5-3 準備は整った。
準備は整った。ローゼンヴァッフェによれば、問題の牧場はここから東の森を抜けたすぐ先にあるとのことだ。森はさほど深くなく道も整備されているため、そう時間はかかるまい。
ペルとローゼンヴァッフェは荷馬車に乗り込み、牧場へと向かった。先刻のステラのアンデッド殺しにより、近場のゾンビはほとんどが退治されていた。あの呪文は光輝が届く範囲のアンデッドをすべて灰の山に変えてしまうのだ。しかし森へ入る手前の地点には、まだ生き残りのゾンビが何体かいた。アンデッド殺しの光輝が届かなかったのか、それとも森の奥からここまでやってきたのか。荷馬車に気づき、ペルたちのほうへ一体のゾンビがゆっくりと向かってきた。
ローゼンヴァッフェがペルへ荷馬車を停めるよう命じた。
「ペルよ、おまえさん、魔術スクロールを使ったことはあるのか」
「翰林院の授業で何度かは。でも、攻撃呪文のは使ったことありませんよ。ぼくらの年齢だと、魔術スクロールでも攻撃呪文は禁止されてますから」
「よし、なら練習じゃ。いまは非常時だからな、わしが許可する」
そういうことならばと、ペルは荷台の木箱から凍結Ⅱのスクロールを一本取り出した。結ってある紐を解き開いてみると、まずは取り扱いに際しての注意書きがあった。これは危険なスクロールであり、誤った使用法に関しての損害はいっさい責任を負わないなどと書いてある。その下には魔術陣が描かれており、こちらの面を使用したい方向へ向けるようだ。そうしてあとは凍結のイメージを頭に浮かべて念ずれば、魔術の心得がない者でも効果を発揮するらしい。ずいぶんと簡単である。
ゾンビが木立を抜け、道のほうまで近づいてきた。
「きたぞ。ほれ、いまじゃ!」
荷馬車を降りて待機しているペルへ、ローゼンヴァッフェが言う。ペルは開いたスクロールをゾンビへ向けて、狙いを定めた。
「凍れ!」
なんていう感じでそれっぽくペルが叫ぶと、スクロールの効果はすぐに現れた。あたりの気温が急激にさがってきたのだ。やがてペルたちのほうへ歩み寄るゾンビの足下から、きらきらと輝く湯気のような冷気が立ちのぼった。たちまち土中の水分と、周辺に生えている草が真っ白になって凍りつく。そこにいるゾンビも足から腰、胸と順に凍ってゆき、とうとう全身が氷結した。
成功である。初めての攻撃呪文にペルは言葉もないといった様子だ。そのうち氷で作った彫像のようなゾンビが、ぐらりと傾いだ。バランスを崩したかちんこちんのゾンビはそのまま倒れて、地面の石に肩のあたりをぶつけてしまう。そして衝撃で片腕と首の部分が、ぼきりと折れた。
「うほほ、とどめを刺す手間が省けたわい。でかしたぞ、ペル」
とローゼンヴァッフェ。
「こ、これが攻撃呪文かあ……」
ペルは言って、手に持っている魔術スクロールをまじまじと見つめた。それに描かれていたはずの魔術陣は、すっかり消えてなくなっている。ほとんどの魔術スクロールは一回きりの使い捨てなのだ。しかし凍結Ⅱは中級クラスの呪文なだけあり、その威力には目を瞠るものがあった。いまペルの目の前では直径が約二〇キュビットほどの範囲で、地面が円形に凍りついている。白く凍った部分の端はペルの足下のすぐそばだ。一歩まちがえれば彼自身もあぶなかったろう。
凍結のスクロールがゾンビにも有効なことはわかった。ペルとローゼンヴァッフェは荷馬車で牧場へと急いだ。森をゆく途中、茂みのなかにいるゾンビを何度か見かけた。そのたびにふたりはスクロールを使って、先ほどと同じようにゾンビを氷づけにした。牧場へ着くまでにスクロールがなくなるかとも心配されたが、それは杞憂だった。小さな森を抜け、荷馬車は開けた草原に出た。そしてさらに進むと、ゆく手に牧場の柵らしきものが見えてきた。
そこは思ったよりも小規模な牧場だった。あるのは厩舎のような建屋が一棟と、あとは柵で囲った土地だけ。ペルはさしあたって、最初に目についた建屋に荷馬車を向かわせた。その近くでは、飼われている家畜だろうか、たくさんの生き物がうごめいていた。
急に馬が短く鼻を鳴らして足を止めた。そうして、ペルも気づいた。ちがう。あれは、家畜ではない。ゾンビだ。
「うわあっ、なんだあれ!?」
荷馬車の御者台で腰を浮かせ、思わず大きな声を出してしまうペル。あるていど近づいてわかったのだが、牧場の柵の内側──そこには、たしかにゾンビがいた。しかも、かなりの数が。まあそれはいいとして、そのゾンビたちは、なぜだかよくわからないが柵の内できれいに隊列を組んで、一定の場所をぐるぐると回っていたのである。あえてわかりやすく表現するならば、ゾンビの盆踊り状態。ペルがびっくりしたのも当然だった。こんなものを目の前にして驚くなというほうが無理だろう。
状況が理解できずに放心状態なペルをよそに、ローゼンヴァッフェは荷馬車から降りると、なに食わぬ顔で牧場のほうへ歩いてゆく。あわてて地に降り立ち、ペルもそれにつづいた。もしや目が悪いローゼンヴァッフェには、あのゾンビが見えていないのだろうか。
「ローゼンヴァッフェさん、牧場がゾンビに占領されてますよ!」
しかしうろたえるペルとは対照的に、ローゼンヴァッフェは泰然としたものだった。
「いや占領はされとらんぞ。もともとここはゾンビ牧場だからな」
「ゾ、ゾンビ牧場!?」
いったいなんだろうか、その不気味かつ、のんびりとしたネーミングは。さらに、ローゼンヴァッフェといっしょに柵の近くまできたペルは、そこでまた驚愕することとなる。
あたりまえだがゾンビは盆踊りをしているわけではなかった。まず柵の向こう側でいやでも目につくのはゾンビの群れだったが、その中心には大きな木の柱があった。太さは人間の胴体くらいで、そそり立つ高さは六キュビット足らずといったところ。そしておよそ二〇体ほどのゾンビが、その柱のまわりをぐるぐると周回しているのだった。柱の中程からは水平方向に四本の長い腕木がのびていた。一本の腕木には四体から五体ほどのゾンビたちがとりつき、いずれもそれを押して一方向へ歩いている。どうやらこのゾンビたちは、太い柱を回転させる作業に従事しているようだ。腕木とともに回転する中心の柱の上部には木製の歯車があり、おなじく歯車がついた横軸と接続されている。あきらかに、これはゾンビを動力源とした設備だ。ゾンビが生み出した動力を伝達する横軸の先は、この設備と隣接する建屋のなかへと消えているので、おそらくはそこでなにかしらの仕掛けを動かしているにちがいない。
「おーいペルよ、ちょっと手を貸してくれ」
原始的ではあるものの大がかりな設備に目を奪われているペルを、ローゼンヴァッフェが呼んだ。いつの間にかペルのそばを離れた彼は、いま遠くのほうで手を振っている。ペルは混乱しつつも駆け足でローゼンヴァッフェのところまで急いだ。すると、ローゼンヴァッフェは横木が外れた柵の傍らで彼を待っていた。
「ここじゃよ。この壊れた部分からゾンビが逃げ出したのだ。ほれ、その木の板を持ちあげてくれ」
ペルはローゼンヴァッフェに言われるまま、落ちていた柵の横木を拾いあげた。柵は等間隔で地面に打ち込まれた杭に横木を渡しただけの、簡素な作りだ。ペルが細長い板を杭にあてると、ローゼンヴァッフェは自宅から持ってきた金槌と釘でそれを修理しはじめる。
「あのう、ローゼンヴァッフェさん、このゾンビ牧場って、あなたが作ったんですか」
ペルが訊いた。
「そうじゃよ」
「じゃあもしかして、あのゾンビも……?」
すると柵を修理している手を止め、ローゼンヴァッフェが顔をあげた。そして、彼はペルに向けてにやりと笑うと、
「誰にも内緒じゃぞ」
まさかとは思ったが、やはりそうだった。ならば、いまの事態はこのじーさん自身が原因なのではないか。ペルはあきれてしまった。
「な、なに考えてるんですか! いったい、どうしてそんなことを!?」
「どうしてって、そりゃ人間がラクをして暮らすために决まっとろう。ゾンビは命じたことをタダでなんでもやってくれるんじゃぞ。そんな便利なものを使わん手はない。難点は知能が低いゆえ、単純な作業にしか使えんことくらいじゃな」
「それで、あんなことをさせてるんですか……」
ペルはあいかわらず向こうで棒を押しているゾンビたちを見た。ゾンビは疲れを知らないので、たぶん一日中あれをやっているのだろう。
「うむ。あのゾンビ発動機から得た動力で、いまは穀物製粉をやっておる。ほかにもいろいろと使い道はあるぞ。あれをもっと巨大化して出力を増大させれば、大量の地下水を汲みあげたり、大きな溶鉱炉の鞴も動かせるじゃろう。まちがいなく、これで動力革命が起こるぞい、ぐふふ」
夢の詰まった話だが、その基盤がゾンビというのは大問題である。それにしても、ローゼンヴァッフェはあんなにたくさんのゾンビをどうやって作ったのだ。そもそも死体はどこから調達したのか。もしや、夜中に墓場を掘り起こしてこっそりと──
ペルの疑惑に満ちた目がローゼンヴァッフェへと向けられる。すると、彼の言わんとするところを察知したのか、ローゼンヴァッフェはあわてて釈明した。
「言っておくが死体泥棒なんかしとらんぞ。わしはちゃんとオーリア正教会を通じて、墓に入るあてのない無縁仏を引き取っておるのだ。まあそれをなにに使うかは話してないがな。だが死してなお社会に貢献できるのであれば、彼らにとっても本望じゃろうて」
柵の横木に釘を打ちつけながら、ローゼンヴァッフェはつづけた。
「浮世では、ほっといてもどんどん人が死ぬからな、ゾンビの供給に心配はない。いわば無限の労働力だ。その将来的にゾンビとなる予備の死体は、あっちの建屋にたくさん保存してある。そうそう、凍結のスクロールはそのために必要なんじゃよ」
魔術スクロールをそんなことに使っていたとは。ペルはゾンビ発動機の近くにある建屋のほうへ目をやった。たしかに冷凍すれば死体を長期間保存できる。そしてペルは、そういった経緯でゾンビとなった方々の、末路はどうなるのかと思いついた。
「でも、ゾンビってずっと使えるわけじゃないでしょう。体の肉が腐って骨だけになったら、動けなくなるんじゃないですか。そうなったら、どうするんです?」
「そのときはお役御免じゃな。されど安心せい。ここから遠くない森のなかには底なし沼があるでな、ちゃんとそこへ沈めてねんごろに弔っとる」
それを聞いたペルは複雑な表情となる。どう聞いても弔っているというよりは、証拠隠滅を計っているようにしか聞こえない。
柵の修理が終わった。ローゼンヴァッフェは釘で留めた横木を軽く揺らして、柵の強度を確かめた。問題ないようだ。
ふたりはゾンビ発動機のところまでもどった。ローゼンヴァッフェによると、この設備は念動力の呪文を使い、ほとんど自分ひとりで作りあげたのだという。老人ながら、やたらと活動的である。まだ頭もしっかりしており、今回の件も悪意があってのことではないようだ。世のため人のために貢献するという立派な目標があり、合理的で周到に計画されている。ペルは、ゾンビを人間の生活に役立てることについて、海の向こうの暗黒大陸から奴隷をさらってきて強制労働させるよりは、よほど人道的ではないかとちょっと思ったりした。が、いかんせん倫理観が欠落している。どんな大義名分であれ、既存の社会規範から逸脱してしまえば、それはアウトなのである。
「ローゼンヴァッフェさん、やっぱりまずいですよ、いろいろと。なにより、ゾンビが身近にいたら怖いし。実際、さっき襲われてたじゃないですか。噛まれて自分もゾンビになったら、どうするんですか」
そのペルの言い分を聞いたローゼンヴァッフェは、唾をとばして大笑いしはじめた。
「ぶひゃひゃひゃ! ペルよ、おまえさんまさか、ゾンビに噛まれるとゾンビになるとかいう与太話を信じとるのか」
「え、ちがうんですか」
「そんなわけなかろうが。あれはゾンビが出てくるお話のなかだけの設定じゃよ。もしほんとうなら、いまごろは世界中がゾンビだらけになっとるわい」
言われてみればそうかもしれない。ペルは自身の生かじりな知識を恥じて顔を赤くしてしまった。
「しかし自分がゾンビになるとはいい考えじゃな。ゾンビは死なない。ゾンビには学校も、試験もなんにもない。ぜひわしもなりたいくらいじゃ」
とローゼンヴァッフェ。
いやいや、よりにもよってゾンビはないだろう。どうせアンデッドになるのなら、魂を経箱に移してリッチにでもなるべきだとペルは思った。もちろんローゼンヴァッフェが本気にするといけないので、口には出さなかったが。
ゾンビ騒動の大筋は判明した。いま牧場にいるゾンビは、しばらく放っておいても大丈夫なようだ。問題は、そのほかの逃げ出したゾンビである。ローゼンヴァッフェは残っているゾンビの数をひいふうみいと数えた。
「やはりだいぶ減っとるなあ。前に見たときは、この倍くらいはいたはずじゃが」
「あのゾンビたちは、どうして逃げないんでしょうね?」
不思議そうにペルが言う。柵の向こうでは、あいかわらずゾンビが棒を押す作業を一心につづけていた。
「それはゾンビの個性じゃろう。真面目な奴もおれば、そうでないのもおるのだ」
「ゾンビにも個性があるんだ……」
「わずかながら生前の記憶が残っておるらしいからな。じゃが、どうもゾンビパウダーで作ったゾンビは、なかなか言うことを聞いてくれんのだよ」
「ゾンビパウダーって、ゾンビを作るときに使う魔術用具ですよね。そんなもの、どこで手に入れたんですか」
「うむ。実は一か月ほど前に、ラスクフェルドへ向かう途中だという旅の者が、わしの家の近くを通りがかってな。路銀が乏しくなったと言って、所持品をカネに換えてくれんかと持ちかけてきたのじゃよ」
「死霊術師、ですかね?」
ペルは眉を寄せた。死霊術師は、いわゆる魔術師と呼ばれる人々のなかでも、死者やその魂を弄する異端として忌避される存在である。
「まあ、そんな感じじゃな。黒いローブを着て、鼻ピーなんぞをつけたずいぶんとアナーキーな奴じゃったわい」
「どう見てもあやしいじゃないですか。それにだいたい、ゾンビパウダーなんて持ってるだけで牢屋いきなのはご存じでしょう」
「ぬう、めんぼくない。そやつによれば、完全に死体となった状態からでもゾンビを作れる特別製だと聞いてな、つい……」
通常、ゾンビパウダーは生きている人間に使う秘薬である。ほかにもゾンビは呪術的な儀式で作れるが、どうやらローゼンヴァッフェは非正規のゾンビパウダーを売りつけられたようだ。いつの時代にもお年寄りを騙して金儲けをする不逞の輩はいるのだ。
「黒いローブの死霊術師、か」
ローゼンヴァッフェの話を聞いて、ペルの表情は曇った。黒いローブは禁忌の対象となっており、いまの世では誰も身につけようとしない。加えて、大陸全土で禁制品のゾンビパウダーもどきを他人に売りつけるとは、まともな人物ではなさそうだ。そんな者が、ラクスフェルドへなにをしにやってきたのだろう。
胸騒ぎがした。ペルの心に、不安の種が撒かれた。と、腹に響くような大きな音が鳴ったのは、そのときだった。
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