7-7 ペル、レナ、メイラーの三人が、

 ペル、レナ、メイラーの三人が、憲兵隊本部から共同墓地へ向かったころ──

 黒い馬にまたがったナジムは、ひとり雨のそぼ降る山道で焦れていた。彼はいまカルネイロの行方を追っている。ミロワの角笛として。

 姿をくらませたカルネイロの尻尾は、おおよそ摑んでいた。ステラがラクスフェルドのほぼ全域に使い魔を大量に放ち、数に任せた虱潰しで潜伏場所を突き止めたのだ。鴉や廿日鼠、猫に蝦蟇といった使い魔を、複数同時に駆使する手腕はさすがステラといえよう。さらに彼女は遠見の水晶球を用い、すべての使い魔たちと視覚を共有することができる。そうしてラクスフェルド北にある双子山──その低いほうの通称裏山──に、カルネイロとジマジが潜んでいるのを発見したのだった。

 それが今日の昼過ぎのこと。ナジム自身は旧市街で別行動をとっていたが、魔術師組合にいるステラよりカルネイロの居所を念話で伝えられると、彼はすぐに裏山へ急行した。そしてより明確な場所を知らせるようステラに念話を送ってみたのだが、魔術師組合の本部にいるはずの彼女からは、いっこうに返答がない。

「ステラ、あのすかたん……。どこでなにをやっているのだ」

 ナジムは首から提げている小さな角笛を手に取り、じっと見つめた。それはミロワの角笛の各員が持つ魔術用具である。念話の呪文効果が付与されており、しかも通常の念話よりもはるかに遠くの相手と通話が可能という便利な代物。その角笛はステラも持っているはずだから、少しくらいであれば相手の位置がずれていても互いの念波は感知できるはずだ。ということは、いまステラは魔術師組合の本部から離れた場所にいるのだ。

 裏山はさほど大きな山ではなかった。しかしその一帯で人捜しするとなれば、手にあまる広さだ。もうじき日が暮れる。雨に打たれながら、ナジムがあてもなく山中をさまよっているうち、ふいに脳裏へ念話の声が届いた。

『あーあー、ナジムの兄貴、聞こえてるう?』

 ステラだ。ナジムは念波が送られてきた方向へ首を回し、意識を集中する。

『おいステラ、どこにいっていた』

『ごめんごめん、ちょっと急用ができちゃってさ』

『まあいい。それで、カルネイロはどこだ。おれはもう裏山にいる、おまえもこい』

『いやあ、いまはちょっと無理』

『どうしてだ』

『んと、動けないから』

『動けない? いまどこにいるんだ』

『憲兵隊の留置場。なんかあたし、捕まっちゃったのよねえ』

 しれっと突拍子もないことを伝えてきたステラに、ナジムは絶句する。そして、

「おまえなあーっ!」

 思わず念話ではなく、声に出してしまった。淡泊なエルフが声を荒げるのはめずらしい。それは中立にして悪の勢力とされるダークエルフとて同様の気質である。誤解されがちなところだが、ダークエルフはちょっと邪悪なだけで怒りっぽくはない。よっていまのは、ハーフダークエルフであるナジムの人間の部分が出たのだろう。だが、すぐに彼を構成するもう半分のエルフの血が、昂ぶる感情を抑制した。

『……いったい、なにをしでかした?』

『知らないわよ。身におぼえがないもん』

『信じられるか。おまえの逃げ口上はあきるほど聞いてきたからな』

『ひっど! 今度はほんとなの、あたしはなんにもやってない!』

 ステラの念話が頭のなかでがんがんと響き、ナジムは顔をしかめた。

『念話でわめくな、このばか。ともかく、いまカルネイロを逃すとまた振り出しだ。なんとか抜け出てこい』

『無茶言わないで。ここは兄貴がひとりでなんとかしてよ』

『調子のいいことを。だが、奴の居場所がわからんことには、どうにもできんぞ』

『そこらにまだあたしの使い魔がいるはずよ、探してみて。たぶん案内してくれると思うから』

『ちっ、仕方ない。ステラ、これは貸しにしておくぞ。あとで相応の埋め合わせはしてもらうからな』

『わーかったわよ。じゃあね』

 念話はそこで一方的に切れた。ひとり毒づき、ナジムは天を仰ぐ。鈍色の空から落ちてくる雨は、いっこうにやむ気配がない。

 フィーンド退治の前にやらなければならない雑事がひとつ増えた。ナジムは濡れて重くなった外套の前を開くと、その内側をもそもそと探りはじめる。彼の外套には大小たくさんの衣嚢がある。そこへは主に魔術の触媒などを収納してあるのだ。やがてナジムが取り出したのは、雪花石膏のような、ほんのりと透明感のある白い石だった。ずんぐりした長球で大きさは拳よりもやや小さいくらい。目を閉じたナジムはその丸い石をそっと両の瞼にあてた。こうすることにより、ナジムの両目には魔術探知の効果が付与されたのである。いま彼は、励起状態のエーテルを視覚的に確認することができる。ふたたび目を開けて、周囲を見た。が、周りの景色にはこれといって変化がない。しばらく方々へ視線をさまよわせると、遠くの樹上に黄色い靄があるのに気づいた。ぼんやりと淡い光が揺れている。おそらくあそこにステラの使い魔がいるのだ。ごく小さいものなので鳥か、もしくは樹上で生活する小動物だろう。

 ナジムは手綱を操り、下生えが密集する木立のなかへ馬を進ませた。草葉についた雨の滴で脚が濡れるのを嫌がり、馬が首を振って鼻を鳴らした。

 黄色の靄の近くまでくると、それは嘴細鴉の使い魔だとわかった。よく繁った針葉樹の枝で雨宿りをしている。しかし、なんだこれは。ナジムはあきれて小さなため息をつく。白い嘴細烏とは、いかにもステラがやりそうな酔狂だ。

 ナジムは黄色い靄がまとわりついたように見える使い魔に向け、地上から口笛を吹いた。すると、こちらに尾を向けている嘴細鴉が木の枝でぴょんと跳ねて向きを変えた。そうして首をかしげながらナジムを見おろしていたが、まもなく身を屈めてひと声鳴くと、ちがう木の枝へ飛び移った。白い鴉はそこでもういちど、ナジムへ向けてかあと鳴いた。

 ついてこいというのだろう。話が早い。どうやら主人よりも利口な使い魔のようである。

 使い魔に導かれ、ナジムは木立で馬を進めた。ほどなくゆくと、出し抜けにすぐそばの深い藪が揺れて、なにかがとび出してきた。ナジムは馬がおどろいて前足をあげるのを制しながら、咄嗟に腰の剣へと手をのばした。

 鉢合わせした相手は人間だった。上は素肌に毛皮を引っかけただけ、下は膝丈の貧相なズボンといういでたちの、大きな男。

「ひいっ、お助けえ!」

 男はなりに合わない声をあげると両の掌をナジムへ向け、その場に座り込んだ。

「落ち着け、なにもせん」

 言うとナジムは馬上から男の毛皮の襟を摑み、逃げ腰の彼をぐいと立たせる。

「地元の者だな。少々、物を訊ねたい」

「へ、へい、なんなりと」

 泣きそうな顔で男が応じる。全身黒ずくめの、威圧的なダークエルフを前にすれば誰でもそうなろう。

「ここでなにをしていた?」

「なにって、おれっちはこの山で炭焼きをしているピートって者です。えっと、そんで、今日も炭焼場で窯の火の番をやってたんですがね、ついさっき、むちゃくちゃあやしいふたり組がやってきて、襲われそうになったんでさあ」

「それで逃げてきたわけか。どんな奴らだった?」

 ナジムに言われてあらためて思い出したのか、ピートはぶるっと身を震わせた。

「ありゃあ、人間じゃねえ……。片方は頭に角があって、羽根も生えてた」

「ほう。で、もうひとりは黒いローブか」

「そいつらだ!」

「わかった。手荒をしてすまなかったな」

 ナジムはピートの毛皮から手を離すと、彼の肩をぽんと軽く叩いた。そして炭焼場のざっとした位置を教えてもらい、その方向へ馬首をめぐらせる。藪のなかへ入りかけたその後ろ姿へ、ピートが声をかけた。

「旦那、もしかして、いくんですかい?」

「ああ。おれはおまえの出くわしたふたり組に用があるんでな」

「おやめになったほうがいいですぜ。おれっちの話、聞いてなかったのかよ。フィーンドだぜ! それに相手はふたりだ」

「心配するな。剣は二本持ってる」

 言い残して去ってゆくダークエルフを、ピートはぽかんと口を開けて見送った。

 ナジムは藪のなかで張り出す枝を払いながら常歩で馬を駆った。雨に濡れた木の枝葉から垂れる滴で、もう全身ずぶ濡れである。やがてあたりにはなにかの燃える匂いが満ちてくる。炭焼場が近い。ナジムは馬から降りると、近くの低木の枝に手綱を巻き付けた。そこからは歩いてステラの使い魔を追う。魔術探知の効果はもう切れていたが、樹冠にいる鴉の白色がさいわいした。藪の先、木の間に開けた場所が見えはじめる。ナジムは慎重に進み、歩きながら腰帯の左側に吊った剣を抜く。真っ黒な新月刀。その湾刀の刀身には歪んだ木目模様がうっすらと浮かび、握りには蜘蛛の刻印が施されている。剣先から柄にかけての全部が、まるで黒鉛で作られたかのようだった。

 炭焼場のすぐそばまでくると、ナジムは背の高い楡樅の陰に潜んであたりを見回した。薪と集材された木材が積まれる差し掛け小屋や、ピートが寝泊まりしているのだろう伏せ屋が見える。その隣、切妻屋根を設えた炭窯のところに人影があった。ふたりだ。カルネイロとジマジにちがいない。ナジムは炭焼場の周囲に沿って、伏せ屋の裏まで回り込むと、彼らにぎりぎりまで近づいて耳をそばだてた。雨音に混ざって、ふたりの会話が聞こえてくる──

「なあ、こんなとこにきてなにをすんねん」

 ジマジが言った。

「最後の仕込みだ。ここからなら風向きも申し分ない」

 カルネイロは相手の問いにしわがれた声でそう答えると、炭窯の前で身を屈め、窯口から見える火中へと薪を放り込んだ。それから彼は腰帯にくくりつけた小袋のひとつを外して、何度か揺すってから袋ごと火にくべた。途端、窯の煙突から狼煙のような白い煙があがる。いや、吹き出たといったほうが正しい。雨空へ立ちのぼる大量の煙を、窯のそばのふたりは身をのけぞらせて見あげた。煙は風に運ばれ、南西のラクスフェルド市街へと流れてゆく。

「明日をたのしみにするがよい。この地でいっせいに死者が蘇るのだ、クク……」

「はあ、そらえらいこっちゃ」

 悦に入るカルネイロと対照的に、ジマジのほうは冷めた様子だ。雨に濡れて身体も冷えたのか、彼は盛大なくしゃみをひとつ。

 ふたりの様子を窺っていたナジムは小さく舌打ちした。どうやらひと足遅かったようだ。ならば、もう隠れている必要はない。

 そこでさて、どう仕掛けるか。攻撃呪文での奇襲も考えられたが、おそらくカルネイロは魔術の技量でナジムを凌いでいるだろう。もし失敗すれば打つ手がなくなる。剣術と魔術の両方を使いこなすエルドリッチナイトのナジムだったが、どちらかといえば剣術のほうに自信がある。ゆえに、彼は小細工を捨てた。

 ぬかるんだ地面を踏む足音にカルネイロとジマジが気づいた。伏せ屋の陰から、まるで散歩でもするかのような足取りで近づいてくるナジムを見て、ふたりはしばし呆気にとられる。

「カルネイロだな」

 ナジムが呼びかけると、ジマジのほうが呪縛から解かれたように武器をかまえた。握りの両端に穂先があるダブルブレードだ。フィーンドが好んで使用する特殊な得物。

「こ、こいつ、黒犬や!」

 そのジマジの言葉に、カルネイロはにやりとして肯いた。

「ああ、知っている。ミロワの角笛で次席の腕前を持つ剣士、黒犬ナジム──おまえがくるとはな。どうやってここまでたどりついた?」

「犬は鼻が利くものだ」

 とナジム。

「緋の妖星は?」

「やはり狙いはあいつか」

 ナジムは会話に応じつつ、じりじりとカルネイロへ近づく。魔術師と対するには呪文を使われる前に機先を制し、一撃で決着をつけるしかない。どこまで相手に近づけるかが勝負だ。

「おいこらあ! わしはあの女のせいでなあ、えらい目におうたんやで!」

 低く身構えたジマジが怒鳴った。ナジムはあらためてそのフィーンドに目をやった。

「では、おまえが旧市街で賭場を開いていたというカンビオンだな」

「おうよ。シルバースター一家の狂犬ジマジとは、わしのことじゃい!」

 背の翼を拡げてナジムを威嚇するジマジ。だが、彼はあきらかに及び腰だ。

 こいつは数に入るまい。ナジムはカルネイロに向き直ると、すり足でさらに距離を詰める。気をそらすため、あえて抑揚のない口調で会話をつづけながら。

「ここでなにをしていた?」

「言えば見逃してくれるのか」

「あるいは、ひょっとするとな」

「クク、本当か? ──おいジマジ、どう思う?」

 呼ばれたジマジが反射的にカルネイロのほうを見る。相手と目が合った。その瞬間、ジマジの意識は魅了の呪文によって支配された。

 確実に仕留められるまで、あともう半歩だった。カルネイロが腰帯に吊した小袋に手をのばしたと同時に、ナジムも動いた。彼の外套の裾がぱっと大きくひるがえり、盛大に水の飛沫が散った。外套の内ですでに二剣は抜いていた。大きく踏み込んだナジムの左手にあるレイピアが、カルネイロの心臓を狙って真っ直ぐに突き出される。射られた矢のような速度で。しかしそれが貫いたのは、ふいにナジムの前へ身を投げ出してきたジマジの胸だった。予想外なことにひるんだナジムだが、彼はすぐに右手の黒い湾刀を繰り出す。ダークエルフが秘伝とする冶金術によって作られた、おそろしく切れ味の鋭い剣は、ひと薙ぎでジマジの首と胴を断ち切った。

 ジマジの腹を蹴り、ナジムが首のなくなった胴体からレイピアを引き抜く。しかしそのときカルネイロは、すでに呪文を唱え終わっていた。空間転移の呪文。カルネイロのいる周囲が励起したエーテルの膜に包まれ、どこか別な場所のそれと入れ替わろうとしている。ナジムは苦し紛れに右手の湾刀を投斧のように放った。が、やはりそれは徒労に終わる。カルネイロの姿が忽然と消えたあと、黒い剣は遠くのぬかるんだ泥の上に水音を立てて転がった。

「くそっ!」

 ナジムは悪態をつくと、地に転がるジマジの首と胴体を憎々しげに見おろす。甘かった。まさか、魅了の呪文で仲間を盾にして逃げ果せるとは。

 さきほどステラに大口を叩いておきながらこの様だ。あとで彼女になんと言われるか。ナジムは腹いせに、足下の生首を力任せに蹴りとばした。血をまき散らしつつ勢いよく転がったそれは、炭焼場の端にある水たまりで止まった。すると突然、その向こうの藪から何者かが静かに姿を現した。

 蝋引きした雨具をすっぽり頭からかぶった相手は、石弓を構えている。

「動くな。武器を捨てろ」

 そう言ったのはナジムの背後にいたもうひとりだった。

 ふたりは石弓で相打ちしないように位置取りし、すばやくナジムへと走り寄る。山賊の類いではなかった。その動きは、あきらかになにかしらの訓練を受けたものだ。

 対するのがふたりていどであれば、剣一本でも事は足りる。だが、相手がわるかった。ナジムは彼らが身につけている雨具の襟元に、ちらりと紫紺の布地が見えているのに気づいた。オーリア正教会の神聖騎士団──ラクスフェルドに入ってから、ずっと自分を尾けていたのはこいつらだったか。

 どうやら今日は厄日のようだ。カルネイロを取り逃したあげく、さらに揉め事はごめんだった。ナジムはゆっくりと左手の指から力を抜く。白銀のレイピアが彼の手よりするりと逃れて、地に落ちた。

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