1-3 裏山は人間が開発の手を
裏山は人間が開発の手を加えたせいもあり、危険な動物は少ない。モンスターなどもほとんど生息していないはずだった。そんな場所でモンスター狩りをするとなれば、まっさきに採鉱場が思い浮かぶ。いまは放棄されて人もおらず、暗くじめじめした坑道はモンスターたちの恰好の住処である。実際、どこかほかの地域から流れてきたモンスターが住み着いた例も、過去にあったのだ。
肌寒くなってきた。高い場所まで来たせいだろうか。裏山は実際に登ってみると、意外と森が深かった。ところどころにまだ雪が残っている。獣道のような悪路を苦労して進むうち、ペルとステラは川のせせらぎを耳にした。道は雪融けで水量が増えている川にぶつかって、左に大きく曲がっていた。
川に沿ってさらに進む。先に気づいたのはステラのほうだった。
「妙ね」
「なにがです?」
「木が枯れてるわ」
ステラに言われたペルが周囲を注視する。たしかにそのとおりだった。初春だというのに、木々の葉が黄色くなっている。なかにはほとんどの葉が落ち、丸裸に近い状態の木さえあった。
「ペルくんてさあ、魔術はどのていど使えるの?」
とステラ。
「どのていどって、まだ初歩的な呪文しか知りませんけど」
ペルが言うのは暗闇で明かりをつけたり、扉に鍵をかけたりする簡単な呪文のことである。
「攻撃呪文は?」
「うーん、そういうのは、三年生にならないと教えてもらえないんですよね」
そう答えたあと、不穏な空気を感じたペルは思わず手の内にある杖をぎゅっと握った。
「この先に、なにかいるんでしょうか……」
「ええ。そんな気がする」
「まさか。ここ、けっこう人里に近い場所ですよ」
「そうね。でも警戒はしておいたほうがいいかも」
ステラの声はやや緊張しているように聞こえた。
ペルは横目でステラが携える魔術杖をちらりと見た。ついでに、彼女のローブの胸元でこれみよがしにあらわとなっている、ふっくらした谷間も。実は道が悪くなってからずっと、荷馬車が揺れるたびに、そのへんもいっしょにぽよんぽよんと──こらこら、そうじゃない。ペルはあわててステラの魔術杖へ視線をもどす。堅木で作られた彼女の杖は、使い込まれて黒光りするほどの年代物だった。多くの魔術師に受け継がれてきたものなのかもしれない。先端には鉤爪が水晶のように澄んだ宝石を摑む細工が施されている。その大きな宝石には高度な呪文を使う際、術者の負担を軽減するための魔力が封じ込められているのだ。ほんのりとオーラを放っているそれは、ペルの単に木を削っただけの真新しい初心者向けの杖とは、比べるべくもない値打ち物である。そんな魔術杖を扱えるとは、ステラがどれほどのレベルの魔術師なのか、ペルは純粋に興味をいだいたのだった。
ふいに森が途切れた。町だ。廃屋が連なる無人の。
「町、ですね」
とペル。
「採鉱場に人がいた時分のね」
「なんだか気味が悪いなあ」
森の奥に築かれた町は、規模としては二〇〇人ほどが暮らしていたと思われる大きさである。雨風にさらされた建物は手入れもされず、いまとなってはどれもが半壊状態だ。ペルとステラを乗せた荷馬車がゆっくりと進んでいるこの通りが、どうやら町の中心だったようだ。宿泊所、酒場、雑貨店など、もう二度と使われることのないそれらが、にぎわっていただろう当時をしのばせる。
「ゴックさん、ここで寝泊まりしながら鉱山で働いてたって言ってたわ。そのときにラクスナイトのでっかい塊を掘り当てたんですって。あの人、それがいま磨かれてマントバーン王の冠にはめられてるんだって、なにかにつけて自慢するのよね」
ステラの声をペルはうわの空で聞いていた。斜陽で赤く染まりかけた無人の町──その雰囲気に、彼は完全にのまれていた。
「あそこに誰かいますよ!」
突然ペルが大声をあげ、遠くを指さした。町の外れに人影が見えたのである。
ステラは馬に鞭をくれて、荷馬車の速度を上げた。
町の外れにある広場へ着くと、あたりの木々は完全に立ち枯れしていた。さすがのペルも、いよいよ危険のすぐ間近まで来てしまったのを感じる。正面の向こうに、ぽっかりと口を開けた坑道の入口が見える。そのすぐ横には、大きな籠を上下させる昇降機があった。坑道内から掘削した土砂を籠に入れ、下の川原にある洗い場まで降ろすための人力装置である。
さきほどペルが見た人影は、正確には人ではなかった。
「石像……?」
いぶかしげにステラが言う。
荷馬車から降りたふたりの目の前には、やけに精巧に作られた人の石像が佇立していた。やや離れた場所にもう三体あるので、全部で四体である。いずれも冒険者風の石像はポーズがそれぞれで、いままさに剣を鞘から抜こうとしているものや、背負った弓に手をかけているものなど。唯一共通するのは、予期せぬ異変に遭遇してよほど驚いたのか、目と口を大きく開いたアホみたいな表情になっているところだった。
「ステラさん、これって……」
「どう考えても、行方不明のモンハンよねえ」
ふたりの脳裏に嫌な予感が広がる。と、いきなり荷馬車の馬がいなないて暴れはじめた。急な事態に、ペルもステラもあわてて荷馬車から離れる。そのとき、坑道の入口から、なにかが出てきた。
それは牛か馬くらいあろうかというほどの、巨大なトカゲだった。硬そうな外皮は茶色と焦げ茶のまだら模様。頭頂部が平たく、やや窪んでいびつな皿を載せているように見える。背には細かな棘がずらりと並び、それが尾の先端までつづいていた。驚くべきことに足が八本もあり、少し開いた口から青黒い舌を垂らしたそいつが歩くたびに、たくさんの鉤爪が地面に当たってかちかちと音を鳴らした。
「あいつの目を見ちゃだめ、バジリスクよ!」
ステラが叫んでペルを突き飛ばした。
よろめいたペルはそのまま数歩後ろへ下がったのちにバランスを崩し、近くの道具小屋のなかへ転げ込んでしまう。起きあがったペルは、荷馬車が広場から去ってゆくのと、ステラが自分のいるところから距離のある枯れ木の陰に身を隠すのを見た。
「ス、ステラさん、どうすれば!?」
「そこでじっとしてなさい。あたしがなんとかするわ」
ツルハシやスコップを置いておく道具小屋のなかにこもったペルは、言われたとおりにした。というか、そうするしかなかった。バジリスクが尾を引きずり、こちらへ近づいてくる音が聞こえる。
ステラはいったいどうするつもりなのだろうか。ふと思いつき、ペルは雑嚢へ手を突っ込んだ。そのなかから取り出したのは、一冊の本である。全冒険者必携の、モンスター事典。もちろん最新版だ。
あせったペルはおぼつかない指で頁を繰り、バジリスクの項目を探す。あった。
モンスター事典いわく、バジリスクは大型の爬虫類に似た非常に危険なモンスターだとされている。致死性の高い毒を吐くため、とにかく近づいてはいけないことがわかった。おそらくこのあたりの木々が枯れていたのは、そのせいだ。ならば武器での直接攻撃も控えねばなるまい。そしてバジリスクの最大の特徴であるのが、石化の視線。バジリスクと目が合った者は、問答無用で石になってしまうのだという。いったいどういう原理なのだろうか、非常識にもほどがある。しかしそれはバジリスク自身にも作用するらしい。退治するには、鏡かそれに近いものでバジリスクの視線を反射すればよいのだ。とはいえ、そんなものはいま手元にない。ステラも持っていないだろう。
だしぬけに外で聞こえた破裂音に、ペルは身をびくつかせる。彼はなにごとかと、小屋の羽目板の隙間から外を見た。すると、彼はステラが雷撃の呪文でバジリスクを攻撃しているのを目にした。木のうしろに潜んだ彼女が魔術杖を振ると、バジリスクへ向けてまばゆい紫電が閃いた。しかし、命中しない。もう一度。これもだめ。
相手の姿を視認できないのだから無理はない。それに命中したとしても、あのていどの小さな雷撃ではバジリスクの致命傷とはならないように思えた。
これではジリ貧だ。バジリスクは闇雲に放たれるステラの雷撃が弾けるたび、そちらへ首を向けて威嚇のうなりを発している。そしていま、ペルに背を向けた体勢となった。
チャンスだ。瞬間、ペルは駆け出した。彼は無我夢中で腰帯に下げた小さな袋のなかを探った。小袋に入れてあるのは、おばけキノコと纈草を乾燥させてから粉末にしたものだった。眠りの呪文に使う触媒。
「眠れ!」
触媒の粉をバジリスクに振りかけ、ペルが叫んだ。しかし──
「ちょっ、ペルくん!?」
ステラが仰天してそのほうを見る。
眠りの呪文は効かなかった。ペルの精神集中が足りなかったのか、バジリスクの抵抗力が強かったのか。そして、バジリスクがゆっくり、背後へ振り返る。
ペルの視界が真っ暗となった。絶望したからではない。ステラが咄嗟に彼へ暗闇の呪文をかけたのだ。
「わーっ、見えない、見えない!」
ステラのおかげで石化を免れたペルだが、盲目状態の彼はパニックに陥ってしまった。方々へ走り回ったのち、彼は枯れ木と激しくぶつかって、無様に地面へと転倒した。
激痛と同時に暗闇で星が瞬いたのち、うっすらとペルの視力が回復しはじめる。枯れ木とぶつかったショックでステラの術がゆるんだのだ。そして、ペルは見た。おそろしいほどの魔力を放出し、呪文の詠唱をしているステラの姿を。励起された近傍のエーテルが火花を散らし、ほとばしる魔力がステラの周囲に旋風を巻き起こす。そのせいでローブがばさーっとめくれあがり、彼女の見えてはいけない部分が──いやいや、そんな場合か。ペルがあわてて魅惑的な光景から視線をそらせると、バジリスクの頭上に光の線が走った。ひとつやふたつではなかった。幾筋もの光線が交差し、それらはまもなく魔術陣を形作る。そして虚空に、突如として黒い穴が現れた。なにもない空中に、ぽっかりと。
「アスポート!」
ステラが叫ぶ。
するとバジリスクは悲しげな鳴き声をあげつつ、空中の穴にひゅーんと吸い込まれていった。黒く口を開けていた穴はすぐに閉じ、あとにはなにも残らない。
発動する演出が派手な割には地味な魔術だなどと思ってはいけない。ペルはたったいま起こったことに驚愕する。あれは、ステラが使ったのは、古代魔術である。現代の魔術体系からは失われてしまった、時空を操る術だ。手近なものを次元ポータルへ送り込み、別な場所に強制転移させる呪文。ペルも本でしか読んだことがなく、翰林院の教授でさえ実際に見た者はいないだろう。
「ペルく~ん、大丈夫?」
地面に倒れたままのペルのもとへ、ステラがてててっと駆け寄る。
「ス、ステラさん、いまのは……」
「いやあ、やっちゃった。しばらくは使わないでおこうって思ってたのになー」
と、ばつがわるそうに頭をかくステラ。
「じゃあ、やっぱりあれ古代魔術だ!」
「ま、そゆこと。ていうかきみさあ、ろくな呪文も使えないのに無理しちゃだめよ。ほら、立って」
ろくな呪文も使えないのに、という言葉で心をえぐられたが、ペルはそれどころではない。こちらへ手を差しのべるステラを、彼はぽかんと口を開けて見返すばかりだ。失われた古代魔術の使い手──伝説級の魔術師を前に、ペルは一言半句も出てこなかった。
なにはともあれ、これで一件落着である。
バジリスクに驚いて逃げた荷馬車の馬は、ピートの炭焼場で見つかった。ペルとステラはピートに手伝ってもらい、廃坑のモンハン像を荷馬車へ載せると、町まで運ぶことにした。幸い、どれも損壊は見られないようである。ステラが言うには、ラクスフェルドのロザリーフ大聖堂で治療してもらえば助かる見込みはあるとのことだ。
日はとっくに落ち、あたりは暗い。ふたりを乗せた荷馬車は、来たときの農道を引き返す地点にまでさしかかっていた。
「いやー、しかしペルくん、初日からえらい目に遭ったわね」
「ほんとですよ」
重たい石像を荷馬車に積み込む重労働をさせられたペルは、腕の筋肉をほぐしながらそうステラに応じた。
「といっても、ぼくなんてほとんど役に立ってませんでしたけどね」
「ん、どうして?」
「ろくな呪文も使えないくせにモンスターへ挑むような、だめだめ魔術師ですから」
口をへの字に曲げて、ペルは肩をすくめる。
「あらら、そう拗ねないの。きみだって、役には立ってるわよ。ほら、あれ」
ステラは言うと、荷馬車の前方で淡く輝く鬼火を指さした。それは夜道をゆくために、ペルが呪文を唱えて作り出した小さな照明だった。空気中のエーテルを燃やして光を得る初級呪文。あたりを照らしつつ荷馬車を先導するように、ふわふわと浮遊している。
「あれがなかったら、あたしひとりじゃ夜道は怖くて帰ってこられなかったもんね」
「はは……」
ステラの心遣いか、それともからかわれたのか、計りかねたペルは笑ってごまかした。
しかし、謎である。今日ペルが目撃した古代魔術のことだ。この世界から失われたはずの魔術を、ステラはいったいどこで、誰から習得したのだろうか。
あらためてペルは隣にいる女魔術師へと目をやった。その微笑をたたえた横顔に、彼はつかの間、見とれてしまう。そして、少し迷ってから、ペルは思い切って訊いてみた。
「あの、それでステラさん。あんなすごい古代魔術、いったい誰に教わったんですか」
「ふふ~ん、やっぱり気になるう?」
「もちろんですよ。ぼくだっていまはこんなですけど、いずれは魔術を極めて、宮仕えするような大魔術師になりたいと思ってるんですから」
「へえ、おっとりしてそうで、意外と野心あるのね。でも──」
顎に人差し指の先を当てて、ステラはしばし思案した。
「攻撃呪文が翰林院の三年生からだとすれば、古代魔術は一〇〇年生くらいにならないと無理ねえ」
またはぐらかされた。とらえどころのないステラに脱力し、ペルは思わず御者台からずり落ちそうになる。
やれやれ不思議な女性だ。どっと疲れを感じたペルは、首を曲げて頭上を仰ぎ見た。
満天の星空である。星々の下、ペルの灯した光に導かれ、荷馬車はゆっくりと進んでいった。
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