3-2 翌日、ペルは魔術学科の

 翌日、ペルは魔術学科の授業がすべて終わった放課後、図書館へ足を運んだ。課題の提出期限が迫っているため、それに関する本がないか調べにきたのだ。

 王立翰林院の図書館は敷地の外れにあり、椀を伏せたかの巨大な建物だった。内部は中央が天井まで吹き抜けとなる作りで、それを三層に分かれた書架の回廊が取り囲んでいる。白い壁と、円蓋のいちばん高いところが薔薇窓となっており、聖堂かと見紛う壮麗さである。床は赤い大理石のタイル敷き。どこか遠くの地方から石を切り出して、わざわざ運んだらしい。当初からオーリア王国随一の図書館を作る計画だったため、潤沢に予算が組まれたのだろう。

 翰林院へ入学したてのころから物珍しさで何度かきてみたものの、ペルはいまだにこの図書館での本の配置を把握できないでいた。彼がいま探しているのは、野草図鑑である。司書に訊ねると、それは二層目の自然科学コーナーに配架されていると教えてくれた。

 ペルは階段を使い、二層目へあがった。途中にある案内板で確認しつつ、目当ての自然科学コーナーを探す。しかし、ここへはいつきても圧倒される。ペルは二層目の際にある手摺りのそばに立ち、ドワーフ族が設計したといわれる円蓋を見あげて、まるで自分が鍋の内にでもいるような不思議な気分を味わった。階下に目を転じると、赤い床の上にはたくさんのキャレルデスクが規則正しく並べられている。そこで学究に励むのは、翰林院の修練生ばかりでなく、一般の利用者の姿もあった。蔵書が五万冊を越えるこの大図書館は、建設以来、身分を問わず誰でも利用することが許されているのだ。

 二層目にあがってから、だいぶ歩いた。案内板によれば自然科学コーナーはもうすぐだ。そこでふと、書架の回廊をさまよっていたペルの足が止まる。

 レナがいた。遠目だったが、ミニスカローブとニーソックスからして彼女にまちがいない。レナがいるのは超自然科学のコーナーだった。どうしようか迷った末、ペルはレナのほうへ歩いた。話しかける口実を考えていると、自分に近づく足音を聞きつけた彼女が、手元の本から顔をあげてペルのほうを見た。ペルが微笑みかけると、彼女も笑みを返した。

「なにか調べ物?」

 とペル。

「うん、ちょっとね。そうだ──」

 レナは急になにかを思いついた顔で、ペルに訪ねた。

「ペルくん、昨日会ったステラさんのことだけど、どういう人なのかな?」

「え、どういうって……」

 漠然とした質問をされ、ペルは返答に困った。

「見て、これ」

 戸惑うペルへ、レナが持っていた本を開いて見せる。自然と体を寄せてきたレナに、ペルは瞬間、どきりとなった。これほど接近したのは、彼女と知り合ってから初めてではなかろうか。

 ペルは胸の高まりを感じつつレナが示す本を覗き見た。どうやらその本は、古今東西の魔術具を集めて解説した図録のようだ。開かれた頁には魔術杖の精緻な挿し画と、それに対する説明文が記されている。どこかで見たような魔術杖に、ペルははっとなった。

「あれ、この杖……」

「ね、似てるでしょ。ステラさんが持ってた魔術杖とそっくり」

「ほんとだ、似てる」

「これ、マグシウスの杖よ。大魔術師マグシウスが持っていたっていう、伝説の魔術杖」

 大魔術師マグシウスはペルも知っていた。数百年前に存在した希代の魔術師であり、現在では失われて久しい古代魔術の開祖である。彼には太古の都を呪文ひとつで滅ぼしたとか、神に選ばれ不死者となったのちに隠遁したなど、数々の逸話がある。

 ペルは図録の説明文を読んだ。それによると、マグシウスの杖は魔界樹から削り出し、ドラゴンの脳結石と組み合わされた史上最強の魔術杖とある。杖の上端で、鉤爪の細工が摑んでいる澄んだ宝石がドラゴンの脳結石だ。魔術に長けるドラゴンが幾度も呪文を唱えると、その脳内では魔力を放出したエーテルの残滓が蓄積され、長い時を経て結晶化する。それをドラゴンの死後に取り出したものが、ドラゴンの脳結石である。極めて稀少な宝石なのに加え、魔力を蓄える器となるため、昔から魔術師たちのあいだでは非常に高値で取引されている。

 図録の説明文にはマグシウスの生死が不明となったと同時に、彼の魔術杖もいずこかへ消えたと書かれてあった。

「ねえペルくん、ステラさんの杖って、本物のマグシウスの杖なのかな」

 レナの問いかけにペルはしばし黙して考え込んだ。実は以前から、彼もステラのいわくありげな魔術杖のことが気になっていたのだ。そういえばこのあいだ、ステラが販売目的でうさんくさい惚れ薬を大量に作るとき、あの杖で大鍋のなかをぐるぐるかき混ぜているのを目撃した。もし本物であれば、あんなぞんざいに扱うだろうか。いや、うーん、ステラならやりかねない。

 ステラとマグシウスの杖──正直、両者の関連はわからなかったが、しかしなんらかの接点はあるのだとペルは推察する。その裏づけとなるのは古代魔術だ。ステラが古代魔術の使い手であるという事実をペルは知っている。そして、マグシウスは古代魔術を編み出したとされる当該の人物だ。前に古代魔術のことをステラに訊ねたとき、彼女はあきらかに言葉を濁した。以後もステラは自分のこととなれば多くを語ろうとしない。思えばペルは、ステラの身の上をほとんどなにも知らないのだ。

 他人に話すことのできない事情があるのだろうか。ならば、古代魔術のことも杖のことも、黙っているべきでは。

 ペルは迷ったあげく、ステラに関することは誰であれ伏せておくことに決めた。

「さ、さあね、わかんないよ。でもそんなすごい杖なら、どこかの国の王宮魔術師とか、そういう人が使ってるんじゃないかな」

 嘘はついてない。が、レナに隠し事をしたせいでペルの心はちくりと痛んだ。

 ペルの返答を聞いたレナは、わずかに唇をとがらせた。しかしすぐに笑顔となり、

「そうだよね。昨日、ステラさんの杖を見て、もしかしたらって思ったんだけど、きっと複製かなんかだよね。この本にも偽物がたくさん作られたって書いてあるし」

 レナは図録を閉じて書架にもどした。そしてペルへ向き直ると、

「ペルくんのほうは、図書館になんの用だったの?」

「野草図鑑を探しにきたんだ。ぼく、触媒学の課題まだやってなかったし」

「あっ、実習に使う野草集め? 忘れてた。わたしもだ」

「あれ、意外。レナは学級委員だから、そういうのちゃんとしてると思ってたけどな」

「うう、ここのところ、ちょっと忙しかったのよね。触媒学の課題提出って、休日明けだっけ?」

「そう。明後日だよ。だからぼく、明日は東の林間地のほうへいこうと思って。あそこなら野草もたくさん生えてるだろうしね」

「わ、それいい! じゃあさじゃあさ、わたしもついてっていい? ふたりでやったほうが、絶対にはやく終わると思うんだ」

 レナが口にした突然の提案に、ペルはきょとんとなる。魔術学科の人気者と自分が、休日にふたりだけでお出かけ。夢だろうか。

 魔術学科のアイドルであるレナに好意を寄せる修練生は多い。無論、ペルもそのうちのひとりである。でも友だちに噂とかされると恥ずかしいし──なんて言ってる場合じゃない。ペルの返事はもちろん決まっている。

「うん。べつにいいけど」

「やったあ」

 胸の前で手を合わせたレナは顔をほころばせる。ペルのほうはあえて表情に出さなかったが、心のなかで拳を突きあげた。

 それからふたりは自然科学コーナーへ移動した。野草図鑑はそこですぐに見つかった。希覯本というわけでもないので、借りることもできた。

 図書館の外に出ると、空が薄暮れはじめる時刻だった。ペルとレナのふたりは別れ際、明日の昼前にラクスフェルド市街の東にある太陽門で落ち合う約束をした。

 男子寮へもどる道すがら、ペルは胸のうきうきが止まらない。まぶしい夕暮れの日差しに照らされて、彼の目にはすべてのものが黄金色に輝いて見えた。ああ、世界ってこんなに美しかったんだ。

 しかし、ペルはふと立ち止まり不安をおぼえる。平平凡凡の化身のような自分とレナでは、あきらかに釣り合いが取れないのではと。いや、そんなことはない。男と女の仲は、そういう一般論で計れるものじゃないんだ。ペルは自分を納得させてふたたび歩き出す。ところがしばらくすると、また別な疑念がわいてくる。待てよ、これってデートでもなんでもないよな。舞いあがってるのって、自分だけじゃないのか。いやいやいや、こっちのことが嫌いなら、いっしょにいこうなんて誘ってくるはずがない。ここからふたりの関係が発展する可能性だって、十分にある。うん、そうだよな。あっ、でも明日、もしかしたらレナがほかの誰かを連れてきて、三人でいくことになるパターンとかあったりして。さらにそれがレナの彼氏だったりしたら、もう立ち直れないかも──

 妄想が先走る。恋愛初級者にありがちな堂々めぐりである。

 結局その日、ペルはベッドに入ってからも期待と不安が入り交じり、夜が更けるまで悶々としたのだった。

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