7-3 レナの様子がおかしい。
レナの様子がおかしい。どうも朝から他人を避けているようだ。昼休み、王立翰林院の学舎裏でぽつんとひとりで佇む彼女を見かけた。今日は魔術学科の授業中もうわの空で、居眠りしているのを教師に窘められることすらあった。普段のレナは学級委員長も任される優秀な生徒だ。どう考えても彼女らしからぬ有様といえた。そして放課後、廊下の窓から雨模様の外をぼんやり眺めているレナを偶然に見つけたペルは、思いきって声をかけてみた。
「レナ──」
呼び声に振り向いたレナを見て、ペルはおどろいた。悄然とした彼女はあきらかに精彩を欠き、目の下に濃い隈が出ている。ペルの知っている明るく快活なレナとは、ほど遠い様相である。
「ど、どうしたの? 今日は、なんかずっと元気なかったけど」
「ペルくん……ううっ……」
突然、涙ぐんで嗚咽を漏らしはじめるレナ。仰天したペルは、あわてて周囲を見渡す。これは第三者が見れば確実に誤解を招く状況だろう。ペルはとりあえずレナを人目のつかない場所まで連れていった。この時間なら学舎内の食堂には誰もいない。そこの片隅にある席にレナを座らせて、落ち着くのを待つ。しばらくすると、ようやく彼女は話ができる状態となった。
「もう大丈夫、レナ?」
隣に座ったペルの問いかけに、レナはぐすんと鼻を鳴らして肯く。
「ありがとう、ペルくん」
「それで、なにがあったの?」
「実は……あのね、笑わないで聞いてくれる?」
「うん」
レナは少しのあいだ唇を噛んだあと、赤くなった目をペルに向けて、言った。
「幽霊。女子寮に、幽霊がでるの」
「ゆ、ゆうれい!?」
「そう。わたし、幽霊とかよく見るほうだから、いつもなら気にしないんだ。でもここ最近──一昨日くらいからかな、なんだか急に身近にいる数が増えてきたみたいなの」
さらりとすごいことを言うレナである。彼女はいわゆる霊感が強いようだ。そういえば以前、ペルはレナから両親が聖職者だと聞いたことがあった。おそらくはそのふたりから受け継いだ体質なのだろう。
「幽霊っていっても、こっちに危害を加えてくる感じじゃないの。あてもなくさまよっているような。でも、さすがに一日中、あちこちに何体もいると気が休まらなくて。昨夜だって、わたしがお風呂に入ってるとき、ずっと誰かに見られてたし……」
「ええっっ!!」
ペルは思わず大声をあげた。いまの、聞きまちがいじゃないよな。お風呂って、あれか。入浴あるいは沐浴のことか。裸になってお湯できれいになるあれのことなのか。それから頭のなかで、全裸のレナが気持ちよさそうにお湯で身体を清めている姿を想像してしまうペル。だが、肝心な部分は湯気で隠れていて見えない。残念ながらこの小説は一八禁ではないので、ここはがまんしていただきたい。にしても、魔術学科のアイドルであるレナの裸をのぞき見るとは、なんとうらやま──いや不届きな幽霊だろうか。
実際のところ、レナは相当まいっている。女の子をこんな目に遭わせるとは許すまじ。煩悩を振り払ったペルは、真摯にレナをいたわる気持ちで彼女の横顔をのぞき込んだ。
「そうだったんだ。で、誰かに相談はしてみたの? 翰林院の先生とか」
「もちろんしたよ、いろんな人に。でも気がついているのは、わたしだけみたい。先生もお友達も、ぜんぜん取り合ってくれなくて。おかげでわたし、ここ数日はろくに眠れてないの」
「そっか……」
いかに超自然に親しい魔術師とはいえ、霊感体質は別だ。ペルも霊感のほうはさっぱりである。アンデッドの幽霊が相手となれば、神聖学に通じる僧侶の出番だろう。しかし翰林院は多分野に渡り有識者を養成する場所だが、神聖学を軽んじる傾向がある。ゆえに翰林院内では、レナの話をまともに聞いてくれる者がほとんどいないのだろう。
これは困った。なにか打つ手はないものかと、ペルは雑嚢のふたを開けて、なかをごそごそとかき回しはじめる。やがて取り出したのは、もう皆さんご存じであろう、全冒険者必携のモンスター事典だ。
モンスター事典いわく、低級アンデッドに分類される幽霊とは、ある理由によって物質界に縛りつけられた死者の魂のことである。自分を殺した者への復讐、生前に執着した品への未練、または誰かへの深い愛情など、死者の魂が幽霊となる理由はさまざまだ。そのほかごく希に、自分が死んだことに気づいてないものもいるという。幽霊をモンスターとして見た場合、基本的に危険度はさほどでもない。しかし生息地に踏み入った侵入者へ敵意を向けてくる事例は多々ある。退治するには、幽霊が物質界に縛られている原因を解消するのが最も穏便な手段といえよう。そうすれば死者の魂は安らぎを得て霊界へと旅立つことができるのだ。反対に強行策を用いるときは幽霊に血肉や骨といった実体がないため、少々厄介。物理攻撃が効かないうえ、こちらを恐怖状態にしたり、肉体の自由を奪う憑依といった特殊能力を使ってくるので、十分に注意されたい。対アンデッド要員が仲間におらず、それでも幽霊に立ち向かうのであれば、銀製あるいは信仰呪文で祝福された武器が有効だと、モンスター事典には書かれてあった。
ペレペレッペッペッペ~♪
なんと、これまでに得てきたモンスターの知識が累積され、ペルのかしこさが1あがった。
それにしても、たかが幽霊とはいえなかなかあなどれない存在のようだ。レナの話によればかなりの数が出現しているらしいので、それらの幽霊となった原因をいちいち取り除いて退治するのは、ほぼ無理に思える。さりとて翰林院の女子寮で銀製の武器を振り回し、幽霊たちを一掃するなど舎監が許すまい。
要するに、いまペルにできることはなにもない。彼はまたかと、気落ちして目を伏せた。先日の、ローゼンヴァッフェとともにゾンビに襲われたときが脳裏に甦る。あのときも、ペルはなにもできなかった。実は彼にとって、それがちょっとした心の傷になっているのだ。
自分も魔術師ならば、ステラのようにとまではいかなくても、せめてアンデッドを破壊する呪文のひとつでも使えたらいいのに。そうすれば、いまだってレナを助けることができたかもしれない。ステラか──ペルはふと、ゾンビ騒動のときに彼女から借りた退魔の護符を思い出した。古代のルーン文字が刻まれたアミュレット。たしかステラは、あの護符が低級アンデッドくらいならば寄せつけないと話していた。たぶん幽霊にも効果があるのではないだろうか。
どうせ今日も魔術師組合へ手伝いにゆくつもりだったのだ。ちょっと借りるだけなら、ステラもだめとは言うまい。ペルは顔をあげると、しょんぼりしたレナの肩へ手を置いた。
「レナ、今日はこれから時間ある?」
「うん。寮の門限までなら大丈夫だけど」
「じゃあ、ステラさんに相談してみよう。あの人、魔術用具に関してはそりゃあもう偏執的な蒐集家だから、きっと幽霊退治に役立つものを持ってると思うんだ」
「ほんと?」
なんらかの希望を持てたようで、レナの表情がぱっと明るくなった。
「ほんとほんと。よし、いまから魔術師組合までいっしょにいこう。心配しないで、なにか貸してくれるよう、ぼくが頼んであげるから」
そうして、やむ気配のない雨のなか、ふたりはラクスフェルド郊外にある魔術師組合へ向かったのだった。
魔術師組合の本部として使われている一軒家に着いたペルとレナは、ポーチの軒下で濡れた雨具を脱いで、母屋に入った。組合の受付カウンターの向こうではステラが卓に着いて、なにやら神妙な顔をしていた。彼女の前には、人の頭ほどの大きさをした水晶玉が置いてある。ふたりに気づいたステラは、すぐにそれへあわてた様子で練り絹の布をかぶせた。
「なんだ、ペルか──あれ、その子どしたの? レナちゃん、だっけ?」
ステラに声をかけられたレナは、ペルの背後からぺこりとお辞儀をした。そして彼女がステラに勧められた椅子に腰掛けると、ペルのほうはお茶を淹れる支度に取りかかった。彼はレナが不安がっているから、気分の落ち着くレモンバームの香草茶にしようなどと気を利かせて、かいがいしく動きながらステラへことのあらましを話して聞かせた。
「へえ、女子寮に幽霊が団体さんでねえ……」
ふたりがやってきた経緯を知り、腕を組んだステラは気の毒そうな目でレナを見た。そのステラへ、ペルはあらたまって懇願する。
「だからおねがいです。あの退魔の護符があれば、レナもきっと安心してお風呂──じゃない、夜眠れると思うんです」
「んーまあ貸すのはいいけど、それじゃ根本的な解決になんないわよ」
と、ステラはむずかしい顔でペルが淹れたお茶をすすった。
「幽霊を寄せつけなくするだけじゃ、だめってことですか」
「なにか原因がありそうね。ペル、あんたその幽霊に話を聞いてきなさいよ」
「そんなこと言われても、ぼく幽霊なんて見えませんよ」
「じゃあ、見えるようにしてあげる」
言うと、ステラはペルに部屋の中央で立つよう命じた。そのやや後ろで、マグシウスの杖を持ったステラが魔力の錬成をはじめる。途端、周囲のエーテルが急激に励起。ペルはそれで、ステラが通常の魔術ではなく古代魔術を発動させようとしているのだと知る。しかし、レナには異常な勢いで魔力が生み出されている状況が理解できない。
「ふええ、なにこれえ!?」
ステラを中心としてぎゅんぎゅん高まってゆく魔力に、レナは目を丸くする。やがて、ステラの持つ魔術杖にあるドラゴンの脳結石が、輝きを帯びた。充填完了。ステラは両手で保持するマグシウスの杖をぐいと胸元に引き寄せ、足を踏ん張る。
「フォース・スピリットおおおお!」
その声と同時に、ステラはマグシウスの杖を思いっきし水平に振った。狙った先は、ペルの後頭部である。腰のひねり、インパクトのタイミング、どれも申し分のない完璧なスイングだった。
ごっちーん!
「ぎゃあああ!」
激痛にのけぞり、ペルが悲鳴をあげる。そして、レナは見た。ペルの身体から、すぽーんと魂が抜け出る瞬間を。その半透明をしたペルの魂は、エクトプラズムの糸を引いて空中を漂ったあと、羽毛のようにふわりと床に落ちて横たわった。
「いてて、なにするんですかもお……」
そうぼやいたペルが、頭の後ろをさすりながら立ちあがる。振り返ると、両手で口を覆ったレナが幽霊でも見たような顔をしていた。
「ぺ、ペルくんの中身が、出ちゃった」
とレナ。ペルはそれに怪訝な顔をする。ぼくの中身とは、いったいどういう意味だろうか。ほどなく彼はステラの足下で倒れている自分に気づく。頭の後ろにたんこぶを作ってぴくりとも動かないそれは、文字通り魂の抜け殻である。
「わーっ! ぼくの、ぼくの身体!?」
物質的なほうの自分を指さし、あわてふためく霊的なペルだが、こんな状況では誰でもそうなろう。
これこそステラが使う古代魔術のひとつ、フォース・スピリット。生きたまま自身あるいは他人を霊体化するという、非常に高度な古代魔術である。
「はいはい、びっくりしたね~。でもあわてんじゃないの。あんたの身体と魂を、一時的に切り離しただけだから」
ステラはとんでもないことをいたって冷静に言う。
「勝手にそんなことしないでくださいよ!」
「霊感のない人間が幽霊を見るには、そうするしかないのよ。わかったら、とっとと幽霊のとこにいって話を聞いてらっしゃい」
「え、ぼくひとりでですか!?」
「そーよ。今日はちょっとあたしも忙しいの。ほらあ、ぐずぐずしてると、そのまま成仏しちゃうわよ。そしたらもう元の身体にはもどれないんだからね」
「ひいっ! そ、そんなあ……」
頭を抱えた霊体のペルは、空中を泳ぐようにして魔術師組合の壁をすり抜け、外に出ていった。
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