6-3 「あかん。破産や」

「あかん。破産や」

 うつろな表情で帳簿を眺めるジマジが、ぽつりとそう漏らした。

 事務所の隅で戸棚にハタキをかけていた店員は、どれどれとジマジの肩越しに帳簿を覗き込んだ。卓の上で開かれたそれによると、ジマジの賭場の経営状況はまさに火の車である。

「うわあ、やばいっすね……」

「お、おいコラ、おまえなに勝手に見とんねん!」

 ジマジが背後の店員に気づき、あわてて帳簿を閉じる。しかし店員のほうはといえば、なにをいまさらという表情である。

「店長、客足を見ればうちの台所事情は明白ですよ。ここのところ、めっきり人が寄りつかなくなりましたからねえ」

 現状をずばり指摘されたハーフフィーンドのジマジは、きっと店員を睨んで文字どおり牙を剥いた。が、彼はすぐにしゅんと肩を落とす。

「まあ、せやな。経費削減で従業員を整理したものの、賭場の規模が小さくなりよるから、それでまた客が減るっちゅう悪循環や」

「いやあ、さみしくなりましたよ、ここも」

 言いつつ、店員はちんたらと床を箒で掃きはじめる。事務所の床はさして汚れていないが、彼にはほかにやる仕事がないのだった。

 現在、ジマジはフィーンドによる反社会的集団であるシルバースター一家の世話になっている。フィーンドの勢力はデーモン族とデヴィル族で二分されており、シルバースター一家はデヴィル族の傘下にあった。純粋なフィーンドだけでなく、ジマジのようなハーフフィーンドのカンビオンや、中には人間の荒くれも混ざっている雑多な集団である。その主な活動内容はといえば、カネ集めに尽きる。一般的なデヴィル族ならば、闇の帝王アスモデウスへ捧げる堕落した人間の魂を集めるところだが、なにせシルバースター一家は半端者の集まりだ。とはいえ物質界のカネも、フィーンドの流通貨幣であるマッ貨に両替すれば役に立たつこともある。さまざまな悪事で集めた物質界のカネを、シルバースター一家へ上納することで、ジマジは組織内での地位を築いていた。

 しかし、である。数週間前、ステラがジマジの賭場に現れて以来、シルバースター一家の稼ぎ頭だった彼の名声にはケチがついた。あのジマジが、どこぞの女博徒にサイコロ勝負でこてんぱんにやられたらしい──その悪評はすぐに広まった。あげくに、味を占めたステラがたびたび賭場に足を運ぶようになり、とんでもないイカサマをして売りあげをかっさらってゆくのだ。ことによってはフィーンドよりもたちが悪いといえよう。そんなこんなで、いまジマジの立場は非常に苦しいものとなっている。

 シルバースター一家への上納金が滞れば、容赦なく破門である。フィーンドの世界は甘くないのだ。

「いよいよ、わしも肚括らんとあかんかもな……」

 事務所の窓から外に目をやり、黄昏れるジマジ。

 ラクスフェルドの旧市街にある、オンウェル神殿の最上階。そこからは神殿の前門からつづく参道が見おろせた。数十年前に閉鎖された神殿ゆえ、礼拝にくる者などはとうに絶えている。しかし、今日に限っては前門のあたりに人だかりがあった。神殿の周りを取り囲む高い石壁に穿たれた、アーチ型のトンネルのところである。ざっと見て五〇人ほどだろうか。大勢の者らがトンネルをくぐって内へ入ろうとするオーリア国王騎士団を阻むべく、必死の抵抗をしているのだった。

 ジマジは椅子から立ちあがって窓のそばまで歩いた。

「なんや、あいつらまだやっとんのかいな」

「ええ。昼前からあの調子ですよ」

 と、あくびをしながら店員。

 ジマジは窓から身を乗り出して騒ぎを見守った。いま騎士団と揉めているのは、ジマジが物乞い組合や盗賊組合に掛け合って集めた者たちだ。旧市街の住人は皆、脛に傷があり、体制側へ強い反感を持っている。こういった輩は個々では弱いため、なにかと一致団結するものである。

 国王騎士団の目的はわかっていた。彼らは黒いローブの死霊術師を捜しているのだ。騎士団は人数をそろえて現れたところからして、それなりの確証をもってここへ捜索にきたにちがいない。しかし、なぜこの神殿に匿っていることがバレてしまったのだろうか。あの騒ぎの様子では、騎士団を防ぎきることはむずかしいかもしれない。ジマジは苦い顔で舌打ちをした。

 フィーンドと敵対し、物質界の平和維持を標榜するミロワの角笛という一団がある。先日、その構成員である緋の妖星ステラがラクスフェルドにいると知ったジマジは、すぐに上へと報告した。するとシルバースター一家の上層部は、ひとりの男をジマジのもとへ送り込んできた。一家の縄張りを守るべく、緋の妖星への刺客として。名は、カルネイロ。黒いローブを着た死霊術師だった。

 このカルネイロの派遣は、ある意味ジマジの生命線ともいえた。ジマジがラクスフェルドで地盤を固めるのに、どれほど苦心惨憺したことか。あるときは力ずくで、またあるときは奸計をめぐらせ、ジマジはラクスフェルドの旧市街で地道に自分の足場を築いていった。そして最近ようやく、オーリア王国にあって二心を持つレストブリッジ伯爵という後ろ盾も得ることができた。ただでさえシルバースター一家内での地位が危ういいま、それらを失うわけにはいかない。したがって今回のステラ抹殺は、ジマジにとって至上の命題なのだった。

「そういや、あいつどこいったんや。姿が見えんようやけど」

 ジマジが店員に訊いた。店員は事務所の卓を台拭きで撫でながら、さも忙しそうなふりをしている。

「あいつって、例のお客人ですか。さあ、あっしは知りませんが……」

 そう言うと店員は眉をひそめた。そして、

「でも店長、あのお方、ちょっと気味が悪いですぜ。あっしこの前、たまたま見ちゃったんですけどね、夜中に部屋で妙な儀式をやってらしたんですよ」

「儀式? なんやそれ」

「いや、あっしもよくわかんなかったんですよ。でも床に描いた魔術陣のところから、なんか幽霊みたいなのがぼや~っと出てきて、もう腰が抜けそうになりましたよ」

「それは召喚の儀だ。なあに、おまえたちに害がおよぶことはないゆえ、安心せよ」

 ふいに聞こえた声。それはまるで煉瓦をこすり合わせたような、がさついた響きだった。

 仰天するジマジと店員。声のしたほうを見ると、いつのまにかそこにカルネイロが立っていた。

「うおっ! おどろかすなや、おっさん!」

 心底おどろいたのだろう、ジマジは胸に手をあてて、カルネイロに食ってかかる。しかしカルネイロは断続的に息を吐くような笑い声を立てて、悠然と事務所の壁際にある長椅子に腰掛けた。

 突然に現れたカルネイロは、それまで気配を消していたとかそういうふうではない。おそらくは、どこかほかの場所から空間転移の呪文を使って、この事務所へ瞬間移動してきたのだ。

 漆黒のローブに身を包んだ彼は人間でありながら、フィーンドのジマジから見ても不気味な男だった。その病的な痩身は年齢不詳で、若くもあり老いたようにも思える。乾燥して皺の寄った肌は、なにかに寄生され枯れつつある樹木を連想させた。さらに顔面は呪術めいた紋様の入れ墨で覆われ、耳口鼻のいたるところに金属製のピアスをじゃらじゃらとぶらさげている。近くに寄ると白檀の香らしき匂いがきつく漂い、それがまた彼の妖しさを引き立てているのだった。

 シルバースター一家の貸元が送り込んだとはいえ、ジマジとカルネイロに信頼関係はない。ジマジは露骨にうろんな目をしてカルネイロに訊ねた。

「あんた、どこいっとったんや?」

「わたしも塵界はひさしぶりでな。いろいろと見て回っておった」

「おいおい、ふらっと出歩いてもろたら困るで。それにそのなりのほう、なんとかならんのかいな。黒いローブなんぞ着とったら、目立ってしゃあないで」

「仕方なかろう。黒は孤高であり純粋な無の象徴……そして、深淵の色。ひいてはアスモデウス様への忠誠の証なのだ」

 なんのことやら。自分も半分フィーンドとはいえ、アスモデウスへの忠誠心など微塵もないジマジにはさっぱりである。

「ほんで、首尾のほうはどないやねん」

「ククク、心配するでないわ」

「えらい気楽に言いよるな。標的は緋の妖星や、生半可な相手とちゃうんやで」

「心配するなと言ったであろうが。実は外へ出かけたついでにな、少々の仕掛けを施しておいた」

「どんな?」

「いずれわかる。郊外に、いい墓地があった」

 どうやら含み笑いをするカルネイロのほうも、ジマジには気を許していないようだ。

「フン、ええわ。そんならあんたのお手並み拝見や。せやけどな、わしの足をひっぱるようなことになったら、容赦なく見棄てるで。ええな?」

 そのジマジの言葉にカルネイロは薄く笑みを湛えたまま、なにも返すことはなかった。

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