられたのだろう。

 しかし、どんな仕事であれ雑用係に拒否権はない。そうして哀れなペルが、何冊も重ねた重い本をえっちらおっちら運んでいると、玄関の戸口に誰かの影が現れた。

「あのう、ごめんください」

「あれ、レナ? どうしたの?」

 ペルは王立翰林院の魔術学科でおなじクラスのレナを見て、ちょっとおどろいた顔をした。運んでいた本を床に置き、彼女のほうへ歩み寄る。

「あ、ペルくん。わたし今日ね、アルバイトの申し込みでここに来たんだけど」

 言って、レナはペルへ一枚の紙切れを差し出した。ペルが受け取り、どれどれと見てみる。それは翰林院の在籍者へ向けた魔術協会からの求人だった。求人票にはつぎのような募集要項が、簡潔に記されている。


  求ム 当協会の雑用係 一名

  主な業務 雑用全般 経験不問

  時給 一〇〇〇オリオン


「あーこれね。ちょっと前に翰林院に募集かけといたのよ、レナちゃんが応募したんだ」

 ペルの肩越しから求人票を覗き込んだステラが言った。

「了解了解。レナちゃんなら問題ないわね。ゴックさんに採用したって伝えとくわ」

「わ、いいんですか? やったあ!」

 ぴょんと跳びあがってよろこぶレナ。そんな彼女へペルが訊ねる。

「でもレナ、どうしてアルバイトなんかしようと思ったの?」

「えと、わたしもちょっと、アルバイトして社会勉強したほうがいいかな~なんて。それに──」

 レナは目を伏せ、ぽっと頬を赤らめる。

「魔術協会なら、ペルくんといっしょにいられる時間も増えるし……」

 その予想だにしなかったレナの言葉にペルは固まってしまう。いや、こいつらいったい、いつの間にそんな関係に。

 互いにかける言葉も見つからず、もじもじとするペルとレナ。青い春のただなかにいるふたりを、ステラが下衆な笑みを浮かべて眺めている。が、やにわに彼女は両人のそれぞれの肩にぽんと手を置いて、

「ま、そんなわけなら、さっそくレナちゃんも今日から手伝ってよ。もー今日はほんとに忙しいんだから」

 ステラの言葉で、ふたりの世界にいたペルとレナは現実へ引きもどされた。三人は、魔術師組合の母屋にあふれるごっちゃりとした大荷物と向かい合う。しかしあらためてそれを見たペルは、途端にやる気を削がれたようだ。

「でもステラさん、この調子だと三人でやってもいつ終わるかわかりませんよ」

 とペル。すると、ステラが急に険しい表情となった。

「ペル──」

 くるりとペルへ向き直り、ステラは刺すような視線を向けた。

「あんた、何回教えてもわかんないのね。あたしのことはなんて呼べっつった?」

 自分の過ちに気づき、はっとなるペル。

「すいません……お師匠様」

「そう、それよ! あんたはあたしの弟子なんですからね、いつまでもバイトくん気分でいるんじゃないわよ。これからはびしびし教育するから、覚悟しておきなさい!」

 先日の悪魔退治以来、ステラはなにかとペルに厳しくあたるようになった。それは彼女が言うように、正式に弟子として認められたからにちがいない。しかし問題なのは、ペルがステラに対して、弟子にしてくださいなどといちども言ったおぼえがないことだ。

 げんなりとするペルへ、レナが声をかける。

「ええっ、ペルくん、ステラさんのお弟子さんになったの? よかったね」

「う、うん……」

 ステラにとっての弟子というのが、奴隷と限りなく近い存在なのを、レナは知らない。

 それから三人は魔術師組合の荷物をまとめる作業にかかった。だがレナを加えたとはいえ、膨大な量のあれやこれやを整理するのは重労働である。本棚から分厚い魔術書を取り出し、割れ物を梱包し、細かな物はばらばらにならないように袋に詰める。古びた物やめったに使わない品は廃棄するようステラに提案したが、彼女は全部持ってゆくと言って譲らない。組合本部内を歩き回り、立ったり座ったりを繰り返したりするうち、ペルは腰が痛くなってきた。

「ふう、荷物が増えるばっかりだよ。ていうかいっそのこと、この家ごとアスポートで引っ越し先に送っちゃえばいいんじゃないですか」

 額に浮かぶ汗を手で拭い、ペルが言った。

 そのときステラは真新しいグレーター・デヴィルの頭蓋骨を両手で抱えて運んでいた。彼女はぴたりと動きを止め、ペルのほうへやけに真剣な顔を向けた。

「あはは、冗談ですよ。冗談」

 とペル。だが、ステラは──

「ペル……あんた天才じゃないの!?」

「へっ?」

 いやな予感がした。ステラは抱えていた悪魔の頭蓋骨をぽいっと放ると、マグシウスの杖を手に取り魔力の錬成をはじめた。

「ちょ、ステラさん、本気でやるつもりですか!」

 エーテルが励起し、魔力が漲りはじめる。

「なに、なんなの!?」

 台所で食器を片付けていたレナも異変に気がついたようだ。直後、外のほうで重苦しい異音が響いた。おそらく組合本部の真上に次元ポータルが開いたのだろう。それも家一軒をまるごとのみ込むような、特大のやつが。つづいて三人の足下が激しく揺れ出した。だしぬけに床が大きく斜めに傾いて、ペルはその場でひっくり返った。そこへ、台所のほうからめくれそうなミニスカローブを押さえたレナがすべってきて、彼とぶつかった。組合本部全体がみしみしと悲鳴をあげはじめる。そして、浮遊感。

「わあああああああああ!」

「きゃああああああああああ!」

 恐怖で互いに抱き合ったペルとレナが、ステラを見る。すると彼女は本日も絶好調といった様子で、ばりばり魔力を放出していた。

 ペルは思った。緋の妖星ステラ──この人のそばにいたら、退屈はしないだろうが命がいくつあっても足りない。

 ペルの受難は、まだまだつづきそうである。

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魔術師組合の雑用係 天川降雪 @takapp210130

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