6-4 ラクスフェルド市街の南東
ラクスフェルド市街の南東には市壁に半分埋まった砦がある。砦の市壁から突出した部分は、地面に隙間なく打ち込んだ丸太杭の柵で広く囲われ、さらにその外側に、先端の尖った木材を組んでこしらえた拒馬がずらりと並べてあった。丸太杭の内側となる敷地に点在する三基の櫓の上では、常に射手が陣取り、昼夜を問わず近づく者に目を光らせている。ものものしい雰囲気。そこがオーリア国王騎士団の駐屯地だった。
馬で近くまで乗りつけたデイモンは、到底乗り越えられない高さがある丸太杭の防護柵を見あげた。そのもっと上では駐屯地内に立てられた旗竿が青空へ向けて突き出ている。はためく団旗が旗竿のいちばん上まで揚げられているのをデイモンは確認した。それは騎士団長ウィリアム・クリスピンの所在が、砦にあるときの慣行だった。
太い丸太杭の切れ目には門があり、両脇に門衛がひとりずつ。外から駐屯地内に入り、砦へゆくにはそこを抜けるしかない。デイモンは馬から降りて、歩いて門へと近づいた。
「なかに入りたい。ウィリアム・クリスピンに用がある」
門の前まできたデイモンは自分に近かったほうの衛兵にそう告げた。衛兵はどちらもずいぶん若い。ふたりは、なにやら妙な奴がきたぞと、お互いに顔を見合わせた。そうして一方の年長らしきほうが、
「用件ならここで伺おう。あとで伝えておく」
「いや本人と直接会いたい。通してくれ」
デイモンはたたみかけるように言った。
「団長はお忙しいのだ。おいそれと目通りできる方ではない」
「時間は取らせん。少し話をするだけだ」
「くどいぞ。身元のわからん者を通すことはできない」
「一刻を争う重大事ならどうする。あとで責任を追及されるのはおまえたちだぞ」
しつこく食い下がるデイモンを見かねたもうひとりの衛兵が、横から口を出す。
「なあじいさん、陳情ならここじゃない。市街にある憲兵隊の本部へいきな」
「わたしは元騎士だ。団長のクリスピンとは──」
言いかけたデイモンは数瞬、言葉に詰まる。
「古い友人だ」
「騎士? あんたが?」
衛兵のふたりともがまじまじとデイモンを見つめて、笑った。デイモンはそのときになって、自分が庭いじりをしていた野良着のままここへきてしまったのに気づいた。
デイモンは衛兵たちに背を向けると、馬の鞍に結わえてきた剣を外した。それはオーリア国王騎士団の儀仗用の剣だった。正式な国王騎士しか拝領しえないものだ。デイモンは手の内にある古びて埃をかぶったそれを、感慨深げに見つめる。騎士の位を捨ててからは無用のものと思いつつ、未練たらしく持っていたが、まさかこんなところで役に立つとは。
デイモンはいらぬ誤解を招かぬよう、ゆっくりと衛兵たちの前に剣をかざした。
「これでいいか?」
「よく見せろ」
衛兵のひとりが手をのばす。しかしデイモンは相手が触れる寸前、剣を胸元に引き寄せた。
「もう見たろう」
衛兵の表情が険しいものに変わった。
われながら大人げない態度だと思う。デイモンの心の内で、もうひとりの自分が自分を諫めた。おいよせ、こんな若いやつらにかなうわけがないだろうと。しかし、さきほどじいさんと呼ばれたのと、笑いものにされたことに腹が立った。デイモンはばかなまねをしていると自覚しつつも、この場を切り抜ける道を頭のなかで模索している。押し通るにしても相手はふたり。いや、敷地内にもうひとりだ。騎士が平時に着用する短衣ではなく、修道士のような黒っぽい長衣を着た男。デイモンはその者をちらりと見たとき、相手と目が合ったような気がした。
「どうかしたのか」
険悪な雰囲気を見咎めたのか、離れた場所にいる男が声をかけてきた。門の三人は皆、彼のほうへと目をやった。歩み寄ってくるその者はデイモンより若い中年男だが、頭が見事に禿げあがっている。
門の間近まできたとき、デイモンの姿を見た男はなにかに気づいたようだ。そしてまもなく彼は足を止め、ぎょっとしたような顔になった。
「まさか、デイモン卿……あなたでしたか」
「主計長のお知り合いで?」
用心深くデイモンから目を離さぬまま、衛兵のひとりが男に訊いた。
「ああ。わが騎士団にゆかりのある方だ。さあどうぞ、こちらへ」
デイモンに駆け寄った男は丁重に彼を招いた。
デイモンは不満げな様子の門衛たちに馬を預けると、男につづいた。面倒なことになりかけたが、自分を知る騎士団の古株がいたのはさいわいだった。デイモンは並んで歩く見憶えのない男を横目で見ながら、
「よくわたしだとわかったな」
「騎士団の儀仗を持つ隻腕の剣士となれば、あなたくらいしか思いつきません」
「すまんが、こちらは思い出せん」
「でしょうね。申し遅れました、エフロンといいます。自分は従騎士のころ、西部兵団におりました」
西部兵団は遠い昔、西ラクスフェルドの平原にいる蛮族に備えて編成され、デイモンが率いていた軍団である。
「なるほど、同じ釜の飯を食った仲だったか。で、いまは?」
「目立った功績もなく一線を退いたあと、主計科に回されました。有事とあれば兵站要員でしょうが、いま任されているのは金勘定と武勲室の管理です」
自嘲めいた、さびしげな笑い。しかしエフロンはすぐに気を取り直すと、
「それでまた、ここへはどんなご用で?」
「リアムに会いにきた」
それを聞いてエフロンは目をしばたたかせる。
「団長に?」
「そうだ」
「ええ、取り次ぐのは、問題ありませんが……団長とのお約束のほうは?」
「さっきのを見たろう。押しかけだ」
と、さも当然といったふうにデイモン。ふたりの確執を知っているエフロンは戸惑い顔で相手を見つめながら、何度も肯いた。
「わかりました。事情は聞きますまい。では、わたしがご案内しましょう。砦は増築したので、昔と間取りが変わっておりますゆえ」
デイモンはエフロンの案内で砦へと入った。そのなかの内装は、ほぼデイモンが知る当時のままだった。ふと、まだ若かった時分が思い返され郷愁が胸に募る。しかし駐屯地の敷地内もそうだったが、やけにがらんとしている。いま砦にいるのは小間使いの従騎士ばかりだし、ここへくるまでの外でも騎士の姿は見えなかった。
ふたりは壁沿いにある階段を登り、砦の上階へとあがった。二階と三階は騎士たちが詰める場所で、増築された四階に騎士団長の執務室がある。まもなくふたりは黒光りする重厚な木製扉の前に立った。エフロンがノックをしようと手をあげたとき、デイモンは彼を押しのけて無造作に扉を開けた。あっと小さな声を漏らしたエフロンの横をすり抜け、そのままなかに入る。
調度品はわずかだが、品のよい瀟洒な室内。執務室にはクリスピンしかいなかった。静かななか、卓について書き物をしていた彼が、デイモンに気づき顔をあげる。
「あー、ではごゆっくり……」
廊下にいたエフロンは言うと、そそくさとその場をあとにした。
名乗らずとも互いに誰であるのかはすぐにわかった。数十年ぶりの再会。デイモンとクリスピン、そのどちらともが、それぞれの変わりようにやや衝撃を受けていた。デイモンはつかの間、執務室の真ん中で立ち尽くした。おのれの姿を、あえて誇示するように。そして、やおら室の隅にあった椅子に歩み寄り持ちあげると、彼はそれをクリスピンの卓の正面に置いてどっかと座った。
ウィリアム・クリスピンは国王騎士の最高位であるホーリーダイバーの称号を授かり、騎士会議にも名を連ねる騎士団の古参だ。しかしその眼光はいまだ鋭く、老いてなお衰微の欠片もない。王室の受けもよく、彼はいずれオーリア王国の諮問機関である一〇人委員会にまで登りつめるだろうと、もっぱらの噂だった。
「ノア……!? おまえ、ここへなにをしにきた」
あきらかな怒気を含んだ声がクリスピンの喉から絞りだされた。彼の右手にあった鵞ペンが、ぽきりと小さな音を鳴らしてふたつに折れる。
腕を組んだデイモンはクリスピンの射貫くような視線を真っ向から受け、口を開いた。
「ヨアヒムのことだ」
「なんだと?」
「ヨアヒム・ローゼンヴァッフェだ」
「あいつがどうした」
「実はな、なんというか、あいつはいま──」
もごもごと口ごもったあと、意を決したようにデイモンは語を継いだ。
「おどろくなよ、ゾンビになった」
それを聞いてもしばらくはクリスピンの表情に変化はなかった。が、徐々に表情を崩した彼は、いきなり高らかに笑いだす。
「そうかそうか、ゾンビになって朽ち果てるとは傑作だ! あのいかれ魔術師の最後らしいではないか」
気のすむまで笑ったあと、クリスピンが息をつく。それをじっと待っていたデイモンは、彼に向かってぽつりと、
「かつての仲間だぞ。本気で言ったのか」
そのデイモンの言葉は、思いのほか強くクリスピンの胸に響いたようだ。クリスピンは用をなさなくなった鵞ペンを卓に放ると、苦々しい顔でハンカチを取り出しインクで汚れた指を拭いた。
デイモンはクリスピンのつむじ曲がりを鼻でせせら笑った。
「どうやら齢をとって偏屈になったな」
「そっちは腹が出すぎだ」
「ほっとけ。で、なにが起こっている?」
「なんのことだ」
「屯所がほぼ空ではないか。騎士たちをどこへ動かした?」
「おまえには関係のないことだ」
言うと、クリスピンは卓上の書状を取りあげ頬杖をついた。手にある羊皮紙を眺めてはいるが、彼がうわの空なのは目に見えてわかった。
「……それで、あいつ、もう死んだのか?」
「いや、まだ生きていると思う。場所は言えんが、縛って閉じ込めてある。モローだ。枢機卿の。彼なら、ゾンビを治療することができるはずだ」
デイモンは身を乗り出して、熱っぽくクリスピンへと訴えた。
「なるほど、それでわたしに泣きついてきたというわけか。たしかにいまのおまえでは、正教会の枢機卿に会うことなどできんだろうからな」
「力を貸してくれるんだな?」
「寝言をほざくな。ヨアヒムはともかく、おまえを助ける義理はない。しかし、なんでまたあいつはゾンビなんぞになったのだ──ああいや、言わんでもわかる。どうせまたくだらん実験にでも失敗したのであろう」
「くわしい経緯はわからん。ただヨアヒムによれば、黒いローブの死霊術師からゾンビパウダーを買ったとか、そう話していた」
それを聞いてクリスピンの目の色が変わる。
「なに、黒いローブの死霊術師だと?」
思い当たる節があった。黒ローブについては神聖騎士団から聞いていたし、ついさきほども部下のメイラーからその所在に目星がついたと連絡があったばかりだ。それに加えて、ゾンビだと?
クリスピンはしばし顎に手をあてて沈思した。それから、彼は唐突に立ちあがりデイモンの鼻先へ指を突きつけると、
「よし、すぐにヨアヒムをロザリーフ大聖堂へ連れてゆけ。わたしが話を通しておく」
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