2-2 というわけで、

 というわけで、ペルとステラはゴックの荷馬車に乗って裏山へゆくこととなったのである。

 田園地帯を抜けて山道に入ると、異変はすぐに現れた。普段はほとんど人の姿がない山道に、ちらほらと地元農夫たちの姿が見える。皆、大なめくじの話を聞きつけて集まってきたのだ。

 しばらく進むと道端に人だかりがあった。ステラはそのなかに、山での炭焼きを生業としている顔なじみのピートの姿を見つけた。

 馬車の音を聞いた何人かが振り返る。ピートもこちらに気づいた。ペルとステラが荷馬車を降りて人だかりに近づくと、彼は渋い顔で木立を指さした。促されるままに、ふたりがそちらを見る。すると、いた。大なめくじだ。

「うわあ、いるいる」

 ステラが顔をゆがませて、喉から絞り出すような声で言った。

 大なめくじは一本の木の幹に、まっすぐ垂直になってへばりついていた。ペルの目線のやや上あたり。こうして見ると、全長は小さな子供の背丈くらいだろうか。黒ずんだ表皮には薄く縞模様があり、てらてらと輝いている。動きはまったくといってよいほどないが、よく見ると頭の部分から二本の細長い触角をのばし、なにかを探るようにゆっくりと宙にめぐらせていた。

「ちょ、ちょっとステラさん、押さないでくださいよ」

 ペルがあわてたふうに言った。ペルの背後に隠れて彼を盾にしているステラが、気味悪がっているくせにもっとよく見ようと大なめくじに近づいたのである。

「最初に気づいたのはおれっちだ。今朝、炭焼場の近くで見つけたんだ」

 ふたりのそばまで歩いてきたピートがそう言った。

「大なめくじはここらじゃめずらしくない。とはいえ、あれだけの数を一度に見たのは、生まれてはじめてだよ」

 三人のいる場所から少し離れた木の幹にも、大なめくじがもう一匹いた。体を曲げてまだ若い木に寄りかかっている。おそらく柔らかい新芽でも食べているのだろう。

 ピートの炭焼場は麓に近いここより上にあるので、大なめくじの移動は意外に速いといえた。もしこのまま山を降りて荘園のほうまで来られたら一大事である。大なめくじは雑食性なのでなんでも食べてしまうのだ。畑の作物を食べられでもしたら、小作人たちにとっては大きな損害である。

「でもそんなにたくさん、いったいどこからきたんでしょうね」

 ペルが誰ともなしにつぶやく。すると、ピートがしばらくうなって考えたあと、

「おそらく廃坑のほうじゃないかな。坑道は地下水が染み出てるところもあるし、大なめくじの住処としちゃ格好の場だ。山のなかのどこかなら、まずここまでになる前におれっちが気づいただろう」

「またあそこですか」

 ペルは数週間前の、裏山で数人の冒険者が行方不明となった件を思い出した。彼とステラはそのとき、いまは廃坑となった採鉱場でバジリスクと遭遇し、それを退治したのである。いや、正確にはステラが古代魔術のアスポートで無理やりどこかへ転移させたのだったが。

「ねえピートさん、裏山の坑道って、たしかほかにも出口があったわよね」

 ステラがピートに訊いた。

「ああ。レストブリッジ伯爵の領地にもひとつあったな」

「そっちのほうは大丈夫なの?」

「それなら心配ない。先月、木こり連中と山を回ったときに近くを通ったら、石を積んで厳重に塞いであった。そういや、いつからかな、あんなふうになったのは」

「ふうん……」

 なんとなく釈然としない様子で、ステラは鼻を鳴らした。

 それからペルとステラはピートと別れて、廃坑へ様子を見にゆくことにした。みんなには、大なめくじに不用意に手を出すなと伝えておいた。ゴックも言っていたが、いちおう小さいながらもモンスターなのだ。下手に刺激して酸性の唾液を浴びせられでもしたら、怪我ではすまない場合もある。

 不穏な影が忍び寄る森だが、表面上はのどかだった。日はまだ高く、青空からふりそそぐ陽光が気持ちよかった。ときおり野鳥の鳴く声が聞こえる。見覚えのある山道で馬車に揺られているペルは、ふと、この前のバジリスクのことが頭に浮かんだ。

「そういえばステラさん──」

「ん?」

「このあいだのバジリスク、いったいどこへ転移させたんですか」

「さあ」

 言って、ステラは肩をすくめた。

「さあって、わからないんですか」

「うん。わかんない」

 こくりとうなずくステラ。

「ふつう、送る先があたしの知ってる場所なら、イメージして決められるのよ。でも、あのときは咄嗟のことだったから。誰かさんが無茶してくれたおかげでね」

「う……」

 それを言われると気まずいのである。ペルは顔を赤くして口を閉ざした。しかし、あのときの光景は彼の目に焼き付いている。ステラが使った強制転移──それは現在では失われてしまった、古代魔術と呼ばれる呪文のひとつである。

 ペルが翰林院の図書館で調べたところ、古代魔術は数百年前に存在した大魔術師マグシウスが開祖とされていた。空間移動や物質生成、さらには自らを霊体化するなど超高等な呪文があったものの、術の行使にあまりに膨大な魔力が必要となるため、いつしか扱える者も絶えてしまったのだという。

 ペルはちらりと横目でステラを盗み見た。荷馬車の御者台で手綱を握っている彼女は、さっきからなにやらもくもくと食べている。じっと見られていることに気づいたステラが、ペルに干した杏の入った小袋を差し出す。意外とやさしいのである。加えて申し分のない美人だ。とはいえ、それも表面上のこと。根がずぼらでとらえどころのないステラが、本当に古代魔術の使い手であるとは、ペルはいまだに信じられなかった。

 山の麓でピートの言っていた廃坑があやしいとの予想は、どうやら当たりのようだ。採鉱場に近づくにつれ、大なめくじの姿が増えてきたのだった。木立のなか以外に、いまはもう道の真ん中に寝そべっているものさえいる。以前にきた見棄てられた鉱山の町へたどり着くと、さらにその数が増えた。おかげでステラは廃坑の入口に着くまで、地面の大なめくじを避けて慎重に荷馬車を進ませねばならなかった。

「やっぱりここみたいね」

 黒々と口を開けたトンネルの前、腰に手をあてて仁王立ちするステラがそう言った。

「なんか、へんな匂いしますよ、ここ……」

 ペルは顔をしかめて鼻と口のあたりを手で押さえている。

 いまふたりの足下には、てらてらと輝く光の筋がいくつも走っていた。大なめくじが這った跡だ。体から分泌される粘液が移動の際、地面に付着し、乾いてできたものである。ほとんどの光る筋は坑道の入口から近くの藪へとのび、そこで消えている。この状況から推測すれば、相当な数の大なめくじが廃坑から出てきたことになる。

「でも、やっぱりおかしいわ。こんなとこで大なめくじが大量発生するなんて」

 とステラ。

「そうかなあ。なめくじって、だいたいこういう場所に棲んでるんじゃないですか」

「数の問題よ。ここまで来る途中に見たでしょ、あんなにたくさんよ。そもそも餌がないもの。坑道のなかなんて、せいぜい蝙蝠か鼠がちょろちょろいるくらいだと思わない?」

「ということは──」

 顎に手をやり、しばし考え込むペル。

「どういうことです?」

「おばか! なにか自然じゃない理由で、大なめくじがわいて出てきたってこと」

 鈍いペルに苛ついたステラは、自分の魔術杖で彼を軽く小突いた。そうして、ため息をひとつついたあと、

「ここであーだこーだ言っててもしょうがないわ。とにかくなかに入りましょう」

「な、なかに入る? 本気ですか!?」

「当然でしょ。ここまできて、手ぶらで帰れるもんですか」

 言いつつ、もうステラは歩き出している。ペルはそれにつづくしかなかった。

 坑道内に入ると、すぐにひんやりとした空気がふたりを取り巻いた。なかは思ったよりも狭くない。ペルとステラが並んで歩けるほどで、頭上にも余裕がある。が、ところどころに岩のでっぱりがあり足下はおぼつかない。しばらく進むと日の光も届かず、先が見えなくなった。

「ペル、明かりおねがい」

「あ、はい」

 ステラに請われたペルは、腰帯に下げた小袋から呪文用の触媒を取り出す。魔術の初歩となる鬼火の呪文は、苦土と乾燥させたヒカリダケを触媒として使う。ペルはそれらを握りしめ、精神を集中させて白い光をイメージした。

「灯れ」

 ペルがつぶやく。すると、にわかに彼の指の間から輝く粒子が漏れはじめた。徐々に数が増えてゆく光の粒はまもなくひとつに寄り集まり、空中に漂う小さな光球を形成する。ごく簡単な、たわいない呪文。それに使用した触媒はほんのりと熱を放ったあと、ペルの手中で朽ちて細かな塵となった。

 浮遊する光球を頼りに、ふたりは奥へと進んだ。坑道は分岐が多く迷いやすかったが、地面に残された粘液を遡れば、大なめくじ大量発生の原因へたどりつけるとステラは踏んでいた。意外だったのは坑道内にいる大なめくじが少なかったことである。おそらく餌を求めて大半が外へ出たのだろう。地下水がにじみ出る鉱床の岩肌に、たまにくっついているのを見かけるくらいだった。それらは鬼火の光に照らされると、触角を縮めて逃げてゆく。もしかすれば、坑道のなかは壁一面に大なめくじがびっしりという状況を覚悟していたペルだったが、この点については胸をなでおろした。

 どれほど進んだろうか。いくつかの分岐点を過ぎ、坂を下ったりするうち、ふたりはやけに広い場所へ出た。小さな家一軒が丸ごと入るくらいの空間だった。ペルとステラが歩いてきた横坑は、その空間を見下ろす箇所とつながっていた。ほぼ垂直に切り立った下は、かなりの落差である。あぶなく転落するところだった。下へ降りる手段を探して周囲をよく見てみると、壁際に狭い傾斜路があり、それが底までつづいていた。

 慎重に足下を覗き込むステラが、浮遊している鬼火を自分の杖で前方に押しやった。すると、空間の下側に光が拡がり、あたりの様子が明らかとなる。

 ここは鉱夫たちが休憩する場所として使っていたのかもしれない。質素な机と椅子、それにいくつかの寝台が見えた。ほかにも廃棄された掘削道具や、壊れたランタンなど大小のがらくたが散乱している。そして、やはりここにも数匹の大なめくじがいた。

「ほーら、やっぱり見にきて正解だった」

 ステラがしたり顔で言う。しかし、ペルにはその意味がわかりかねた。しばらく訝しげに下を眺めているうち、彼は妙なものを見つけた。それは透明な、葡萄の房のようだった。目を凝らして見ると、眼下のところどころでそれらが鬼火の光を反射して、鈍くきらめいていた。

 ペルのなかでなにかが符合した。

「あれって、もしかして大なめくじの卵じゃないですか」

「ご名答」

 とステラ。

「じゃあ、ここが巣になってたんだ」

「ちょっとちがうかも。大なめくじは巣を持たないもの。見て──」

 ステラが杖の先で下の一カ所を指し示す。そこには動物の骨があった。大きさと形からして、牛か馬といった家畜の類いだろう。それが数頭分はある。骨にはまだ腐肉でもくっついているのか、周囲に大なめくじが群がっていた。

「誰かが大なめくじの卵を集めて、ここへ置いたのよ。ご丁寧に孵化したあとの餌まで用意してね」

 家畜の死体を食べ尽くせば、大なめくじは自然と廃坑の外へ出てゆく。なるほど、だからこの裏山で大量発生する事態になったのかと納得するペル。

 しかし、である。いったい誰が、なんのためにそんなことをしたのだろうか。

「でも誰が、なんのためにです?」

 頭に浮かんだ疑問を、ペルはそのまま口にした。

「あたしの見立てじゃ、たぶんレストブリッジ卿ね」

 ステラが言うのは、ラクスフェルドの近隣貴族であるレストブリッジ伯爵ゲイリー・ベーンのことだ。

「ペルは知らないだろうけど、ゴックさんと仲が悪いのよねえ。前にゴックさんがこの鉱山でラクスナイトの鉱脈を掘りをあてたって話したの、おぼえてる?」

「ええ。ゴックさん、それで男爵の爵位をもらったんですよね」

「そ。でも坑道の一部がレストブリッジ卿の領地にものびててさあ、鉱脈からでた鉱物の権利をどっちが所有するかで揉めたのよ。結局、所有権はラクスフェルドの王族に渡ったんだけど、あのふたり、それ以来なにかにつけて足の引っ張りあいやってんだから」

「じゃあ、今回の騒動は貴族どうしの諍いってことですか」

「そう考えてまちがいないわね。おそらくレストブリッジ卿が自分の領地にある坑道から大なめくじの卵を運んで、ここに置いたのよ。そのあとで向こう側の出入口を塞げば、ゴックさんの荘園に近い裏山に大なめくじがわんさか出てきて、騒動になるってわけ」

「はあ、なんて迷惑な話だ……」

 あきれたペルは口をあんぐりさせる。

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