7-6 三人はすぐに出発した。
三人はすぐに出発した。憲兵隊本部のある目抜き通りから街を北上し、王立翰林院の脇を通り、市壁の北にある裏門を抜けて外に出た。そして先刻、ペルが霊体となっているときに辿った、ぬかるんだ閑道を使って共同墓地へと向かう。その先は雑木林だ。さらに進むと墓地を取り囲む塀が遠くに見えてくる。すると、レナがそこで足を止めた。
「います。幽霊が、たくさん……」
ペルに身体をくっつけて、寄り添うように立つレナがわずかに震える声でそう言った。彼女には数十の青白い幽霊たちが墓地の上空でさまよっているのが見えた。幽霊を見慣れた彼女でも、さすがにたじろぐ数だった。それらがぐるぐると旋回している様は、まるで屍肉を食らう禿鷲か、半人半鳥のハーピーが群れているのを連想させる。
メイラーも立ち止まり墓地のほうへ目を凝らした。が、霊感を持たない彼にはなにも見えなかった。
「どこにだ? すまんが、おれにはおかしなところなどないように見えるが。どのくらいいるんだ?」
「墓地の上に、二〇体くらいかな。まだこっちには気づいてないみたいです」
とレナ。
一見なんら異常のない共同墓地のほうを見つめながら、しばらく思案するメイラー。
「よし、ならばもう少し近づいてみるか。十分に気をつけて進もう」
とにかく現場を確認しなければ状況がわからない。三人は墓地へとつづく道をさらに進んだ。
墓地のすぐ前まできた。いま三人の前には鉄製の門扉がある。共同墓地の周りは、枯れた蔓草のへばりつく高い塀がぐるりと取り囲んでいた。さらにその塀の上には、先端が尖った槍のような長い鉄棒が何本も突き出ているので、目の前の門口からでしか出入りできない。おそらく盗掘を目的とした墓荒らしでも出るのだろう。メイラーが頑丈な鉄格子の門扉を押すと、それはきいと蝶番を軋ませながら開いた。
この時間、墓地に人の姿は見えなかった。三人を出迎えたのは、狭い間隔でずらっと並ぶ墓標のみである。閑散として、静かだ。ペルたちの耳には雨具のフードにぼつぼつと雨粒があたる音しか聞こえない。街の有志者によって管理される共同墓地だが、手入れはゆき届いていた。墓標は倒れたりしているものなどなく、地面の雑草もきれいに刈ってある。あたりを見回したメイラーは、いまいる場所から少し離れた左手に墓守の小屋があるのに気づいた。
「塚屋か……。レナ、幽霊たちの様子はどうだ?」
「大丈夫です。もうわたしたちに気づいているようですけど、近づいてはきません。たぶん、ステラさんの護符のおかげだと思います」
レナはそう言って、手の内にある退魔の護符をぎゅっと握りしめた。
「ふむ。ならば墓守に話を聞いてみよう。なにか知っているかもしれん」
メイラーを先頭に、三人はいましがた見た塚屋へと向かった。その歪んで見える木造の小屋は、かなり昔に建てられたようで、屋根や外壁の一部が腐って苔むしている。入口の軒下には台車と束ねた荒縄。ほかにも羊毛で編んだぼろぼろの手袋や、多種多様な園芸道具が放置してあった。墓守もこの雨では仕事になるまい。
誰かいないかと声をかけ、小屋の扉を叩いた。しばらく返事を待ったが、なんら反応はない。メイラーは扉についた金輪の把手をそっと引いた。戸口の隙間からなかを窺う。そして、彼はすぐに扉を閉じた。
「誰もいない。敷地のどこかにいるのかもしれんな。おれは小屋のなかを調べてみる。おまえたちはここで待っていろ。いいか、勝手に動くんじゃないぞ」
メイラーに強い口調で命じられ、ペルたちはおとなしく従った。
塚屋の扉を少しだけ開き、メイラーはそこから身体をすべり込ませるようにしてなかに入った。後ろ手に扉を閉めると、外の雨音が小さくなる。昼間であるのに、窓の鎧戸はほとんど閉じられていた。だが、おかげでペルたちがなかの様子を目にすることはあるまい。それをさいわいに思うメイラーは外套のフードをおろし、ゆっくりと薄暗い小屋内を見渡す。そこにはメイラー以外に四人の男がいた。ひとりは座った椅子の背もたれに寄りかかり、ぐったりしていた。あとの三人は床に倒れている。ひっくり返った椅子。卓上と床に散らばった、たくさんのカード。
メイラーは椅子に座っている年老いた男性へと近づいた。これが墓守だろう。顔には鑿で削ったようなしわが刻まれ、髪も眉も白くなっている。目をかっと見開き、口もこれ以上ないほど大きく開けていた。まるでなにかを叫ぶような表情のまま、固まっているのだ。首筋の頸動脈あたりに指をあてると、脈を測る前に肌の冷たさから事切れているのがわかった。
床に倒れているひとりは見知らぬ男だったが、衣服から国王騎士だとわかった。あとのふたりは憲兵隊で、彼らはこの共同墓地で一時的に在駐し、死霊術師である黒ローブを警戒する任務に就いていたはずだ。ひとりずつ調べたが、息のある者はいなかった。
いったいここで、なにが起こったのか。暇つぶしのカード遊びでいざこざが生じ、乱闘にでも発展したか。だが、それにしてはどの死体にも外傷がない。ただ共通するのは、全員が恐怖の表情を顔に張り付かせ死んでいるという点だった。
状況を知る手がかりがなさすぎた。わけがわからぬままメイラーは外に出た。
「どうでした?」
待っていたレナが訊いてきた。メイラーはこわばった顔でただ首を横に振る。
「墓守の人、墓地の奥にいるのかなあ。幽霊に襲われてないといいけど……」
とペル。
「いや、ここはもういい。いったん街へもどるとしよう。おれたちだけではどうにもならんようだ」
メイラーのその言葉には、ペルもレナも当惑して顔を見合わせた。彼らからすれば、きたばかりでまだなにも調べていないのだから当然だろう。しかし、これはもはやただの幽霊騒ぎではなくなった。ラクスフェルドの騎士と憲兵、そして市民が命を落としたのだ。重大な事件として正式に捜査する必要性が出てきた。その危険にペルたちを巻き込むわけにはゆかない。メイラーは戸惑うふたりの背中を押して、半ば強制的に共同墓地の門口まで連れていった。
そうして、三人が墓地の門に近づいたときだ。不思議なことが起こった。開け放たれていた門扉が、なんの前触れもなく自然に動いたのである。目の前で勢いよく門扉が閉じると、金属どうしの打ち合う大きな音が鳴り響き、三人ともがその場で跳びあがりそうになった。突風が吹いたわけでもない。まるで、見えない誰かが彼らのゆく手を阻んだような──
「あっ、開かない!」
門扉に駆け寄ったペルが、鉄格子のそれをがたがたと揺さぶりながら言う。メイラーも手を貸したが、鉄の門はまるで溶けてくっついてしまったかにびくともしない。つづいて、地の底から響くような、不気味な唸り声が彼らの耳に入った。あきらかに人ならざる者の、これまで聞いたこともないおぞましい声。
声がしたのは墓地のほうからだった。たてつづけの怪異に、さすがのメイラーも息をのむ。彼はゆっくり背後を顧みると、外套の前を開いて腰の剣へ手をかけた。
「聞いたか? どうやら、ただでは帰してもらえんらしいな」
「メイラーさん、あっちです。あの地下墓地のほうから、ものすごくいやな感じがする……」
メイラーの外套を摑んだレナが、おびえながら共同墓地の中心を指さした。そちらには地下墓地の入口となる小さな建物がある。
「あの声、おれたちを呼んでいるのか……」
「よ、呼んでるって、誰がです?」
表情を硬くするメイラーの横顔を見あげ、ペルが訊いた。
「わからん。だが、ゆくしかあるまい。この門を閉ざしたのもそいつの仕業だろう。ふたりとも、おれから離れるんじゃないぞ」
ただひとつの出入口である門を閉ざされたいま、道はそれしかなかった。市街の外れにあるこの場所では、誰かの助けも望めまい。はからずも共同墓地への侵入者を防ぐ高い塀が、逆に作用してしまっているのだ。
おそるおそるといった足取りで、三人は地下墓地への入口となる小さな建物までやってきた。その石造りの祠のような内には地下へ降りる階段があった。真っ暗な闇のなかへとつづいている。ペルが鬼火の呪文で明かりを点けると、わずかに先が見通せた。しかし階段の果てはさらにもっと奥だ。地下墓地の深さは、地上から三〇キュビット以上もありそうだ。そこはもとから地中にあった天然の空洞を利用した場所である。オーリア王国にはこのような大なり小なりの地下空洞が、いたるところに存在するのだ。
メイラーは外套を脱ぎ捨てると、腰の剣帯に吊った鞘から国王騎士団のアーミングソードを抜いた。ペルの灯した鬼火を反射して、刃がきらめく。手入れのゆき届いた、扱いに親しむ剣だった。が、いまばかりは心許ない。アイシャがいてくれればとメイラーは思う。これからまみえる相手は、おそらくアンデッドだろう。並の武器で渡り合えるかどうか。バトルクレリックであるアイシャがユエニ神から賜る奇跡──祝福や聖盾など──の助けがあれば、申し分ないのだが。
「こわいか?」
メイラーが横のふたりに訊いた。階段の降り口で互いに身を寄せ合っているペルとレナは、こくりと肯く。
「おれもだ。しかし安心しろ。おまえたちだけは、必ず無事に帰してやる」
根拠などなかった。国王騎士には自身を盾にしてでも弱者を救うべしという典範がある。メイラーが口にしたのは、騎士の覚悟だ。そしてそれはペルとレナにも伝わったようだ。ふたりの心のなかに、ちょっとだけ勇気がわいた。メイラーのカリスマがそうさせたのだ。
メイラーが先に立って階段を降りた。空中に浮遊する鬼火も三人とともに移動し、周囲をやわらかな光で照らした。一歩一歩、注意深く石段を下る彼らの足音が律動的に響く。それにしても、やけに寒い。地下に降りているためか、あるいは向かう先にいる何者かが、あたりの空気に影響を及ぼしているのだろうか。
階段は唐突に終わった。すると短い通路の先、正面に地下墓地への這入口がぽっかりと開いていた。メイラーは壁に手をつき静かに進むと、慎重になかの様子を窺う。ふわふわと漂う鬼火の光球が彼の頭上にくると、地下墓地の内部がぼんやり照らし出された。そこは、いびつな形をした空間だった。しかし意外に広さはある。隅のほうは暗くてよく見えないが、奥行きは一〇〇キュビットほどもあろうか。天井も十分に高く、上を向くとごつごつした岩肌が見えた。石敷の床には台座の上に石棺が据えられ、それが等間隔で四列にずらりと並んでいる。壁にはいくつもの穴が穿たれており、そこにも棺が押し込んであった。
じめじめして暗いだけの地下墓地には、なんの気配もない。古びた石棺の間を歩きながら、メイラーは少し拍子抜けした。もしかして、さっき上の墓地の門が開かなかったのは、蝶番にがたがきていたからではないのか。声がしたように聞こえたのも、雨風の音だったのかもしれないとさえ思えてくる。
レナが鬼火の呪文を唱えて、ペルのとは別にもうひとつ光球を作り出した。光量が強まり照らされる範囲が拡がると、いちばん奥の壁に壁龕があり、人とおなじ背丈ほどのユエニ像が置かれているのがわかった。手前にはオーリア正教会風の質素な祭壇。
静謐なはずの墓地だが、ペルは戦々恐々だ。好奇心から手近な石棺のひとつに触れてみた彼は、その冷たさにぞっとした。うひゃっと声をあげ、すぐに手を引っ込めて顔を歪ませる。
「ここが地下墓地……ぼく、初めて見ました」
「かなり古くからあったものだ。とうに空きがなくなって、いまは使われていないはずだが」
とメイラー。
そのとき、ふたりのあとについて歩いていたレナが異常を感じ取った。
「ふたりとも待って。なにか、います!」
足を止め、右手の暗がりを指さす。
いちばん端の石棺の列──その陰に、誰かがいる。目をやった三人は、レナが指し示した場所でうずくまっているのが、この世のものでないとすぐに気づいた。はじめは影が揺れているのかと思った。しかしそれは灰色の煙のようにすうっと宙へ舞いあがると、三人のほうへ骸骨めいた顔を向けたのだ。その姿はレナだけでなく、ペルとメイラーにもはっきり見えた。
三人をこの地下墓地へと誘い込んだ、灰色の亡霊。人の姿をしてはいるものの、ひどい蓬髪で男か女かもわからない。落ちくぼんだ目のあたりにはふたつの黒い穴があるだけ。真一文字に引き結ばれていた口の顎が動いて、顔の下半分がぱっくりと裂けた。たぶん、笑ったのだ。
「さがれ!」
剣をかまえたメイラーが、なかば怒鳴るように言った。しかしペルはもとより、レナもこんな禍々しいアンデッドを初めて見たのか、足を動かすことすらままならない。
灰色の亡霊が、ふいに消えた。と思った矢先、三人の頭上に現れた。鋭い鉤爪のような骨だけの指を広げ、空中からレナに襲いかかる。だが彼女に向けて腕を振りおろそうとした亡霊は、一瞬ためらう。退魔の護符だ。レナの身につけるそれが、彼女を守ったのである。
メイラーがまごついている亡霊の隙を衝く。相手の胴体をまっぷたつにするかに剣で薙いだ。しかし、手応えがまるでない。灰色の亡霊は攻撃されたことによって猛り、メイラーへと反撃する。咄嗟に石棺の後ろに身を隠したものの、非実体状態である亡霊の攻撃はそれをすり抜け、鉤爪の指がメイラーの身体をかすめた。痛みはなかったが、胸のあたりにおどろくほど冷たく、命そのものを吸われるような不気味な感覚が走る。
アンデッド特有のドレイン攻撃。おそらく塚屋にいた四人はこれにやられたのだと、メイラーは文字通り身を以て知った。
「くそっ、やはりだめか……」
両手で剣をかまえ直したメイラーは、亡霊と触れた剣先にびっしりと霜がついているのに気づいた。やむなく奥へと後ずさる。とにかく、この亡霊をペルたちから引き離さなければ。
睨み合う両者が地下墓地の奥へと移動してゆく。メイラーが追い詰められる形勢だ。灰色の亡霊もそれをわかっているのだろう。あえて焦らすように、ゆっくり彼との距離を縮めている。
緊迫した成りゆきを息を詰めて見守るペル。
「だ、だめだ。幽霊は、魔術付与か銀で作った武器じゃないと倒せないんだ」
「銀の武器──」
レナがぽつりと漏らす。それから彼女は、ふとなにかを思いついたようだ。
「あるよ、ペルくん!」
「えっ、どこに?」
「ここは昔、特別な人たちの墓地だったの。騎士とか、お金持ちの人たちが眠ってるって、お父さんが言ってたわ。だから、棺のなかにはきっと副葬品があるはずよ。手伝って!」
すぐ横の石棺に取りついた彼女は、その蓋に両手をかけると渾身の力で押しはじめる。ペルもレナの横に並ぶと手を貸した。ふたりが協力すると、ごろごろと重い音を立てて石の蓋が動いた。開いた隙間から鬼火の光が射し込み、石棺の内を照らす。すると、そこにあったのは、もちろん干からびた死体。
「ぎゃーっ!!」
思わず悲鳴をあげるペル。それに気を取られた亡霊が、なにごとかとふたりのほうへ首を回す。
「どこを見ている!」
メイラーがふたたび剣で亡霊へと斬りかかった。確実に相手の首元を狙った斬撃だが、やはり空を切っただけである。お返しとばかりに亡霊の鉤爪が頭上から降ってくる。それを床に転がり、すんでのところで躱すメイラー。いや、またしてもわずかにかすったか。腰のあたりにするどく冷たい感触。同時に急激な疲労感が彼を襲う。刃についた霜の冷たさが剣の握りにまで伝わり、両の掌がしびれてきた。攻め手をなくしたメイラーの胸に焦燥が募る。全身に、いやな汗がにじんでくる。
一方のペルとレナは、こわいのやら気持ちわるいのを我慢して石棺のなかを探ったが、銀の武器は見当たらなかった。ふたりはすぐつぎの石棺へと取りかかる。蓋をずらして、開けた。だが、こちらにもない。三つ目、四つ目──どれも空振りばかりで、彼らが目にしたのは枯れた花、安っぽい装飾品、わずかな貨幣の入った革袋など。副葬品はたいてい当人と縁のあった品や、死者が来世へ持参するものを棺に入れるという。そのほか魂が抜けたあとの遺体を屍食鬼などから守るため、神聖な銀の武器を持たせる風習もたしかにあった。しかしこの地下墓地には相当数の石棺が安置されているのだ。ペルは運よく銀の武器が見つかるだろうかと疑心に苛まれはじめた。
そして、五つ目の石棺。重い石の蓋を押すのも重労働である。ふたりが苦労して、ようやく蓋をずらすと、そのなかにはいままでとはちがう遺体が眠っていた。ほかと同じく無残に腐り果ててはいたが、板金鎧を身にまとっているのだ。さっきレナが話していたように、生前は騎士だった者の亡骸なのかもしれない。
「あったよ、レナ!」
ペルが叫んだ。彼は石棺の内側と鎧との隙間に、鈍く光る剣の柄らしきものを発見したのだ。レナが真っ先に手をのばし、その剣を引っぱり出す。長い年月を経て黒ずみ、輝きを失ってはいたが、それはまさしく銀の剣だった。
「メイラーさん、これを使って!」
無我夢中のレナが両手で持った剣をメイラーへと放り投げる。
剣は宙を舞い、くるんと回転してから石床にぶつかって、あらぬほうへと跳ねた。澄んだ金属音が地下の空洞で反響し、予想外の大きな音を鳴らす。
メイラーと灰色の亡霊、どちらともがつかの間、動きを止めた。つぎの瞬間、メイラーは持っていた剣を手放して弾かれたように駆け出す。だが亡霊も瞬間転移して、彼と床に転がる銀の剣とのあいだに割って入り、そのゆく手を阻んだ。
こうなったらもうやぶれかぶれだ。メイラーは足を止めなかった。彼は正面にいる亡霊の足下へ、勢いをつけて頭から身を投げ出した。そしてそのまま埃っぽい床を滑り、見事に銀の剣を摑む芸当をやってのけた。剣を握り直すこともとりあえず、床に寝たまま下から亡霊を斬りあげる。すぐさま剣を身体に引き寄せ、たてつづけに突きを繰り出した。
銀の武器の効果は絶大だったようだ。地下墓地の薄闇を切り裂くしゃがれた絶叫。それが断末魔だった。亡霊は身をよじり、銀の剣で貫かれた胸のあたりをかきむしっていたが、徐々にその動作も緩慢なものとなってゆく。やがて剣が刺さっている胸元から全身へと、まばゆい輝きが広がりはじめる。灰色の亡霊はまもなく光の粒子となって、方々へ霧散した。あとには、さらさらと灰が舞うのみ。
アンデッドの最後に呆然となっていたペルたちが、ふいに正気を取りもどしてメイラーのもとへ駆け寄る。
立ちあがろうとするメイラーにペルが手を貸した。
「メイラーさん、大丈夫ですか!?」
「ああ。あぶないところだったが、なんとかな」
言って、無謀な国王騎士は苦笑いを顔に浮かべた。
「しかしまさか、おまえたちに助けられるとは」
メイラーが銀の剣を投げてよこしたレナの頭に、ぽんと手を置く。すると彼女は目を伏せて、頬を赤く染めた。
「わ、わたし、必死だったから……」
急に身体が火照ったように感じ、レナはそれ以上言葉を継げなかった。
「うわあ、メイラーさん、汚れちゃったね」
とペル。言われたメイラーが自分の身体を見おろすと、国王騎士団の短衣に炭でもこすりつけたかの黒い汚れが付着している。銀の剣を拾うため、床を滑ったときについたのだろう。しかし、妙だ。こんな場所に炭が落ちているはずはないのだが。
ペルが鬼火を呼び寄せて、あたりの床を調べてみた。すると、近くの石床には幾筋もの黒い線が引かれているのがわかった。石棺の列のあいだにある通路の幅いっぱいに、なにか図形とおぼしきものが描かれている。線に沿って点々と、いくつかの蝋燭が燃え尽きた跡も見つかった。その素人目に見ても法則性のある模様は幾何学的だ。自然にできたものではない。あきらかに誰かが、人為的にこれを描いたのだろう。
メイラーが膝をつき黒い線に手で触れると、顔料のような粉末が指先に付着した。
「これは、魔術陣か?」
「あっ! そういえば──」
ペルは自分が霊体となって共同墓地を調べにいったとき、襲いかかってきた思念体が黒いローブを着た死霊術師のことを話していたのを思い出した。
「これきっと、黒いローブの死霊術師の仕業ですよ。ぼく、幽霊がそう言ったのを聞いたんです」
「なに、黒ローブの死霊術師だと!?」
メイラーが声を高くした。
「ペル、おまえそいつの居所を知っているのか?」
「えっ、いえ、そこまでは……」
メイラーに詰め寄られ、口ごもってしまうペル。途端、メイラーは肩を落として小さく息を吐いた。
「そうか。そいつはいま、ラクスフェルド内でなにかよからぬことを企てているらしい不届き者でな。騎士団が総出で行方を追っているところなのだ」
「じゃあ、もしかしてここ以外の墓地にも魔術陣が?」
「ありうるな。やつめ、いったいなにが目的なんだ……」
それから三人は鎧を着た死体がある石棺のところまで歩いた。鎧に興味を持ったメイラーが内をよく見てみると、銀色をしたその胸部には駒鳥と短剣をあしらった刻印がある。
ペルが怖々と薄目で石棺を見ながら言った。
「この人、よその国の騎士だったのかなあ」
「いや、鎧の胸にあるのは神官騎士団の紋章だ。遡れば、われら国王騎士の先達となる。その義理で助太刀してくれたのだろう。僥倖としか言い様がない」
メイラーは黙祷のあと礼の言葉をつぶやいて、窮地を救ってくれた銀の剣を持ち主に返した。
地上へ出た。日が落ち、共同墓地には紺の闇が迫っていた。落ち目の天候に回復の兆しはなかったものの、三人は新鮮な空気を吸って生き返った気がした。
「あ、幽霊がいません」
レナが暮れきった空を見あげて言う。ペルはそれを聞いてほっと胸を撫でおろした。
「あの灰色の亡霊をやっつけたからかな? よかった、これで寮の幽霊もいなくなってるはずだよ」
「ああ。そうだといいがな」
とメイラー。浮かない表情の彼は、もちろん先に見た魔術陣のことが気になるのだ。ペルも言っていたように、まだあのような魔術陣がラクスフェルドのどこかにあるのかもしれない。すぐにでも騎士団長のクリスピンとアイシャへ報告し、なんらかの対策を講じねばなるまい。
とにかく、これで幽霊騒ぎはいちおうの解決をみたのだった。メイラーに送ってもらい、ペルとレナはそれぞれの寮へと帰った。そして夜、ペルは就寝前にあの灰色の亡霊のことをモンスター事典で調べてみた。
モンスター事典いわく、灰色の亡霊はレイスと呼ばれるアンデッドだったようだ。霊体のアンデッドとしては中級クラスで、人の持つ負の思念が凝縮した存在だという。祝福された武器しか通用しない非実体状態、相手の生命力を奪うドレイン攻撃などの特徴を有し、さらには下級の霊体アンデッドを生み出す能力をも備えている、と事典には書かれてあった。となれば、やはり寄宿舎の幽霊騒ぎはメイラーが倒したレイスが原因だったのだ。地下墓地で見た魔術陣は、おそらくレイスを召喚するためのものだったのだろう。
「おいなんだよペル、まぶしいぜ……」
横手から声がした。隣のベッドから苦情を申し立てたのは、寮でペルと同室のフラビオである。ペルは鬼火の呪文で光球を呼び出し、枕元でモンスター事典を広げていたのだ。
「あ、ごめん。すぐに消すよ」
言うと、ペルは鬼火を両の掌ではさんで消滅させた。部屋が闇に沈むと、彼は毛布を胸元にたぐり寄せ目を閉じる。今日は大変な一日だった。レナはお風呂に入ったのだろうかなどと考えつつ、安らかな眠りへと誘われるペル。
いや、待てよ。なにか引っかかるぞ。なんだろう。とても大事なことを忘れているような──
そして、しばらくのあと、ペルはがばっと身を起こした。
「ス、ステラさん!」
すっかり忘れていた。憲兵隊の本部で捕まったステラは、あのあとどうなったのだろうか。だが少しのあいだ逡巡したのち、ペルはふたたび横になって毛布をかぶった。まあ、あの人なら大丈夫だろう。今日はもう寝てしまおう、と思って。
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