4-6 暗くてよく見えないが、
暗くてよく見えないが、入ってすぐは幾本もの太い柱が天井を支える広間のような部屋だった。暗中でペルが鬼火の呪文を唱えると、そこここに人々の姿が浮かびあがり、彼は腰を抜かしそうになった。オンウェル神殿は、どうやら家を持たない者たちの塒としても利用されているらしい。勝手を知るラウルに案内され、ペルたちは神殿の奥へと向かう。そして小部屋や柱廊を抜けてしばらく進むと、壁画の描かれた幅のある通路の果てに光が見えてきた。
通路の果ては大きな空間だった。天井が高く円形をしており、奥には祭壇が見える。壁や柱に掛けられた松明が薄々と内部を照らし、霞のような紫煙と、控え目な喧噪が満ちている。
ここがジマジの賭場である。たくさんの卓が置かれたもぐりの賭場では、大勢の者たちがさまざまな博打に興じていた。サイコロ、カード、なんだかよくわからないレバーを引いて絵を合わせる機械仕掛けの箱。目につく客の姿も多種多様だ。いかにも裕福そうな貴族風のいでたちの者から、ぱっと見でそれとわかるガラの悪い博徒。さらにはぼろをまとった旧市街の住人までいた。その旧市街の住人はおカネがないのにどうやって賭場で遊ぶのかというと、ほかの客にたかったり、不注意な誰かが落とした代貨を拾っているようだ。そこまで自尊心を失わせてしまうのだから、博打とはおそろしいものである。松明の光が届かぬ暗がりの片隅には、青黒い肌をした筋骨隆々なミノタウロスの姿も見えたが、おおかたこれは客ではなく賭場の用心棒だろう。
「いらっしゃいませえ」
ふいに誰かが三人へ声をかけてきた。そのほうを見ると、眠そうな目をした男がいつのまにかペルたちの近くに立っていた。おそらく賭場の店員である。卑屈な笑顔で揉み手をする彼は、すばやく三人の客を値踏みすると、
「ご三名様ですか。当店は女性、未成年の方、大歓迎でございます。まずは交換所で代貨をご購入ください」
「わるいが客じゃない。ジマジに話があってきた」
ラウルがそう告げると店員の顔から笑みが消えた。
「店長にご用? あのう、失礼ですが──」
「いいから取り次いでくれ。盗賊組合のラウルが会いにきたと言えばいい」
店員はいぶかしんだものの、ラウルが腰にある盗賊組合の短剣を見せると納得したようだ。そそくさとした足取りで賭場の奥へと引っ込み、しばらくするとまたもどってきた。ジマジは事務所にいるので案内するという。三人は店員のあとにつづき、きたときとは別な通路を歩いて事務所に通された。
そこはさして広くはないものの、調度や絨毯で飾られた小ぎれいな部屋だった。真ん中に卓があり、金貨やら銀貨が文字どおりの山積みとなっている。そしてその後ろでは、大きな体躯のフィーンドがでんと座り、燭台に立てた蝋燭の光を頼りにせっせと金勘定をしていた。賭場の店員が呼びかけると、フィーンドは顔をあげた。
「おう、ラウルくんやないかい。どないしたんや、今日は?」
にっと笑ったそのフィーンドの口元には、あきらかに人間とは思えない牙があった。さらに血のように鮮やかな赤い肌、黄金色の瞳、頭に生えた角からすれば、彼がジマジである。しかし見た目とは裏腹で、やけに友好的なフィーンドのようだ。
「おまえに客を連れてきた。賭場のほうで、ちょいといざこざがあったようだ。そのことで話がしたいんだと」
事務所のなかにずかずかと踏み入りながら、ラウルが言った。
「ほう。なら、まあ座りいな」
ジマジは席を立つと三人に椅子を勧めた。壁際にある長椅子にペルたちが座ると、ジマジも傍らに丸椅子を持ってきて腰をおろした。
長椅子に浅く腰掛け、足を組んだステラが話を切り出した。
「あんたがジマジね」
「せやで。お姉ちゃんは?」
「魔術師組合のステラよ」
「ほおん。それで、なんの用や」
「最近、ここで大金をすった魔術師がいたでしょ。でかい勝負をしたからおぼえてるはずよ」
ジマジはしばし虚空を見あげ、顎の下を掻いた。
「あー、おったなあ。アホな素人さんやで。たしか一〇〇〇万オリオンほど、ここに落としてくれよったかなあ」
「そのカネ、あたしのなの。返してくんない?」
ステラのは、あまりに率直な要求だった。ジマジは一瞬、ぽかんとなる。それから彼は盛大に吹き出したあと、
「おいおい聞いたか、ラウルくん? むちゃくちゃ言いよるな、このお姉ちゃん」
ジマジの言葉を受け、低く笑ったラウルは事の成りゆきをおもしろがっているようだ。隣に座っているペルはといえば、部屋に入ってジマジの姿を見て以来、彫像のように固まってぴくりとも動かない。いや、動けないでいた。
ジマジに命ぜられて賭場の店員が飲み物を運んできた。ステラは差し出された盆から杯を取りあげ、葡萄酒に口をつけた。
「あんた、旧市街でずいぶんとあくどいことやってるみたいね。お仲魔のサキュバスを騙して、デリサキュで働かせたり」
「フィーンドが悪さするのは当然やで。人間のあんたが、こっちの商売に口出しするいわれはないんとちゃうか」
「今回はそれが回り回って、あたしのとこにしわ寄せがきてんのよ」
「そらご愁傷様。せやかて、わしが銭を返す理由にはならんな。そもそも博打で取られたんなら、博打で取り返すのが筋っちゅうもんや」
「あっそ。じゃ、あたしと勝負してよ。いま、ここで」
「まどろっこしいのはやめようや。──おどれ、最初からそのつもりでここにきたんやろがい」
ジマジが顔を歪ませ、にたりと笑った。
ふたりの会話を横で聞いていたペルは全身にいやな汗がにじむのを感じた。やっぱり予想どおりの展開だ。なぜステラは物事をこじらせるしかできないのだろうか。ペルは悪夢ならばいますぐ覚めてくれと自分の太ももをつねったりしてみるが、しかしそんなことをしてもただ痛いだけだった。
大きな図体のジマジが顎をあげて、おもしろそうにステラを見た。
「人間風情がわしの前で物怖じせんのは褒めたるわ。で、なにで遊ぶんや」
「コンコロリン」
「なんや? サイコロでやるあれかいな」
ジマジは拍子抜けした。コンコロリンといえば子供でも知っている簡単な遊びである。
「あたし、それしかできないもん」
つんとそっぽを向いてステラが言う。
「まあええわ、つきおうたろやないかい。それなりの種銭は用意してきたんやろな」
「そんなもんないわよ。あんたの賭場、代貨の先貸しくらいやってんでしょ」
「信用貸しは勘弁やで。なんか担保でも出せえや」
ステラは少しのあいだ迷ってから、自分の手にある魔術杖を無言でジマジに差し出した。それを見たペルは、えっと声をあげそうになる。いわくありげなステラの魔術杖──それを、ああも容易く賭けの対象にするとは。
「ふおお、ごっつい杖やなあ」
魔術杖を手に取ったジマジは目を丸くした。
「魔力めっちゃ漲っとるやないけ、これ」
「そんで、いくらよ?」
「せやなあ……一五〇〇万てとこやな」
「ちょっとお、それ、そんじょそこらにある魔術杖とは格がちがうんだけど」
ジマジの提示した金額にステラは不満げである。
「しゃーないやろ。これ以上出したら、うちの金庫が空になってまうわ」
そう言われてしまっては仕方がない。実際、一五〇〇万オリオンといえば破格である。ステラは渋々ながら了承した。いやというか、そもそも賭場におカネを持たずにくるのが非常識だろ。
ジマジとステラの間に小さな卓が置かれ、その上にサイコロとダイストレイが用意された。さらに双方へ一五〇〇万オリオン分の代貨が配られる。
「ヒヒッ、一五〇〇万を賭けたコンコロリンか。こら大勝負やで」
ジマジの目の色が変わっている。そこから察すれば、彼はかなりの博打狂いのようだ。
いまからふたりが遊ぶコンコロリンは、サイコロを使った博戯である。ルールを簡単に説明すると、六面体のサイコロを六個投げて──いわゆる6D6──その出目の組み合わせによって役が成立すれば、対応した点数を相手の持ち点から奪えるという、いたく明快なものだ。勝敗は相手の持ち点をゼロにするか、交互にサイコロを投じるのを一〇セット行い、最終的に持ち点の多いほうが勝ちである。今回はそれぞれの持ち点が一五〇〇点。一点が一万オリオンとなるため、おそろしく高いレートでの勝負だ。
まずは順番を決めるため、ふたりがサイコロをひとつずつ投じた。フェルトを張ったダイストレイに転がったサイコロの出目は、ステラが六でジマジが四だった。数字の大きいほうが勝ちなので、先攻はステラとなる。
「んじゃ、あたしからね」
ステラは軽く握った手の内でじゃらじゃらと六個のサイコロを鳴らしてから、ぽいっと放った。結果を見ようと、その場にいる全員がダイストレイへ首をのばす。
ステラの出目は、六が五つのぞろ目だった。
「うおっ、いきなりでかい役や! やりおるのお!」
ジマジが驚きの声をあげる。
コンコロリンでは同じ数字が三つのぞろ目から役が付く。さらに四つ以上のぞろ目は、点数に倍率がかかるのだ。よって、今回は六のぞろ目の六〇×四となり、二四〇点である。ステラは役が付かなかった残りのサイコロ一個でリロールできるが、彼女はパスした。もしそれで役なしとなれば、先の六のぞろ目も無効となるゆえ、無難な判断といえよう。
ステラが降りたことで彼女のターンが終わり、獲得点は確定した。二四〇万オリオン分の代貨が、ジマジからステラの手へと移る。
「こらあ、おもろい勝負になりそうやなあ」
と薄笑いを浮かべながらジマジ。初回から二四〇点はそこそこの痛手のはずだが、彼はそれをおくびにも出さない。よほど剛毅なのか、それともなにか策があるのか。
ジマジがロールした。出目は、二が三つのぞろ目と、あとは役なし。当然のごとくジマジは役なしだった三個のサイコロでリロールした。結果は一、四、三。一と五はそれぞれひとつでも役が付く。残りのサイコロ二個でリロールできるが、ジマジは堅実に降りた。このターン、先のぞろ目と合わせて、ジマジが獲得したのは計三〇点に終わった。
両者の差は二一〇点と縮まった。そして、またステラの番である。注目のなか、彼女が無造作にサイコロを放り投げる。その出目は、一、二、三、四、五、六。なんと六個のサイコロの目がすべて異なるストレートだった。低確率でしか成立しない一五〇点の役に、ペルとラウルも含めた全員がぎょっとなる。さらにコンコロリンでは六個のサイコロすべてに役が付くと、フリーロールとなりふたたびサイコロを振れるため、大量の得点を得るチャンスだ。
「ちょ、ちょっと待たんかい!」
平然とフリーロールにかかろうとしていたステラを、ジマジがえらい剣幕で押しとどめた。
「なによ?」
「なによじゃあらへんがな! おまえ、いくらなんでもツキすぎやろ!」
険しい表情でステラに指を突きつけるジマジ。その傍らにいた店員もさすがにおかしいと思ったのだろう。彼は自分の懐から、そろりとなにかを取り出した。それは片眼鏡である。だが、ただの片眼鏡ではない。これには分析の呪文が付与されており、使用する者が対象とした相手の情報をそっくり暴いてしまうという、超便利な代物なのだ。
店員が左の眼窩に片眼鏡をはめ込んだ。そうして、緑色のレンズを超してステラを見る。まもなく彼の見ている緑の靄がかかったような視界に、じわじわと文字が浮かびあがってきた。すると、
ステラ:まほうつかい
せいべつ:おんな
レベル:69
HP 402/402
MP 721/730
ちから:74
すばやさ:159
みのまもり:62
かしこさ:172
うんのよさ:999+
こうげき力:155
しゅび力:145
「ひぇ、レベルたっか……ていうか、店長! こいつ強化魔術を使ってやがる、運のよさがカンストだ!」
「なんやてえ!?」
店員の素っ頓狂な声を聞いて、思わずジマジは目を剥いた。どうやらステラは、本来の能力値判定を歪ませる強化魔術を使って、自身のステータスを操作していたようだ。
ペルは軽いめまいを感じてくらりとなり、ラウルもやっちまったという表情になる。おどろき、またはあきれる面々のうちで、ステラだけがきょとんとしていた。
「え、ダメなの?」
「ダメに决まっとるやろが、このボケ!」
ジマジが激怒するのも当然である。しかし、ステラはこの後におよんでもふてぶてしい態度を崩さない。
「なんだ、じゃあ最初にそう言いなさいよ」
「おまえなあ、常識で考えろや。そんなんどこの賭場でも御法度じゃい!」
「だからなんでよ。一回目のときは、なんにも言わなかったじゃないの」
「あかんあかん。イカサマはバレたら終わりや。最初の二四〇点もノーカンやで」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
ジマジに言われて、ようやくステラも事の重大さに気づいたようだ。
「やってない! 一回目のときは、ぜーったいやってない!」
頑なになってステラがまくし立てる。彼女はとことんゴネる気である。
侃侃諤諤と言い争うステラとジマジ。そこへ、ラウルがナイスな助け船を出した。
「ジマジよお、この賭場じゃバレないイカサマはありなんだろ。なら、いまのはそっちの落ち度だぜ。なにより、てめえもさんざんそのやり口で稼いできたんだろうが」
「そうよそうよ。あたしが一回目にイカサマやったって証拠がないなら、二四〇点はそのままだからね」
とステラ。
「くっ、ラウル! おんどりゃ、めんどくさい女を連れてきよってからに」
結託したふたりに言い寄られては、さすがのジマジも気後れした。苦虫を噛みつぶした表情で口を噤んだが、しかしすぐに彼は気を取り直す。
「バレへんイカサマはありか……せやな、そんなら、こっちも本気でいかせてもらうで」
牙を剥いたカンビオンの獰猛な表情からは、なにやらよからぬことを企んでいる様子がありありだった。どうやら、ここからが本当の勝負のようである。
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