8-2 その朝、ステラとナジムは

 その朝、ステラとナジムは牢番に叩き起こされて目を覚ました。朝食も与えられぬままそれぞれの独房より引っぱり出され、ふたりは憲兵隊本部の二階にある一室へと連れてゆかれた。一台の机と数脚の椅子しか置かれていないため、ひどく殺風景な場所だ。拷問部屋ではないが、それに近い感じがした。普段は憲兵が咎人に対して、おまえがやったんだろう吐け、とかなんとかやってそうな小部屋である。

 ナジムは椅子に腰掛けふんぞり返り、組んだ両足を机の上へ投げ出している。その様子は、あからさまに不機嫌だった。昨日、裏山で神聖騎士団に捕らえられた彼は、あのあと憲兵隊本部の留置場へと連行された。おどろいたのは先にそこへぶち込まれていたステラである。またどこかの犯罪者がお縄になったか、どれ顔でも見てやろうかと思ったら、自分のよく知る仲間が連れてこられたのだから無理もない。

「ったくさあ、なにをどうすればこんなことになんのよ……」

 立って壁にもたれているステラが言った。頭上には小さな明かり取りの窓があり、彼女はそこで寝乱れて絡まった髪を指で梳いている。ナジムはステラの他人事のような口ぶりに苛立ちが募り、まるで苦痛に耐えるかの表情となった。

「どうもこうもあるか。昨日裏山におまえがいれば、こんなことにはならなかったんだぞ」

「うわ、他人のせいにしたあ」

「まぎれもなくおまえのせいだろうが」

 ナジムは首を回して、きっとステラを睨めつけた。

「おれは初めから、ふたりでカルネイロを仕留めるつもりだった。その作戦がおまえの不始末でぱーになったのだ」

 深くため息をつき、ナジムはさらに語を継ぐ。

「世間知らずが、いい歳して家出同然で姿をくらましおって。あまつさえ見知らぬ土地で憲兵に捕まるとは、いったいどういう料簡だ」

「えっらそうに。捕まってここにいるのは兄貴もおなじだっつーの」

「あほか、いっしょにするな。おれとおまえでは、ここへ至るまでの経緯がまったくちがう」

「いや結局おんなじだから。ついでに言うと、カルネイロって奴にも逃げられちゃってるし」

 いちばん痛いところを衝かれ、ナジムは思わず声を荒げそうになる。だが、彼は大人だ。なんとかそこは堪えた。

「……いいか、おれはな、おまえの度が過ぎる分別のなさを義兄として嘆いているのだ。黙ってしおらしく反省できんのか」

「あたしはもう角笛から脱けたの。自由なの。だからなにをしようと兄貴には関係ないもーん」

 言い放ち、子供みたいに舌をレロレロさせるステラ。幼稚な挑発に加え、いま自分が置かれている状況をまるで鑑みないステラの態度には、さすがのナジムも堪忍袋が限界だったようだ。

「屁理屈をこねるなガキ!」

「頭かちかちな老害ハーフエルフ!」

 互いに大声をあげ、がるる~っと威嚇し合うふたり。するとそこへ、唐突に部屋の扉を乱暴に開けて神聖騎士団のアイシャが現れた。

「うるさい、静かにしろ! ここをどこだと思っている!」

 そのえらい剣幕に圧倒されたふたりだったが、すぐにステラは相手に見覚えがあるのに気づく。

「あっ、あんた昨日の──」

「座れ」

 アイシャはステラへすげなくそう言うと、椅子のひとつを顎でしゃくった。そして机上に乗っかっているナジムの足を手ではたき落とす。

 机を挟んでふたりと向かい合うように座ったアイシャは、しばらく沈黙を以て両者を険しい顔で見比べた。そうして、この場において自身の優位性が十分に浸透したのを確かめてから、口を開いた。

「おまえたちの身元は割れている。黒犬ナジムに緋の妖星ステラ、どちらもミロワ・オーダーと称する魔術結社の構成員──まちがいないな?」

 アイシャの問いかけにナジムはそっぽを向いてだんまりを決め込む。しかしステラのほうは挑戦的に噛みついた。

「だったらなんなのよ。まさかこの国じゃ、そんなことで善良な市民を牢屋に放り込むってわけ? つーか、取り調べすんならカツ丼くらい出しなさいよ。それが礼儀ってもんでしょうが」

 それを聞いたアイシャの眉間に皺が寄った。

「カツ丼はともかく、いま善良な市民と言ったか。笑わせるな。おまえたちにはわが国の法律によって裁かれるべき理由と、その裏づけがある。聞きたいのなら話してやろう。まずステラ、おまえにはラクスフェルドでの破壊行為の容疑がかけられている。先日、郊外で確認されたばかでかい穴──あれはおまえの仕業だろう」

「な、なによそれえ。あたしがやったって証拠はあんの?」

「もちろんあるぞ。元王宮魔術師のヨアヒム・ローゼンヴァッフェという老人を知っていよう。彼が証言した」

「うぐ……」

 あっさりと決定的な証拠を出され、ステラは言葉に詰まってしまう。食い下がることもできず、彼女は机の表面に爪を立ててローゼンヴァッフェの顔を脳裏に思い浮かべた。あのじじい、ぺらぺらとしゃべりやがって。

「郊外の土地は後々に開墾して農地拡大に利用するはずだった。一国の領土を損壊したのだ、これは大罪である」

 ステラへ非情に告げると、つぎにアイシャはナジムへと向き直った。

「そしてナジム、おまえは公務執行妨害の罪だ。昨日、裏山でおまえは黒いローブの死霊術師と悶着を起こしたな。そのおかげで、おなじく現場にいたわれら神聖騎士団は奴を取り逃すこととなった」

「待て。はなからあの場所にいたのなら、どうしておれが手を出す前に動かなかった?」

 とナジム。

「黒ローブの捕縛には万全を期す必要があった。生きて捕らえよとの厳命が下っていたのでな。そのため現場で機を窺っていたところへ、おまえが割り込んできたのだ」

 実のところ、神聖騎士団はナジムの行動を監視していた課程で、偶然あの裏山にゆき着いたのだった。アイシャは事実を曲げてそれを伏した。が、ナジムにとって神聖騎士団の虚偽などはどうでもよかった。

「そっちの事情など知るか。奴は死霊術師だ」

「だからなんだと?」

「どこの国でもお尋ね者あつかいだろう。誰が始末しようと関係ない」

「いままでどのような未開地で暮らしていたのか知らんが、法治国家であるオーリア王国ではそういったことにも許可が必要なのだ。そしてわが国は、おまえになんの特権も許していない。つまり、おまえの取った行動は捜査妨害でしかない」

「おれはずっと奴を追っていた。神聖騎士団がその存在に気づき、あわてて右往左往しはじめる以前からな」

「そうか。ご苦労なことだ」

「断言しよう。おまえたちていどの手勢では奴を捕らえることはできん」

「言葉に気をつけろ。この国では聖職者を侮辱するのも罪だ。いまのでかかる容疑の罪名がひとつ増えたぞ」

 冷笑を湛えたアイシャは机に両肘をつくと、指を組んでその上に顎を乗せた。ナジムはしばらく彼女と目を見交わしたが、やがて肩をすくめて口を閉じた。取りつく島はなさそうだった。

「これでいまの自分の立場が理解できたろう。おまえたちは、いずれ裁判にかけられる。明日か、来月か、一年後かはわからん。公判まで身柄は拘束する。ただし──」

 アイシャはそこで言葉を区切り、意味ありげな視線をふたりへと送った。

「場合によっては、それを免れうる」

「もったいつけてんじゃないわよ。とっとと言いなさいよ!」

 焦れたステラが椅子に座ったまま地団駄を踏んだ。彼女にとって、他人に翻弄されるのは最も我慢ならないことのひとつなのだ。

 アイシャはステラをちらりと見たが、彼女のことなどまったく意に介さないといったふうで、こう言った。

「ついさきほど黒ローブの居所が判明した。奴を捕らえるのに協力しろ。そうすれば放免、もしくは減刑を考慮する」

 なるほどそういうことか。アイシャの切り出してきた提案にナジムは鼻を鳴らした。

「まわりくどいことを。助けがほしいなら最初からそう言え」

「勘違いをするな。これは司法的な取引だ。返答はいますぐ、この場でしてもらう」

「いいだろう、断る理由はない」

「ならばついてこい。事態はすでに切迫している。歩きながら話そう」

 アイシャとナジムが席を立った。しかし自分をよそに勝手に話がまとまったことにステラは不満があるようだ。

「え~、やんの?」

「いいからこい」

 ナジムがぐずるステラの腕を取って、強引に立たせた。三人は部屋の外に出た。

 憲兵隊本部の廊下をぞろぞろと進みながら、アイシャはふたりへ簡潔に現状を説明した。カルネイロは先刻、旧市街のオンウェル神殿に自ら姿を現したこと。そして旧市街ではゾンビが発生しており、さらにラクスフェルドにある複数の墓地でもゾンビとレイスが確認されたことなど。

 アイシャの話を聞いたナジムは表情を深刻なものとした。

「ゾンビか……裏山にある炭焼場で昨日、奴はなにかを燃やしていたな。大量の煙がラクスフェルドの西へ流れたのを見た。ゾンビパウダーを燻して毒霧にでもしたか。雨でそれが土中へ染み込めば、いちどに広範囲でゾンビを発生させることができよう」

「ただのゾンビではないぞ。そのゾンビに食いつかれれば、やられた者もゾンビになるという感染性を持っている」

 とアイシャ。そうと知ってぎょっとなったのはステラだ。

 前に見たあのくさった死体が、そんなやばげなものだったとは。これはまずい。非常にまずい。ただでさえくさった死体なんか見たくもないのに、それらが集まっている場所へ連れていかれるなんて、まっぴら御免だ。

「あ、あーっ! お腹いたい!!」

 ステラはいきなり廊下の壁へ手をつくと、膝を折ってその場に座り込んだ。

「差し込み、差し込みです! 無理無理、あたしいくの無理だわこれ!」

「おい、なんだ急に……」

 どう見ても仮病っぽいステラの様子に戸惑うアイシャ。

「いや気にするな。観念しろステラ、おまえは引きずってでも連れてゆく」

 ナジムは言うと、ステラの首根っこを仔猫でも持ちあげるようにして摑んだ。彼はそうやって、本当にステラを引きずって歩きはじめた。ステラの作戦、あえなく失敗。

「ずいぶんと周到な計画だ。同時に複数カ所でアンデッドを発生させて、こちらを分散させようとしているぞ」

 そのナジムの言葉にアイシャは苦々しく肯く。

「言われずともわかっている。だが本命は黒ローブのいるオンウェル神殿だ。そのほかの地点はオーリア軍と国王騎士団でなんとかする。おまえたちは、わたしとともに神殿へと向かってもらう」

「奴が堂々と自分から姿を見せたとなれば、なにか企んでいるにちがいない。悠長に生け捕りなどと言ってはおれんが?」

「やむを得まい。枢機卿にはわたしから説明しよう。とにかくこれ以上、わが国内で奴をのさばらせることはできん」

「よし。では、おれたちの武器を返せ。あとマンディも」

「マンディ? なんだそれは?」

「おれの馬だ」

「わかった。すぐに手配しよう」

 三人が一階に降りると、憲兵隊の事務局となっているそこは人でごった返していた。多くは憲兵だったが、国王騎士の姿も見える。国王騎士を長として班が編成され、それらをゾンビが発生した場所へ送るための指示が伝えられている。アイシャは人混みをかき分けて憲兵隊本部の事務係をひとり捕まえると、押収したステラとナジムの所持品を保管庫から持ってくるのと、厩舎にいるマンディを表に回すよう命じた。

「アイシャ、ここにいたか」

 ふいに声をかけてきたのはメイラーだった。いま国王騎士団はラクスフェルド市街の警邏と、市門の封鎖に人員を多く割いていた。

「街の様子はどうだ?」

 アイシャが訊いた。

「戒厳令とまではいかんが、外出禁止の布告が出された。多少の混乱はあるが、いまのところ問題はない。おまえは神殿へゆくのか」

「そうだ」

「おれは危険地域に近い街の住民を避難させるよう命を受けた。そちらに同行したいが、命令ならば仕方がない。くれぐれも気をつけろ」

「おまえこそ。もしゾンビを発見したなら、完全武装で処理にあたれ。死体にも触るな」

「くどいぞ。それはもう何度も聞いた」

「ああ。しかし、おまえになにかあったら……」

 心配げな表情で口ごもるアイシャ。その彼女の腕をステラが横からぐいと引っぱった。

「ちょっとあんた、なに男とくっちゃべってんの! ほらとっとといくわよ!」

 もう逃げられないとわかって肚を括ったのだろう。事務係から返してもらったマグシウスの杖を手にするステラは、やけくそ気味な足取りでナジムとともに憲兵隊本部の外へ出た。

 広い通りと面した憲兵隊本部前では、そのときちょうど一輛の馬車が横付けされて停まるのが見えた。二頭立ての箱の扉が開き、顔を覗かせたのはフィリドールだった。それに気づいたアイシャは馬車へと駆け寄る。

「フィリドール殿、きてくださいましたか」

「さきほど連絡を受けてね。旧市街へゆくのだろう?」

 とフィリドール。

「さようです。馬車なら好都合だ、同乗してもよろしいでしょうか」

「かまわんよ。乗りたまえ」

 フィリドールは座席の奥に移動してアイシャたちをなかへと招いた。

「馬車など趣味に合わん。おれはマンディで先にゆくぞ」

 そう言ったのはナジムだ。見ると、憲兵隊本部の裏にある厩舎から連れ出された彼の青毛馬が、馬丁に牽かれてこちらへ歩いてくるところだった。ナジムは馬丁からマンディの手綱を受け取ると、鐙に足をかけて鞍にまたがった。

「神殿の場所は知っている。向こうで落ち合おう」

「おいこら、勝手なことを──」

 アイシャが呼び止める間もなくナジムは馬を駆り、目抜き通りを北上していった。舌打ちしてそれを見送ったアイシャだったが、おそらく逃走することもあるまい。彼女はすぐに傍らのステラへ向き直ると、

「よしステラ、これに乗るんだ」

 アイシャはステラの背を押して馬車へと押し込んだ。その相対する座席に座ったステラを見て、フィリドールは目を丸くする。

「ステラ? では、きみがそうか……」

「は? あんた誰?」

 まじまじと自分を見つめるフィリドールをステラがうさんくさげに見返した。すると、あとから乗り込んできたアイシャが、彼女の二の腕に思い切り肘鉄を食らわせた。

「いったーい!」

「ばか、こちらはオーリアの筆頭王宮魔術師だ。無礼は許されんぞ」

 とアイシャ。

 フィリドールは騒々しい同乗者に苦笑する。

「やれやれ、お静かにお嬢さん方。旧市街へ向かうのはこれだけかね?」

「はい。向こうにはすでに少数を先行させておりますので、彼らと合流して黒ローブを討ち取ります」

 アイシャに肯いて了解を示すと、フィリドールは御者へ馬車を出すよう命じた。いちど南側の市門から街の外へ出た馬車は、それからできる限り急いで旧市街へと向かった。

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