2-4 ふたりが魔術師組合の
ふたりが魔術師組合の本部までもどると、ゴックが外に出て首を長くして待っていた。
「おお、帰ったか! で、どうだった?」
「どうもこうも、たいへんだったわよ」
荷馬車を降りたステラは、そのままゴックの横をすり抜けて家のなかへ入ってしまった。
「なんだ、なにがあったんだ?」
「いやまあ、いろいろとありまして……」
斯斯然然。ペルはゴックに一部を除いたあらましを話した。
「ベーン!? またあいつか!」
「ステラさんはそう言ってましたけど」
「かーっ、まちがいない! あいつならやりかねん」
拳を握りしめ、怒りに身を震わせるゴック。どうやら両者には、かなり深い因縁があるようだ。
「それでゴックさん、これからどうするんですか。卵はもうなくなりましたけど、山にいる大なめくじは、はやいうちに退治しないとまずいですよ」
「うむ、わかっとる。こっちはもう後手に回っとるからな。できるだけ急がねば」
「じゃあ、やっぱり塩を使うしかないようですね。ぼくも手伝います」
「問題はそこだよ。あれだけの大なめくじを退治するとなれば、いったいどれだけのカネがかかるやら、とほほ……」
目先の難題にゴックは文字通り頭を抱えてしまう。
途方に暮れつつ、ふたりはとぼとぼと組合本部へ向かった。なかではステラがもう新しいローブに着替えていた。頭の上に氷嚢をのせた彼女が、じろりとペルを睨む。
「頭のてっぺんがじんじんするう~」
「だからあれは不幸な事故ですってば。それよりもステラさん、なんとかならないんですか」
とステラから自分のローブを受け取りながらペル。
「そうねえ、じゃあ、とりあえず麦酒」
「おいおい、ここは居酒屋じゃないんだぞ。真っ昼間からなにを言っとるんだおまえは」
ゴックは心底あきれたという顔でそう言った。ごもっともである。
「あたしは真剣よ。これを見てごらんなさい」
言うと、ステラはゴックにモンスター事典を突きつけた。大なめくじの頁が開いてあるそれを、ペルも横から覗き込む。
「よく聞いて、水際作戦よ。まずは、ありったけの麦酒を集めるの。それから──」
ステラの作戦はこうだ。なによりやらなければならないのは、大なめくじを一カ所に集めることである。それには麦酒を使う。モンスター事典によると、大なめくじは麦酒が大好きなのだ。まず大なめくじがいる裏山に、水で薄めた麦酒を撒く。麓にさがるにつれ、徐々に濃いものを撒いてゆくのがポイントである。麦酒の匂いに誘われて、大なめくじは山を降りてくるだろう。そのあとは街道沿いにも麦酒を撒いて、最終的に荘園の休閑地へと誘導する。あそこなら場所は広いし、大なめくじが集まっても問題はない。
「ふむう、休閑地に大なめくじを集めるのはいいが、それからどうするんだ」
ゴックが訊いた。
「まかせといて、あたしがなんとかしてあげる」
「……なにか考えがありそうだな。よし、おまえの言うとおりにしよう」
ゴックはあっさりとステラの提案をのんだ。このふたり、意外と強い信頼関係で結ばれているようだ。
そうと決まれば、さっそく行動である。ゴックは自宅へもどり、使用人たちに麦酒を買ってこさせた。特大の酒樽ごと荷馬車で運び込まれたそれらは、二〇樽を越える量にもなった。つぎは麦酒を薄める作業だ。これはゴックの荘園の農夫たちも駆り出された。用意できるだけの桶と柄杓で用水を汲みあげ、大人数の流れ作業で行った。そうして、いよいよいちばん手間のかかる薄めた麦酒を撒く行程である。山中から麓まで、大なめくじがいる付近をくまなくカバーせねばならないので、人手はいくらあっても足りない。ペルとゴックのほか、手の空いている女子供も加えて総動員でかかった。最後の総仕上げとして、休閑地には盥に移した残りの麦酒を大量に設置しておいた。なんとか暗くなる前にすべての工程は完了し、その日はそれで一同解散となった。大なめくじは夜行性だ。明日にはきっと休閑地が大なめくじであふれるだろう。そして、そこで決着をつけるとステラはみんなに説明した。
翌日、ペルとステラは昼前にゴックの荷馬車で休閑地へ向かった。あとには荘園の農夫たちや、今回の騒動を聞きつけたラクスフェルドの暇な住人などがつづいている。その団体が街道をゆく途中、一輌の箱馬車がゴックの馬車に並んで寄せてきた。
追いついてきた馬車の小窓から顔を覗かせたのは、レストブリッジ卿である。
「いよう、ゴック殿。ごきげんよう」
「ぬっ、レストブリッジ卿か」
ゴックは渋面を作り相手を見た。
レストブリッジ卿は年の頃なら五〇をすぎたあたり。洒落た髭を生やしているものの貫禄のほうはいまひとつで、なんかもう小物界の大物といった感じである。
「はて、これはなんの集まりですかな。なにやらお困りの様子だが。うししし……」
「ご心配は無用。もうじき片がつきますゆえ」
「ほう。そうですか」
「そうですとも」
しばし無言で見つめ合ったあと、ふたりは同時にうはははと高らかに笑い出した。しかし、両者とも目は真剣そのものである。
「ならばよい。貴公とは知れた仲。成り上がり貴族の手に余る厄介事であれば、力を貸すのもやぶさかではないぞ。そっちが地面に手をついて、懇願するのならな」
そう言い残すと、レストブリッジ卿の箱馬車は速度を上げて走り去った。
「なにやらお困りの様子だと? ふん、しらじらしいやつめ」
ゴックはもう遠くなった馬車の後ろ姿に、ぺっぺっと唾を吐いた。
一行が先へ進むと、やがて荘園の休閑地が見えてきた。多くの大なめくじが休閑地に集まっているという報告は、すでにゴックたちにもたらされていた。しかし実際に目にすると、それは想像を絶する光景だった。
いまは更地となっている休閑地には、地面を覆いつくすほどの大なめくじがうごめいていた。日の光を反射してぬめぬめと不気味な輝きを放つそれらは、泥の沼のようにも見える。麦酒を入れた盥を中心として、数百匹がからみあいもつれあい、そりゃあもうえらいことになっているのだ。
「ひえっ、す、すごい数ですよこれ……」
馬車の御者台にいたペルは、思わず隣のゴックにしがみついてそう漏らした。
「おいステラ、ほんとうになんとかできるんだろうな」
さすがのゴックもこれには圧倒されたようである。しかし、ステラのほうはといえば、
「うん、まあ大丈夫よ。これくらいならね」
こともなげに言って、彼女は馬車を降りた。
「ペル、そこの塩の入った桶、持ってきて」
ペルはステラから言われたとおり、馬車に積んできた桶を手にすると彼女につづいた。しかし、桶一杯ていどの塩では足りないのはあきらかだ。
遠巻きに眺めている野次馬をかき分け、ふたりが大なめくじの群れへと近づく。いったいなにをするつもりなのかと、ペルははらはらしながら彼女を追った。まさか、この一帯ごと超絶威力の攻撃呪文で吹き飛ばすなんてことはないだろうが、一方で、もしかすれば彼女ならやりかねないと頭の隅で考えてしまう。
「ここでいいわ。あんたは少しさがっといて」
ステラが言った。指示に従ってペルが後ろにさがると、ステラは呪文の詠唱をはじめた。彼女の口からささやきが漏れるにつれて、近傍のエーテルがちりちりとざわめきだす。エーテルは物質界の外にある間隙界から流れてくる、魔術の源である。それがいまステラの精神と反応して、魔力になろうとしていた。
ほどなく、限界まで高まった魔力が周囲に満ちる。それはおそらく魔術に縁遠い凡庸な者でも、目に見えない圧迫感として察知できるほどの密度だろう。これほどの魔力を錬成できるとは。ペルはあらためてステラの素養に舌を巻いた。
「スカラーあああああシフトおおおおおおお!」
魔術杖を高く掲げ、ステラが叫んだ。ペルが古代魔術の発動を目にするのは、これで三度目だった。だが彼はその瞬間、目を閉じてしまう。まばゆい閃光に目が眩んだのだ。つぎにペルが目を開けると、あたりにもうもうと立ち込める白い煙が見えた。白煙のなかのいたるところでエーテルが青い火花を散らしている。強大な魔力が、物質界で物理法則をねじ曲げた結果で起こる現象である。
「いまよペル、やっちまいなさい!」
「えっ、えっ、なにをですか?」
突然ステラに命じられたペルは、わけがわからない。
「ばかね、塩をぶっかけるに決まってんでしょうが!」
白煙が徐々に晴れてゆく。すると、そこにはなにもない。さっきまであれだけいた大なめくじが、きれいさっぱり消えている。
いや、大なめくじは消えたのではなかった。茫然自失といったふうのペルは、ステラの指し示す方向へおそるおそる歩いていった。すると、前方の地面になにか茶色い染みのようなものが見えた。それは大量の大なめくじだった。しかし、さっきまでとはサイズがまるでちがう。指の先ほどの大きさに縮んだ、ただのなめくじの群れである。
ペルの背後から野次馬の歓声があがった。それを聞きながら、ペルはなめくじたちに桶から塩をふりかけた。まもなくなめくじは溶けて、あとには白く濁ったねばねばだけが残った。
スカラーシフトは物体の質量を変化させる古代魔術である。無から物質を生成してしまう古代魔術であれば、このくらいは造作ない。
これ以来、ペルの心のなかには、もうステラに関してなにも驚かないという確たる自信が生まれたのだった。
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