4-7 この世に運が勝敗を決する
この世に運が勝敗を決するギャンブルは存在しない。必ず勝つための定石があり、それを踏まえたうえで流れを読み、駆け引きを制した側が勝つ。勝敗の鍵は賽の目でもカードの数字でもなく、プレイヤーだ。必要なのは経験と技術。ジマジはその両方を持っている。さらに彼はイカサマの知識にも長けているのだ。対してステラのほうはといえば、たまに遊びでカードをやるくらいのずぶの素人である。
どう考えても、勝てるわけがない。ならばいったい、ステラはどんな勝算があってここへきたのか──
「ああーっ!」
騒々しいステラの悲鳴がジマジの事務所に響いた。さっきノーカウントにされた二投目のやり直しは、最初が一と五、それから残りの四個のサイコロでリロールしたものの、役は付かなかった。よってこのターン、ステラは〇点に終わった。
「おろろ、残念やったのお」
からかう口調でジマジが言う。そして、その彼の二投目。放たれたサイコロの出目は、五が五つのぞろ目だった。
ステラの目が、すっと細くなる。どうやったかはわからないが、おそらくイカサマだろう。さらにジマジは強気を見せ、残りのサイコロ一個でリロールした。結果は五で、役が付いた。彼はフリーロールでもういちど、サイコロを六個振ることができる。フリーロールは小さな役ばかりで六〇点にとどまったが、先の五のぞろ目がでかい。このターン、ジマジは合計二六五点を獲得した。両者の持ち点はステラが一四四五点、ジマジが一五五五点となり、差は小さいながらも逆転である。
「やるじゃない」
言うと、ステラはトレイにあるサイコロを一個ずつ丁寧に取りあげた。
「鉄火場は女の遊び場とちゃうんやで、ようおぼえとき」
とジマジ。その煽り文句を聞き流しつつ、ステラは掌上のサイコロを指先を使って転がしてみる。が、一見おかしなところはない。ジマジがサイコロでイカサマをしたとすれば、最初の五のぞろ目のときだ。それをフリーロールへ移る直前に、通常のものとすり替えたにちがいない。やはりイカサマに関してはジマジがステラよりも上をいっているようだ。もしもこの流れがつづけば、ステラは確実にジリ貧である。
「はよせえや。どんだけサイコロを眺めとっても、そんなんでツキは変わらんねんで」
なにやら執拗にサイコロをあらためているステラを、ジマジが急かした。もはや彼は勝利を確信したのか、その顔には素人の悪あがきをコケにするような嘲笑が浮かんでいる。
「チッ、いまやるわよ!」
ステラがやけくそ気味にロールした。勢いのついたサイコロが、ダイストレイの上でばらばらに踊る。その出目は──
一が六つのぞろ目。コンコロリンで最も高い役だ。
「!──」
ジマジが声にならない呻きをあげた。ステラはそれにかまわず、すぐさまサイコロをかき集めてフリーロールにかかる。瞬く間に振られたサイコロの出目は、あろうことかまたしても一が六つのぞろ目だった。一のぞろ目は一〇〇点。さらに六つ同じ数字がそろえば八倍の倍率がかかる。それが二回なので、合計一六〇〇点である。
「はい終わり。あんたオケラよ」
高らかに笑うステラ。あっけにとられたジマジが隣の店員に視線を送る。しかし、片眼鏡をかけた彼は激しく首を横に振った。つまり魔術的なイカサマは、なかったということだ。
「このアマ、ええかげんにせんかい!」
激高したジマジが怒りにふるえる拳を小卓に叩きつけた。
「ほんとですよ、ステラさん!」
それまで黙っていたペルも、我慢の限界を超えてジマジに同調して声を荒げてしまう。たぶんステラは、ここへくる前に会った少年から買いあげた、あの魔法のサイコロを使ったのだ。しかしそれでイカサマをするにしても、加減というものを知らなすぎる。
「おまえ、なにみえみえのイカサマやっとんねん! その賽、見せてみいや!」
殺気だったジマジがダイストレイへと手をのばした。だがサイコロに触れる寸前、ステラが彼の手首をがっちりと摑んで、そのままひねりあげる。
「それにさわんじゃないわよ」
ステラはあえて抑えた声で言うと、長椅子から立ちあがった。その彼女の鋭い表情は、さすがのジマジも気圧されるほどである。
「なに、あんた、あたしがイカサマやったっていうわけ?」
「そうやろがい。一の六ぞろが二回もつづくなんて、絶対にありえへんわ!」
食ってかかるジマジは至極当然のところを指摘した。参考までに、サイコロ六個を同時に投げて出目が二回連続ですべて同じになる確率を計算すると、およそ二一億七六七八万二三三六分の一である。
「じゃあそれ、証明できるんでしょうね」
「せやからサイコロを見せてみいっちゅうんや!」
「あわてんじゃないわよ。そこまで言うんなら、あんた覚悟してもらうわよ」
「なんやて?」
「あのねえ、いちゃもんつけられて黙ってるほど、こっちもまぬけじゃないのよ。もしもあんたがサイコロを調べて、イカサマを証明できなかったら──」
ステラはそこで言葉を切り、ぎろりとジマジを睨んだ。
「あたし容赦なく暴れるわよ。ここに隕石の雨ふらせて、旧市街ごと更地にすっからね」
それを聞いて躊躇するジマジ。ブラフだろうか。だが彼はステラがイカサマ用のグラ賽を使ったと確信している。いやしかし、もしそうではなく、想像もつかない方法でこちらを欺こうとしているのだとすれば、話は変わってくる。
「て、店長お……」
肝の小さそうな店員が、か細い声で言った。彼はさきほど片眼鏡で見た、ステラの分析結果を思い出したのである。あの能力値からすれば、高レベルな隕石の呪文でここら一帯を焦土と化するなどということも、あながちはったりではない。
真っ向から睨み合い、バチバチと火花を散らすステラとジマジ。ジマジはのっぴきならない状況に陥ってしまった。罠か、ハッタリか。カネか、それとも命か。だが、もはや銭金の問題ではなかろう。こういう輩が最も気にかけるのは、おのれの面子だ。フィーンドが人間の魔術師ごときになめられたとあっては、立つ瀬がなくなるのである。
ジマジの歪んだ顔に、たらりと一筋の汗が伝う。苦悶の末、彼はとうとう腹を決めた。
「おう。隕石でもなんでも、ふらせたらええがな。その代わり、サイコロにちょっとでも細工してあったら、おどれ生きてここを出られへんで」
ステラの手をぱっとふりほどくと、ジマジはトレイのサイコロを刺すような目で見ながら、それにゆっくり手をのばした。
固唾をのむ一同。と、そこでペルが異変に気づく。肌にちりちりとした感触。エーテルが急激に励起している。膨大な量の魔力がペルたちのいる室内で、爆発的に生じようとしていた。空気中にあるエーテルの推移に鋭敏な、魔術師だけが感じ取れる予兆である。その中心にいるのは、まちがいない、ステラだ。
──ま、まさかステラさん、ほんとに隕石の呪文をここで使う気なんじゃ!?
脳裏に大惨事の現場跡が思い浮かび、おののくペル。そんな彼の視界の隅で、代貨の担保に取られ壁に立てかけてあるステラの魔術杖が、一瞬だけぴかりと光った。
ずどどどどどどーっ!!
それは、隕石が地表にふりそそいだ音ではなかった。サイコロだ。大量のサイコロが、どこからともなくステラとジマジの頭上からふってきたのである。
ステラを除く事務所にいる者たちが、皆ぽかんと口を開いた。いまダイストレイの置いてあった小卓には、サイコロがてんこ盛りである。こうなっては、もはやそこからステラが使った魔法のサイコロを探し出すなど、到底不可能だ。
「ヒヒヒ、ふってきたんは隕石やのうて、サイコロの雨かいな……」
頭の上にいくつかサイコロを乗せたジマジが、ちょっとたのしげに言った。しかし一転、彼の表情はすぐに凶悪なフィーンドのそれと変わる。
「もうキレたで。おい、うちの若い衆、全員集めてこいや!」
ジマジに怒鳴られた店員が、返事もそこそこにあわただしく事務所を出てゆく。
もう終わりだ。ペルは目の前がすうっと暗くなるのを感じた。いったいステラはどこまでジマジをおちょくれば気がすむのか。
「ラウルさあん……」
目にうっすら涙を浮かべたペルが、ラウルの腕にしがみついて助けを求める。
そのラウルはといえばここにきてからずっと、やけに余裕を見せている。そしていまも、長椅子に座った彼は悠然と体を曲げて、自分の足下に散らばるサイコロをひとつ拾いあげた。
「おおう、すげえなあ」
サイコロをしげしげと眺めてラウルが言う。
「いったいどういう手品だ? 魔術、じゃねえな。まるで魔法だぜ、こいつはよお」
いま事務所の床にばらまかれたサイコロは何百、いやもしかしたら何千という数である。象牙か、なにかの骨を削って作られたのだろうそれらは、いずれもまったく同じ大きさと形をしている。そうだ、それらはすべて、本物のサイコロだった。指でつまめば硬い感触があり、わずかならが重さもある。
「本物の、サイコロ……?」
ふと頭に浮かんだ疑念に、目をぱちくりさせるペル。言われてみればそうである。人の目を惑わせる幻術などではなく、これほどおびただしい量のサイコロを、ステラはどうやって出現させたのだろうか。ペルの知る限り、秘術呪文を使って無から有を創り出すことは、ほぼ無理である。錬金術にしても、その対価となる材料が必要となるではないか。信仰呪文には少量の水を生み出す奇跡があるものの、いましがたステラが見せた術は、そんな限られた魔術とは比べるべくもない離れ技だった。とすれば、またしてもステラはペルの知らない古代魔術を、この場で行使したということになる。それも物質の生成という、究極の変成術を。
ラウルが手にしていたサイコロをジマジに投げつけた。それはジマジの身体にこつんとあたり、小さな音を立てて絨毯に転がる。
「ジマジ、おめえミロワの角笛って知ってるか」
「あん? なんの話をしとんねん」
脈絡のない質問をされ、ジマジは怪訝そうに言った。が、かまわずにラウルはつづける。
「フィーンドなら知ってるはずだぜ」
「おう、知らいでか。ミロワの角笛いうたら、大陸中のフィーンドを見つけしだいどつき回しとるっちゅう、噂の極悪集団やないけ。あいつら、わしらフィーンドからしたら目の上のたんこぶやで」
「そうそう。でな、おれは聞いたことがあんだ。ミロワの角笛の一員には、緋の妖星っていう、すんげえ女魔術師がいるんだとよ」
方頬を吊りあげ、意味深長な笑みを浮かべるラウル。その視線が、ジマジと相対するステラをぴたりと見据えた。
「なんでもな、そいつは緋色のローブを着た古代魔術の使い手で、マグシウスの杖とかいう伝説の魔術杖を持ってるそうだぜ」
──な、なんだってー!
それは驚愕の表情をしたペルの心中で響いた叫びである。古代魔術、緋色のローブ、伝説の魔術杖とくれば、まさにステラをあらわすキーワードだ。ペルのなかにあったステラに関する諸々の謎。その一端が、ここで判明したのだった。
ラウルの発言で度肝を抜かれたのはペルだけではない。ジマジもそうである。
「いっ!? ほんなら、まさかこいつが──」
「お察しのとおりよ。この女、どうやら緋の妖星みてえだな」
とラウル。
緋の妖星というふたつ名で呼ばれる女魔術師のことは、ジマジも知っていた。風聞によれば正体はまったく不明ながら、物質界の魔術を統制する魔術結社に名を連ね、フィーンドの奸計をことごとく妨害している中心人物のひとりだという。悪魔、怪物、魑魅魍魎の類いには情けを知らず、ひとたび彼女が魔術杖をふるえば、あとにはぺんぺん草も生えない。噂に尾ひれはつくものだが、だいたいそんな感じである。その緋の妖星が、目の前にいる。ジマジにとっては悪夢だろう。しかも彼はその当人と、いままさに事を構えようとしているのだ。
圧倒的な形勢不利。その状況を打開する妙案を求めて、ジマジのずる賢い頭脳がフル回転する。相手は古代魔術を使うというチート級の相手だ、まともに戦って勝てる見込みはあるまい。となれば、方法はひとつ。
「い、いややな~。はよ言うてや、もお~」
開いた両手を激しく左右に振りながら、ぱあっと花が咲いたような笑顔でジマジが言った。無条件降伏。どうやらそれが、彼の導き出したこの場を切り抜ける最善策のようだった。
「このジマジ、いくらなんでも緋の妖星さんにいちゃもんつけるほど、アホやあらへん。そもそも、あんたもわしみたいな小者にかかずらわって、ええことなんもないで。な、せやろ?」
この変わりようである。それにはさすがのステラも面食らったようだ。
「それって、この勝負あたしの勝ちってこと?」
「あたりまえでんがな!」
なぜか半ギレで肯定するジマジ。自分より強い者には決して逆らわない。なんと潔い態度だろうか。人間やはり素直がいちばん。いや彼は人間ではないが、こういったところはフィーンドといえど見習いたい。
なにはともあれこの勝負、意外な形で投了である。てなわけでステラたちは帰り支度をはじめた。
「じゃあ、代貨の精算してちょうだい。重いのやだから、全部プラチナ貨にしてよね」
「はい、よろこんで!」
ただちにジマジは事務所の金庫を開けた。それへ、ふと思い出したようにステラが言う。
「あ、そうだ。あんたのとこのアケミってサキュバスさあ、いくら借金してんのよ」
「デリサキュのアケミでっか。たしか四〇〇万マッ貨やから、この国のオリオンで換算して、ざっと一六〇〇万ほどかと……」
「それ、あたしが払うわ。その分、差し引いといてね」
「ええっ、赤の他人の借金を迷うことなく肩代わりするとは! さすが緋の妖星さん、太っ腹や!」
もはやジマジは完全にステラの太鼓持ちのようになっている。最終的にステラはジマジの持ち点をすべて奪ったので、収益は三〇〇〇万オリオンだ。てきぱきと動くジマジによって、その額から一六〇〇万を引いた一四〇〇万オリオンが、すみやかに現金で用意された。プラチナ貨は一枚で五万オリオン。それが二八〇枚も詰まった麻袋は、ずっしりとした重さである。もちろん、それを運ぶのはペルの仕事だった。
帰り際、ステラが自分の魔術杖を手に取り、事務所の部屋を出ようとした。それを見たジマジは、あわてて声をかける。
「あっと、それは代貨の担保にいただいたものでは……」
「は? あたし、この杖を担保にするなんて言ったおぼえないけど。あんたが勝手に勘違いして、代貨をこっちに渡したんじゃないの。ねえ、そうよね?」
とんでもないことを言い出すステラに、ジマジは当惑してしまう。彼は数瞬、無表情で固まった。が、すぐに笑顔を取りもどすと、
「そ、そうでした~! たはは~!」
なんという強欲。ステラはジマジを丸裸にしたうえ、担保にした魔術杖まで我が物にしようというのだ。弱みを見せた相手には、徹底的につけ込む。これにはペルとラウルもちょっと引いた。
そのとき、賭場の若い衆を呼びにいった店員がもどってきた。どやどやと駆けつけた、いかにもといったあらくれたちは、全部で十人足らずだろうか。いずれも物騒な武器を携えたジマジの手下どもに取り囲まれ、身構えるペルたち。しかし、それをジマジが一喝する。
「ドアホ! おまえらなにしとんねん! お客人がお帰りや、道あけんかい!」
唖然とするジマジの手下を尻目に、ステラたちは悠々とその場をあとにした。
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