7-5 ロザリーフ大聖堂の正面口を
ロザリーフ大聖堂の正面口を出てから南へ道なりに歩くと、ラクスフェルド市街の目抜き通りと交差する辻にゆき着く。夕方、アイシャはその大きな十字路の一角にある憲兵隊の本部へ赴いた。鋲打ちされた頑丈な木の扉を押して本部内に足を踏み入れると、なかには陳情にきたらしい年老いた男性のほかに、憲兵隊員が数人しかいなかった。
窓口では国王騎士のメイラーが老人の応対をしていた。唾をとばして興奮気味に不平をぶちまける相手と間近で対面しながら、彼はぴんと背筋を伸ばし、微動だにしない。アイシャは蜜蝋で蝋引きした外套から雨の滴をぽたぽたと垂らしながら、憲兵隊本部内の片隅で彼らの話が終わるのを辛抱強く待った。その手持ち無沙汰な様子を見かねたのか、憲兵のひとりが彼女に声をかけてきた。
「お嬢さん、なにか用なのかい?」
「いや、気遣いは不要だ」
アイシャは相手のほうを見もせずにそう言って、外套の前を無造作にはだけさせる。あらわになった神聖騎士団が身につける紫紺のマントと、彼女が首に提げているユエニのメダルを見た憲兵は、鼻白んだ様子ですごすごと自分の仕事へもどった。無理もない反応といえた。ラクスフェルド市民に親しみのある国王騎士と異なり、ほとんど表舞台に姿を現すことのない神聖騎士は、多くの人々にとって謎めいた、近寄りがたい存在なのである。
長々と世の不条理を嘆いて気が済んだのだろう、老人が席を立った。メイラーはそれに手を貸し、疎まれながらも彼を出入口まで送ってやった。つづいて自分のところまで歩いてきたメイラーに、アイシャは含みのある笑みを向けて言う。
「下流層の悲嘆に耳を傾け、礼節を尊ぶ。見事な騎士ぶりじゃないか」
「身にあまる言葉だな。いったい誰のせいで、こんな仕事をせねばならないのやら」
「おまえの部下はどうした?」
「全員、市街の警邏と郊外の捜索に回された。憲兵隊の連中もほとんど出払っているのでな、おれがここで留守番だ」
メイラーが言ったのは今朝、国王騎士たちに命ぜられた特別任務のことである。現時点で黒いローブの死霊術師は公の存在となり、オーリアの全域で指名手配されていた。ラクスフェルドでは、その行方の捜索に国王騎士団と神聖騎士団が連携してあたることとなった。が、実際には神聖騎士団の主導のもとで一方的に事が進んでいる。これには裏があり、神聖騎士団を率いるモロー枢機卿が、黒ローブの捜査に国王騎士たちを駆り出すよう、騎士団長のクリスピンへと迫ったのだった。ゾンビ化した旧友ローゼンヴァッフェを枢機卿に救われた手前、クリスピンは断ることができなかったろう。
しかしいまだラクスフェルドの市民はおろか、国王騎士と憲兵隊にさえ感染性を持ったゾンビのことは伏せられていた。国王騎士団とてなにか異常な事態が起こっているとは感づいていたが、ほとんど真相を知らされぬまま、ただ協力を強いられているのだ。あまつさえ水と油の仲といえる神聖騎士団から、いいように使われる立場となったのであれば、メイラーたち国王騎士がおもしろくないのは当然だった。
「卿ら神聖騎士殿の要請に従うよう下命は賜ったが、今度はなんだ。雨で水路の水でもあふれたか? どぶさらいでもなんでも、やってやろうじゃないか」
とメイラー。ふてくされた態度の彼に、事情を知っているアイシャは苦笑する。
「そう腐るな。黒ローブの件もあるが、昨日の大穴が気になってな。少し調べてみたんだ」
「あれか。なにかわかったのか」
「うむ。わたしの勘では、やはり魔術師の仕業に思える。そこで、ラクスフェルドにいる脛に傷のありそうな魔術師を洗い出してみた」
言うと、アイシャは携えた革の書類鞄から羊皮紙の束を取り出す。
「あの大穴の付近に住んでいた元王宮魔術師は所在が確認できた。ゆえに彼は除外するとして、ほかの何人かいるうちでいちばんあやしいのは、ステラという女魔術師だ。半年ほど前から魔術師組合に雇われているようだが、あきらかに経歴が不確かで身元が判然としない。加えて、春先にラクスフェルドの郊外で大なめくじが大量発生したそうなのだが、このときなめくじの大群を妙な魔術を使って消し去ったという。どうも引っかかる話だとは思わないか」
メイラーはアイシャが差し出した紙束を受け取った。それらは裁判所の令状だった。令状には容疑者を召し捕るに値する理由と罪状が、こと細かに記されていた。昨日の今日でここまで手を回すとは。あらためてメイラーはアイシャ──というか、神聖騎士団──の手際のよさに舌を巻かざるをえない。
「その女、前科は?」
「ない。だが最近、魔術師組合の組合費を横領した疑いで一時投獄されている。のちに組合から訴えが取りさげられ免罪となったが、ろくな女ではあるまい。憲兵隊本部にも記録が残っているはずだ」
メイラーは、令状と重ねてあったステラの個人的特徴を書き連ねた一枚に目を通した。アイシャの字でしたためられた覚書だ。それによると、該当者の種族は人間。中肉中背の女性。二十代半ばで住所不定。長い金髪に猫のような銀目。大きなとんがり帽子と緋色の派手なローブを好んで着用、等々。
またしても面倒を持ち込んできたアイシャにメイラーは苦い顔を見せた。思えば自分がいま憲兵隊の本部で留守番をしているのも、彼女が原因といえなくもない。昨日、アイシャから情報提供を受けて黒ローブがいるとおぼしき旧市街のオンウェル神殿へ急行したものの、それを取り逃したせいでメイラーは騎士団長のクリスピンから叱責を受けた。あのあと、あらためてオンウェル神殿へ人員を送り、徹底的に調査したが神殿はもぬけの殻で、黒ローブは発見できなかった。そして今日になって神聖騎士団と協力して捜索が行われると知ったが、メイラーは懲罰の意味もありその任務から外され、いまに至るというわけなのだった。
「では頼んだぞ。できるだけ速やかに身柄を拘束してくれ」
いとも気安く言うアイシャにメイラーは苛立ちをおぼえる。が、彼女に怒っても仕方がない。
「わかったが、すぐにとはいかんぞ。おまえも知っていようが、いまはただでさえ人手が──」
そのとき、憲兵隊本部の出入口の扉が勢いよく開いた。雨から逃れるようにあわただしくなかへ入ってきたのは、若い女がひとりと、ふたりの子供だった。
「でもいいのかなあ、憲兵隊の人に幽霊退治なんかをお願いするなんて……」
三人のうち、まだ十代と思しき少女がそう言った。
「善良な市民が困ってるんだから、これも立派な仕事よ。できないなんて言ったら、あたしがとっちめてやるわ。こっちはそのために高い税金を払ってるんだからね」
とんがり帽子をかぶった気の強そうな女が息巻く。すると、その後ろにいた少年が彼女へ不満をこぼすように、
「ステラさんがいってくれればいいのに。相手は幽霊ですよ。くさった死体じゃないんだから、すぐにやっつけられるでしょ?」
「だーかーらー、あたしは今日ほかにやることがあんの。レナちゃんにはわるいけど、手を貸すのはここまでだからね」
そんな会話をしつつ、どやどやと傍らを過ぎてゆく三人。出入口の近くにいたメイラーとアイシャは、それを唖然として見送った。そして数瞬、互いの目を見交わしたあと、彼らは念のためもういちど容疑者の特徴が記された覚書をふたりして確認した。
うん、まちがいない。やっぱりあいつだ。
「おい、ここに書かれている特徴とばっちり符合するのが、いま目の前を通ったよな?」
ステラの後ろ姿に目をもどしたメイラーが、やや戸惑いげにアイシャへと言った。
「ああ……名前も呼ばれていたぞ」
「意外とはやく見つかったな」
「そ、そうだな」
さすがのアイシャもこれには目をぱちくりさせている。
メイラーが本部内の奥にいた憲兵のひとりへ、目配せと手振りで指示を出した。ステラは窓口に事務係を呼びつけ、なにやら騒々しく捲し立てている。その彼女の両腕を、背後から近づいたアイシャと憲兵が押さえつけるようにしてがっちり摑んだ。
「えっ、ちょっとなにすんのよ、あんたたち!?」
突然のことに面食らったステラは、自分の左右にいるふたりを見比べるように何度も首を横に振る。それへアイシャが高圧的な声で言った。
「魔術師組合のステラだな」
「あんた誰よ?」
「ユエニ神聖騎士団の者だ。おまえには逮捕令状が出ている。いっしょにきてもらおう」
「はあっ!?」
そしてそのまま、有無を言わせずに憲兵隊本部の留置場へと連行されるステラ(二回目)。すぐそばにいたペルとレナは、いきなりの展開に戸惑うばかりだ。
メイラーが残されたふたりへ歩み寄り、不審そうに訊ねた。
「おまえたち、あの女の知り合いなのか」
「あ……はい、そうですけど」
ペルが答える。隣にいたレナが、彼の腕にすがりつくようにして不安げに身を寄せた。
メイラーはふたりへ向けて表情を和らげると、
「いや、こわがらなくてもいい。おれはメイラーという。国王騎士だ。少し話を聞かせてくれないか」
促されたペルはメイラーにステラと自分たちの関係と、ここへきた理由を明かした。
それによると、ふたりとも王立翰林院の修練生で、ステラとは魔術師組合の仕事を手伝うことで知り合ったようだ。ならば、あの郊外にある大穴とは無関係だろうとメイラーは思った。しかし、ペルが語った翰林院の寄宿舎で起こっている幽霊騒動のくだりを聞いて、彼は眉をひそめた。
「幽霊だと──」
そういえばと、メイラーは今日の午前中にもそんな陳情に訪れた市民がいたのを思い出した。最近、自宅の周辺に幽霊が出没するようになったとか訴えてきたのだ。そのときは、憲兵隊は悪魔祓いなどやっていないと追い返したが、日に二度も似たような陳情がくるとは。
これはひょっとするのかもしれない。
「よし、わかった。ステラのことは心配せずともよい。身の潔白が証明されれば、すぐに自由の身となろう。それで幽霊の件だが、多くがラクスフェルドの北にある共同墓地からきて、街中をさまよっているというのだな」
「はい。ほとんどは人に被害を加えるような幽霊じゃないけど、なかには悪霊みたいな、ちょっと危険そうなのもいるんです」
とペル。
「ペル、きみは実際に見たのか。その、悪霊というのを」
「見ました。レナもぼくたちの寄宿舎に現れた幽霊を見てるんです。彼女、それでいま本当に困っていて……」
言いつつ、ペルはレナを気遣う目で心配そうに見やった。メイラーにはふたりの差し迫った様子からして、狂言やいたずらではなさそうに思えた。
「どうやら、これは調査してみる必要がありそうだな」
「調べてくれるんですか」
「ああ。だがいまは憲兵隊も立て込んでいてな、本格的な調査とまではいかん。とりあえず、おれが墓地まで足を運んで状況を確認してこよう」
「ぼくもついていきます」
ペルが間髪を容れずにそう言った。すると、彼につづいてレナも、
「わたしもいきます」
「レナ!?」
ペルの声は、まるで不意を衝かれたような甲高いものだった。
「おねがい、ペルくん。これはわたしにも関係する問題だもの、全部を他人任せにするわけにはいかないよ。それに忘れた? わたし、ステラさんから借りた退魔の護符を持ってるんだから、大丈夫」
そうしてレナはメイラーに向き直ると、
「メイラーさん、わたし霊感があるので幽霊が見えるんです。きっとお役に立てると思います」
本心はこわいにちがいない。しかしそれでも決意を固めた少女の、いじらしく澄んだ瞳。それにじっと見据えられ、メイラーは頭をかいた。
「よかろう。だが危険な兆候があれば、すぐに引き返してもらう。ふたりとも、よいな?」
それへ、はいと声をそろえて返事をするペルとレナ。メイラーは子守でもしている気分になり、やれやれと鼻を鳴らした。
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