第二章

2-1 ペルが魔術師組合の雑用係

 ペルが魔術師組合の雑用係として雇われてから数週間が過ぎた。王立翰林院の高等部で魔術を勉強する片手間にはじめた雑用係の仕事にも、だいぶ慣れてきたところである。真面目なペルの働きぶりには雇い主のゴックも満足な様子だ。ただ問題があるとすれば、ペルに任された雑用係という仕事内容の半分以上が、ステラの身の回りの世話となっている点だろう。事実、いまも──

「ペルー! ペルペルペルー!」

「はーい、ちょっと待ってください」

 裏庭にいるステラから、姿を消した飼い犬でも探すように名前を呼ばれたペルは、またかと思いつつ間延びした声で応じた。組合本部のなかでステラが使った魔術用実験道具を片づけていた彼は、いったん手をとめて裏庭へと向かう。裏口を抜け、組合本部の外に出ると、昼下がりの陽気がペルを包んだ。

「お茶ちょーだい」

 裏庭に現れたペルへ、ステラが空のカップを差し出す。寝椅子で横になった彼女は魔術書を読むのに没頭し、ペルのほうへ目もくれない。膝を立てたほうの足が緋色のローブのスリットからむき出しになっている。艶めかしいポーズをステラがからかい半分でやっていると承知なペルは、なるべくそれを見ないように務めた。

「ステラさん、お茶くらい自分で用意してくださいよ。ぼくだってほかに仕事があるんですから」

「うん、わかってる」

 言いつつも、ステラはぐいぐいとカップをペルの体に押しつけている。小さく息を吐いてから、ペルは仕方なくそれを受け取った。

 組合本部の内にもどったペルは暖炉を兼ねた竈に五徳を立て、薬缶を火にかけた。急須を用意して、そこに香草茶の葉を落とす。湯が沸くのを待つあいだ、ペルは散らかり放題な部屋のなかを見渡し、げんなりとなった。すさまじい散らかり様なのだ。まるで巨人がこの家を持ちあげ、一回逆さまにしてからまたもどしたんじゃないかというくらいの惨状である。本棚に収まりきらない魔術書、触れるのをためらうほど毒々しい色の薬瓶、異臭を放つ干物、これまでペルが見たこともない不気味な小動物の剥製──そういったものが卓上といわず床といわず、てんでばらばらに放置されているのだ。その様子は数週間前にペルが初めてここを訪れたときと、まるで変わっていないように見える。気のせいだろうか。いや気のせいではない。ステラが散らかし、ペルが片づける。そしてまたペルが片づけた分だけ、ステラが散らかす。ここでは連日、その無限ループが繰り返されているのだった。

 とはいえ、ステラもペルに甘えっぱなしなわけではない。組合員名簿の整理やら組合費の管理やら、そういった魔術師組合の重要な仕事は、いちおう彼女が担っている。ステラがペルに命じるのは、あくまで雑用だった。組合本部の掃除にはじまり、集金、留守番、月にいちど発行する組合報の配布等々。しかしそのほかの、ステラがほしがるおやつの買い出しや汚れ物の洗濯、はては全身マッサージが雑用の範疇であるのかは疑問だが。

 意識せずにため息を漏らすペル。もしや自分は、とんでもないブラックアルバイトに応募してしまったのではないだろうか。

 湯が沸いた。ペルはステラが好む薄い茶を淹れてから、ふたたび裏庭へ出た。

 ステラの寝椅子の横にある小卓へカップを置いたとき、馬車の音が聞こえた。組合本部とは用水路をはさんだ向こうの、農道のほうだ。ペルがそちらへ首を回すと、魔術師組合の組合長であるゴックが荷馬車を御して、小さな橋を渡ってくるのが見えた。かなりの速度を出している。

「あ、ゴックさんですよ」

 ペルが言うと、ステラも顔をあげた。

「なにかしらね? ずいぶんあわててるけど」

「さあ」

 ペルは気安くゴックさんなどと呼んでいたが、彼は歴としてこのあたりの荘園を管理している男爵である。ふたりはゴックを迎えるため、組合本部のなかへ入った。

「おーい、ステラ! たいへんだ!」

 組合本部に駆け込んでくるなり、ゴックが大声をあげた。

「どうしたんですか」

 とペル。

「おお、ペルもいたか。いや、たいへんなんだ、モンスターだよ」

「えっ、どこにです」

「裏山だ。いまみんなそっちに集まって、大騒ぎしてる」

「で、なにが出たの?」

 険しい表情でステラが訊ねた。

「大なめくじ! こーんな大きいのが!」

 ゴックは声のトーンを高くして言うと、両手を思いっきり広げて見せた。

「なあんだ」

 途端に興味を失くし、ステラは手元の魔術書に目を落とす。

「なあんだとはなんだ! 一匹や二匹じゃないんだぞ。もう、あちらこちらにうじゃうじゃと……ああ、思い出しただけで身の毛がよだつ」

 ゴックはふくよかな自分の身体に腕を回すと、がくがく震えはじめた。

 大なめくじは危険度が小さいうえ、それほどめずらしいモンスターではなかった。要はただの大きななめくじであるし、並の冒険者ならばひのきの棒でも倒せるモンスターだ。しかしゴックの言ったように大量発生したとなれば、地味に厄介である。

 ペルは部屋の壁を覆いつくしているステラの本棚から、一冊の本を探して抜き取った。それは全冒険者必読のモンスター事典(机上版)である。もちろん最新版だ。散らかり放題でステラの書物庫と化している魔術師組合本部も、こういうときは便利だった。

 モンスター事典いわく、大なめくじは大きさが子牛ほどにもなるなめくじである。じめじめした湿った場所を好み、旺盛な食欲で一日中なにかしらを食べている。動きがのろく、獰猛ではないが口から酸性の唾液を吐く場合があり注意が必要。乾燥を防ぐために全身から分泌する粘液には、非常に強力な催淫効果があるそうだ。気をつけたいのが大なめじとジャイアントスラッグのちがいで、そもそもこれらはなめくじの眷属だが種として区別されるモンスターなのである。大なめくじとジャイアントスラッグはサイズも危険度もまったく異なっており、もしきみが初心者であれば、とりあえず前者はちっこくて危険度が小、後者はでっかくて危険度が大と憶えておけばよいだろう、と事典には書かれてあった。

「これによると、大なめくじを退治するには塩をかけるのが有効みたいですね」

 モンスター事典の解説にあった、対処の仕方を読んだペルがそう言った。

「簡単じゃないの。すぐに片づくわね」

 とステラ。

「うーむ。しかし、いちおう小さくてもモンスターだからな──」

 ゴックは腕を組んで難しい顔をした。

「すまんがおまえたち、ちょっと様子を見てきてくれんか」

「ええ~」

 あからさまにいやな顔をするステラ。

「え~、じゃない。大なめくじは害虫だぞ。荘園になにかあって収穫が減ったりすれば、わたしだけじゃなくおまえたちも路頭に迷うことになるんだ。それでもいいのか?」

「しょうがないわねえ……」

 めんどくさそうに出かける支度をはじめたステラを、ペルはあきれ顔で見ていた。

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