4-5 日が沈もうとしている。

 日が沈もうとしている。斜陽が照らす旧市街の通りに、ペルたちの長い影がのびていた。

「で、あんたらはこれからどうすんだい?」

 そうラウルに問われたステラは、不興顔で短く鼻を鳴らした。

「どうするもなにも、こうなったら直接ジマジとかいう奴のところに乗り込んで、あたしのカネを取り返すしかないわね」

「いや、あれは全部組合のですけど……」

 とペル。

「そいつは無理な話だ。どんな事情であれ、ジマジがはいそうですかとカネを返してくれるとは思えんな」

「どんな人なんですか、そのジマジって」

 旧市街の裏事情には精通しているだろうラウルに、ペルが訊ねた。

「ジマジはここいらの顔役だ。札付きの悪党でな、追い剥ぎの元締めからイカサマ賭博まで、カネになることならなんでもやりやがる。おそらく、さっきのサキュバスが話してたデリサキュも、ジマジが裏で仕切ってるんだろう。ショバ代と協力金を収めてるんで事を構えないでいるが、盗賊組合もあいつには手を焼いてる」

「うええ、むちゃくちゃ怖そうな人じゃないですか」

「おっと、正確には人じゃねえぜ。あいつもフィーンドだ、半分だけな」

「ハーフフィーンド、カンビオンか……」

 ステラは話がさらにこじれそうな雲行きに、うんざりとなった。

 フィーンドがそのへんにごろごろいるとは、さすが旧市街は物騒だと思いつつ、ペルはふたたびモンスター事典を雑嚢から取り出した。巻末の索引でカンビオンの解説頁を探し、そこを開く。

 モンスター事典いわく、カンビオンとは人間とフィーンドの混血児である。親の一方となるフィーンドの種類で差異が見られるものの、おしなべては赤い色の肌をして、角、翼、尻尾を有する人型のモンスターだ。性質は残忍非道そのもので、多くのフィーンドと同じく、いかにして物質界を混沌に陥れるか常に画策している。カンビオンは生得的に変身能力を持っており、それを使って人の世に紛れ込む。そして定命の者をそそのかして社会秩序を乱すほか、場合によっては自ら武器を取って暴れ回ったりもするという。戦闘時には厄介な精神攻撃と武器の両方を使用してくるゆえ、もしきみが駆け出しの冒険者ならば、まちがっても戦いを挑んではならない、と事典には書かれてあった。

 ペルは解説文を読みながら、じわじわと恐怖が募るのを感じた。これはやばい。本格的に関わり合いになりたくないモンスターである。

「ジマジのところへ出向くのなら、せいぜい覚悟することだな。あいつには荒事に慣れた手下が大勢いるぜ。女子供でも容赦はしねえ」

 ラウルはおそろしいことを淡々とした口調で言う。それへ、ステラが訊いた。

「あんた、ジマジがどこにいるのか知ってんの?」

「ああ。いま時分なら、たぶん賭場にいるだろう」

「そこ、案内してよ」

 あっさりと言ってのけるステラ。

「おいおい、あんた──」

 つかの間、ラウルはステラの顔を見つめた。彼女の真意を探ったようだが、しかしすぐその顔にはあきれたような冷笑が浮かぶ。

「いいだろう。なら、おれが口を利いてやるとするか。あんたらだけじゃ門前払いされるのが落ちだ。ただし、引き合わせるだけだぜ。おれは立場上、ジマジと悶着を起こす気はない」

「それでいいわ」

 満足げに肯くステラ。その彼女へ、ペルがおずおずと声をかける。

「あの、ステラさん、やめたほうがいいんじゃ……」

「なによペル、まさかここにきてびびったんじゃないでしょうね」

「びびび、びびってますよ! 相手はおっかないフィーンドなんですよ!」

「あーら、旧市街にくる前は、ぼくひとりでもいきますからねとか言って、ずいぶんと意気込んでたくせにまー」

 意地の悪い笑みを浮かべたステラの言葉に、ペルは顔を赤くした。

「それは、まさかフィーンドが出てくるなんて、思ってもみなかったし……」

「フィーンドっていっても半端者のカンビオンでしょうが。あんたも魔術師組合の雑用係なら、そんな雑魚の一匹や二匹でうろたえんじゃないわよ」

 いや、まず雑用係だからといってフィーンドと戦う義務はない。そして、もしこのままジマジとステラが対峙すれば、尋常でない事態となるのは目に見えている。なぜ彼女が憲兵隊にでも申し立てておカネを取りもどすなど、理知に基づいた行動を取れないのかと、ペルは焦れた。そういった無謀なところをなんとか諫めるべく、ペルが口を開こうとしたとき、ステラが彼の目の前で魔術杖をさっと振った。

「あーもー、泣き言はいいから、とにかくついてらっしゃい」

 命令の呪文。ペルはそのステラの術に、あっさり支配されてしまう。

「うわあっ、ちょっと、ステラさあーん!」

 自らの意思とは反し、命じられるままステラの後ろにつづいて歩き出すペル。ラウルはそんなふたりを見て、腹を抱えて笑った。

 ラウルによるとジマジの賭場は旧市街の中心、オンウェル神殿の内にあるそうだ。神を崇めるべく作られた建物内で賭場を開くとは、不敬虔もいいところである。さりとて、そもそもフィーンドにはなにかを信じ尊ぶ心などない。むしろ中立にして善のユエニ神は、彼らが忌み嫌う敵だ。その神聖な場所を冒涜するのは、フィーンドとしてみれば当然の行為なのだろう。

 いまペルとステラはラウルに案内され、オンウェル神殿の前門までやってきた。すでにあたりはほの暗い。神殿は城壁のような高い石壁に囲まれていた。頭上の胸壁には見張りが立っており、まるで要塞だ。しかし出入りの制限はされていないらしく、三人はアーチ型のトンネルをくぐり、なにごともなくなかへ入ることができた。

 分厚い囲壁の内側でまずペルたちを出迎えたのは、広大な中庭である。隆盛時は草花であふれ、壮麗だったにちがいない。だがいまは朽ちた東屋や彫刻がぽつりぽつり点在するだけで、薄闇のなかでこの広い場所はひどく不気味に思えた。一行は中庭を横切り、奥の神殿へと向かう。長い石敷の参道を進むと、先には水の涸れた人工の池があった。現在はただの窪地となってしまった中心には台座が置かれ、上にユエニ神の像が佇立している。豊穣を司り、各地で多くの信仰を集める女神。そしてその向こうに見えるのがオンウェル神殿である。左右に翼廊を配す、どっしりとした石造りで、棟は外壁をしのぐほどの高さだ。しかしやはりこれも、長い年月を風雨にさらされたおかげなのだろう、ところどころが痛んで見る影もない。

 神殿の入口は地面より高い位置にあった。そこへつづく幅の広い階段の横では、何者か数人が焚火で暖をとっている。ペルたちが階段を登りはじめると、焚火からひとりが離れ、彼らのほうへ走り寄ってきた。

「ようよう、ラウルの兄貴」

 三人を追って階段を駆けあがってきたのは、陽気な声の少年だった。薄汚いなりをしている彼は、ペルよりもひとつかふたつ年上だろうか。がりがりに痩せているところから、旧市街で食うにも困る生活をしていることがうかがえる。

「なにやってんだい、こんなところで。ジマジの賭場に用かい?」

「いいや。用があるのはそちらさんだ」

 足を止めて振り向いたラウルは、顔見知りらしい少年に横のふたりを顎でしゃくった。

「へえ、めずらしいね。この賭場にカタギの人がくるなんてさ」

 少年はおどろいた顔をしてから、さもおかしそうに笑った。そして彼はペルとステラのほうへ向き直ると、

「なあ、賭場で遊ぶんならいいものがあるぜ。魔法のサイコロだ。兄貴の知り合いなら安くしとくよ」

「おまえなあ、またしょうもないイカサマ道具を誰彼かまわず売りつけてんのか。ガキが調子に乗ってるとそのうち痛い目に遭うって、いつも言ってるだろ」

 ラウルが険しい顔で少年を叱った。しかし、少年のほうも負けじと食い下がる。

「いいじゃねえか。ジマジの賭場じゃ、まともな勝負なんかできないぜ。向こうがイカサマやってんだから、こっちもそれなりの道具が必要だっての」

「ふうん、魔法のサイコロねえ」

 興味をそそられたステラが、少年の掌にあるサイコロをひとつつまんで持ちあげた。見た目はごくふつうのサイコロである。少年が言うには、念じて投ずれば望みの賽の目を必ず出せるという。とはいえ、サイコロから魔術的な兆しはまったく感じられない。おそらく内に重りでも仕込んで、重心を傾けてあるのだろう。少年は特別価格で三六個まとめて三〇〇〇オリオンだとふっかけてきたが、おそらくぼったくりにちがいない。しかし、ステラは彼の口にした魔法という言葉がいたく気に入った。

 魔法──実に古めかしい表現といえよう。現在、物質界で形而上的な存在であるエーテルを励起させ、さまざまな現象を引き起こす行為は、魔術という言葉でくくられている。魔法は、学問として研究が進み体系化された魔術の起源的なものだ。が、その理論と実践法の大部分は失われて久しく、いまの世で魔法を指す場合、一般には古代魔術という言葉が使われる。

「いいわ。買ったげる」

 ステラはローブの隠しから銀貨を三枚取り出すと、少年が差し出すサイコロの入った袋と交換した。

「へへ、毎度あり。バレないようにやんなよ、魔法使いの姉さん」

 そう言うと少年はきたときと同じように、あわただしく焚火のほうへ走っていった。

 魔法のサイコロを手に入れて上機嫌なステラに、ペルがあきれた目を向ける。

「ステラさん、またそんな無駄遣いをして……」

「うっさいわねえ。あたしの自腹なんだから、なに買おうと勝手でしょ」

 とステラ。そう言われると身も蓋もない。おカネの大切さを懇々と言い聞かせてやりたかったが、ペルはステラがへそを曲げる前に口を閉じた。

「おーい、はやくいこうぜ」

 先に階段の上のほうまで登ったラウルがふたりを呼んだ。神殿の入口は扉が開け放たれ、ぽっかりと黒い口を開けている。三人はそこから漏れ出てくる黴臭い空気を感じつつ、神殿のなかへと足を踏み入れた。

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