3-4 林間地の奥では

 林間地の奥では樹木の茂りがより密となり、背の高い木も増えてくる。足下は腐葉土で、これから夏に向けて繁茂しようとさまざまな植物が場所を取り合っていた。そのためペルとレナが歩んでいる間道も木の下生えに隠れがちである。

 このあたりでいいだろう。ペルは雑嚢から、魔術学科の修練生に配られた羊皮紙のプリントを取り出す。それによると、課題で集めなければならない野草は四種類。シルフィウム、銀竜草、げんげつそう、そして人似草だ。ふたりは手分けをして、めいめいでそれらが生えていそうな場所を探しはじめた。

 げんげつそうとシルフィウムはすぐに見つかった。だが、あとのふたつはなかなか骨が折れそうだ。プリントにも、銀竜草は生息場所がやや限られているし、人似草にいたっては特殊な条件下でしか生育せず、目撃例も希とある。課題は二種類の野草を採取できれば合格点を与えるとされていたが、せっかくここまできたのだ。ペルたちは、もう少し粘ってみることにした。

 そして、しばらくのあと──

「ペルくん! ペルくん!」

 草むらを探っていたペルは、自分を呼ぶ声に顔をあげた。声の聞こえたほうへ首を回すと、離れた場所でレナがこちらを手招きしている。

「なにか見つかったの?」

 ペルがレナのところまで走り寄り、問いかける。すると倒木の横でしゃがみ込んだレナは、満面の笑みで自分のすぐ前の地面を指さした。そこにあったのは全体が透き通るような白色をした、幻想的な植物である。銀竜草だ。念のため野草図鑑で確認してみたので、まちがいはない。

「銀竜草はね、透明化の呪文を使うときの触媒なんだよ。すごくきれいでしょ」

 とレナ。彼女の正面で腰を屈めたペルも、素直に同意である。

「うん。ほんとに──」

 なにかを言いかけたペル。が、彼はぎょっとなりあとの言葉を失ってしまう。それはなぜか。ミニスカローブで無防備にしゃがんだレナの、見えてはいけないところがあらわになっていたからである。銀竜草の繊細な白色よりも、さらに神々しい純白をした、薄く小さな布きれ。許されるのであれば永遠に見守っていたいレナのそれは、めくれあがったミニスカローブのせいで丸見え状態だった。おそらくレナは、藪をかき分け、地面に這いつくばり、いろんな体勢で一生懸命に銀竜草を探していたにちがいない。だからミニスカローブがずりあがってしまったのにも気づかなかったのだ。

 これはまずい。この場合、教えてあげたほうがよいのだろうか。いやしかし、それで逆ギレされて怒られでもしたら割に合わないぞ。いまはふたりしかいないのだから、自分が気づかないふりをすればすむ話だ。黙っているのが無難だろう。うん、そうしよう。レナ、頼むから自分で気づいてくれ。でも、白っていいよな。定番だけど、やっぱり清潔感が大切だと思う。それにぼくらの年齢であんまり派手なのとか、逆に引いちゃうもんな。ふう、よかったあ、レナがそんな女の子じゃなくて──というような、諸々の思考が頭のなかでめまぐるしく交錯し、数瞬ペルは固まってしまう。もちろんその間、彼の見つめる先はしっかり固定されたままだ。

 ペルのぎんぎんに血走った眼と、その視線にレナが気づいた。

「や、やだあ! ペルくん、どこ見てるの!」

「えっ、いや、ちがう! ちがうんだよ!」

 あわてたペルは全力で否定する。そう、ちがうのである。健康な男子はこういったとき、いけないと思いつつも理性に反して目が自然と吸い寄せられてしまうのだ。これを読んでいる諸姉は、どうか信じてほしい。

「もお、エッチなんだから……」

 立ちあがりミニスカローブの裾をぎゅーっと下に引っ張ったレナが、非難の目をペルに向ける。しかし、顔を真っ赤にした彼女はふと気を取り直すと、

「でも、許してあげる。今日はわたしが無理を言って、ペルくんの野草集めについてきちゃったもんね。それに、野外で活動するんだから、さすがにこの服装はまずかったかもだし……」

 どうやらペルは許されたようだ。一方的に他人を責める前に、まず自分の反省点を顧みる。レナはそういったことができる、とても思慮深い少女なのである。

 ペルとレナは数本生えていた銀竜草を分け合い、それぞれの荷物に加えた。これで残るは人似草のみである。が、その後もふたりは周囲を徹底的に探してみたものの、無駄骨に終わってしまった。探し方がわるいのか、もしや場所が見当外れなのだろうか。

「はあ~、疲れたあ」

 開けた草地で、ばたりと地面に倒れ込むペル。

「わたしも、もう動きたくない~」

 レナもペルの隣に、へなへなと腰を下ろしてしまう。

 もう日が傾いてきた。ペルは暮れはじめた空を見あげつつ、

「うーん、くやしいなあ、あとひとつなのに」

「これだけ探して見つからないんだもん、しょうがないよ」

 あきらめたようにレナが言った。ペルは彼女の横顔をちらりと見てから、その反対側へと目を転じる。そちらには密に連なる深い森が見えた。いまいる林間地の奥からは、さほど遠くない。

「ねえレナ、帰る前に、森のほうへいってみない?」

 とペル。

「え、森? でも、自警団の人がモンスターの話をしてたよ……」

「あんなの噂だよ。デイモンさんも、このへんにモンスターはいなかったって言ってたし。ちょっとだけいってみようよ」

 食い下がるペルに、レナはうつむいて考え込んでしまう。

「こわい?」

 ペルが訊いた。

「うん。でも──」

 言い淀んでから、レナは少しだけ顔をあげると、

「ペルくんといっしょなら、ちょっとだけ安心かな」

 ちょっとだけ安心というのが微妙だったものの、レナに上目遣いでそんなことを言われて心が動かない者はいまい。俄然やる気になってしまうペル。彼は疲労も忘れてすっくと立ちあがった。

「よし、決まり! 大丈夫だよ、レナはぼくが守るから!」

「ふふ、おねがいね」

 そうして、ふたりは少休憩をとってから、ラクスフェルドの森へと向かったのである。ペルもレナも、そこへ足を踏み入れたのは初めてだった。樹冠が日光を遮り、昼なお暗い鬱蒼とした森は、むっとする不快な熱気に満ちていた。それに加え、森林独特の強烈な臭気が鼻をつく。足下は地面に張り出した樹木の根や、堆積した腐葉土で歩きにくいことこのうえない。さらにはたびたび遠くから、得体の知れない獣の叫び声が聞こえてくる。

「いや~ん、虫がいるう」

 レナが言って、自分のローブにへばりついた見たこともない大きさの羽虫をあわてて払い落とした。泣きそうな顔のレナに近寄り手を差しのべようとしたペルだったが、彼はつま先を木の根っこに引っかけて、無様に転倒してしまう。ふたりはすぐに森へ入ったことを後悔した。大自然をなめるとこうなるのである。

 もう野草探しどころではない。へたをすると迷ってしまい、森から出られなくなる危険も考えられた。

「ペルくうん、わたしもうやだ……」

「うん。やっぱり、帰ろうか?」

 レナに泣きつかれて、言い出しっぺのペルも考えをあらためたようだ。ふたりは踵を返すと、いまきた道をもどることにした。

 足場の悪い森をひーこらと進むその途中、ペルは自分のローブを後ろから引っ張られて歩みを止めた。また虫でも出たのかと背後のレナを振り返ると、彼女はあらぬ方向を見据えて立ち止まっている。

「どうしたの、レナ?」

「ペルくん、あれ見て!」

 ひどく驚いた様子のレナが指さす方向には、一見なにもない。ふたりの近くには、こんもりと隆起した丘があるだけだ。

「なんだろう。ここだけ地面が盛りあがってるけど」

 とペル。

「その上よ! あれ、チビリポックリ草だよ!」

「ちびりぽっくりそう?」

 どうやらレナは、丘の上に生えている小さな花を見とがめて足を止めたようだ。しかしチビリポックリ草とはなんだろうか。ペルは持参した野草図鑑を開いて調べてみた。それによるとチビリポックリ草は薬草の一種で、非常に稀少な植物らしい。そのレア度は、発見した者がショックのあまりちびってぽっくり逝ってしまうほど。だが安心してほしい。チビリポックリ草はおそろしく効能の高い薬草で、死亡状態となった者でも簡単に蘇生させてしまうほどなのだ。

 丘の上で風にそよいでいるチビリポックリ草は、子供の落書きのような素朴な花だった。ペルはいままでその存在を知らなかったが、発見したレナがちびって死ななくてよかったと思った。

「ねえ、ペルくん──」

 呼ばれてそちらを見ると、レナのなにかを期待している眼差しがペルへと向けられていた。彼女の言わんとするところはわかる。スーパーレア素材のチビリポックリ草が生えている丘はけっこうな急斜面なので、ミニスカローブのレナが登るにはおよそ無理である。

「わ、わかったよ。採ってくるよ」

 ペルは丘の縁まで歩くと、草や苔に覆われた斜面に手をかけた。しっかり根をはった草を摑んで手がかりにすれば、なんとかいけそうに思えた。ゆっくりと、慎重によじ登りはじめる。高さはそれほどではないものの勾配が急なので、誤って下に転げ落ちれば大変なことになるだろう。

「ペルくん、気をつけてね」

 心配げな表情をしたレナが、すでにかなりの高さにまで登ったペルへ声をかける。上のほうは傾斜が緩くなり、だいぶらくになってきた。もう少しだ。やがてペルは無事に丘の頂上へ到達した。彼のすぐ横にはチビリポックリ草が生えている。ペルはそれをそっと根元から引き抜くと、頭上に掲げて下のレナに振って見せた。

 とそのとき──

 突如として、地面が激しく揺れた。姿勢を崩したペルはあやうく後ろへひっくり返りそうになった。

「うわわ、なんだなんだ!?」

 たまらず地面へと伏せるペル。ほどなく彼は、自分の見ている風景がゆっくり動いていることに気づいた。まるで船にでも乗っているかのようだ。自分は動いていないのに、周囲の森が回って見える。ということは、なぜだかいまペルのいる丘が、勝手に動いているのだ。

 状況が理解できず、しばらく唖然となってしまうペル。レナの甲高い悲鳴で彼は我を取りもどす。はっとなり上体を起こしてレナの姿を探すと、彼女が丘から離れて森の茂みへ逃げ込むのが見えた。それを追うようにして、なにか太くて長い影がペルの視界を横切った。

「レナ!」

 反射的に上から呼びかけかけたペルだったが、ここからではそれ以外にできることがない。急いで動く丘から降りようとした彼は、雷鳴を聞いた。いや地鳴りだろうか。それは足下から聞こえたのだ。

 だんだんとわかってきた。これはもしや、とんでもないことになっているのではないだろうか。ペルは自分の心臓の鼓動が速まるのを感じた。震える手で雑嚢を開き、内を探る。しかし、ここで彼は一生の不覚を喫してしまう。いつも持ち歩いている全冒険者必携のモンスター事典を、寄宿舎に忘れてきたのである。

 肝心なときに使えないペルに代わって説明すると、彼がいまいる動く丘の正体は、ドラゴントータスである。ドラゴンの亜種であり、近縁種としてドラゴンタートルがいる。水棲のドラゴンタートルに対し、ドラゴントータスは陸棲。いずれも亀とドラゴンが交雑したような外見で、わかりやすく説明すればドラゴンの首を持った亀である。ドラゴンタートルは成長とともに体躯が巨大化することで知られ、ドラゴントータスのほうも成体であれば全長が六〇キュビットを越えるものもめずらしくない。ドラゴン種はおしなべて人語を解し秘術系の呪文を唱えるが、そのような高い知能を有するのかは不明。しかし両者とも多くのドラゴンと同様にブレス攻撃の能力を備えている。ドラゴンタートルは高温の水蒸気を吐き、ドラゴントータスは毒ガスで攻撃してくる。翼を捨てたドラゴンともいえるドラゴントータスは、陸棲モンスターではまちがいなく最強の部類へ入るだろう。

 まさか、こんな危険なモンスターと出会ってしまうとは。自警団のデイモンが言っていたことは本当だったのだ。ペルは絶望とともに、レナを危険に巻き込んでしまったという自責の念に駆られた。さっきレナが木に隠れるとき自分が目撃した影は、おそらくドラゴントータスの尻尾だろう。ということは反対側に頭があるのだ。ペルはおそるおそる後ろを振り返った。すると思ったとおり、丘だと思っていた甲羅から伸びたドラゴンの長い首が、ゆっくりと宙をめぐっている。濃い緑色をした棘だらけの頭は、なにかを探しているようだ。いましがたレナを呼んだペルの声を聞いて、あたりを探っているにちがいない。

 ペルはドラゴントータスに感づかれぬよう、そろそろと死角になっている甲羅の後ろへ移動した。そのときになってようやく気づいたが、上からよく見れば周囲の森に木のなぎ倒された箇所がある。このドラゴントータスが通った跡だろう。どうやらこいつは森の奥からやってきたらしい。体の大きさと甲羅についた苔などからすれば、かなりの歳月を生き抜いた個体である。

 ふたたび、雷鳴のようなドラゴントータスの咆哮があたりの空気を震わせた。巨大な陸亀の四肢を踏み鳴らし、暴れ出す。ひどく苛立っているようだ。

 上下左右の揺れに耐えつつ、ペルは舌打ちした。いま地面に降りれば踏み潰されてしまう危険がある。とはいえ、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。甲羅の斜面にしがみついたペルが思案に暮れていると、ふいに頭のなかに声が聞こえた。

『ペルくん、聞こえる?』

 それはレナの唱えた念話の声だった。遠くにいる他人へ自分の意思を伝達するための、簡単な魔術である。ペルは下を見回してレナを探した。すると少し離れた木の陰に、ちらりと彼女の姿が見えた。よかった、無事なようだ。

 ペルは雑嚢に入れてある小さな袋から、消し炭の塊みたいなものをつまみ出した。蟋蟀の燻製。それが念話の触媒である。ごくりと飲み込んでから、自分もレナへ念波を送る。

『レナ、大丈夫?』

『うん。わたしはなんともないよ。それよりもペルくん、この子、ケガをしてるみたい』

『ケガ?』

『左の後ろ足よ。そこから見えない?』

 レナに言われるまま、ペルは自分の下方に視線をさまよわせた。甲羅の縁が邪魔でドラゴントータスの足はよく見えなかったが、赤黒い液体で汚れた草が目に入った。

『地面に血の跡が見える……だから暴れてるのかな』

『だと思う。ねえ、チビリポックリ草はまだ持ってる?』

『あるよ』

『こっちに投げて』

『どうするつもり?』

『わたしが治癒の呪文で治療してみる。そうしたらおとなしくなるかも』

 ペルはレナの言葉に驚いて目を見開いた。たしかにチビリポックリ草を触媒とすれば強力な信仰呪文を唱えることができるだろう。しかし、治癒の呪文は術者が対象に直接触れなければ効果を発揮しないのだ。

『そんなのあぶないよ!』

『でもいまのままじゃこの子、森を出てラクスフェルドの街まできちゃうかも』

 レナの言うとおりである。森の奥に生息していたドラゴントータスが人里へ近づいたのは、負傷による異常行動だろう。もしもこの巨獣がラクスフェルドに姿を現せば、大変な事態となる。ラクスフェルド城の国王騎士団が総がかりでも、はたして退治できるかどうか。

『……わかった。やってみよう』

 ほかによい案が思い浮かばなかったペルは、やむをえずレナに同意した。彼はいざとなれば、自分が囮になってでもレナを逃がす覚悟だった。

 ペルはチビリポックリ草を野草図鑑の頁の間に挟むと、それを手近に生えていた蔓草でぐるぐる巻きにした。そして、ドラゴントータスがこちらを見ていない隙を縫って、レナのほうへ放り投げる。

 うまくいった。レナは自分の近くに落ちた野草図鑑を拾いあげると、またさっと木の陰に隠れた。彼女は本がちょっと傷んでしまったので、あとで図書館の人にあやまらなければなどと考えつつ、チビリポックリ草を取り出して機を窺う。ドラゴントータスはいまだ傷ついた足を引きずって、あたりを警戒している。レナの見立てでは、そのケガはかなり深いように思えた。尖った岩にでもひっかけたのだろうか。えぐれた傷口からは、じくじくと血が滲んでいる。

 そのうち、ふたりを見つけられずにあきらめたのか、ドラゴントータスが動きを止めた。ペルがひやひやしながら見守るなか、レナはドラゴントータスの背後から静かに走り寄った。見あげるようなモンスターの傍らで、治癒の呪文を唱えはじめる。エーテルが励起し、レナの周囲で清涼な魔力が高まるのをペルは感じた。まもなくレナが携えたチビリポックリ草と、もう片方の空いている手が白色の光を発する。そして光を湛えた聖なる癒しの手が、やさしくドラゴントータスの傷口へと触れた。しかし信仰呪文を学んだ経験があるとはいえ、レナのそれは拙いものである。深い傷を完全に癒やすには、時間がかかる。

 ペルは心中で神に祈りつつ、ドラゴントータスの甲羅を下へと移動し、レナの近くにできるだけ急いだ。慎重に足場を確保しながらじりじりと降りる途中、ふと彼は動きを止める。急に周りが暗くなった。まさか日が落ちてもう夜になったのかと、不思議そうに顔をあげるペル。そこで彼は、生まれて初めて恐怖で背筋が凍るという経験をした。頭上から自分のいる場所へ影を落とすドラゴンの首と、間近で目が合ったのだ。

 体中から力が抜けた。声もなく地面に転げ落ちたペルは、そのままへたり込んでしまう。もたげた首をしならせたドラゴントータスが、怒りの咆哮をあげる。それには敵対する相手をおびえ状態に陥らせる効果があるのだ。耳をつんざく大音量に圧倒されたペルは、歯を食いしばって目を閉じた。ふたたび目蓋を開けると、ドラゴントータスの喉頸が膨らんでいる。毒のブレスを吐く予備動作。ペルはあわててレナのいるほうを見た。彼女は継続的な集中を要する回復呪文に深く没入しており、自身の危機にまるで気づいていない。

 それ以後を、ペルはよく憶えていなかった。気づけば、ペルはレナといっしょに地面へと倒れ込み、彼女の上に覆いかぶさっていた。体が勝手に動いたのだ。もとより、こんなことでドラゴンのブレス攻撃を防げるとは思ってない。しかしそれがペルのできる精一杯だった。毒のブレスで死ぬとはどんな感じなのだろう。たぶん、炎のブレスに一瞬で灼きつくされるのとはちがい、じわじわと苦しんだ末に息絶える──自分の死に様が、まさかそんなだとは。唯一の救いは、好きな女の子を胸に抱きしめて最後を迎えられることだ。巻き込んでごめんよ、レナ。

 ペルはきつく目蓋を閉じて、終のときを待った。

 あれ、なかなかこないなあ──

 くるとわかっているものがこずに焦らされるというのは、非常にもどかしいものである。

「ペルくん、重いよお……」

 ペルの体の下にいるレナが呻いた。ペルがうっすらと片目を開けると、レナは困った顔で彼を見あげている。

 だしぬけにずしんという地響きが鳴った。同時に下から突き上げられる震動を感じ、ペルもレナも体をびくりとさせて、文字通りとびあがってしまう。ドラゴントータスが足を踏み鳴らしたのだ。巨大なモンスターは、遥か上から地面のふたりを睥睨していた。感情を読み取ることのできない、金色の瞳で。

 様子がおかしい。怪訝に思うペル。しばし緊張感のある静寂がつづいた。が、ふいにドラゴントータスは目を細めてふたりに一瞥をくれてから、ぷいとそっぽを向いてのしのし森のほうへ歩き出した。それを見送りつつ、ペルはぽかんとなる。

「た、たすかった……?」

「ふう、わたしの治療、どうにか間に合ったみたいね」

 ペルはレナに言われてようやく気がついた。そういえば、いま去ってゆくドラゴントータスの後ろ姿は、ケガを負っているはずの足を引きずっていない。

 どちらからでもなく、顔を見合わせるペルとレナ。どっと疲れを感じ、ふたりは力なく笑いあった。

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