4-3 次の日、ペルは朝から
次の日、ペルは朝から翰林院の授業を抜け出してゴックの屋敷に顔を出した。ゴックにはおこられたが、どうしてもステラのことが気になったのである。その場にはちょうどデイモンもおり、ステラを釈放するための申請文書をゴックに用意してもらっているところだった。ペルはデイモンから、マンジェロの手配書を作成中であることや、近々ゴックの自警団がラクスフェルド近辺を徹底的に捜索すると知らされた。さすがに大金を奪われたこともあり、本腰を入れて事件解決に乗り出すようだ。
それからペルとデイモンはラクスフェルド市街にある憲兵隊の本部へ出向いた。ラクスフェルドの安全と秩序を守るその組織は、実質的にはオーリア王国司法省の下部組織となる。軽い罪を犯した者ならば独断で裁く権限を持ち、ゴックの私的な自警団とは規模からしてちがう。本部は建物も立派で、悪事を働いて捕らえた者を裁判にかけるまで留置する牢屋まであった。そしていま、ステラはそこにいる。
憲兵隊の職員へ、ゴックから預かった訴えを撤回するという文書を見せると、特に面倒な手続もなくステラの釈放は許された。意外とあっさりしたものだ。向こうにしてみれば対処すべき厄介事がひとつ減るのだから、どうぞご勝手にといったところなのだろう。
ひと晩を留置場で過ごした無実のステラは、当然ながら憤懣やるかたない様子である。三人は憲兵隊本部を出ると、まずデイモンがステラをなだめ、それから昨日のことをかいつまんで話して聞かせた。
「──というわけだ。さて、これからどうする?」
通りの隅で腕組みをしたデイモンが言った。
「決まってんでしょ。マンジェロの行方を捜すのよ。あんの野郎、見つけたらただじゃおかないんだから!」
事情を知ってステラはさらに怒りを募らせたようだ。きつく握りしめた魔術杖が、彼女の手の内でみしみしと鳴る。
「そういえばデイモンさん、昨日のメダルのことは、なにかわかったんですか」
とペル。
「ああ。酒場のごろつきから聞いた話では、どうやらあれはもぐりの賭博場で使われているものらしい」
「場所は?」
ステラが訊いた。
「旧市街だ。正確な場所はいってみなければわからん」
「スラムか……そっちはあたしがあたってみるわ」
それを聞いてデイモンは表情を曇らせた。ラクスフェルドの西、市壁の外にある旧市街は古くに遺棄された地区で、現在では犯罪者などが巣くう無法地帯となっている。しかし、ステラの性格からすれば止めても無駄なのは明白である。デイモンは彼女にメダルを渡す前に、念のため釘を刺した。
「ステラ、意気込むのもけっこうだが、ほどほどにな。なにかわかったら、まずはうちの自警団に知らせるのだ。よいな?」
「そうする」
やけに聞き分けのいいところが逆に心配である。
「では、わしのほうはマンジェロの手配書を人が集まる場所に配ってこよう。後手に回ったとはいえ、地道な行いが実を結ぶこともある」
そしてペルに翰林院へもどるよう言いつけると、デイモンはその場を去った。
「じゃあペル、あんたはもういいわよ。翰林院で午後の授業、受けてらっしゃい」
ステラがペルに向き直りそう言った。しかし、
「いやです」
ステラの指示に、めずらしくペルは反発した。
「ん? いやってなによ」
「ぼくもステラさんについていきます」
「そんなのだめだめ。旧市街はあぶないの、あんたみたいな子供を連れていけるわけないでしょ」
「ぼくが子供かどうかは関係ありません。それにだいたい、まだ正式にステラさんの容疑が晴れたわけじゃないんですよ」
「なっ……こいつ!」
いつにないペルの態度にステラは目を剥いた。
「もしかして、マンジェロさんとぐるなんじゃないですか? このあと合流して、いっしょに逃げるつもりだとか……」
「んなわけないでしょうが、いいかげんにしないとぶつわよ!」
「ほんとかなあ」
あからさまなジト目をステラに向けるペル。
「なんにせよ、ぼくもマンジェロさんを捜します。ひとりでもいきますからね」
「あっ、こら待ちなさい!」
てくてくと歩きはじめたペルを、ステラはあわてて追いかけた。
ペルがこの件に深入りするのは、決して功名心や興味本位からではなかった。彼は魔術師組合に属する一員として、純粋にマンジェロが許せなかったのである。同時に、向こう見ずなステラが旧市街でなにをしでかすかわからないという懸念もあった。たいした地力もないくせに、こういったときのペルは頑なになる。よっていまの場合、むしろ無鉄砲なのは彼のほうかもしれない。
結局、ステラのほうが折れて旧市街へは一緒にいくこととなった。が、ふたりはその前にマンジェロの家に向かった。ステラがそこを調べたいと言ったのである。
雑貨店の主人はペルのことをおぼえており、頼むとまた合鍵を貸してくれた。ふたりがマンジェロの部屋に入ると、そこは昨日となんら変わっているところはない。マンジェロはここを完全に放棄したのだろうか。横領したカネを持ってすでにどこかへ逃げたと考えれば、それも十分にありうる。
ステラはひと通り部屋を見回したあと、長持ちをひっくり返して洗いざらい物色したり、箪笥のなかを乱暴にかき回したりしはじめた。他人の家だと思ってやりたい放題である。ペルが昨日、デイモンとあらかた探したと言ったがステラは耳を貸さない。とことん自分でやらないと気がすまない性質なのだ。無為な時間が流れるのを感じつつ、仕方なくペルも手伝っていたが、その最中、ふと彼は寝台と壁の間になにかを見つけた。狭い隙間の下に、紙切れが落ちている。指をのばして拾いあげた。埃にまみれたそれは、チラシのようだ。
ペルはチラシに書かれている文字を読んでみた。
「六〇分一七〇〇〇オリオン、当店のキャストによる凄テクであなたも即昇天……」
「うげ、それデリサキュのピンクチラシじゃん」
チラシを横から覗き込んだステラが、眉間に皺を寄せてそう言った。
「なんです、デリサキュって?」
「あんたは知らなくていーの」
ステラはペルの手からチラシを取りあげると、丸めて部屋の隅に放り投げた。
物語の進行上で必要なため説明すると、デリサキュはデリバリーサキュバスの略語である。業者に召喚されたサキュバスに男性が対価を支払い、そりゃあもういろいろなことをしてもらえるという、すばらしいサービスだ。しかし淫魔との関係を助長する不道徳きわまりない商売であるがゆえ、当然ながらラクスフェルドでは違法になっている。
「賭け事と女遊びか。マンジェロのやつ、普段からろくでもない生活してたみたいね」
とステラ。
「手がかりになりそうなものは、なかったですね」
「ここはもういいわ。やっぱり旧市街にいくしかないか……ペル、あんたほんとについてくる気?」
「もちろんですよ。ぐずぐずしてる暇はありませんよ。さあ、急ぎましょう」
意気込むペルを横目に、ステラはげんなりとしてため息をつく。マンジェロの家でなにか見つかるか、あわよくばペルにてきとうな用事を押しつける口実でも出てくればと思ったのだが、彼女の目論見は外れたようだ。
時刻はちょうど昼時だった。近くの庶民的な食堂で簡単に昼食をすませると、ふたりはラクスフェルド市街の西へ向かう。そちら方面は主に手工芸の職人街や、低所得者の住む街区があった。狭く込み入った街路をゆくと、やがて市壁に突き当たる。西側の市門は、東側の太陽門に対して太陰門、もしくは単に月門と呼ばれていた。月門を抜ければ、その先は西の街道だ。が、周辺はいささかさみしい感じがする。岩だらけの荒れた土地が広がり、東側の街道と比べて人の行き交う姿もほとんどない。それもこれも旧市街が原因である。
ふたつのラクスフェルド──市壁の外の旧市街と、市壁の内の新市街──では、ずっと昔から軋轢が生じていた。原因を遡れば、もう数十年前の話となる。ラクスフェルド城下の市壁が築かれたとき、予算と地形の関係で壁の外にあぶれてしまったのが、いまの旧市街である。その当時、ほとんどの旧ラクスフェルド市民は壁の内側へ移り住んだ。するとやがて、それと入れ替わるように、よその土地から流れてきた者たちが残された空き家を不法に占拠しはじめた。そして市壁の外の街は、ほどなくスラムとなってしまう。王国の議会が旧市街の取り壊しを決めたころには、多くの人々が住み着いてしまっていた。何度か兵を送り込んだりもしたが、そのたびに暴動が起きて立ち退きを阻まれる始末だ。結果、なるべくして旧市街は犯罪者や不法移民の受け皿となり、西側の街道付近の人の往来も減ってしまったのである。
どんよりとした曇り空の下、ペルとステラは殺風景な西の街道を進んだ。旧市街の近辺では追い剥ぎが出没することもあり、街道に人気はない。西方からやってくる旅の者は、ほとんどがわざわざ遠回りをして、南の市門に繋がる道を通り壁の内側へ入るのだ。
ふたりが誰ともすれちがわずにゆくうち、ほどなく道は分岐した。分かれ道の脇にある大きな岩には文字が刻まれており、道標となっている。それによると、このまま真っ直ぐ進めばレッドセラー平原、右に折れれば旧市街だ。
「おい、待ちな」
いきなり呼び声がした。野太い男の声。
旧市街への横道に入ったペルとステラが足を止めると、脇の草むらから三人の男たちが姿を現した。誰もが思い描くあらくれ男というのを実際に体現したならば、おそらく彼らのようになるだろう。いずれも見るからに不潔な容貌をしており、腰のベルトには剣帯があり武器を吊っている。
「なに、なんか用?」
男たちへ警戒の目を向けるステラが、やや低めた声でそう言った。
「検問だよ検問。おれたちゃここで通行料の徴収をやってる」
「そんなの聞いたことないけど」
と不審顔でステラ。
「じゃあおぼえときな。ここを通るにはカネがいるんだよ。旧市街のあたらしい規則なんだから仕方ねえ。ひとり一万オリオンだ、払いな」
「持ち合わせがないなら、体で払うってのもありだぜえ、へへ」
男たちは口々に勝手なことを言って、ペルとステラのゆく手を阻んだ。にやけた顔の三人は、相手が女子供だと思って完全になめている。
──た、たいへんだ!
ペルは不安げな表情で、横にいるステラをちらりと見やった。案の上の厄介事。これこそが、危険地帯である旧市街へ赴くにあたって彼がおそれていた事態だった。いや、といってもペルが心配するのはこの場合、自分たちではなく三人組のほうである。いま眉間に皺を刻んだステラは、あきらかに導火線に火がついた状態だ。あの男たち、へたをすればステラの古代魔術でどこかほかの空間へすっとばされたり、質量を変化させられ豆粒みたいなサイズになってしまうかもしれない。
いくら身のほど知らずな悪人だとはいえ、さすがにそれはしのびない。
「あ、あのう、みなさん……」
特に考えもなく、なんとか温和にこの場を収めようとペルが口を開いた、そのときだった。
「あいたっ!」
三人組のひとりが急にそう叫ぶと、腰を屈めて後頭部を押さえた。彼の近くにぽとりと石礫が落ちたところからすれば、誰かの投げたそれが頭に命中したのだ。
「誰だ!?」
あらくれたちが一斉に色めき立ち、後ろを振り返った。すると、道の向こうにひとりの若い男が立っている。
「邪魔だぜ。通してくれよ、おれはこの先にいきたいんだ」
若い男はそう言いつつ、平然とステラたちのそばまでやってきた。痩せぎすの彼は小洒落た短衣の上に、黒っぽい外套をはおっていた。手の内で石礫を弄び、顔に薄笑いを浮かべたその様子は、あきらかに三人組を挑発している。
「てめえ──」
石を投げられた男が腰の武器へと手をのばす。するとそれに応じるように、若い男のほうも外套の前をさっと開いた。途端に、三人組の顔色が変わる。若い男がなにかをしたわけではない。彼は自分が腰に帯びている短剣を相手に示したのだった。握りと鞘に精緻な装飾が施された、優雅な短剣。それは武器というよりも、工芸品か芸術品のように見えた。
「ああ、いやあ、おれたちは……」
なにやら口ごもり、目配せを交わすあらくれたち。そうして、つぎの瞬間、彼らは脱兎のように道外れの草むらへと逃げていった。
逃げてゆく三人の背を見て、男が声を立てて笑った。その彼にステラが礼を告げる。
「ありがと。たすかったわ」
「いいってことよ。あんたら、壁の向こうからきたのかい?」
男の問いにステラがそうだと答える。壁の向こうという言葉を使ったところからして、彼は旧市街の人間なのだろう。ちょっとの間、ステラとペルを無遠慮な視線で眺めていたが、男はふとなにかに思い当たったようだ。
「ん、あんた──」
男はステラへ、なにかを口にしかけた。しかし、
「いや、すまん。ずいぶんいかしたローブだと思ってな。この先はあぶないぜ。用がないなら近づかないことだ」
ステラが恥ずかしげもなく着ている、男の視線を集めるためとしか思えない緋色のローブに見とれるのは、若い男性ならば無理もなかろう。軽く手を振ると、男はふたりの前から去った。
ペルはラクスフェルド市街のほうへ歩いてゆく男の後ろ姿を見ながら、ほっとため息をつく。
「よかったですねえ、親切な人が通りかかってくれて」
「親切? どうだか。あいつ、盗賊組合よ」
さきほどの男が持っていた短剣を見て、ステラはそうと気づいたのだった。あの短剣は、盗賊組合の構成員のみが持つことのできる証のようなものである。
盗賊組合に関して述べると、名称からして果てしなくあやしいが、実態もまたあやしい組織である。文字どおりラクスフェルドの盗賊たちが集結して興された団体であり、古くからその存在は公然となっている。活動内容は、ラクスフェルドにおいて盗賊がより仕事をしやすくするための助勢。となれば、どう考えても社会的には許容されない連中だ。しかし古来より、盗賊組合が世間から糾弾され姿を消したという話は聞いたことがない。理由としては、権力者から庇護を受けている事実があった。暗殺から情報収集まで、非合法な仕事を条件しだいで請け負う彼らは、特定の者たちになにかと活用されることが多い。使い方によっては、毒にも薬にもなる必要悪というわけだ。一方で組合に協力金を払った相手や、貧しい者からは盗みを働かないのを旨とし、これを破った組合員を厳しく罰するなど、独自の規範で極端な悪徳集団とならぬよう律されてもいた。光が差せば影ができるのは自明。第三者にとっては理不尽に思えても、盗賊組合が社会の一部として溶け込んでいるのは、やむを得ない現実といえよう。
「旧市街は盗賊組合の根城よ。だから外からくる人間を監視してるの。さっきのも、自分たちの縄張りで面倒が起こらないようにしただけでしょうね」
とステラ。
それを聞いたペルは、あらためてさっきの男のほうへ首を回した。が、そちらにいたはずの彼の姿は、どこにもなかった。
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