4-4 思わぬ些事に時間を

 思わぬ些事に時間をとられてしまった。ペルとステラは先を急いだ。街道から分かれた横道をしばらくゆくと、そこが旧市街である。緩く下った坂道からは、低まった土地にある旧市街の全景がよく見えた。中心にオーリア正教会のオンウェル神殿があり、その周りに建物が群がるように街は形成されている。オンウェル神殿は地母神ユエニを祀ったものだ。ペルはステラから、旧市街が不法移民に占有されたあとも、すぐに強行策がとられなかったのは、そのオンウェル神殿があったせいだと教えられた。当時のオーリア──まだ神聖王国と呼ばれていた──では神権政治が台頭しており、ユエニの神官たちが神殿のそばで血が流れるのを嫌ったのだという。近年に政教の分離が進み、為政への影響力をなくしたいまのオーリア正教会からは考えられないことである。

「噂じゃ神殿の霊廟がちょっとした地下迷宮になってるそうよ。神聖王国時代のすんごいお宝でも眠ってそうじゃない?」

「へえ、お宝ですか」

 浪漫に心躍らせるステラに対し、ペルの反応はやけに薄かった。

「あらペル、あんた一攫千金とかに興味ないの?」

「ないですね。その噂って、いったい誰に聞いたんですか」

「んと、たしか道具屋のおっさんだったかな」

「じゃあ鵜呑みにするには信憑性に欠けますね。きっと探索用の装備を売りつけるための作り話に決まってます。仮にほんとだったとしても、神殿の霊廟を荒らすなんて、バチがあたりますよ」

「うわあ、理屈っぽいうえに草食系……」

「ほっといてください」

 むっとするペル。

「そんなんじゃさあ、いつまでたっても大成できないわよ。あんたも男なんだから、ときには思い切って行動しないと」

「ぼくは小さな積み重ねで目標へ進むのが性に合ってるんです」

 ペルはぷいとそっぽを向いた。もし深さのわからない川を渡るのであれば、浅瀬を探すよりも遠くに架かっている橋を目指す。安全と確実を重視し、効率は求めない。それがペルの行動指針である。もちろんステラは、そのへんをよく知りながらお堅い彼をいじっている。ちょっとつつけば絶対おもしろい反応をするので、やめられないのだろう。

 そうこうしているうちに旧市街へとたどり着いた。ふたりはいま、街を二分するような大路に立っている。広い道の両脇には建物が並び、遠くにオンウェル神殿が見えた。

「ここが旧市街かあ、けっこう大きな街なんですね」

 ペルはあたりを見回しつつそう言った。雰囲気としては、市壁の内側にある新市街とそう変わりがないように思える。しかし、よく見ると建物はどれも前時代的な作りで、かなり老朽化している。ゆき交う人々は貧相な身なりをしており、ただのぼろきれのような貫頭衣を着ている子供もいた。生活の水準は、あきらかに低いといえよう。目につく住人たちの表情がおしなべて暗く陰っているは、そのせいかもしれない。

「それじゃあ、まずは例のメダルが使われている賭博場を探さないとね」

 ステラが言った。

「でも、デイモンさんはもぐりの賭博場だって言ってましたよ。すぐにわかる場所にはないと思いますけど」

「んー、なら情報を知ってそうな誰かに訊いてみるか……」

「ステラさん、旧市街に知り合いでもいるんですか」

 ペルの問いにステラは首を横に振った。彼女の脳裏には、さきほど出会った盗賊組合の男が浮かぶ。ああいった手合いなら、きっと旧市街の裏事情にも詳しいにちがいないのだが。

 不慣れな旧市街の路傍で思案に暮れるふたり。と、ふいにステラが小さく舌打ちした。実は旧市街に足を踏み入れたあたりから、妙な視線を感じていたのだ。いまも彼女が周囲に目を走らせると、視界の隅にちらりとあやしげな人影が映る。しかしすぐに隠れてしまうので、確かな姿は見えない。まるでこちらをからかっているような、そんな動きだった。

 ステラのとんがり帽子には、彼女の魔力によって常に邪悪探知が付与されている。なんら反応がないため、こちらに害意を持っているのではなさそうだ。正体不明な相手であるが、ステラはさしあたって無視することにした。いまはそんなことにかまけている余裕はないのだ。

「とりあえず、宿酒場にでもいってみようか。人が集まるところなら、なんか情報が拾えるかも。ペル、はぐれるんじゃないわよ。ここは新市街とちがって物騒なんだからね」

「わかってますよ。すぐ子供扱いするんだから」

 ペルは露骨に不満げな表情をすると、歩き出したステラのあとにつづいた。

 ふたりは広い大路を街の中心へと向かった。どこの街にも食事と寝床を客へ提供し、それを商売とする者がいる。この旧市街とて例外ではないだろう。ペルとステラは、それらしき看板でもないかと注意しながら歩いた。まともな店ならば、字が読めない者でもわかるような看板を出しているはずだ。

 まもなく道は十字路にさしかかった。ペルはにぎやかな声を聞きつけ、横手にのびる道の先を見た。そちらには露店が並び、市が立っている。買い物客の姿も多く、なかなか活気のある市場だ。興味を引かれたペルは歩調を緩め、しばらく市場の様子を眺めた。が、そのうち彼は急にはっとなり立ち止まる。そして前方をゆくステラへ走り寄ると、彼女が肩に掛けている雑嚢を両手でむんずと摑んだ。ペルはそのまま雑嚢を力任せに引っぱり、ステラを十字路の角へと乱暴に連れ込む。

「痛い痛い! ちょっと、なにすんのよお」

 わけがわからず抗議の声をあげるステラ。しかしペルは建物の壁に身を寄せ、じっと市場のほうを見ている。やがて、

「あそこにいる女の人──」

 ペルは声をひそめて、やや遠くを指で示した。

「昨日、ぼくとデイモンさんがマンジェロさんの家を調べているときに、こっそり覗いてた人ですよ」

 それを聞いてステラの表情は一転した。ペルと同じく壁にへばりついて、彼女も市場のほうを見てみる。

「たしかなんでしょうね?」

「あの派手な服装と後ろ姿、まちがいありません」

 とペル。ふたりが見張る女は枝編み籠を携え、市場で食材を買い込んでいるようだ。

「あやしいわね……マンジェロの女かも」

 ステラが眇めた目で女を見つつそう言った。

「ぼくもそう思います。ていうかほら、やっぱりぼくがきて正解だったじゃないですか。ステラさんだけじゃ、あの人を見つけられませんでしたよ」

「はいはい、わかったわかった。とにかく、あとをつけるわよ」

 謎の女を見据えたまま、ステラがさもわずらわしそうに言う。ふたりは混雑する市場の雑踏にまぎれ、女へと近づいていった。

 女はいくつか露店を回ったあと、路地に入った。ペルとステラは距離を保って慎重に女を追う。路地はゴミが散乱し、地面のところどころに溜まった汚水が悪臭を放っていた。大きな通りから外れた途端、がらりと雰囲気が変わったようだ。道の端、建物の影のなかでうずくまった男が投げかけるうつろな視線に、ペルは息をのんだ。新市街にも不穏な空気の漂う場所はあるが、ここほどではないだろう。

 いくつかの角を曲がり、似たような路地をゆくあいだ、ふたりの尾行が相手に気づかれることはなかった。最終的に女は旧市街の外れにある、共同住宅と思しき建物のなかに姿を消した。いまにも倒壊しそうな古びた建物である。おそらく建てられてから一度も修繕などされていないのだろう。二階建てのその外壁には複数の扉が等間隔で並んでいる。ペルとステラは女が入った扉のそばに立ち、耳を澄ませた。すると、部屋の内から話し声が聞こえてくる。声は男と女のものだ。が、会話の内容まではわからなかった。

「ステラさん──」

 これからどうしますかとペルが訊ねようとしたとき、ステラはもう扉を蹴破ってなかに踏み込んでいた。いきなり押し入ってきた怒りの形相をしたステラに、室内の方々はさぞおどろいたにちがいない。

「見つけたーっ!」

 さして広くはない部屋の隅、寝台で寝そべっていたマンジェロを指さし、ステラが叫んだ。

「マンジェロさん、もう逃げられませんよ」

 つづいて部屋に入ってきたペルが、きびしい表情で後ろ手に扉を閉める。

「うおっ、なんだよおまえら!? どうしてここが?」

 寝台で身を起こしたマンジェロは動揺してふたりを見比べるばかりだ。ステラはそんなマンジェロにずんずん詰め寄ると、彼の着ているローブの胸ぐらをつかんだ。

「んなこたあどうでもいいのよ! カネ返せ、この盗人!」

「カ、カネ? もうねえよ、そんなの」

 悪びれない様子のマンジェロにステラの怒りゲージはさらに上昇する。

「もうないですむならギロチンはいらないのよ! 銀行でも襲って集めてからこっちに返せ! ほら、いまからいってこい!」

「あわわ、ステラさん、おちついてください」

 このままでは危険だと感じたペルが、ステラとマンジェロのあいだに割って入る。とりあえず荒馬のような彼女を静かにさせると、ペルはマンジェロへ向き直った。

「マンジェロさん、なんでこんなことをしたんですか。お世話になってる魔術師組合から、おカネを盗むなんて」

「なんでって、そりゃあ、必要だったからだよ……」

 マンジェロはペルから顔を背けると、ばつが悪そうにぽつりと言った。自分より年下の少年から道理を説かれる格好となり、さすがに負い目を感じたのだろう。その姿には悔恨の情が見て取れる。しかし、ステラは容赦しないのである。彼女は俯いたマンジェロの顎に魔術杖の先をあてると、無理やり上を向かせた。そしてマンジェロの部屋にあったメダルを彼の目の前に突きつけ、

「あんた、博打で大損こいたんでしょ。とっくに調べはついてんのよ」

「ぐぬぬ……」

 動かぬ証拠を出されてマンジェロは言葉もないといった様子だ。

「どれどれ。ははあ、こりゃジマジの賭場で使ってる代貨だな」

 ステラが持っていたメダルをひょいと取りあげてそう言ったのは、突然この場へ現れた第三者である。その男がいつ、扉を開けてこの部屋へ入ってきたのかはわからない。誰も気づかなかったのだ。

「あ、盗賊組合の人」

 闖入者を指さしてペルが言った。

「なんだ、ずっとあたしたちのこと見張ってたの、あんただったのね」

 ステラもうさんくさそうな目で男を見る。

「へへ、気づいてたか。ま、よそ者に目を光らせるのがおれの仕事でね。あと、旧市街でのごたごたに首を突っ込むのもな」

 盗賊組合の男はラウルと名乗った。旧市街の外でペルとステラに会って以降、ずっとふたりを監視していたらしい。このコンビをなんらかの騒動の種と見なしたのは、さすがといえよう。実際、いまここで騒動が起こっているのだ。一見とらえどころのない風体だが、ラウルの人を見る目は確かなようだ。

 飄々とした薄笑いを浮かべるラウルが、マンジェロに向き直り言った。

「それで兄さん、なんでよりにもよってジマジの賭場なんかにいったんだい? あそこは胴元がイカサマをやってるんで有名なんだぜ」

「う、うるせえな。おまえらには関係のないことだろうが」

 この後におよんで虚勢を張るマンジェロ。しかし、それがふたたびステラの怒りに火をつけてしまう。

「関係ないことあるかーっ! こっちはあんたのせいで大変だったんだからね!」

 ステラの持つ魔術杖から、高まった魔力がびきびきと放出されはじめる。ペルは思わず身をびくつかせた。彼女はマンジェロに向けて、あきらかになんらかの攻撃呪文を放とうとしている。

「待ってください!」

 あやうくステラに蛮行を思いとどまらせたのは女の声だった。そういえばこの部屋には、まだもうひとりいたのだ。

「マンちゃんは、わるくないんです。全部わたしのせいなんです」

「まんちゃん?」

 マンジェロをかばって立ちはだかる女の前で、ステラは思わず膝が抜けたように体勢を崩してしまう。

 その場の緊張が、一気に解けた。ペルが正体不明な女へ、戸惑い顔で訊ねる。

「えっと、あなたは?」

「わたしは……」

 女はいったん口にしかけた言葉をのみ込み、それから無言のまま頭を覆っていたフードをめくると背に垂らした。つややかな黒髪が肩にこぼれ、顔貌が露わとなる。すると、おどろいたことに彼女は人間ではなかった。額の両端に、小さな角を生やしているのだ。さらに女は長衣の裾をたくしあげ、足の間から鏃のような形をした尻尾の先端をにょろりと出して見せた。

「フィーンド!?」

 目を瞠るステラへ、女が肯いた。

「はい。わたし、サキュバスです」

 それを聞いたペルは、自分の雑嚢からおなじみの最新版モンスター事典を取り出す。慣れた手つきで頁を繰り、彼はすぐにサキュバスの解説文を探しあてた。

 モンスター事典いわく、サキュバスはフィーンドと総称される邪悪な勢力の一員であり、そのなかでも割と知名度の高い存在のようだ。外見は角と翼と尻尾を除けば、魅惑的な人間の女性そのものである。戦闘力はさほどでもないが奸智に長け、主に色欲を煽り世の男性を手玉に取ると事典には書かれてあった。サキュバスと戦闘となった際に注意する点には、精神攻撃の魅了がある。意志の弱い者がサキュバスの放つドスケベ光線を浴びて魅了されると、しばらくのあいだはすべからず悪の下僕となってしまうのだ。対策を講じるとすれば、事前に欲求不満をすっきりさせて、賢者モードになっておくなどが有効だろう。そのほかの特徴として、サキュバスは自身の姿形を変化させるのも得意である。実体のないエーテル形態となることも可能で、その能力を使って深夜に男性が眠っている寝室へと忍び込んでくるという。いまペルたちの前にいるサキュバスに皮膜の翼がないように見えるのも、変身能力を使って目立つ翼を消していると推察された。

 うーん、なるほど。どうやらちがった意味で危険なモンスターながら、ペルはちょっとだけサキュバスとお近づきになりたいと思ってしまった。

 しかし、そんなサキュバスとマンジェロが、なぜここでいっしょにいるのか。さきほど自分の正体を明かしたサキュバスは、不審がる皆にその理由を神妙な表情で話しはじめた。

 彼女の名はアケミ。数年前、デヴィル族が住まう九層地獄の片田舎から物質界へ出稼ぎにきたアケミは、ラクスフェルドでサキュバスとしてまじめに働いていた。ところが世間知らずのアケミは知り合いのフィーンドに騙され、莫大な借金を背負わされてしまったのだという。ちなむとフィーンドの間で流通している金銭は、マッ貨と呼ばれる。気ままに生きているようなフィーンドにも、そういうしがらみがあるのかと、ペルはまたひとつ勉強になった。

 それはさておき、借金返済のためやむなくデリサキュ嬢となったアケミは、そのときに客として相手をしたマンジェロとめぐり会った。一夜の恋人──のはずが、ふたりの仲はそれだけに終わらない関係へと発展してゆく。人生に躓き夢破れた者どうし、なにか通じ合うところがあったのかもしれない。そのうちアケミの身の上を知ったマンジェロが、彼女の借金を肩代わりすると言い出した。しかし、魔術師としてはぱっとせず自身も食い詰める寸前であるがゆえ、彼にまとまった蓄えなどない。魔術師組合のカネをくすねたマンジェロが破れかぶれで向かった先は、上限なしの高レートで勝負ができるもぐりの賭博場だ。それで一気に借金を返済しようという算段だったらしい。だが結果は、いまのふたりを見れば推して知れよう。そうして途方に暮れ、旧市街で潜伏し今後の身の振り方を考えているところに、ステラたちが踏み込んできたというわけだった。そのきっかけとなったのは、アケミがマンジェロの家に彼の着替えを取りにいった昨日、ペルとデイモンに見つかる失敗を犯したせいである。

「そうだったんですか……」

 事情を理解し、マンジェロに複雑な目を向けるペル。事の背景を知って、彼が根からの悪人ではないと思えたのだろう。が、その横にいるステラとラウルは眉間に皺を寄せ、実に冷めた表情だ。

「おいやべえ、こいつサキュバスに魅了されてるぜ」

「うん。やっぱり雷撃の呪文でもぶちこむしかないわね。こんなのは、だいたい強い衝撃で元にもどるのよ」

 言って、ステラが魔術杖を振りあげた。またしても彼女の杖から、おびただしい魔力がびりびりと放出されはじめる。

 身の危険を感じたマンジェロは、あわてて自分の前に両の掌をかざした。

「やめてくれ、おれは魅了なんかされてない!」

「あれ、ほんとだ」

 ステラがたしかめてみると、本当にそうだった。なんらかの原因で魅了状態となった者は、瞳がハートの形になるのだ。しかし、いまのマンジェロにはその特徴が見られない。

「なに、じゃああんた、自分の意思でこのサキュバスを助けるつもりなの?」

「ああ、そうだよ」

 毅然として言い放つマンジェロ。ステラはそれを鼻でせせら笑った。

「あんたバカなの? フィーンドっていえば人間の天敵でしょうが。ずるっこい淫魔に利用されてるのに決まってんじゃん」

「それでもいい。おれは本気なんだ。どうしてもアケミを助けたい。組合のカネに手をつけたのは、悪かったよ。いつか、きっと返す──」

 そこで言葉を切ると、いきなりマンジェロは寝台から降りて両手を床についた。

「だから、頼む! ここは見逃してくれ!」

 頭を深くさげた必死の懇願には、さすがにほかの三人もたじろいだ。そのうち、ぴくりとも動かないマンジェロの肩に、アケミがそっと手を置く。

「マンちゃん、もういいよ」

「え?」

 意外な表情でマンジェロが顔をあげた。

「わたしのために、マンちゃんがそんなことをする必要はないよ。わたしなら大丈夫。借金を返すのは大変だけど、自分でなんとかするから」

 潤んだ瞳が見つめ合う。そして──

「アケミ!」

「マンちゃん!」

 互いを求め合い、慈しむように抱き合うふたり。刮目していただきたい。まさしく種族を超えた愛の姿である。これには第三者の偏見など入り込む余地もない。しかし、ステラたちは、なんかもうどうでもよくなってきていた。

 マンジェロが持ち逃げした組合費を持っていないことはわかったのだ。いまさら彼を捕らえて司法で裁いたとしても、得られるものはない。というわけで、お邪魔虫の三人は自分たちだけの世界に浸っているマンジェロとアケミを残し、建物の外へ出た。はいはいお幸せに。

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